ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

変態的読書

自分の読書が普通の人からはずいぶん離れていて、変態的なのは知っています。

会社でも昼休みに本を読んでいるので、他の本好きな人から、どんな本を読んでいるの?、などと聞かれ、それがもとでお互いに読んでいる本を教え合ったりします。読書離れが著しい現在では、なかなか得難いことです。

わしは、柄谷行人の「力と交換様式」を読んだとき、ものすごく感激して、これは超傑作、絶対読むべき本だ、と力説しましたので、その人はこの本のことを覚えていたのでしょう。数ヶ月前に、図書館で借りたそうです。しかし、目次を見ただけで借りたことを激しく後悔したそうです。とうぜん、まったく読まずに返したとか(笑)。

まあ、仕方ないですね。

文化人類学とかマルクスに関する知識がまったくないまま読んでも、この本が何がどうすごくてどう新しいのか、理解できないでしょう。そもそもわし自身がちゃんと理解できているのかどうか、怪しいですから。

それにしても、この本を日本で読んだ人は何人いるのかしら。せいぜい数千人で、1万人はいないのでは。

そう考えると、ベストセラーよりもこういう本を読んでいることが多いわしの読書は変態的と言ってもいいでしょう。

わしがこんなふうな変態的な読書に走るようになったのは、以前、どこかに書いたかもしれませんが、アルビン・トフラーの「第三の波」を読んだときですね。IT産業の発展の末にどんな未来が来るか描いた超傑作で、その後、30〜40年かかってそのビジョンが実現されていくのをわしらは見てきたわけです。もうこれは永久に実現しないのではないかと思っていた、コンピュータを使った在宅勤務も、いまではすっかり当たり前になりましたし。

読んだのはまだ10代の頃で、こんなふうに説得力ある未来を描けることに衝撃を受けました。社会の変化も含めて予測するには、テクノロジーの変化の予測だけでは難しいことは言うまでもありません。

それまで読んでいた本は、SFを除けば、ほぼ海外のベストセラー小説ばかりだったのですが、未来の社会を見るためには教養が必要だ、とジャック・アタリと同様の結論に達して、教養を身につけようと決心したのです。

でも、どうすればいいのか分かりませんでした。わしが頼りにしたのは新聞の書評で、新聞の書評を読んで、これはというものを読むようになって、今にいたるわけです。選ぶ基準は、自分の常識を覆しそうなものがあるかどうかです。

とはいえ、事実上、乱読だったわけで、古典をきちんと読むわけでもなく、なんとも中途半端ですね。そして、いまでは、変態的な読書になってしまっているわけです。

そろそろ会社人生がおわる歳になってきましたが、少しは未来が見えるようになったのでしょうか。まあ、こんな読書をしても、別に未来は見えませんね(笑)。ほんのちょっと見えるようになった気がしてはいますが。

 

サピエンスの未来 伝説の東大講義

立花隆 講談社 2021.3.1
読書日:2024.5.14

立花隆が1996年に東大で行った講義をまとめたもので、テイヤール・ド・シャルダン(1881−1955)の進化に対する考え方に基づいて、人類の進化の進んでいく方向を述べたもの。

未来のことに興味があるわしではあるが、なにしろ進化の話である。もしかしたら数万年後の未来のことかもしれない話だ。しかし、シャルダンによれば、わしらはすでに次の進化のとば口に立っているんだそうだ。

では、立花隆を通してシャルダンの考えを見ていこう。

シャルダンによれば、生物の進化は宇宙や物質の進化と地続きである。どういうことか。

熱力学の第2法則によれば、エントロピーは増大し続け、全ては拡散して消滅してしまう運命にある。しかし、それにあらがうかのように、物質が集まり、反応し、複雑になっていくということが同時に起きている。星が誕生し、星の中で新しい元素ができ、さらにそれが集まって惑星ができ、化学反応でさまざまな分子ができ、さらに生物が誕生する。つまり、集まって複雑になっていくという方向性が厳として存在するのである。そして、シャルダンによれば、これこそが進化の原動力なのである。

集まって複雑化する方向性は、これまでは物質的なものを中心に進んだ。そしてついには生物は脳をもち、ヒトが誕生し、ヒトの個々の脳の中で精神の複雑化が進んだ(知能が発達した)。今後はこれらの個々の精神が集まって、地球規模になるという。そしてそれは精神圏(ヌースフィア)を形成するという。それは地球全体を生命が覆い尽くした生命圏(バイオスフィア)の次の段階である。ひとつの大きな精神が地球を覆うのだ。

