ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

逆境こそ光輝ある機会なり

元谷外志雄 APAグループ たぶん2015年に出版
読書日:2025.1.5

APAグループ代表の元谷外志雄が書いた、自分の生い立ち、アパの創業から今後までを語った、たぶん一般の本屋では入手できない本。(いちおう800円と値段がついているから、アパホテルでは購入できるのでは?)

APAに泊まったわけです。たぶん20年ぶりぐらいに。何泊か泊まったのですが、この日は予定がなくて、部屋に置いてあったこの本をバッグに入れて散歩に出たわけです。喫茶店でランチを取りながら読み始めました。そんなに厚い本ではないので、すぐに読みきれると思ったのですが、意外に時間がかかって、おやつも注文してしまいました(笑)。そうして、その日のうちに全部読んだのですが、けっこう面白かったです。

やっぱり、こういうキャラが立っている人は生い立ちからして面白い。

元谷外志雄の父親は石川県の小松で元谷木工製作所という会社を経営していたそうだ。この父親は新聞を熱心に読む人だったそうで、外志雄は一家の大黒柱は新聞を読まなくてはいけないと思っていたという。この父親は外志雄が小学生のときに病気で倒れ、そのとき父親に変わって一家を養わなくてはいけないという覚悟が生まれ、その結果、新聞を読む習慣を身に付けたという。そして、わからない言葉があると「現代用語基礎知識」で調べ、新聞だけでなく東洋経済もずっと読んでいた。つまり元谷外志雄は知識を自分で身につける、独学の人だったわけだ。

この後、元谷家は工場を閉鎖して、敷地を貸し出してその賃貸で生活していくのですが、父親の病気の治療のために資産を売るので徐々に資産が減っていく。そこで、外志雄はいろいろなバイトや「事業」に手を出して家計を支えようとしたんだそうだ。銅線が結構いいお金になったので、工事している現場で端っこの電線を集めたりしていたという。

ビジネスの才覚があったのか、末広競技場の近くに引っ越したときに、競技場に自転車置き場がないことに目を付けて、家の前の道路に有料の自転車置き場を設けて自転車を預かる事業をはじめた。人気競技のあるときには、1日三千円稼いだという。これは当時のサラリーマンの給与の一ヶ月分だったそうだから、かなりのボロ儲けだ。するとヤクザがやってきてショバ代を払えと言ってきたが、他人に迷惑をかけていないし、祭りの出店でもない、と支払いを拒否、睨み合って一歩も引かないでいると、そのうち相手は諦めたという。

なんだか子供のころからガンガン稼いでいるようにも見えるけれど、高校には奨学金を利用して進学している。やっぱり貧乏なのかと思うと、初めての家は20歳のときに建てたという。こういう感じだから、高校へ行くくらいのお金がなかったとはとても思えない。たぶん奨学金を使ったのは、父親が病気で使えたからだ。きっと使える有利な制度は全部使うという主義なのだろう。こういうふうに制度を上手に使う方法は、この頃から徹底していたわけだ。ズルはしないが、勝てる地点を見つけるのは昔からうまかったようだ。

高校時代は、いまでは信じられないことだが、左派の学生運動に共感していたそうだ。医療を無料にするという社会主義的な理想に燃えていたらしい。父親の病気で苦労したからだそうだ。大学に行っていたら絶対に学生運動をやっていただろうという。へー。

高校を卒業すると、金融を勉強するために小松信用金庫に就職する。そして驚いたことに、慶應義塾大学の経済学部通信教育部にも入って経済の勉強もしている。このことは誰にも話さなかったそうだが、これはすごいと思った。仕事が終わった夜に勉強していた。そうしながら、起業の機会をうかがっていた。

そのうちに、父親が参入したがっていた不動産業に進むことを決める。子供のころから元谷家は人に不動産を貸して暮らしてきたという経験もあったので、なじみもあった。しかし、事業を起こすにも、当時の金利は8%程度と高くて、まともに資金を借りていたのでは事業はうまくいかないだろうと考えた。と、ここで元谷青年は、驚くべき行動に出るのである。

