失われた女の子 ナポリの物語4

エレナ・フェッランテ 飯田亮介・訳 早川書房 2019.12.19
読書日:2020.1.21

(ネタバレあり。注意)

天才的なリラと努力家のレヌーのナポリの物語もついに最終巻の第4巻を迎えた。

この物語の発端を思い浮かべてみると、第1巻の最初で、リラが自分がこの世に存在していたすべての痕跡を消して、自分自身も消えてしまうところから始まっている。それに反発したレヌーが、小さいときからの二人の物語を書くことにしたというのが始まりだった。

つまり、読者は最初から結末を知っているわけで、作者はリラがそうすることにした事情を明確に物語る必要がある。では作者はこの結末を説得力ある物語として語ることができたのだろうか。

結論を言えば、半分ぐらい成功と言えるだろう。結局、リラの心の中は誰にも理解できないのだから、謎は謎のままで残るのである。そういう意味ではレヌーの目を通して物語が語られるというのは、いいことである。読者はレヌー以上に理解することはできない。それでいいのだ。

リラの最後の行動を納得させるためだろうか、この第4巻は、これまでと少し趣が異なっている。これまでは二人が遭遇する困難は社会の中からきていた。貧困、暴力、女性であること、などである。これらの困難は、すべて現実のものであり、通常の世界の範囲内である。しかし、リラを追い詰めるにはこれでは足りない。何しろ通常の世界の普通の困難は強い意志力で乗り越えてしまうのがリラなのだ。

そのせいか、今回の困難は社会の外からやってくる。通常ではない困難として。そのような通常ならざる出来事が背景にずっと流れているのがこの第4巻の特徴になっている。したがって、これまでと異なる傾向なので、多少違和感がある。が、ともかくその出来事を見ていこう。

まず起こるのはナポリの大地震である。これは史実であろうが、この地震はリラに衝撃を与え、意外な弱さを見せるのである。彼女の精神状態を示す、周縁消滅(ズマルジナトゥラ)、これは自分や物体が溶けて混じってしまうような感覚を意味していて、その結果、自己を保てなくなるような精神現象である。

地震はそのズマルジナトゥラが現実に起きたような感覚を与えたのだろう。リラは判断不能状態になり、何の行動もできず、レヌーに助けられるのである。

もうひとつの事件はもっと不可解である。

リラの幼い娘ティーナが行方不明になってしまうのだ。それもみんなと一緒にいる広場から忽然と。そしてティーナに何が起こったのか、最後までわからない。まさしく神隠しであり、超自然的な印象を与える。(なお、ティーナは第1巻で失われた人形の名前と同じ)。

こういう、現実を超えたような雰囲気がずっと背景に漂っているので、リラの行動もさほど不可思議ではなく、あり得るような気がしてくるのだ。

しかも現実の社会でも、リラは大きな挫折をする。

おそらく、リラの頭の中では、言葉というものが非常に力のあるものと認識していて、言葉による糾弾で世の中が、ナポリが変わりうるという希望を持っていたはずである。彼女はビジネスを通してソラーラ家の犯罪の証拠を集めていて、それを文章にしてレヌーの名前で発表する。これはリラの10代からの悲願だったことである。それを実現したのだ。

それで何が起こったかというと、何も起こらなかったのである。警察の捜査は行われたが、ソラーラ兄弟への捜査はいつしか消えてしまう。そればかりではない。ソラーラ兄弟は結局、何者かに殺されてしまうのだが、これはリラにとってはちっとも良いことではないはずだ。暴力に対してはそれ以上の暴力でしか対抗できないことを示しているのだから。

これでリラは言葉に対する信頼を失ってしまったのだろう。ティーナがいなくなると、リラはナポリの未来に興味をなくしたようだ。

息子のリーノは麻薬中毒になり、ビジネスも売らざるを得なくなり、パートナーのエンツォとも別れ、実家の家族とも縁が切れてしまう。すべてを失う中で、リラはただナポリの過去に興味を示すようになる。もしかしたら、何があっても、ナポリが今後も存在することを、歴史の力を通して確認したかったのかもしれない。

じきにレヌーもトリノへ去り、残されたリラは自分の存在を消すことにするのである。リラはあれだけの才能を示しながら、結局後世に残る物は何もなくなかった。

一方のレヌーについては、もちろんたくさんの事件が起こるが、その中には不可解なことは何もない。

第3巻で、レヌーはニーノとの愛に走ったわけだが、結局ニーノは不誠実な恋人であることが発覚する。このエピソードはそれなりに楽しめるのだが、それほど重要ではないと思う。このニーノとのエピソードは、レヌーがナポリに、そして生まれ育った地区に戻るきっけかけになることが重要なのだ。ニーノの不誠実さがそれを引き起こす様子については、とてもよく書けている。