ここで、すでに進化は個々の生物を離れて、ヒト全体で構成されるなにかになるのだという。

人類の活動はすでにグローバル化され、通信の発達により、すべての人間が結ばれた状態である。したがって、現在すでに人類は次の進化のとば口(臨界点)に立っていているのだそうだ。そして人類は個々の精神を超えて、高次の精神を形成する。それは新しい宇宙ビジョンなんだそうです。

このような統合された精神をもつ人類を、シャルダンは「ホモ・プログレッシブ」と呼ぶ。高次の精神が統合された状態に達する地点を「オメガ、Ω」と呼ぶ。こうして次の段階に進んだ人類と、先に進めない人類の分裂が起きるという。

シャルダンイエズス会の司祭でもありまして、こうした意識の高次化された先にキリストが現れるんだそうです(笑)。

以上が、シャルダンのいう今後の人類の進化の大まかな流れなんですが、シャルダンは1950年代にすでにコンピュータに注目していまして、機械との融合も視野に入れているようです。

まあ、20世紀の中頃にこんなことを考えていた人がいるんですね。人工知能が人類を超えるシンギュラリティの概念やハレルのホモデウスの話を、立花隆ならどうコメントしたのか気になりますね。

個人的には、どうも精神がひとつにまとまるというところが不安ですね。ひとつにまとまると、多様性が失われてしまうんじゃないか、何かあったときに代替物がないじゃないか、というところが不安です。適度に分裂していて欲しいですね。

立花隆は日本人の知識人について、外国の学問について説明させると立板に水のように明快に説明できるんだけど、それであなたはどう考えるんですか、と訊くとグダグダになってしまうということを述べていて、最近、わしも日本人の本を読むことが多くなってきましたが、同じような印象を持ちますね。

もっとも、外国でも、独自の視点で物事を述べる学者は、そんなに多くはないと思いますけどね。そういう著作はまったく翻訳されないから、わしらは知らないだけで、クズみたいな本は、もちろんたくさんあるんでしょう。

★★★★☆

自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体

石井暁 講談社 2018.10.16
読書日:2024.5.13

自衛隊の中に首相も防衛大臣もその存在を知らない、旧日本陸軍の流れを継いだ情報部隊「別班」の存在を世の中に知らしめた著者による、取材の経緯を書いた本。

ほとんどの人は別班のことは、テレビドラマ「Vivant(ヴィヴァン)」で知ったのではないか。わしもそうで、てっきりフィクションと思っていたけど、本当に存在しているとは。

共同通信の記者である著者は、2013年にこのことを記事にして、その記事は全国の新聞の一面を飾ったのだそうだ。当時は自衛隊の「特定秘密保護法」の国会審議中で、審議に一石投じる思いで記事にしたのだが、いろいろ調整しているうちに、法案が可決したあとになってしまったのだそうだ。

わしは、この記事のことはまったく記憶にない。きっとスルーしてしまったんだろう。

軍に情報機関があるのはべつに珍しくないが、どの国もシビリアンコントロールがしっかりしていて、軍が独走することはありえない。しかし、別班は首相も防衛大臣もその存在すら知らされず、自衛隊の中でもトップの幕僚長すら詳細は知らないのだ。幕僚長が知らないのは、最初から知らないほうがいろいろいいからである。なんのコントロールもなしに、動き回っている情報組織があるというのは、とてつもなくまずい状況である。

これが秘密になっているのは、自衛隊に許されていない海外での活動になるからだ。別班の活動は中国、韓国、ロシアなどで、現地にダミー会社を作って、表向きは自衛隊を辞めて、他の省庁の公務員という身分で赴いているという。いちおう公務員の身分を持っているのは、隊員の身を守るためだそうだ。しかし、民間人として行く場合もあるようだ。(身分偽装に協力している省庁の人はなにも知らないのだろうか? どういうルートなんだ?)。別班の人事については、防衛省の特定の人だけが関わっているという。

情報収集は昔ながらの人間を使ったヒューミント(human intelligenceの略)で、現地の人を使って、情報収集を行っているらしい。予算は潤沢で、しかも請求書は要求されないので、高級な食事のし放題なんだそうだ。こうして集めた情報は、他の情報と一緒にされて、別班の情報とは分からないように提供されるという。

