ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体

藤岡 換太郎 講談社 2018年8月22日
読書日:2019年02月28日

フォッサマグナの謎を書いた本。

富山、長野から山梨の日本を代表する山岳地帯、日本アルプス。この中を北から南に貫いている溝がフォッサマグナ、ということは学校で学んだが、これがどうやってできたのかいまだに分かっていないとは知らなかった。

しかもよく知られている糸魚川から静岡県清水市にいたる溝は、フォッサマグナの西側を示しているにすぎず、東側の境界はどこなのか、まだ確定していないという。

フォッサマグナとは西日本と東日本の古い地質に挟まれた、新しい地質の領域を示しているのだそうで、世界的にも例のない唯一の構造なんだそうだ。

フォッサマグナは日本列島の成り立ちと深くかかわっているから、フォッサマグナ以外の研究の結果が整ってきて、フォッサマグナを考え直す状況が生まれているということらしい。

あまりに大きな対象なので、研究者も容易に取り掛かるのは難しいらしく、著者の藤岡換太郎さんも、定年退職とともにフォッサマグナに取り組むようになったらしい。

というわけで、これまで分かっていることや、歴史、いま俎上に上がっている仮説などを示して、藤岡さんの今のところの仮説が述べられるのですが、壮大なブラタモリみたいで、読んでいて楽しいです。

それにしても、定年退職しても、こういう人は研究者を止めることはないんですね。あちこちに旅行にも行けるからいいのかも。

★★★★☆

 


フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち

ブレイディみかこ 筑摩書房 2020.6.5
読書日:2021.1.10

英国の労働者階級の暮らしを地べたからレポートするブレイディみかこが、自分のまわりのおっさんたちの生態を伝えるエッセイ本。

ブレイディみかこのことは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本を出したころから知っていて、これも読みたい本にはいっているのだが、最新刊のこっちを先に読むことになった。だって気になるじゃない、イギリスの労働者階級のおっさんたちの生態。(苦笑)

題名自体も、有名な「ハマータウンの野郎ども」という1960年代の本があって、これも読みたい本リストにはいちおう入っていてやっぱり読んでいないんだけど、内容はよく知られていて、イギリスの労働者階級の子供たちは、反抗的な割には自分から望んで労働者階級の仕事にわざわざはまり込んでそこから脱出しようとしない、というようなことを書いてある本。つまりこの本はそういう反抗的な労働者階級の子供たちが、いまやおっさんになりました、という本なのですね。で、そのおっさんたちは、歳をとっても、なんだかあまり進歩せずに危ない方向をふらふら歩いているらしい、というような題名なんですね。

うーん、これはもう、題名のつけ方の勝利としか言いようがないですね。多くの本好きは、この題名を見ただけで読みたいと思ったのではないでしょうか。

おっさんたちの中には、資産形成に成功して悠々自適な人もいれば(イギリスは日本が不況の間もずっと好況だったので、不動産を持っていれば値上がりしたり賃貸したりしてそれなりに誰でも成功できた)、いっぽう、ほぼその日暮らしに近い人もいて、さまざまなんですが、しかし、まあ、イギリス特有の話としてわしの印象に残ったのは、おっさんたちのNHS愛ですね。

NHS(National Health Service、国民保険サービス)とはイギリスの医療制度のことで、かつては至れり尽くせりで基本的に無料なんだそうだ。最近は、コロナ禍のなかでNHSの奮闘ぶりがニュースで流れていますね。イギリス人はこのNHSに大変ほこりを持っているようで、しかも本当にNHSにおかげで命を拾ったという人がたくさんいるらしい。なので、NHSは「我らがNHS」という状態なんだそうです。

でもこの我らがNHSは最近の緊縮財政の中で、どんどんサービスが劣化していて、診療を受けるのに予約が必要になり、さらに予約の予約が必要になり、ほとんどサービスを受けることができなくなっているらしい。診察までに何か月もかかるので、進行性の癌だったら、待ってるうちに死んでしまう状態なので、本当にヤバい場合はやっぱり民間に行くんだけど、そうすると全額自己負担で、借金して破産してしまうことにもなりかねないらしい。

そんなわけで危機感を持ったおっさんたちがNHSを守れとデモをしたりしている。また、身体の調子が悪くなっても、意地になってNHSで治療を受けようと、ひたすら耐えていたりする。ともかくNHSの存在感の大きさにちょっとびっくりしたりした。