こうしてリラとレヌーは再び、地区で密着した生活を送る。レヌーは自分の内部から創造の種を発見できないタイプなのだから、リラと一緒にいる必要があるのだ。レヌーは結局、十年以上を生まれた地区で、リラのアパートのすぐ上の階で過ごす。そしてすでにリラから発想をいただくのにまったく躊躇しない。なにしろ彼女は、作家として生き残る必要があるのだから。

ほとんどの登場人物が悲惨な最後迎えたり、破滅したり、逮捕されたり、あまり良い目にあっていないのに、レヌーとその娘たちは概ね順調な人生を送る。ニーノもまあまあ、いいところまで行く。

さて、この第4巻をどう判断するべきだろうか。とても面白く、夢中で読めたことは事実なのだが、どうもこの巻は、わしには技巧に走りすぎている印象がする。物語を収束させようとする意図がはっきり出すぎているように思う。

そのせいか、最後の人形を使った印象的なエピソードも、大きな感動というふうにはわしにはならなかった。わしとしてはできればティーナの失踪のような、特殊なエピソードを使わずに、この話を終わらせてほしかった。

とはいえ、全巻まとめて非常によくできた物語であり、誰に対してもお薦めだ。

それにしても、女性のみなさんは、この物語をどのように読むんだろうか。フェミニズムの話と読むとちょっと違う気がするのだが。

★★★★☆

 


失われた女の子 (ナポリの物語 4)

 

21Lessons 21世紀の人類のための21の思考

ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之・訳 河出書房 2019.11.30
読書日:2020.1.14

サピエンス全史とホモ・デウスのハラリの最新作である。前者がホモ・サピエンスの過去を語り、ホモ・デウスが未来を語っていたのに対し、本作は今のサピエンスの状況に対するハラリの見解を述べている、という触れ込みである。そうすると、サピエンス・シリーズは一応の完結を迎えるということなのだろう。

サピエンス全史でハラリは、人間がこのように発展できたのは物語(虚構)を通じて、多くの人をまとめることができたからだとしている。これこそが人間にできて他の生物にできなかったことであるという。この特殊技能のおかげで、人間は何億人という単位でまとまって、活動することができると主張した。

次のホモ・デウスでは、人間の物語はテクノロジーの挑戦を受け、このような物語すら必要としなくなる可能性を指摘している。つまり、人間はここに消え去り、データのみを機械(AI)が黙々と処理するような世界の可能性すらあるとした。

このような認識でいるハラリが現代を見ると、現代は過去に通用してきた物語が通用しなくなってきた時代ということになる。それらの物語は限界を打ち破るためにアップデートを必要としているが、いまのところ新しい物語は生まれていない、というのが現状の認識である。

で、ハラリがここで人間の物語として取り上げているのは、主に自由主義という物語である。この物語は、政治的には民主主義や国民国家、経済的には資本主義と自由貿易、そして科学的研究の基礎にもなっている。まさしく、政治、経済、科学にまたがる壮大な物語である。この物語が、いま危機を迎えているのだ。

個人の自由は、テクノロジーに監視されプライバシーはなくなり、アルゴリズムに意思決定が左右されて自由意志も脅かされている。そればかりか、AIに雇用も奪われ、ほとんどの人間は国家からの最低限の保障で生きていく存在になるかもしれない。

民主主義は、国民国家とセットになっているが、すでにほとんどの危機(環境問題など)は国家の枠を越えてしまっているのに、国家はこれに対応できない。国家同士が話し合うのがいいのかもしれないが、移民などの問題で、偏狭なナショナリズムで国家は排外的な傾向を強めている。

経済もグローバルな自由貿易かそれとも国家の利益優先か、など経済も同じ状況である。

フェイクニュースが蔓延して、真実が何かを得ることも非常に難しくなった。とはいえ、フェイクニュースは現代に特有のものではなく、過去からずっとそうだった。しかし、テクノロジーがそれを増幅している(他の分野と同じように)。

このように、物語がアップデートされていない状況であるが、われわれになにかできることはあるのだろうか。

ハラリはまずは従来の物語から自由になることが必要と考えているようだ。

そもそも物語には主人公がいて、そして主人公は誰に設定されていたとしても、じつは「自分(私)」が主人公である。物語という思考方法は、自分から離れて物事を考えることができない構造なのだろう。このあたりが物語という手法の最大の弱点なのかもしれない。