海外での特殊部隊による作戦では事前の情報収集が絶対に必要で、今後は特殊作戦と別班との統合が進んでいきそうだ。実際に人事交流が行われているという。しかし、こちらの方はまだ道半ばという状況らしい。

別班の隊員は自衛隊の学校を首席で卒業したものしかなれない。しかも厳格な適性試験をくぐり抜けなければならない。ドラマVivantで試験の様子が描かれているが、まったくあの通りで、すれ違った人の細かい特徴を述べさせられたりするという。1日中、ぼんやり過ごしているようなわしにはとても務まらないのは間違いない。そして、どんな場合でも自然な笑顔が作れるようになり、外面からは本心がまったくうかがい知れなくなるそうだ。(これではおそらく家庭もうまくいかないのではないか)。

こんな秘密の情報組織のことが外国に知れたらどうなるんだと思うが、これがどうにもならないのである。なぜなら、別班は米軍と協力関係にあるからだ。ある意味、米軍のお墨付きなのである。文句が出るはずがない。

石井さんが別班ことを記事にしたとき、知り合いの自衛隊の上層部の人は、石井さんの心配をして、秘密裏に護衛を付けてくれたんだそうだ。本当に命がけである。

というわけなのだが、こんなふうに秘密で内容がうかがい知れないから不気味なだけで、実はそんなに大した組織ではないのかも知れない。まあ、それはそれで困ったことではあるけれど。

★★★★☆

クリエイターワンダーランド 不思議の国のエンタメ革命とZ世代のダイナミックアイデンティティ

中山淳雄 日経BP 2024.2.26
読書日:2024.5.7

エンタメは社会の矛盾を心理的に昇華させる逃避世界だという著者が、アップロードネイティブ世代であるZ世代(1995〜2010生まれ)のエンタメについて語った本。

日本は世界に冠たるエンタメ大国なんだそうだ。Z世代が作り出した日本のエンタメは日本独特の環境から生まれた。それは二次創作である。自分が好きなオリジナルのコンテンツを使って、派生的な作品を作ることだ。著作権とかも無視するようなグレーなゾーンだが、多くのアマチュアが参加し、コミケやニコ動などの動画共有サービスを通じて楽しんだ。

特徴は、参加している人たちの熱量がものすごいことで、コミケなどでは10人ほど自分の作品を待っている人がいれば、その人たちのために頑張れる人たちがたくさんいるんだそうだ。

いまでは最初から二次創作を織り込んだマーケティングが行われている。そして大量の作品(まあ、ほとんどはクズなんだけど)のなかから、やがて世界トップとなるクリエイターたちが誕生している。

いちばん有名なのは、YoasobiなどのボカロP(ボカロ・プロデューサー)の作る楽曲や、そのまた二次創作(ボカロP原作のアニメなど)が世界を席巻していることだ。

もっと面白いのは、Vチューバーの動きだろう。ユーチューバーはなかなか日本の壁を乗り越えて世界に出ていけなかったが、Vチューバーはその壁を乗り越えて、世界に躍進しているのだという。アニメ風の画像とAI翻訳機能で国境は越えられたのだ。いまVチューバー会社の収益のかなりが海外からで、世界のトップ2のVチューバー会社は日本にある。

中山さんは、ダウンロード中心の世代と、Z世代のようなアップロード中心の世代では、もう感覚がまったく違うという。わしは典型的なダウンロード世代であるから、こういう動きは知ってはいたが、参加しようとは思ったこともないし、ニコ動だっていちおう通過しているけど、これって面白いのかなあ、という感じでしかなかった。

もちろん息子の世代では、テレビよりもユーチューブばかり見ているのは知っていて、わしも無理やり見せられたりするわけだから、状況はわかっているつもりだけど、やっぱり熱量が違うんだよね。

これらのクリエイターたちはほとんど匿名なんだという。匿名こそが日本文化で、世界では実名が基本なんだそうだ。しかし、このような傾向は、江戸時代から変わっていないんだそうだ。日本は表では規律正しくしているけど、裏では日常逃避的な活動を匿名で行ってバランスを取っていたのだという。二次創作的な文化も昔からだという。

いやー、わしはこれからは本当に日本の文化が世界を席巻していくと本気で思うな。日本人は本当に、放っておくと勝手に遊ぶ集団なんです。日本はGDPのような経済的なスケールではもう人口の多い国なんかには太刀打ちできないのは当然だけど、文化的なソフトパワーではものすごく大きなポテンシャルがあると思うな。これまでは日本語が障壁となっていたけど、それも技術の発展で取り払われてしまったわけで、躍進の条件は整っています。