なんと入社後たった2年で労働組合の書記長に就任するのである。信用組合の従業員はほとんど女性なので、女性の人気を掴んで書記長になったのだそうだ。(つまり元谷氏はたいへんモテたらしい。ちなみにこのころアパ社長になる芙美子と出会っている。芙美子は福井信用金庫の行員で、労働組合の会合で知り合ったらしい)。

そして書記長になると、団体交渉をして、福利厚生の一環として、従業員は給与の60ヶ月分を金利2%で借りられるとしたのである。もちろん、真っ先にこの制度を使ったのは元谷青年で、60ヶ月分の借りたお金で土地を買ったのだそうだ。当時は、土地がバク上がり中で、1年後に土地の半分を売ると、返済完了したんだそうだ。こうした組合の低金利を使った不動産売買で、資産を増やしたのだという。そんなふうに労働組合を使って、自分に都合のいい制度を作ってしまうのだから、びっくりである。

そして、信用金庫の経営陣にも、サラリーマンが使用可能な長期ローンの仕組みを提案する。これは自分が独立したときにこの仕組みでサラリーマンに家を買わせるために作ったもので、はじめから勝てる環境を整えているのである。

ちょうどその頃、大蔵省が信用金庫を合併させて大きくしようという話が進んでいた。小松信用金庫も別の2つの信用金庫と合併することになったが、労働組合があるのは小松信用金庫だけだった。なので、キャスティングボードは小松信用金庫が握っていた。

ここで、また、元谷青年は驚くべき交渉をするのである。

リストラをしないこと、現行の労働条件と福利厚生を準拠すること、というのはまだ分かる。が、ここに自分が独立したときの好条件を付け加えるのである。つまり、自分の会社に「信金」の名前を付けることの許可、そして自分の会社の株式の4割を信用金庫が保有して(ということは出資させたということ)、将来、株を本谷氏が額面価格で買い戻すことができるという条件である。額面価格とは驚きである。つまり会社がたとえ大きく成長して株の評価額が上がっていたとしても、それ以上支払わなくてもいいように、限度を設定したということである。

しかも、会社は、信用金庫の空いている部屋で設立したのである。その名前は「信金開発」(笑)。しかも、それでも足りないとばかりに、信金の副理事長に名目上の取締役会長に就任してもらうという念の入れようである。(これは自分の嫁をアパホテル社長にして前面に出して、自分は後ろに隠れていることとちょっと似ている)。

こうして信用金庫の信用を最大限使って、しかも、サラリーマン向けの有利な長期ローンという他の不動産会社にはない武器を持って不動産業界に参入したのである。初めから勝てる環境を作っているんだから儲からないはずはないのである。

はじめは注文住宅で、次に建売でガンガン儲けて、最初のうちは税金をたくさん払って、まずは世間の信用を作ったという。

笑ったのは、建売時代に、資金の関係で建築許可が降りないうちに家を作り始めたら、県から工事中止の赤紙が貼られたという話だ。すると元谷氏は、「風の吹く日もあるだろう」と赤紙を剥がして(つまり風で飛んでいったことにして)、工事を続行させたという。これには爆笑してしまった。そんなことってある(笑)?

しかし当時の法人の税金は60%もあったそうで、こんなに払っていたのではとても利益は残らない。なので、税金を払わなくてすむように、この利益を投資に回したのである。まずはマンションだったが、そのうちにホテルに目を付けた。なぜなら、ホテルは調度品も全部投資しなくてはいけないから、投資額がとても大きくなるからちょうどいいからだそうだ。そして、建築完成後は減価償却が続く間、税金を減らすことができる。減価償却がすむとあとはそのまま利益になる。利益が出るようになったら、また投資をしてどんどん増やしていけばいい。税金をなるべく払わずに拡大させていくスキームを作ったわけだ。

ホテル事業は全社員から反対されたといい、さらには当時つきあっていた金融からも反対された。でも元谷氏は、従来の金融機関をすべて切って、新しいところから融資を受けて事業を開始している。