したがって、対策の一つは個人に頼らないことである。科学のように、自分だけの意見ではなく、集合的に知を高めていく方法なら、個人に頼らずにすむ。

では、個人にはできることはないのだろうか。彼自身が行っているのは「瞑想」である。瞑想は自分から一度離れ、自分をも客観的に観察する訓練に適しているのだという。ハラリは一日に2時間を瞑想に当てているのだそうだ。

こうして物語で世界を征服した人類という考え方を主張した歴史学者は、皮肉にも現代では物語から離れるように読者を誘っているのである。

人類全体について議論しているサピエンス三部作なのに、最後はハラリの個人的な瞑想の体験で終わっているというのは、なにか非常に象徴的な感じがした。

もしかしたらハラリは世俗を超越しちゃったのかもしれない。(笑)

 ★★★★☆


21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考

MMT 現代貨幣理論入門

L・ランダル・レイ 鈴木正徳・訳 島倉原・監訳 中野剛・松尾匡・解説 東洋経済新報社 2019.9.12
読書日:2020.1.13

MMTはこれまで知った経済理論の中で、もっともすっきりする経済理論で、わしのこれまでの疑問がほぼ解消されたという意味で、個人的には画期的なものである。


まあ、どっちも中野剛志さんの本なのですが。

しかしながら、全てについてすっきりしたわけではなく、いくつか疑問のところがあった。それについてこの本を読んで、かなり理解が進んだと思う。

わしがすっきりしてこなかったところは、例えばMMTの次のような主張である。

ある貨幣(通貨)がなぜ流通するかという謎について、MMTは次のように説明する。つまり、「政府が国民に対して自分が発行した通貨で税金を納めることを強要するからだ」、というのである。税金を納めるのにある通貨が必要で、税金を納めなかったら投獄されるとしたら、それは確かにその通貨を受け入れるだろう。それは確かである。

ところが、普通言われる、「ある人が通貨を受け取るのは、他の人も受け取ると信じているからである」、という通常なされる説明は、「バカと大バカ理論」(価値がないのに受け取る自分はバカだが、自分よりさらに大バカが受け取ってくれるから)として切り捨てるのである。こうした主張は無限後退であるとして。

無限後退とは、私がこの通貨を受け取るのは誰かが受け取ってくれることを確信しているからで、その誰かが受け取ってくれるのは別の誰かが受け取ってくれることを確信しているからで、というふうに、どこまで行っても根源的な原因に行き当たらないこと)

しかし、これはかなり乱暴な主張である。なぜなら、政府がない社会でも、こうした通貨は流通しているからである。彼らは大バカかもしれないが、しかし流通していることは間違いない。こういうところで自然発生的に生まれている貨幣について、この説明では納得できないではないか。

それに、この主張は無限後退ではあるが、別にこれで悪いというわけでもないと思う。なぜなら、電気回路でフィードバック・ループがあるが、フィードバック・ループはある条件では非常に安定して存在できるのである。(そうじゃないと、そもそもシステム制御として組み入れられない。)このように、通貨とは、通貨→商品→通貨、といったループを作っている安定な循環系システムの現象であるとすれば、この無限後退には意味がある。

しかしながら、この本で次のような歴史的な経緯を教えられると、かなり納得できた。つまり、ヨーロッパ諸国がアフリカなどそもそも通貨を使っていなかった現地人に自国通貨を流通させた方法である。

当然ながら、現地の人はこれまでそのような通貨を必要とせずに、物資をお互いに融通しあって問題なく暮らせていた。なので、その通貨を使う動機は全くなかったのである。だからたとえばポンドやフランあるいは現地政府が発行した通貨が流通することはあり得なかった。

そこで植民地政府は、誰もが持っているものに税金をかけたのである。それは人頭税と小屋税だった。誰でも頭を持っており、住む小屋も持っていたので、誰もが税金を納める必要ができた。したがって、現地人はなんとかして通貨を手に入れて、それを支払う必要が生じた。こうして、現地人は宗主国の通貨システムに組み入れられたというのである。

なるほど。

個人的には、貨幣は人間的な信頼関係の構築能力の自然な延長が原因だろうと思っている。が、そういう心理的というか人類学的、行動心理学的な説明はたしかにあり得るが、MMTが主張するように、主権国家の通貨に関しては、これはこれで正しいのかもしれない。