わしがぜひ輸出してほしいと思う文化は、日本の表と裏のある生活、そのものだね。表と裏があるというと悪い事のように聞こえるけど、これこそネット時代のスタンダードです。きっとそうだ。

というわけで、以下のところに述べたように、日本人は遊んでさえいれば、GDP以上の存在感を世界に発揮し続けるでしょう。

www.hetareyan.com

以上述べたようなことばかりではなく、リアルとかアナログが復権しているとか、わしが苦手なゲームの世界についても書いてある。ゲームもクリアすることが目標ではなく、バーチャルな他の人とのやり取りが中心だし、ユーザがゲームの世界を作れるようになっているんだそうだ。まあ、そうなんでしょうね。

唯一納得できなかったのは、テレビがエンタメの王座から陥落したという話。そういうけれど、日本ではまだまだテレビの存在感はむちゃくちゃ大きいと思うけどねえ。

★★★★★

ここはすべての夜明け前

間宮改衣(まみや・かい) 早川書房 2024.3.10
読書日:2024.5.1

(ネタバレあり。注意)

機械の体になる融合手術を受けて歳を取らない身体になったわたしが、亡くなっていった家族の話を語り、本当の自由を得るまでの物語。第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。

近頃、純文学の分野ではちょっと不思議な感覚を出すためにSF的な発想を加えることが普通になっている。SF的なものが蔓延していると言ってもいい。それ自体は喜ばしいことなのであるが、一方で、これぞSF、と言えるものがなかなか出てこなくなったような気がする。(あんまり小説を読んでいないわしが言うのもなんですが)。

この作品はSFコンテストに応募しているのだからSFのはずなのだが、最初はちょっとSFっぽい純文学との違いがよくわからなかった。なにしろ話の中心はあくまで家族で、家族の話を機械の身体になったわたしが語るものなんだから。でも読み終わって、確かにこれはSFだと思った。でも、わしがこの作品をSFと認定した基準はなんなんだろうか、いったいSFと純文学の違いってなんだろうかと考えてしまった。

わしはあまり小説の類を読まないので、これはわしの勝手な推測なのだが、SFファンがSFかどうかを判断する基準は世界観を提示しているかどうかなのではないか。純文学は人間に興味があって、これまでにない人の新しい精神世界を見せてくれるものだ。しかし、SFは人間にももちろん興味はあるが、人間をとりまく世界自体にも強い興味がある。そこがしっかり書かれていれば、SFファンはSFと認めるのではないだろうか。この本でそういった内容が語られるのは小説の後半である。

お話はまず現代の2022年から始まって、101年後までが語られるのだが、ほとんどは九州の誰もいない山の中の生活なのだ。そして、すべての家族が死んだのち、名前不明の「わたし」は家族史を書いていたが、やがて故郷を離れて、人が集まっている秋田県能代まで歩いていく。理由は他の人とおしゃべりしたくなったからだそうだ。

能代に人が集まっているのは、そこが未来の日本の宇宙基地になっているからで、人類は環境が悪化した地球から別の惑星へ移住しようとしていたのだ。

100年後の日本人のメンタリティはどうなっているかというと、人工知能と融合して、超リベラルになっている。それで、彼らは彼女を助けようとするのである。なぜなら彼らは、彼女の書いた家族史を読んで彼女が家族から虐待されてきた、と認定したからである。リベラルな彼らはこのような弱者を絶対に見捨てないのだ。そして専門のカウンセラーすら付けるのである。

結局、彼女が2022年に融合手術を受けさせられたのは、子供の頃から性的に虐待してきた父親が、25歳でまだ幼さが残る彼女の身体をそのままの姿で残そうとしたからだった。ところが、機械の体になってしまうと、可愛らしさはそのままだったが、身体は冷たく、固くなってしまって、父親の方はこんなはずじゃなかったという羽目になる。(まあ、いわゆるアトム問題)

父親の死後、彼女は自分のことが好きだという甥のシンちゃんと一緒に暮らすようになるのだが、カウンセラーを受けているうちに、実は自分がシンちゃんを虐待をしていたことに気がつくのである。自分がされてきたそのままに。

シンちゃんには他に恋人がいたのに、彼女は彼が一番すきだという嘘の笑顔で、彼をとりこにしたのである。そしてシンちゃんが100歳で死ぬまで、ずっとその状態を続けたのだ。死なない身体の彼女にとってそれはあっという間だったそうだ。ある意味、それは彼女の復讐だったのだろう。死なない身体になると、時間を武器に使った復讐ができるのだ。