本谷氏の慧眼は、ビジネス客に的をしぼったことだ。けっして宴会などの浮利を追わずに、フローで稼ぐことに徹したのである。

このあとのアパの躍進は皆のよく知られているところだから、これ以上は述べないけれども、最初から勝てる環境を作ってから勝負していることはずっと一貫している。

最初の頃は一部の社員が会社を乗っ取ろうとして反乱が起きたので、首にしたことがあったけれど、それ以外は一度もリストラをしたことがないという。赤字にも一度もなったこともないそうだ。

「APA」というブランドはJAPANの真ん中からとったのだと思っていたが、最初はそういう意味ではなかったそうだ。覚えやすいように、「あ」または「A」からはじまるような、そして環境に配慮したネーミングを発注した中から、選んだものだという。ところが、これを発表するときに長男の元谷拓(現CEO、当時大学生)が、JAPANの真ん中からとったと発表したんだそうだ。なるほど、長男の元谷拓もなかなかの才覚だ。英才教育のたまものでしょうか。

というわけで、なかなか興味深い内容なので、みなさんもAPAに泊まった際は、この本を手にとってみられては?

★★★★☆

 

死は存在しない 最先端量子力学が示す新たな仮説

田坂広志 光文社 2022.10.19
読書日:2024.12.27

宇宙のすべての情報は量子真空の「ゼロ・ポイント・フィールド」にホログラム的に記録され、人は死んでも情報として生きているから、死は存在しない、と主張する本。

ホリエモンの本がすぐに読み終わったので、次にダウンロードしたのがこれ。)

死後の世界が存在するかどうかは死んでみれば分かるんだから、別に生きているうちか心配しなくてもいいような気もしますが、そうはいかないのが人間というものなのでしょう。

著者は昔から不思議な現象が身のまわりに起こっていたそうです。例えば東大の試験では、熱を出して受験不可能だったのをおして受験すると、直前に参考書で見ていた部分が偶然試験に出て合格したとか、米国で住むことになった家はかつて偶然写真に撮っていた家だったとか、なんかそんな話がされます。

そのくらいで深い意味があると主張するのはちょっと無理があるんじゃないかという気もしますが、まあ、そういうわけで、本人はいろいろ考えた末に、量子力学にはすべての情報がゼロ・ポイント・フィールドにホログラム的に書き込まれるという「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」なるものを知って、これだ、と感じたわけです。すべての情報が書かれているのなら、すべてのことがゼロ・ポイント・フィールドで結びついても不思議はないというわけです。しかも、この領域には、未来の情報も書き込まれているとして、予知もできるそうです。

さらに、個人の情報が書き込まれるのなら、そこに個人の意識というものも実際にあるのに違いないとして、死は存在しないのだと主張するわけです。

このあとは、ほぼ世間の神秘主義者が述べているような話が繰り広げられまして、宇宙の一部となった死者は幸福感に包まれ、すべての人の人生は無駄ではないといいます。(だから、死ぬことを早まってはいけないと)。

繰り返しになりますが、死後の世界が存在するかどうかは死んでみれば分かるんだから、別に生きているうちか心配しなくてもいいとわしは考えていて、死んでもし死後の世界があったらラッキーぐらいでいいんじゃないかと思いますけどねえ。なにしろ、どう考えても、生きているうちに確認するのは不可能なので。

まあ、ひとつの考え方としては、べつにいいとは思いますけど。

★★★★☆

最大化の超習慣 「堀江式」完全無欠の仕事術

堀江貴文 徳間書店 2022.1.31
読書日:2024.12.25

人生を最大限に活かすには、自分の能力を最大化する習慣を身に着けるのが一番合理的と主張する本。

クリスマスのこの時期に、読む本がなくなってしまった。こういうときこそ、キンドルの出番だ。アマゾンにアクセスすると、プライム会員に無料で提供されているプライムリーディングでこの本を勧められたので、何も考えずにダウンロードして読み始めた。