もうひとつは、家族関係の組み換えが激しいこと。どうもイギリス人はすぐに離婚するらしい。けっこうその辺はドライで、もう合わないと思ったら、離婚までの決断がはやそう。でも、すぐに次の人を見つけるのが早い。この辺が、なかなか素晴らしい。

こんなふうだから、妻や家族との関係はすぐに切れてしまうけど、おっさん同士はずっと子供のころから付き合っていて変わらないんですね。成功しても失敗してもこの関係はずっと続くらしい。日本でいうと、なんか地元にずっといるマイルドヤンキーみたいな感じですかね。まあ、マイルドヤンキーも労働者階級のようなものだろうから(どうもいまいち日本で労働者階級という階級はイメージしづらい)、ある意味あっているのかも。

まあ、わしはこんなふうにずっと付き合ってる友達がいないから、なんだかうらやましい。。。。ごめん、嘘です。別にうらやましくありません。(苦笑)

どうもこの著者の周辺だけなのか知れないけど、おっさんたちはけっこう楽観主義者だなあ、という気がしました。何か起きても、まあ人生こんなもんだ、という感じで受け流して、前に進む気配が濃厚。

そういうわけで、5年後ぐらいに続編をお願いしたいです。おっさんたちもさすがにほぼ全員が引退しているのかしら。

それにしても、ブレグジットで意見が合わずに離婚してしまうカップルがいるなんて、日本と違って英国では政治的信条が合わないと恋愛も厳しいんだね。

★★★★☆

 


ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち

エニグマ アラン・チューリング伝

アンドルー・ホッジス 勁草書房 2015年2月25日
読書日:2016年02月29日

コンピュータを構想したアラン・チューリングの伝記。

 

チューリングはコンピュータ業界では有名な人だと思っていたので、この本のあちこちでチューリングが世間的に知られていないことが述べられていたのでびっくりした。実際にはこの本が出版されてからようやく認知されたらしい。さらに知らなかったがこの本は30年前以上前の出版なのだった。もしも映画が作られなかったら、翻訳されたかどうかも怪しいものだった。それまで有名でなかったのは、国家機密のエニグマ解読に関わってその仕事ぶりがあまり公開されなかったことも影響していたのかもしれない。

しかしなあ、こいつもゲイなんだよね。なんか自分が関心持つひとにゲイが多すぎるのに少々うんざりする。(ちなみに著者もゲイ)。

上巻は子供のころとケンブリッジに入って、計算可能性の理論や万能機械で現在のコンピュータの概念に相当するチューリングマシンを構想するまで。下巻は引き続き暗号の話が続くんだが、正直に言って、エニグマあたりの話はあまり面白くない。


下巻の後半はようやく計算機械(コンピュータ)作って、人工知能が作れるかどうかの議論に入って、ようやく面白くなってきたなあ、と思ったら同性愛で逮捕されて、そして落ち着いたな、と思ったら自殺してしまう。なんか、今日あたり死ぬにはいい日だな、という感じでなんら死ぬ前兆もなく死んでしまう。自殺したとは知らなかったので、かなりショックでした。

なにか物悲しいけど、でも全体としてみれば、まあまあの一生だったんじゃないかな。孤独は孤独だったんだろうけどね。

映画の方(イミテーション・ゲーム)は動画配信で観たけど、まあ悪くはないけど、やっぱりゲイの苦悩が中心なんだね。治療のためにホルモンの薬剤投与するとか、あの頃はむちゃくちゃすぎる。そもそもゲイが病気と見なされていた時点で理解できない。

★★★★☆

 


エニグマ アラン・チューリング伝 上


エニグマ アラン・チューリング伝 下

 

2030年 ジャック・アタリの未来予測 不確実な世の中をサバイブせよ!