そのほか、政策としてMMTは何を目指すのかという議論も興味深かった。著者のレイによると、MMTは完全雇用を目指すというのである。

MMTが何を目指すべきかについては別の意見もあり得ると思うが、とりあえず著者の主張を聞いてみよう。

MMTによれば、失業というのは、そもそも政府が通貨を発行するので発生するというのである。どういうことか。政府が通貨を発行して、この通貨で納税を強要する。すると、通貨を発行した段階では、この通貨をまだ誰も持っておらず、すべての人はこの通貨を得るための仕事を必要としている。つまり、この段階では、全国民が失業者なのである。失業率100%というわけだ。国が物を買ったり、サービスの代金を自分の通貨で支払って、初めて国民は納税ができるようになる。

そういう意味では、この通貨システム(資本主義)に国民を組み込んだ以上、国民すべてが納税できるように、仕事を与えることが、国の使命とも言える。貨幣がないと幸福になれないシステムを作ってしまったのだから。

国家が仕事を求めるすべての人に仕事を与えることができるのは確かである。しかし、通常は、完全雇用はインフレを起こしやすくなるため、経済学者や政策立案者から忌み嫌われている。たとえばフィリップ曲線というものがあって、失業率が下がるほど、インフレ率が上がる関係があるので、そう思うのだろう。この本によれば、完全雇用のプログラムは、好況時には縮小してインフレ圧力を下げ、不況時にはデフレ圧力を下げるから、かえってインフレ率は安定するという。しかし、いまいち納得できないので、この辺はまだ議論の余地があるのではないか。

しかし、完全雇用を目指すのではなく、ベーシックインカムという方法ではだめなのだろうか。ベーシックインカムについては、著者は「すでに失敗した福祉政策の延長」と決めつけて、なぜだめなのか、明確な説明をしていないように思える。

まあ、細かいところでいまいち納得できないところがあるのはもちろんだが、ともかくこの本でMMTについて理解が進んだことは確かで、かなり夢中になって集中して読むことができた。

最後に、MMT論者によくあることだが、レイもところどころ、自分たちが理解されないことについて自虐的に語っており、もうそろそろMMTはこの辺の自虐史観から脱してもいいのではないだろうか。(苦笑)

ところで、中野さんはMMTと共に、グローバリズム自由貿易)を非難していますが、そういう話はこの本にはまったく出てきませんから、これは中野さんのオリジナルの見方なんでしょうかね。

★★★★★

 


MMT現代貨幣理論入門

 

「死」とは何か イエール大学で23年連続の人気講義

シェリー・ケーガン 柴田裕之・訳 文響社 2018年10月5日
読書日:2020年1月6日

(注意:今回読んだのは短縮版)

「死」がテーマの哲学の本なのだが、読んで驚いたのは、死については語るべきことがこんなに多いのか、ということである。まあ、哲学とは死について考えること、という人もいるくらいだから、哲学者が死について語りだすと、いくらでも細かな問題が出てきそうである。

そもそもどういう状態になったら死んだと言えるのか、そのへんも考え出すと曖昧模糊としてきて、生と死の間には無限の段階があるかのごとくである。

死を体験できるのはその人だけとか、死ぬときは独り、とか言うけれど、死んだら何も体験できないのだからそもそも死を体験するって原理的にありえないとか、いろいろ問題が発生する。

そして、他にもざっとこんなことが語られる。
・そもそも死が悪いことなのかどうか、どうやって判断するのか。
・死が怖いとしたら、なぜ怖いのか。
・永遠に生きられたら(不死)、それは素晴らしいことなのか。
・生きている時間が人によって違うのは不公平なのか。
・死ぬとわかっているのだとしたら、どう生きれば有意義なのか。
・そして、自殺をどう考えるのか。

こんなことが次々難題として浮かび上がってくるのである。

個人的には、死についてはなるべくシンプルに考えたい。死ぬこととは単に死ぬこと。死んだら存在しなくなるだけのこと。このくらいのシンプルさでいきたいものである。

結局、自分がいつ死ぬのかほとんどの場合分からないのだから、明日も来週も来年も生きていると仮定して生きていっていいのではないか。そして死ぬときに、わーっ、いま死ぬんだ、と、ちょっとびっくりして死ぬぐらいでちょうどいいのではないか。

そういうわけで、結局、わしが言いたいのはこういうことだ。

死ぬまで、生きろ!