ホリエモンの本ってずいぶん久しぶりだなあ。まあ、これまで読んできたホリエモン節と内容は変わらないんだけど。

・アクションは精神論ではなくて実行だ。小さなことでも前進するための点を打ち続けろ。成功とは確率だから打った点の数に比例して成功の可能性も高まる。
・独創性にこだわるのは時間の無駄だ。気にせずに、まずは完全コピーでいい。独創性はそのうちについてくる。そしてリソースは全部突っ込め。
・スキマ時間をスマホで埋めろ。スマホでほとんどの仕事はできる。自分にできないことは人に頼れ。
・ストレスのほとんどは人間関係だが、人間関係は常に更新しろ。悩むくらいなら、悩む時間がないようにスケジュールを全部突っ込めば、悩む時間もなくなる。
・身体に気をつけて、睡眠時間もたっぷりとって、筋トレをして、トップ状態を保て。

などといったことが、書かれております。

問題はすかすか読めるので、通勤時間の行きの途中で読み終わること。タイパ最高ですが、帰りはどうするんだ? まあ、次の本を読むだけなんですけどね。

★★★★☆

流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則

エイドリアン・べジャン J・ペダー・ゼイン 訳・柴田裕之 解説・木村繁男
読書日:2024.12.25

流れがあるところでは、その形状は、一番流れやすくなるデザインに進化する、という法則が成り立っていると主張する本。

なーるほど、という感じの主張で、自然を少しでも観察したことのある人なら、これは誰もが認めざるを得ないでしょう。たとえば川があるとする。すると、水はもっとも抵抗が小さく、もっとも流れやすい方向に流れる。そうなるためには川のデザインには一定の法則があるというのだ。

この法則のことを、著者は「コンストラクタル法則」と名付ける。この法則は物理法則であり、生物か無生物かには関係なく流れがあるところ全てに成り立つという。例えば、交通などの流れもそうだし、人間の社会構造も情報の流れと見ればこの法則が成り立つという。

ベジャンはもともと放熱関係の研究者なんだそうで、機器で発生した熱をできるだけ素早く放熱させるような設計を仕事にしていて、この分野では世界的な第一人者なのだそうだ。なるほど、効率的な熱の流れを考えているうちにコンストラクタル法則に行き着いたというわけだ。

で、著者によれば、この原則は数学的に処理できるそうで、たとえば川の流れ方のデザインならば、川の本流に流れ込む最適な支流の数というのが計算できるんだそうだ。コンストラクタル法則によれば、最適な支流の数は4になる。で、実際の川でも、支流の数は3〜5の間になるのだという。また、川幅と川の深さは比例関係になることが証明できるんだそうだ。この辺の数学的な取り扱いは、この本ではなるべく数式を排除しているので記載されていないのだが、こんなことが本当に純粋に数学で計算ができるとしたら驚きだ。

他にもいろいろな例が載っているのだが、例えば、血管の断面形状は円形で、分かれるときには2つに分かれ、面積がちょうど半分になるようにするのがもっとも抵抗が少なくなるといい、実際に血管はそうなっているという。

水の流れ方には、スムーズに流れる層流と渦を巻いて乱れる乱流があるが、コンストラクタル法則によれば、その層流と乱流が切り変わるポイントを正確に計算することができるそうだ。乱流って、流れが乱れているから抵抗が高いように思われるが、実際には流れが速いときには乱流のほうが流れの抵抗が少なくなるんだそうだ。この例は少し計算が載っている。

木の形や、動物の形のデザインもその大きさや動きに最適な形状があり、その結果、異なった種でも進化するうちに同じような形になる収斂進化(たとえばコウモリと鳥が似ているとか)が説明できるという。

まあ、こういうことがいろいろ書いてあるのだが、気になったのは、法則は言葉で表現されているだけで、たとえばニュートンの第2法則みたいな、すべてを説明する統一的な方程式はないようだ。どうも、実際には対象によってひとつひとつモデルを作っている印象だ。そうすると、最適なモデルをどう作るかという点が、研究者のセンスにゆだねられているように見える。その辺がちょっと弱い気がするなあ。

