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個人投資家目線の読書録

人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

上田啓太 河出書房新社 2022.4.30
読書日:2022.6.30

仕事を辞めて、友人宅の物置に転がり込んだまま、2000日をそこで過ごした著者が、自分がやったことや至った心境などについて語った本。

著者の上田さんは大学三年のときに今後の進路を悩んだ末に、大学院に行くことも考えたが、幼馴染の友人たちと芸人活動を始め、芽が出ないまま解散して、バイト先も辞めて、知り合いの女性に2ヶ月居候させてくれといい、そのまま6年間居続けたという人物だ。ただし、その杉松という女性との間に恋愛関係はない。なので、3ヶ月目からは家賃を半分納めるように言われ、毎月3万円支払っている。

収入の方は、雑誌のコラムで大喜利の投稿者というのをやっていて、面白い回答をして採用されるとお金がもらえるらしい。この仕事で月に8〜10万円ほど稼いでいたという。大喜利の仕事に使った時間は週に2,3時間だそうで、その効率の良さも驚異的だが、その時間以外はとくに何もなく、自由だ。ただし大喜利の投稿はすべてネット上で完結するので、人との関係はここにはない。

住んでいたのは、杉松宅の奥のかつて物置だったところで、1畳半の広さだそうだ。そこにほとんど居て、生活時間が違うから杉松とすらもあまり関わり合いがない生活をしていたらしい。しかも、外にもあまり出ないし、人とも会わない。仕事も探そうともしない。ネットはしているが、暇つぶし以上の役割はなかったようだ。(ただしブログ日記は続けていたようだ)。

こうして、することもなく、人とも会わず、ネット以外はまったく世間と繋がりがない生活を6年間続けた。こうなると、関心は外ではなく自分の内へ内へと内向化していくことは必然で、その自己観察の様子が書かれている。

なんか現代の鴨長明という感じだが、では、具体的にはいったいどうなったのだろうか。

1〜300連休:
最初はもちろん開放感を味わっていたそうだ。ところがだんだん鬱々として、身体を動かしてみたりする。身体を動かすとそれなりに気分は良くなるが、怠惰なので運動は長続きしないそうだ。ひとりでいると昔の記憶の断片がフラッシュバック的に思い出されて、感情が動かされるという。脳が刺激を求めているのだと思い、本を読む。本人は小説以外ほとんど本をこれまで読んでこなかったらしく、自己啓発本を初めて読んで興奮したりするが、運動と同じようにその刺激は長続きしない。とにかく目標が必要ということで、毎日の運動と読書、一日の振り返り、週イチの大喜利の仕事をすることを目標とする。

300〜1000連休:
生活のリズムを整えようと、自分の生活を分単位で記録して、杉松に報告するようになる。短いテキストだがそれを整理するプログラムを作ったりする。(基本的に理系で頭がいいのだ)。

図書館が近くにあったので多読するようになる。読書の記録をつけようと、データベースアプリを導入するがそのデータベースに過去の記憶もどんどん付け加えていく。最初は読書の延長で過去読んだ本や漫画、映画を付け加えていくが、やがて自分に関係するすべてをデータベース化しようとする。こうしてすべてをデータベース化すると、急に感情がフラッシュバックすることはなくなっていったという。こうした作業に何ヶ月も費やしている。まあ、普通の人にはできないよね。

1000日経って、最初のころの悩みは不思議に消えたという。

1001〜1500連休:
記憶の棚卸しが終わったところで、関心が自分と人間に関する客観的な観察に向かっていったらしい。人間の名前とか身体とか存在とかに関心が向かっていく。自己啓発から哲学ということらしい。鏡の自分に向かって「お前は誰だ」と言い続ける実験をしたりする。このときは、鏡の自分が笑ったときが一番怖かったそうだ。

1501〜2000連休:
次第に自分の身体と心の関係に興味を持って、食事・睡眠・排泄以外の行動は極力取らない実験をして外でも歩くときに目を動かさないようにしたり、性欲と射精との関係を探ったり、心と身体の関係についていろいろ考察するようになって、ますます哲学的、心理学的な考察が多くなっていく。だんだん身体の欲求と精神は関係ないように思うようになり、死と睡眠との関係を考えたりして、<今>がむき出しになっていると考えるようになる。

などという哲学的な考察が強くなってきたところで、ウェブマガジンでの連載が決まり、自然と連休はなくなり、杉松の家を出たそうです。

うーん、こうやって見ると、この心理的な変化は別に連休と関係ないんじゃないの、という気がするなあ。仕事してても同じだったんじゃないかって気がする。記憶の棚卸しというのも、30前後でやる人が多いんじゃないかな。ただ、連休中は好きなだけこの作業に没頭できたわけで、そういう意味では貴重だったのかもしれないけど。

ネット上の著者のインタビューを読むと、ブログの文章もいくらでも推敲できたそうで、そういうブログの記事がバズったりして、今のライターの仕事につながっているようです。なんと常に100件程度のネタをストックしていて、暇をみて推敲して、外に出せるレベルになったと思ったところでアップしているようです。今ではブログはnoteに移行しているようです。

なにかやりたいことがあって、それが文章みたいなあまりお金がかからないものなら、思いっきり生活水準を下げて、2000連休ぐらいを取って、取り組むのも有りかもしれませんねえ。こうしてみると、やはり結婚というのはやりたいことのある人にとってはリスクなんでしょうか?

この人、京都大学出身なのですね。京都大学の理系の出身だけあって、頭は良さそうです。ちょっと一般人と道が外れてますけど、外れるのはあまり京都大学出身では珍しくない気もする。いや、ただの印象ですけど(笑)。

★★★★☆

 

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