ジャック・アタリ 訳・林昌宏 プレジデント社 2017.8.15
読書日:2021.1.6

フランスのジャック・アタリが、このまま何もしないと2030年までに起きることを予測し、読者に立ち上がることを求める本。

ジャック・アタリの本は実は初めて読んだ。日本に住んでいると、米英の本が中心になりフランス系の本はなかなか手に取らないのが現状だ。しかし、ジャック・アタリは当たりだった。

この本は4章でできている。第1章は現在起きているもろもろの事象を述べる章、第2章は現在起きていることの解説、第3章は2030年に起きることをポジティブな場合と何もしなかった場合の2通りで述べている。第4章は最悪の事態を避けるために、我々がしなくてはいけないことを述べている。

第1章で述べていることは、端的に言うと、科学技術が順調に発展していること、グローバル経済により貧富の差が拡大していること、民主主義が後退していることを述べている。

第2章の解説は、たった20ページほどだが、この本の核心部分だ。ジャック・アタリは非常に明快に世界で何が起きているのかを説明する。

ジャック・アタリの理解では、現代のグローバル経済の問題は市場と法の支配の範囲が異なっていることが原因なのだ。具体的には、市場はグローバル化し世界中に広がっている。一方では、法律は各国ごとである。したがって、両者は一致しない。これの何が問題なのだろうか。

国民国家が誕生した時、民主主義と市場は持ちつ持たれつだった。つまりどちらもひとつの国の中にほぼ限定されていて、お互いが必要だった。このばあい市場は国民を豊かにしようとする。国民が豊かになればなるほど市場も発展し儲かるからだ。したがって、市場は国民が豊かになるように中産階級を育て、国民の自由を拡大させた。選挙権も普通選挙になったし、国も社会保障制度も充実させる方向だった。

ところがグローバル経済になると、市場は国民を豊かにしようとする動機がない。さらに市場は国を越えて法の支配を免れ、人権を守ったり、社会的権利に配慮する必要がない。こうして民主主義は衰退し、未来は悲惨なものになる。

つまり、第3章で述べられるように、民主主義がさらに後退し、貧富の差が拡大し、環境問題がさらに深刻化し、国家財政が破綻し、世界戦争が起きる。

こんな悲惨な未来を回避するためのジャック・アタリの処方箋は、もう一度市場と法の支配の範囲を一致させることなのだ。そうすれば、市場と民主主義は持ちつもたれつの状態になり、人々は豊かになり、人々の自由も拡大する。

一致させるには、もういちど国の経済を閉じるという保護主義の方向があり得る。実際にそう主張している人たちもいる。だがいまさらそんなことができるはずがない。そこで、ジャック・アタリの目指すのは、どこかの国だけを救うことではなく、法の支配を世界全体に広げ、世界をひとつの法の支配下に置こうという戦略なのである。非常に野心的と言える。

それがどんな政治形態なのかは分からないが、たぶん、EUのような世界政府を考えているのではないか? これまでも世界政府を構想する話はたくさんあったが、最近の経済状況を踏まえた、最新バージョンの話のように思える。

市場と法の支配を一致させないと人々が豊かになれないという主張は非常に鋭い。この点は、わしも同意できる。でもそんなことは可能なのだろうか。

第4章で、アタリはその方法について述べている。

ジャック・アタリはいくつかの段階が必要だと言っているが、意外にも、その第1段階は我々自身の考え方を変えることだという。皆の考え方が変わることによって本当に世の中が変わることがあり得るという。そして、その最初の一つが、死を不可避のものとして受け入れることだという。

ジャック・アタリは文明の性質は死をどのように意義づけるかで決まると考えている。死を意識することで自分が唯一無二であること、自分の人生をよりよくしようとすること、いまを最期だと思って生きること、などが理解でき、困難に出会っても平静さを失わず、俗物的な野心に無関心になれ、自分の人生は他人の幸福にかかっていることを理解でき、利他の精神で世界に尽くせるという。

我々の意識が変わった後の具体的な展開については、これはどうなんだということも書いてあるが、ジャック・アタリが未来を変えることができると信じていることは分かるし、こっちの方向だということはなんとなくわかる。

しかし日本人のわしは疑問に思わずにはいられない。なにしろ民主主義の価値観をまったくもっていない中国のような大国が隣に存在するのだ。本当に民主主義に基づいた法の支配を世界全体に広げることが可能なのだろうか。

わしは世界連邦的な発想には非常に悲観的だ。わしはせいぜい民主主義国の連携で市場ブロック化を行うことが、現実的な解になるような気がする。だって、無理でしょ、中国や(南北)朝鮮と同じ法の下で存在するだなんて。