コンストラクタル法則は人間の社会構造にも適用できるそうで、人間社会の場合は、情報がなるべく抵抗なく流れるように進化するのだそうだ。この条件では、人間社会は必然的に階層構造になるという。会社ではCEOのトップの下に社員が階層状に並んでいて、国だったらトップの首相や大統領の下に階層状に国民がいる。階層構造になるということは、つまり上に立つエリートがおり、階級ができるということだ。コンストラクタル理論のように、階級があったほうが良いという理論は人々の共感をあまり呼ばず、評判が悪いという。しかしコンストラクタル法則に従えばこうなるのは仕方がないという。

橘玲が「テクノ・リバタリアン」でコンストラクタル法則を引用して、人間社会が階級社会になるのは仕方がないと言っているのはこの部分なのだろう。

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でもこの本を読む限りは、情報がよりスムーズに流れるためには階層構造を取らざるを得ないと言っているだけで、階層構造を構成する個々の人たちが、そのほうが自由だとか、幸福だということとは無関係のように見える。自由だろうが不自由だろうが、進化すれば階層構造を取るということである。

わしも別段、階層構造を取ること自体は問題だとは思わない。わしはどの階層の人だろうと、個人の自由が守られてある程度の富が分配されて然るべきだと思っているだけである。わしが目指す社会は、エリートの人がいくらお金を稼いでも、「それがどうかしました?」と言える社会である。

なので、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかなあ。

★★★★★

レフ筋トレ 最高に動ける体をつくる

高岡英夫 講談社 2004.4.2
読書日:2024.12.20

かたい筋肉を「ラフ筋」と呼び、マシュマロのような柔らかい筋肉を「レフ筋」と呼ぶ著者が、レフ筋こそ動ける体であり、レフ筋をつくる筋トレの方法を教える本。

筋トレが流行っているが、何も考えずにやると硬い筋肉ができてしまい、そのような筋肉では運動能力がかえって落ちてしまうのだそうだ。しかも、そのような筋肉では寿命を縮める可能性さえあるという。

まあ、ガチのボディビルダーは筋肉をつくること自体が目的で、動くときの能力なんて関係ないでしょうから余計なお世話なんでしょうが、確かにボディビルダーの筋肉がスポーツに向いているとは言えないでしょう。年末の風物詩であるTBSの「サスケ」を見ていても、筋肉をつけすぎたボディビルダーがいい成績をあげたところは見たことがありません。

なぜ柔らかい筋肉がいいかというと、筋肉は収縮するときに力を発揮しますが、硬い筋肉というのは常にある程度収縮しているから硬いんだそうで、その結果、収縮する量がかえって減ってしまうんだそうです。逆にまったく緊張のないダラーッとしたマシュマロのような筋肉のほうが断然力を発揮するんだそうです。なるほどね。

著者の言うマシュマロのような柔らかい筋肉を持っている例として、プロ野球大谷翔平イチローをあげています。著者は別に大谷翔平の知り合いでもなんでもなくて、テレビを見て大谷翔平の筋肉は柔らかいと勝手に断言しているだけなのですが、まあ確かに大谷翔平の筋肉は柔らかそうな気がします。しかも常にリラックスしていて筋肉に緊張感がまったくないと褒めています。

別の例として、陸上の100メートル金メダリストのウサイン・ボルトの例をあげていて、著者はこの走りをトカゲ走法と呼んで、どのように前進力を生んでいるのかを解説した論文を発表しているのだそうです。そのフォームというのが、上げている方の脚の膝の位置が踏ん張っている脚の膝よりも下に来ているという独特のフォームだそうで、これができること自体が筋肉が柔らかい証拠なんだそう。ほんまかいな、と思うのですが、説明図が載せられていて、なかなか説得力があります。

著者はいま75歳だということですが、40歳ではじめたスキーで、トッププレーヤーを置いてきぼりにする実力を発揮したと主張しています。しかし、わしが驚いたのは、歳をとってからさらに身長が2センチ伸びたということ。最近身長が縮んで、まあ歳だから仕方がないね、と諦めていたわしを驚愕させました。

