ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

ソシオパス 「怪物」と呼ばれて

ソシオパス 悪魔か、苦悩の人か

パトリック・ガーニェ 訳・高橋知子 早川書房 2025.10.20
読書日:2026.6.9

女性の心理学者でありソシオパスである著者が、ソシオパスの中で何が起きているのかを自らの体験で語る本。

この本を読んで一番びっくりしたのはサイコパスとソシオパスが違うということだった。どちらも他人に対する共感性がなく、反社会性パーソナリティというくくりの中にある。しかし、サイコパスは自己の利益のみを考えて行動し、反省はまったくしない。

www.hetareyan.com

一方、ソシオパスは自分が周りと違っていることを理解しており、それに苦しんでいる。できれば、普通になりたいと願っている。しかし、人に共感し、相手と感情的に心を通わせることは、ソシオパスにとってどれだけ願っても手に入れることが不可能な魔法のようなものなのだ。

そして、どうもほとんどのソシオパスにとって、周りに自分と同じような人が存在しないようなのである。ソシオパスである彼や彼女はたいてい家族や親戚のなかでたった一人で完全に孤立していて、自分を理解するための手掛かりはまったくない。

このような状況の中で子供のソシオパスが親から言われるのは、「なぜあなたは普通にできないの?」である。これぐらいソシオパスにとって残酷なことはない。なにしろ認識すらできない不可能なことをしろと言われているのだから。最初は親から言われた通りにしたりするが、親の言うこともたいていは矛盾だらけだから混乱する。普通の子供はその辺の機微を自然とわきまえるが、ソシオパスの子供はうまくできず、おかしな子のままである。

こうしてソシオパスは、周りの人のやっていることを徹底的に観察するようになる。それが趣味のようにすらなる。そして普通の人にとっての普通とは何かをデータマイニングしようとする。やがて、演技をしたり嘘をついたりする方が、自分に正直でいるよりも簡単だということに気が付く。正直さは必ず悪い結果になるのだから、そうなってしまうのだ。

そういうわけで、ソシオパスにとって他人とやり取りする日常は、正解は何かをさぐる綱渡りの連続となる。そしてこのような永遠に続くプレッシャーの中で、常に不安と闘いながら生活していくことになる。そんな終わりのない緊張がピークに達すると、ソシオパスはそのような心を解放するために、世間的には「悪いこと」とされていることを行うのだという。

著者のパトリックの場合、それは最初は物を盗むことだった。それが欲しいのではなく、そうすることによって、心が解放されるからだ。次に誰もいない他人の家に忍び込むこと。誰もいない部屋に一人でいると、非常に心が解放されるのだそうだ。子供のころは鍵のかかっていない窓から忍び込むようなことをしていたが、ドアのロックを外す道具をそろえてピッキングするようになり、やがて達人になったのだという。

大学に入ったころ(頭はよかったらしい)、大学のフラタニィ(男子寮)のパーティで目立たないように人間観察を続けて、その結果を自分の暮らす女子寮で試したところ、驚くほどの結果を得たという。つまりちょっとしたことで、自分のことを友達と認識させることに成功している。人間観察と演技もこの辺で極まったようだ。ただし、一緒に暮らすルームメイトには通じなかったようで、どうやらそういう演技は長くは続かないものらしい。

そして、転機が訪れる。適当に取った心理学の講義で、ソシオパスについて明確な説明を聞いて衝撃を受けたのだ。それが自分のことだとすぐに分かった。こうして心理学について調べるようになる。もしソシオパスが、うつ病や統合失調症のような精神の病気ならば治るのではないか、治らなくても少しはマシになるのではないか、という希望を持ったのだ。

そして、ソシオパスについて教えてくれた博士と話をするが、ソシオパスにはほかの精神の病とちがって治療法はなく、そのようなプログラムもなく、まったく希望がないことが分かる。それどころか、人間は感情がないとついには壊れてしまう、などと言われ、パトリックは絶望してしまう。それで衝動的に寮の窓から飛び降りてしまったくらいだ。たまたま芝生の上に落ちてしまって、ケガすらしなかったらしいけど(苦笑)。

たぶん、このエピソードがサイコパスとソシオパスの違いのもっとも大きなところじゃないだろうか。サイコパスならきっとこのように苦しまないだろう。同じ共感性の欠如した人間でも、それはスペクトラムのような広がりがあるのである。

パトリックは大学を卒業してからは音楽業界に身を置いている。ここで、面白いことが起きている。彼女が、自分はソシオパスであることを公言すると、業界人のなかから自分もソシオパスだと言う人が続出したのである。しかし、彼女に言わせれば、それらはみな似非(えせ)ソシオパスなんだそうだ。それは、他人よりも自分を優先する自己チューな性格のことを言っているだけなのだった。しかし、そういう文化の中では、本物のソシオパスの彼女はクールということになっていったようだ(笑)。

そして音楽業界で働きながら、心理学の博士課程を目指すのである。治療プログラムがないなら自分で作ってやる、ぐらいの動機なのだ。そしてパトリックの最大の目標は、ソシオパスの人に、あなたは一人ではないということを知らせることである。ソシオパスは一般人に対する共感力はないが、他のソシオパスには共感できるかもしれない。(この本はそのためでもある)。

博士課程では面白いことも起きている。そこでは、カウンセリングの実習が必要だった。パトリックは、共感力のない自分にカウンセリングができるのだろうか、と悩む。実際には、精神科はマニュアル化されているので、共感力がなくても相手の状態の判断ができればカウンセリングは可能だったらしい。さらに、治療法のないソシオパスの患者は面倒がられて実習生に回されることが多かったので、彼女のところにもたくさんのソシオパスがやってきたという。研究用のサンプルとしても有用だったことだろう。

なお、パトリックは14歳の時に知り合ったデイヴィッドと結婚する。デイヴィッドは、はじめてソシオパスの彼女をそのまま受け入れてくれた人で、一緒にいてもプレッシャーのかからない人だった。しかしそんなデイヴィッドも完全にはソシオパスのことを理解していたわけではなく、彼も学ぶ必要があった。こうした恋人同士のごたごたもたっぷり書かれている。

この本でもっとも有益だったのは、共感力がない人間は、それがまったく気にならないサイコパスのような場合もあれば、そのことに苦悩するソシオパスのような場合もある、ということがわかったことだ。しかもソシオパスには、パトリックのように同じ境遇の人を助けようとする人もいるのだ。

サイコパスの割合は4〜5%だといわれている。しかし、この中には相当数、ソシオパスが混じっているのではないか。そうすると、破壊的なサイコパスの割合はもっと少ないのかもしれない。そのほうが、実感と合う気がする。

★★★★☆

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