ところで、アタリはこの本で繰り返しパンデミックの危険について述べており、コロナウイルスに苦しんでいる現在から見ると、2017年に出版された本書の先見性の高さに驚く。また、世界大戦に発展する軍事的なリスクについて、南シナ海東シナ海での軍事衝突を第1位にあげていて、日本をとりまく現実は非常に厳しい。

 

(付録:国際経済の政治的トリレンマについて)
ジャック・アタリ自身はこの本では述べていないが、国際経済の政治的トリレンマという考え方があり、アタリの考え方を理解する助けになる。それは次のような考え方だ。

政策担当者は国家主権、グローバル化、民主主義の2つを実行できるが、3つすべてを実行することはできない、というもので、Dani Rodrikが2000年に発表した考え方だ。

国家主権とグローバル化を両立させようとすると、国家は国民の意見と関係なく他国と条約を結び、グローバル化を進めることができる。国民の意見はお構いなしで、民主主義的ではない。これは「金の囚人服」と呼ばれる状態で、お金はもうかるが人々は自由ではない。いまの中国がこの状態であると言われる。

国家主権と民主主義を両立しようとすると、グローバル化が起こらず、ブロック経済的になる。かつてのブレトンウッズ体制は、民主主義国家の間でブロックを作り、資本移動を制限していためグローバル化は進まなかった。したがってブレトンウッズ体制がこの典型的な状態になる。わしが考えるのはこの方向で、現実的な対応なのではないか。

グローバル化と民主主義を両立させようとすると、国家主権を制限することになるので国家は自分の思うような政策を実行できなくなる。いまのEUがそのような状態だという。ジャック・アタリが目指すのがこの方向で、国家主権を抑え、その代わりとなる世界連邦を作ろうとしているのだろう。ものすごく野心的と言える。

なお、国際経済の政治的トリレンマは、まだ仮説にとどまっており、実証されたものではない。

★★★★☆

 


2030年ジャック・アタリの未来予測―不確実な世の中をサバイブせよ!

中村元選集 決定版 第2巻 東洋人の思惟方法 / シナ人の思惟方法

中村元 春秋社 1988.12.8
読書日:2021.1.4

中村元が述べる東洋人の思惟方法については、第3巻の日本人の思惟方法について、すでに読んでいる。このとき、あまりに納得性が高かったので、シナ人の思惟方法についても今回読んでみようと思った次第。

ただ、日本人ついては、もともと著者が日本人だから、参考文献を広く集めることができたであろうが、中国人についてはそういうわけにはいかない。ではどうするかというと、中村元は仏教を中心とする宗教学者だから、中国人がどのように異国インドの宗教である仏教を受容したかという視点から、中国人の考え方の癖を見てみようということである。ということは、そうとう昔の中国について述べているわけで、果たして現代のグローバル社会に適応した中国人について当てはまるだろうか、という疑念がある。しかしとりあえず、中村元の述べていることを見ていこう。中村元のみる中国人とはどういう人たちなんだろうか。

 

(1)なんでも具体的でないと気がすまない

インド人は抽象的な表現や思考方法を全く苦にしない人たちで、とくに無限という感覚を自由に操る。例えば、「一を知って一切を知る」という表現をよくするのだそうだ。ところが中国人は「一を知って残り三を知る」と言い換える。つまり全体を4つに分けるというような具体的な状況を思い浮かべないと、ピンとこないのである。このような傾向が「万里長城」とか「千里眼」というわざわざ数字に置き換える表現をする。(たとえその数字に意味はなくても)。

そういうわけで、抽象的、論理的な思考が苦手である。そのかわりに、自分の感覚、とくに視覚に根ざした考え方をしようとする。したがって、図に表して、直感的に理解しようとする。世界の構造も絵に置き換えて理解しようという傾向がある。一般に自分の目で見ていないものは信じない傾向がある。

(2)個別的に捉え、一般化をしようとしない

中国人はすべてを個別的に捉えようとする。一般化してとらえようとはしない。例えば、「川」に関する一般的な定義がない。川には「河」、「江」といった字を当てるが、黄河揚子江といったそれぞれ別の固有の川を表している。そういった個別の川をいくつも並べることで、川というものを説明しようとする。同様に中国語には山というものの一般的な定義がない。山という字はたくさんあり、それぞれ別の山を指している。