これは腰の周りのインナーマッスルや背骨の筋肉に働きかける筋トレが多くあるので、骨にもいい影響があるからではないかと思われますが、これだけでもやってみる価値があるかも。腰の関節を1個分ずつ持ち上げるという訓練もあります。筋肉を緊張させずに力を抜く訓練なので、筋トレというよりもストレッチの部類になるのかもしれませんが。

動けるからだというのはすべての筋肉の協業だそうで、バランスが取れていないといけないのだそうです。これで思い出すのは、以前読んだ「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った”野生”のスキルをめぐる冒険」に出てきた、自然を駆け回って岩や木にのぼり、川で泳ぎ、森を駆け抜けるような自然をフルに使った特別な訓練が出てくるんだけど(名前は忘れた)、そういうのがいいような気がするなあ。これを街でやるのがパルクールで、パルクールもいいかもしれない。パルクールって動ける身体の筆頭のような気がする。

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うれしいのは、最近のサッカー日本代表の身体の動きを褒めていることで、ますます日本サッカーは活躍しそう。

最近、わしのやっている筋トレって、スロースクワット10回、腕立て伏せ5回という、むちゃくちゃ少ないものです(苦笑)。あまりに少なすぎて筋肉が固くなる要素はないし、ダラダラと筋肉を緊張させずに生活することには自信があるんですけど、これじゃあだめ?(笑)

★★★☆☆

 

生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

戸谷洋志 講談社 2024.8.20
読書日:2024.12.16

新自由主義の「自己責任論」を全面的に採用することは論理的に問題があるだけでなく、有害でもあり、人は一人で生きていけない以上、他の人に頼る局面が必ずあり、人に頼ることを前提とする「弱い責任論」で補完することが必要と主張する本。

わしは80年代に青春を過ごしたものであり、したがって新自由主義の洗礼をまともに受けて育ったものである。わしは新自由主義は正しいと信じたし、サッチャーレーガンは正しいことを言っていると思った。当時、大学の研究室の飲み会で新自由主義にそった考えを述べると、当時の研究室の教授は、「最近の若者はそういうふうに考えるんだね。でもそれではうまくいかないよ」というようなことを言われた。今ではその言葉は正しかったと思う。

しかしながら、新自由主義のどこが間違っているのかというのを論理的に述べるのはなかなか難しいのである。なぜなら、新自由主義も一面の真実を述べているからだ。単純にいうと、新自由主義とは、「自分のことは自分でやれ」ということであり、個人の自立心に働きかける考え方だから、それはそれなりによろしいのである。

一方で、新自由主義の考え方を極端に推し進めると、なんでも、「それはあなたの自己責任です」という表現になり、そう言うとき、そのひとは自分と相手の関係を切り離している。自己責任論は責任を個人に閉じ込めるものだから、自己責任論を唱える人は、自分と自分以外の人間(社会)との関係を切り離していることになる。すべてを個人の責任にする自己責任論を、戸谷は「強い責任」と呼んでいる。しかし、もとより人は自分以外の人との関係を完全に切り離すことは不可能なのだから、自己責任論に限界があることは明白なのである。

第一に、その人はそうせざるを得ない状況にあったのかもしれない。選択肢のない中で、「それを選んだのはあなただから、自己責任です」と言われても困るだろう。たとえ自分の意志で選択したのだとしても、人は自分ではどうしようもないことで失敗することがあり得るのだから、どこまで自己責任を問えるのかは、状況によるだろう。

この本を読んでいてなるほどと思ったのは、自己責任論を唱える人は、「あなたは責任を果たしていない」という非難にとても弱いということである。この本の例では、かつてのナチスドイツの話として、国家が国民にユダヤ人に関する密告を奨励し、それはあなたの責任だ、としたことが挙げられている。こうすることで、ドイツ国民は自分の責任を果たそうとし、結果的にユダヤ人の虐殺に協力することになったという。これは極端な例だとしても、数年前のコロナパンデミックのときに、密を避けるなどのたくさんの責任を個人に負わされたことは記憶に新しい。「あなたは責任を果たしていない」という非難に、自己責任論では反論しにくいのである。したがって容易に世論に流されてしまうことも生じうる。個人主義を標榜しているはずの自己責任論者が逆に世間に流されやすい傾向がある、というのはまったくもって逆説的である。