未来のカウンセラーは記憶を人工的に調整してトラウマを消し去り、一緒に系外惑星へ移住しようと提案する。だが彼女はそれを断って、地球に残ることを選ぶ。

家族が全員亡くなったいまこそ、彼女は自由になったのである。そして、未来の日本は超リベラルで、ある意味で幸福を強制する社会だ。これは彼女の目指す自由ではない。

今後、彼女は自由に歩いて旅をするつもりだという。手術から100年後の今、彼女の身体をメンテナンスする技術はすでになく、彼女の身体は遠からず動かなくなることは確実である。たぶん、どこかで身体は動かなくなり、野垂れ死ぬことになるだろう。でも彼女はいま、野垂れ死ぬほど自由なのである。たとえその自由な時間が短いとしても。

言葉の使い方にも工夫がある。最初は家族史が漢字が少ない言葉で書かれているが、書いている彼女が漢字を書くのが面倒だからだそうだ。きっとすでに機械の身体が壊れかけていて、生きている脳も劣化しているのだろう。次の能代にいるときの記録には、漢字がすべて記載されている。これは、彼女の話した内容を機械が書き起こしているからだ。そして最後に彼女がひとりになってからの文章は、すべてひらがなである。もう漢字は書けないほど劣化しているのだ。このような言葉の表現を使った手法は、SFでは「アルジャーノンに花束を」以来、使われている伝統的な手法だ。

内容はまさしく特別賞にふさわしい作品。このまま間宮さんが純文学に進まず、SFの世界に留まってくれますように。

★★★★★

世界のニュースを日本人は何も知らない5 何でもありの時代に暴れまわる人々

松本真由美 ワニブックス 2023.12.25
読書日:2024.4.30

元国連職員でロンドン在住の松本真由美が、日本人に知られていない外国のニュースや実際に体験したことをもとに、日本人がありがたがっている他の先進国もじつはダメダメで、日本のシステムがいかによいかを主張する本。

うーん、読んでみて、このフォーマットを開発したことに感心した。つまり、あまり良く知られていない外国のニュースや事情を話して読者の好奇心を満たしつつ、外国をディスって、最後は日本スゴイと持ち上げるという。まあ、最近のTVのバラエティによくある形態なんですけど、このフォーマットでシリーズ43万部突破だそうですから、大したものです。日本スゴイと言いながら、本人はロンドンに住んでいるのがなんとも。

ただし、「イスラエルハマス戦争」について、日本人は何も知らないということで、歴史的経緯をわかりやすいようにガザ地区を日本の足立区に例えて語っていますけど、いや、これ、まったく分かりません(苦笑)。かえってわかりにくくなってしまっている。編集者の人はなんとかしようと思わなかったのかしら?

まあ、面白かったと思うトピックスをいくつかあげると次の通り。

(1)LGBTQをやりすぎて悲惨なことに
水泳の競技大会で、トランスジェンダーでもと男性の選手が女性更衣室で男性器丸出しで着替え始めて大騒ぎに。スポーツは自認する性別ではなく、生物的な性別で勝負すべきと主張すると、待ち伏せされて怪我を負わせられる。元男性のトランスジェンダーの暴力がすごすぎる。

(2)ルッキズ
人を見た目で評価するルッキズムが西洋では強くて、広告業界や金融業界では見た目が悪い人、歯並びが悪い人はほとんどいないし、白人ばかり。日本人がイメージする西洋の多様性は、底辺のきつい仕事のところに行かないと見られないという。

(3)AIで失業するケニアの宿題外注業者
イギリス人の子供は宿題を外注するんだそうだ。もちろんコストの安い外国に。コレ自体驚きだけど、これは英語が国際語だからできることで、日本だと日本人に発注することになるだろうから、コスト高で割りに合わないだろうな。で、最近はAIで宿題ができるようになったので、これらの人たちが失業してるんだそうだ。AIで失業する人って話だけど、やっぱり知識産業の末端の人たちが最初に影響を受けるんだね。

(4)漫画太郎の絵本がロンドンの子どもたちでは人気
画太郎って絵本を書いていたのか。気になって読んでみたが、なるほど、これはいままでになかったパターンかも。

まあ、こんなところで。

★★★☆☆

 
(おまけ)

 