(3)論理的に考えない

川や山すらも一般化しないのであるから、そもそも物事を一般化、抽象化して思考するのが苦手で、物事の裏側にある原理や法則について考えるのが苦手である。あくまでも感覚に根ざした直感的な理解をしようとする。

その結果なのか、論理的な思考も苦手である。例えばインドでは論理的な思考をするための論理学が発達した。ところが、中国人は多くの仏典を翻訳したにも関わらず、論理学の本をまったく翻訳しなかったという。そして、背理法についてはまったく理解できなかったらしい。(背理法とは、ある仮定をたてて論理を進め、仮定と矛盾する結論が出たら、その仮定は間違っているということ)。

(4)たくさんの事例を集める

一般化してものを考えないせいか、個別的、並列的な事実を多数集めようとする。特に歴史などでは、一般化したものの見方よりも、とにかく事実をたくさん集めようとする。その内容がたくさんあるほどよい。原理、法則よりも量が優先する、といった考え方だろうか。(この辺は「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」に書かれてあることとよく似ている)。

(5)昔を重んじて、発展性がない

孔子が起こした儒教は、要するに昔が全て良いのだから、昔に戻ろうという尚古主義(昔を尊ぶこと)の学問である。そもそも孔子の述べたことにも新しいことは何もなく、ただ昔が良いと言っているだけである。これが国の根幹の考え方ということになった後は、ほぼすべての新しい考え方は生まれなくなり、学者の仕事は注釈書を作ることにほぼ費やされた。宋学朱子学)は、新しいことほぼなく、単なる分厚い注釈書になっている。

たくさんの事例を集めて文書を作成したが、古い文献との整合性がもっとも重視され、無理やりにでも一致させて、それで満足するところがある。

このような尚古主義の結果、道教と論争になったとき、原理的な話ではなく、どっちが古いかという論争になり、仏陀が弟子を中国に派遣して道教が起きたといった偽書が作られたりした。どっちがよりいい、とかは関心がない。

(6)中国独自の仏教 禅が発展した

中国では独自の仏教として、論理性よりも直感的に理解する禅が起きた。論理性よりも、師と弟子の間の問答をたくさん集め、この問答で直感的に理解できることを目指した。

(7)人間中心=現実主義的=個人主義

中国語ではすべて人が主語になっており、客観的な表現ができない。また受け身の表現もない。この結果、形而上学はついに発展しなかった。

人間中心であるので、中国には世界がどのように誕生したとかいう神話がほとんど存在しない。死後にも関心がなく、地獄という概念もなかった。関心はあくまでも、現在の現実にある。

人間中心の考え方は、自分や家族を中心に考えることになり、中国独自の個人主義を生み出している。ただし、もちろんそれは自己中心的であり、グローバルで一般化された個人というものではない。

この個人主義は、仏教では身分や階級を問わない平等な考え方をもたらした。また、個人は戒律をよく守る。どこかの組織として戒律を守るのではなく、個人として守る。中国人は、宇宙の根本原理のことを、「道」と呼んでおり、個人と道が結びついている。この個人のあり方は、近代に西洋に伝わって、近代思想に大きな影響を与えたそうである。

(8)人間は自然の一部

中国人は自然本来の本姓を尊重し、その本姓をそのまま発揮できればいいと考えている。したがって、人間もその本性を展開できればいいと考える。したがって日常や現実の生活を強く肯定する。

人間が天(宇宙)から生まれたのだから、人間の道は天の道と一致する。人間がその本性をそのまま発揮するということは、天の道に通じる。人間の本姓は天道であるから、人間には生まれつきの悪はいない。絶対悪はいないし、許されないほどの悪もない、と中国人は考える。(もともと中国語には「魔」という言葉はなかったそうだ。これはわざわざ中国にないインドの観念を表すために創られた文字なんだそうだ)。

すべての人間が許されるように、あらゆる異端は許される。あらゆる異端は承認され、包み込まれ、一緒になってしまう。いまでは仏教と道教の区別は一般人にはなく、さらには仏教の寺院にも関帝廟があるという状況である。

(わしは、この人間は自然の一部(天と人が直接繋がっている)という感覚が、(1)~(7)の根幹にあるような気がする。)

 

さて、おそらく一般の市井の中国人の発想というのは、いまでも中村元の書いたこととあまり違っていないだろう、という感じがする。日本人に似ていて理解できる部分がけっこうある。そういう意味では中国人の発想の仕方の理解が深まった気がする。