これは、自己責任論には「誰に責任があるのか」という責任の所在に関する発想しかなく、その責任の内容や責任の限度に関する発想がまったくないことに起因する。責任の内容やその限度について考えることは自分と社会の関わりを考えるということであり、自分と社会とを切り離す発想の自己責任論では扱えないのである。

ここで、戸谷はある思考実験をあげる。

朝のラッシュアワーの駅の構内で、うずくまって泣いている小さな子供を見つけたとする。

自己責任論者であるあなたは、この状況はその子の自己責任であり私には関係ない、として切り捨てて立ち去ることもできたが(実際に多くの人が立ち去っていたが)、あなたは自分の意志で話しかけることを決断したとしよう。すると子供は親とはぐれたことが分かるとする。

ここで、この子を助けることにしたのは自分だから、と自己責任を発揮して、自分ですべてをやろうとしてもうまくいかない場合があることは明らかである。一緒に親を探しても見つからないかもしれないし、そのうちこれはこの子の問題であり自分は関係ないと思い直して子供を放り出せばさらに子供を危険な状態に放置することになるし、親が見つからないまま自分の家に連れて帰れば犯罪となる可能性すらある。

ここでやるべきは、駅員までこの子供を連れて行って、駅員にあとを託すことである。つまりすべての責任を自分で背負うのではなく、部分的な役割を果たせばそれで良しとする。「強い責任」に対してこれを戸谷は「弱い責任」と呼んでいる。人を助けるときには、このように人々が、部分的な「弱い責任」で連携するのが良いのである。

つまり、この例では子供が助かりさえすれば誰が何をしても良いのである。これをハンス・ヨナスというひとの言い方では、「誰の責任か」という責任の所在ではなく、「誰に対する責任か」を考えることなのだそうだ。

社会にはこのような「弱い責任」の連携の仕組みを備えているべきなのである。そして、自分でどうしようもない状況になったときは、頼ってもよいのだと思えることが、暮らしやすい社会には必要なのだという。

「強い責任」はあってもよい。しかし、それは「弱い責任」で補完される必要があるのである。

まあ、結局、自立しつつ連携する、という、なんとなく当たり前のことを言っているだけという気もしますが(笑)。

わしはこの本を読んで、「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」という本を思い出した。その本では、人々はお互いの生活に干渉しないが、困り事があると自分のできる範囲で助け合い、その結果過ごしやすい社会が実現できていて、自殺率が極端に少ない地域になっているんだそうだ。この本で言っているのは、たぶん、そういう社会のことだと思う。

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★★★★☆

眠れる進化 世界は革新(イノベーション)に満ちている

アンドレアス・ワグナー 訳・太田直子 早川書房 2024.9.20
読書日:2024.12.14

生物の中では遺伝子は常に進化していて、猛烈な勢いで新しいタンパク質を作り出しており、それらのほとんどは役に立たずに眠っているが、環境が変化してたまたまタイミングが合うとそれらは役に立つことがあり、定着する。つまり、環境が変わってから進化するのではなく、常にイノベーションが行われており、あとはタイミングだけが問題なのであり、それは人間の文化や発明についても言えることだと主張する本。

生物によっては膨大なDNAを持っていて、実際に使われているのは数パーセントだったりする。人間では2パーセントぐらいだそうだ。しかしDNAはコピーミスがあったり、他の生物から取り込まれたりして、常に変わっていく。もちろん、生きていくのに絶対に必要な重要な遺伝子は厳重に守られて、修復がなされるが、そうでない遺伝子がたくさん存在している。このような遺伝子は中立遺伝子と呼ばれて、変化が起きても放っておかれる。(なので、中立遺伝子同士を比べると、ある種が別の種から別れてからの時間が分かったりする)。