プロトコル・オブ・ヒューマニティ

長谷敏司 早川書房 2022.10.25
読書日:2024.4.25

(ネタバレあり。注意)

バイク事故で右足を失ったコンテンポラリー・ダンサーの後藤恒明は、AI搭載の義足で再起を決意するが、義足はダンサーの思うように動いてくれない。はたして、AIは非言語的なダンスの良し悪しを判断できるようになるのだろうか。

これは面白かった。万人向きとは思わないけど。

いちおう2050年代の近未来の設定なのでSFなのであるが、現代と言われても気が付かないかもしれない。なにしろ、義足がAI付きで、自動運転の車が実用化されているというところ以外は、現代とほとんど変わらないのである。

現代と同じように、芸術家は貧乏であり、恒明もアルバイトで生活しているし、人は歳を取ると痴呆に陥る。恒明には、生活費、ダンスの練習、痴呆に陥った父親、非協力的な兄、恋人との関係、AIとの新しいダンスの創作、という様々な現実が押し寄せてきて、恒明を苦しめる。

ちなみに恒明のアルバイトは居酒屋の店員で、未来の居酒屋も店員のアルバイトが必要なようだ(笑)。

この時代、ロボット技術の進歩は素晴らしく、ロボットはどんな超絶的なダンスだって踊ることは可能だ。しかし、ロボットのダンスはまったく人間に感銘を与えることができない。人間のダンサーは立っているだけで、その存在感を観客に与えることができるのに、である。

AIに何かを創造させることは可能だ。ダンスについてもいろいろなダンスを100万通りでも簡単に生み出すことができる。しかし、AIはそのうちのどれが人間の心を動かすのか、その良し悪しが判断できないのである。

人間同士には、ダンスを通してやり取りするなにかプロトコル(手続き)のようなものがあるのだが、AIにもエンジニアにも、それがなにか分からない状態なのだ。

義足の右足も、恒明の安全を守るような動きは完璧だが、ダンスをするための動きをしてくれない。義足には、恒明の動き、そして恒明のダンスをしている相手、さらには観客の反応までも意識して、恒明の動きを予測して、適切な動きをすることが求められているのである。

AIのプログラミングをするのは谷口という、ダンスに興味のあるエンジニアなのだが、このSFではAIに意識が生まれたなどという安易な解決策は取らない。あくまでも、プログラミングの問題として、問題を解決しようとする。(どうやら2050年代になっても、シンギュラリティには達していないようだ)。

というわけで、著者、長谷敏司の考えた解決策は以下のようである。

(1)ダンスの内的衝動を作り出す「内部動機ネットワーク」を構成する。その衝動のキーワードは「速度」と「距離」である。そして人間の脳は動きを予測するが、ダンスとはその予測との誤差と考える。「機体の限界」「人間が作らないもの」「鑑賞者の脳への刺激」を数値化して振り付けをする。

限界いっぱいの予想外の動きが、見る人に意味を考えさせるというところだろうか。

しかしこれだけでは、ダンスは作りだせるが、ダンサーのダンスの衝動と外にあらわれる表現が結びつかない、という。そこで次のようにする。

(2)ダンスっぽい動きかどうかを判定する「監視ネットワーク」を構築する。この監視ネットワークの教育には、人間の評価を使う。結局、人間以外には、評価者はいないということである。

そして(1)と(2)のシステムを敵対的に対決させ、(1)は(2)を出し抜くように振り付けをおこなう。ちょうどチェスや将棋のゲームのAI教育のように。

最後の味付けは次のようだ。

恒明の義足は長時間の訓練の結果、恒明のダンスの動きを予測するように進化している。そこでこの義足の予測を(1)の内的衝動のシステムと結びつける。こうすることで、恒明のステージに合うように調整する。

非常に現実的な解決策で、本当にやろうとしたらできるんじゃないか、というくらいである。これならダンスのような身体性の芸術も現在のAIの延長でなんとかできるという気がする。

わしはAIが人間の知能を超えるシンギュラリティは起きると思っているが、でもやっぱりAIは人間に仕える立場なんじゃないかと思うなあ。意識も誕生するかもしれないけど、すごく地味で、誰も気が付かないくらいなんじゃないかという気がする。この物語のように。

物語としては後半の父親の痴呆の話がちょっと過剰すぎる気がするけど、実際に著者が介護に追われたかららしい。

ところで、著者はずいぶんダンスについて語っているけど、本人もダンスをするのかしら?

★★★★☆

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