でもねえ、どうもこの市井の民の感覚は、為政者の感覚とはずいぶん違う気がする。やっぱり、中国の為政者には独特の残酷さがあると思う。大量殺戮の覚悟があるというか。中国って、上と下が大きく分断しているんじゃないでしょうか。

やっぱり日本人が気になるのは、中国共産党の発想(=歴代の中国王朝の発想)ではないでしょうか。この本からはそれは理解できないと思います。というか、まあ、それはもともとこの本の範疇ではないのですが。

とはいっても、中村元が書いているように、中国は歴史書では戦争ばかりしているように見えるけど圧倒的に平和な時期の方が長かった、というのは、それはそうでしょうね。

★★★★☆

 


中村元選集 決定版 第2巻 東洋人の思惟方法 / シナ人の思惟方法

東大教授がおしえる やばい日本史

監修・本郷和人、文・滝乃みわこ、イラスト・和田ラヂオ、、マンガ横山了一 ダイヤモンド社 2018.7.18
読書日:2020.12.28

日本史の中の有名人のやばい、欠点の部分に焦点を当てた本。子供向けだが、大人が読んでも十分面白い。

というのも、日本史に疎いわしには知らないことがいっぱい書いてあったから。(いかに日本史に疎いかは、今もトラウマになっているこの事件とか)。

というわけで、わしが知らなかった面白かった部分をいくつか書く。

聖徳太子が隋に送った「日いづる所の天子」の手紙で隋の皇帝が怒ったことは知ってたけど、使いの小野妹子(ちなみにおっさん)が、その返事の手紙をたぶんわざと無くした、というところは知らなかったな。なんて書いてあったか、読んでみたかった。でもなんで、隋の歴史書には記載がないんだろうか?

大化の改新中大兄皇子が、弟の妻の額田王を横取りして、しかも天智天皇に即位した宴で、弟と妻が「私たち別れたけどまだ愛し合っています」という歌を歌ったとは知らなかった。(たぶん、これは有名な話ですよね)。

清少納言が性格が悪く、紫式部の夫を侮辱して、紫式部から嫌われたとは知らなかった。

武田信玄ボーイズラブに夢中で、しかも恋文を送った相手に振られていたとは知らなかった。

とか、まあ、こんな感じです。

年末のひと時を楽しく過ごせました。

★★★☆☆

 


東大教授がおしえる やばい日本史

サンスクリット原典現代語訳 法華経(上下)

植木 雅俊 岩波書店 2015年3月25日
読書日:上巻2018年08月17日、下巻2018年11月11日


法華経サンスクリット語から訳したもの。(中国語を経ていないところが重要なのかな?)。

最近、法華経に興味を持ったので、読んでみることにした。ただし現代語訳(笑)。内容を忘れそうだから、メモに記します。内容を誤解してたらごめんなさい。

~上巻~

(序章)
瞑想している世尊(普通ブッダと呼ばれるあの方)の周りにたくさんの阿羅漢(アラカン)、出家者、菩薩、シャクラ神(帝釈天)、龍王転輪王などが集まる。世尊が、なにやらありがたいお話をしてくれるらしい。

(第2章、巧みなる方便)
世尊が瞑想から覚めて、弟子の尊者シャーリープトラに語りかける。みんなが行っている修行は実は方便であり、単なるひとつの手法に過ぎないという。シャーリープトラが驚いて、その意味を教えてほしいと頼む。世尊が説明しようとすると、自分はもう学ぶものがないと増長した5千人の修行者たちが立ち去ってしまう。世尊は黙ってそれを了承する。(なお、この人たちもあとで救われるのだそうだ)。

世尊はブッダに至る乗り物はひとつであり(仏乗)、いろいろな教えを学んだり(声聞乗)、師につかず一人で悟りに至ろうとしたり(独覚乗)のような修行は必須ではないという。それどころか、建物を作ったり、遊び楽しみながら像を作る大人や子供も悟りに至るという。ブッダは巧妙な方法を使って、人々を悟りに導くらしい。