DNAの中で遺伝子(タンパク質の情報)がどこにあるかは、始まりと終わりのコードが決まっていて、その間にあるのが遺伝子である。ところが、この始まりのコードと終わりのコードも偶然できることがあり、このような場合にも新しい遺伝子ができる。

このような遺伝子がどうなるかというと、じつは片っ端からタンパク質に合成されているのだそうだ。そういうわけで、生物の細胞には、役に立つかどうかわからないタンパク質がたくさん存在しているらしい。実際、ほとんどのこうしたタンパク質は役に立たない。

ところが、環境が変わったときに、たまたまそのタンパク質が役に立つ時があるのである。たとえば、ある毒物にさらされたときに、その毒物を細胞外に排出する機能があったりする。そうすると、この細胞は生き延びることができるのである。

この細胞がある細菌であり、毒物が抗生物質だったりすると、この細菌はその抗生物質の耐性菌ということになる。ここで大事なのは、耐性菌は抗生物質にさらされたから進化したのではなく、あらかじめ準備がされており、その準備ができているものが生き残るということである。

新しい抗生物質が誕生してもすぐに耐性菌が現れるのはこういうわけなので、耐性菌との戦いはほぼ絶望的なものなんだそうだ。なにしろ、抗生物質ができたときには、もう準備ができているわけなのだから。

というわけで、生物は猛烈な勢いでつねに新しい可能性を準備しており、ほとんどの場合はそれは眠っているが、ある時機を得るとそれは開花するということが起きる。

また、こうしたタンパク質は設計がけっこうユルユルなのだという。例えば、ある毒物を排出するタンパク質は、似たような別の毒物にも有効な場合が多い。ピッタリ当てはまっている必要はないのである。なので、あるタンパク質をべつの機能として使うということもしょっちゅう起きる。

こういうある機能を別の機能に応用することは生物の中ではよく起きることで、これもあらかじめ準備されていたイノベーションの範疇に入る。

例えば、位置(座標)を認識する機能は生物の基本的な機能なのだが、この機能は座標を柔軟に設定すればパターン認識機能にも使えるのだ。人間の認識機能は、こうしたマッピング機能に大きく依存している。

(参考)

www.hetareyan.com生物以外にも、似たような例はたくさんある。車輪のような技術も何度も発明されたけれども、実際に大きく開花したのは、自動車が普及してからだという。科学の世界で、発見が何十年も放置されて、あとから重要だと再認識された例は枚挙に暇がないという。(例えばメンデルの遺伝の研究など)。

こういう例は技術者ならたくさん知っているだろう。企業で開発される技術のほとんどは役にたっていないのである。特許を見てみれば、使われなかったアイディアが山のようにある。というか、ほとんどがそうだ。だから、特許でお金を儲けたかったら、使われるのが必須の技術、たとえばなにかの規格(たとえばUSB規格とか)が確定する前に情報を集めて、規格に該当する当たり前のアイディアをたくさん出して、規格に入れてもらうことだ。(もしくはあとから裁判に訴える)。こういうコバンザメ的な特許が儲かるのである。

というわけで、世界はイノベーションが足りないのではない。イノベーションは十分すぎるほど豊富なのだが、タイミングが合わないというだけのことなのだ。

世の中にはたくさんの売れないクリエーターたちがいるが、著者のワグナーはそういうクリエイターにも思いをはせている。クリエイターの仕事がどんなに素晴らしくても、それが売れるかどうかはタイミング次第なところがある。どんなクリエイターも成功するのはごく一部なのだ。だから、たとえ成功しなくても、創り上げること自体に満足できることが大切なのだと主張する。

そういうわけなので、小山さんの作品も成功せずに亡くなってから注目を集めたけど、本人は書いている事自体には満足していたんじゃないかな。

さて、概ね言いたいことは理解できたが、個人的には、ある偶然できたタンパク質が有用だったとして、どうやって細胞がその特定のタンパク質が有用と判断するのかがいまいちよく分からなかったな。なにしろ、たくさんの無用のタンパク質が作られているんだから、最終的にどれが役にたったのか判断に迷うんじゃないかしら。

★★★★☆

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