(第3章、譬喩(ひゆ))
それは例えば次のような話のようである。ある金持ちの屋敷が火事になった。家の中には子供たちが火事に気が付かず、遊んでいる。この時に、屋敷を出るように命令しても言うことを聞かないであろう。それで金持ちは、「欲しかったおもちゃをあげるから出ておいで」という。すると、子供たちは争って屋敷から出てくる。こんなふうに、さまざまな方便(手法)を使って、人々を悟りに導くのだという。

(第4章、信順の志)
それを聞いた修行に熱心でない人たちが、それは気が付いたら金持ちになっていたようなものだといい、次のようなたとえ話をする。

金持ちになった男が自分の財産を息子に継がせたいと思ったが、息子は若い時に家を出ていた。しかしある時、運よく息子に再会し、部下に命じて息子を無理やり連れてきたが、スラムの生活に慣れた息子は、金持ちの屋敷で恐れおののくばかりだった。そこで金持ちは、まず息子に便所掃除の仕事を与え、徐々に仕事の質を高め、財産をすっかり任せられるくらいに成長させた。そして死期が近づいたころ、じつはこの男は息子であり、全てを譲ると宣言した。このように、如来(=ブッダ)は人々をいろいろな方法を使い、知らない間に導くという。

(第5章、薬草)
尊者マハー・カーシャパが、一般の人が乗る(大乗)、修行する人たちの乗る(声聞乗、独覚乗)のそれぞれの至る涅槃は同じでしょうか、と質問する。世尊は涅槃に区別はなく、ひとつであるという。尊者はさらに、ではなぜこの世ではそれぞれは分かれているのでしょうか、と質問する。すると世尊は、それは優れた陶工が同じ粘土で様々な容器、たとえばバターの容器、ヨーグルトの容器、不浄なものの容器を作るのと同じであるという。

無知な一般人は盲目の人のようである。修行している人は、医者から薬を与えられて、目が見えるようになった人のようである。だが、目が見えるようになったからと言って、自分は悟ったと思い込み、傲慢になってはいけない。目が見えるようになっても、建物の中にいれば外が見えず、遠くの音も聞こえず、人の心の中も読めず、道がなければ進めず、生まれる前のことも覚えてはいない。修行していても無知なのであり、一般人となにも変わらない。

(第7章、過去との結びつき)
このような法は、今生まれたわけではなく、ずっと過去から伝えられてきたのである。過去に「大いなる神通の知恵の勝れるもの」という世尊が現れ、いまの世尊はその世尊の下で菩薩としてその法を学んだという。
(過去からの因縁で正当化?)

(第6、8、9章、予言、五百人の男性出家者への予言、アーナンダとラーフラそのほか二千人の男性出家者への予言)
修行している立場の違う人たちが、みんな涅槃に行けると聞いて喜ぶ章。

(第10章、説法者)
如来が亡くなったあと、一般人にこの法を説く説法者は、如来から派遣されているのと同じである。一般の人たちが少しでも法華経に触れる機会があるのなら、そのものは涅槃に近づくから、良家の子息は説法者となって一般人に説かなければならない。たとえ説法者の理解が不完全であっても、菩薩がそれを助ける。

上巻はここまで。
ううーん(^^;;。現代語訳ですからスカスカ読めますが、書かれてる内容は、思ったよりもいまいちです(^^;。というか、とても普通です。

~下巻~

法華経の現代語訳の下巻だけど、これは意外につまらなかった。内容としては、当時の仏教の他の宗派との違いを語っていることがほとんど。女性も救済されるとか、実はブッダはこれまでにも何度も現れているのだとか、そういうことを言ってる。そして、この法華経を部分を聞くだけで成仏できるとか、自分の優位性を主張している。

こういうのは、他の宗派とどう違うのかを気にする人には重要な情報かもしれないけど、仏教の宗派の違いに詳しくない人にはほとんどどうでもいい話なので、読んでいてどうしても飛ばし読みになってしまう。

法華経は重要な仏典と聞いていたけど、全体を通して思ったことは、法華経で重要なことは、誰でも等しく成仏できるというところだけで、それ以上でもそれ以下でもない気がする。確かに当時としては画期的だったのかもしれないけど、民主主義が実現している現代ではあまり響かないんじゃないだろうか。

法華経を読んでみたいという人には、要点だけを載せたダイジェスト版だけで十分だと思います。

★★★☆☆


サンスクリット原典現代語訳 法華経(上)


サンスクリット原典現代語訳 法華経(下)

 

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