誰もがこの目標を達成できることは、まず間違いありません。よかったよかった。

★★★★☆

 


「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

 

未来国家ブータン

高野秀行 集英社 2014.2.20
読書日:2020.1.2

ときどき高野秀行の本を読みたくなる。年末に体調を崩したときに、読みかけの他の本もあったのだが、高野秀行を読みたくなり、ダウンロードして読むことにした。

しかし、残念ながら、この本は期待したほど面白くなかった。たぶん、ブータン政府絡みの仕事になってしまい、いつもの破天荒さがかげを潜めたからであろう。かけている時間もいつもよりも少ないように思えた。

しかしながら、それなりに満足して読み終えることができた。

それにしても、読みながら、ブータンの独立国家としての地位はかなり危ういと思った。いまは環境国家、国民の幸福を第一に考える国家として存在感を出しており、占領されることはないと思う。しかし、この辺りの国際情勢が不穏になったおりには、簡単に中国やインドに占領されてしまうような危うさを感じた。

とりあえず、ダライ・ラマの自叙伝はこの辺の国際情勢を理解するためには必須だと思うので、読んでみたいと思う。

★★★☆☆

 


未来国家ブータン (集英社文庫)

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む

宮本 常一 平凡社2002
読書日:2007年07月25日

民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人(岩波文庫)」を読んで、驚嘆した経験がある。日本人を見る確かな目がそこにはあった。

そんな宮本常一が、明治初期に東北、北海道を旅したイザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読み、そこに書かれた何気ない文章から日本人の生活、考え方、慣習などを読み解いていくわけで、これが面白くないはずがない。

思いつくままあげていくと、
・当時は何か仕事をするときにすぐに裸になる(着物を汗で汚さないため、女性も脱ぐ)
・治安が非常によく女性一人でも旅ができる。
・決められた金額以上の余分なチップなどを受け取らなく仕事に責任感が強い(ただし女中などはピンはねする。女中は食事はもらうが現金収入が他になかったため。欧米のウェイターのようなシステムだった)
・物見高くて、外国人が来ると村中、町中から仕事を放り出して宿屋に集まってくる。(逆にアイヌはまったく無関心)
・子供を大切にする。また子供は裸が多い。
・子供は親に了解をもらわないと何も受け取ろうとしない。
・蚤が蔓延している。
・三味線が異常に普及している。(手軽なライブエンターテイメントだった)。
・平野部と山間部の貧富の差が非常に大きい。
・当時から役人や会社員のホワイトカラーは仕事しない(江戸時代の武士階級の仕事の仕方から来ている)
こじきがいない。(実際にはいるけど、何か簡単なものを売ってお金をもらっていたので、外国人にはすべての人に仕事があるように見えた)

挙げればきりがないけど、なるほど、そうか、というひざポン(死語)満載。超お勧め。

★★★★★

 


イザベラ・バードの日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

ユニバース2.0 実験室で宇宙を創造する

ジーヤ・メラリ 訳・青木薫 解説・酒井伸之 文芸春秋 2019.7.25
読書日:2019.12.23

実験室で宇宙を創造するにはどういう方法があるかについて、インフレーション理論、ひも理論などから言える最新の状況から解説してくれる本。著者は現在はジャーナリストだが、つい最近まで宇宙論を研究していた女性。

宇宙を創造するというのは、結局のところ、インフレーションを起こして、新しい時空間を大量に発生させるということであり、インフレーションが起きる状況を再現すればいいという話になる。

その方法としてはいろいろな可能性があり得るが、もっとも簡単な無理のない方法としては、まだ発見されていない磁気単極子(N極、あるいはS極のみの磁気粒子)にエネルギーを与えるとミニユニバースが発生することが分かっている(解説の酒井氏の研究結果)。なので、この粒子をもしも見つけることができれば、話はとても早い。だが、この磁気単極子が見つからない理由は、インフレーションによって宇宙が広がった結果、ものすごい低密度で存在しているからというから、なんか鶏と卵みたいな関係なのである。

しかもこのように発生した宇宙はわれわれの目からはミニブラックホールにしか見えないのだという。ミニブラックホールの狭い空間が内部では莫大な広さの空間になっているのだという。(だから宇宙を創造しても、我々のそばに巨大な空間が突然発生するわけではない。)

つまり、ミニブラックホールには本物のミニブラックホールと内部がインフレーションを起こしているミニブラックホールと2つのバージョンがあるということなのだが、2つのブラックホールはホーキング放射が異なっているらしく、区別することができるのだという。

そのほか、時間がなぜ発生するかということに関して、興味深い実験について教えてくれる。量子もつれエンタングルメント)状態の2つの粒子を一緒にしておくと、時間は止まっているが、2つの粒子を別々の宇宙にいるような条件にすると、両方で時間が動き出すという。すると、我々の時空間で時間があるのは、量子もつれ状態の粒子、あるいは宇宙が、インフレーションにより遠くに引き離された結果なのかもしれない。

最後に、生み出した宇宙に知的生命が発生した時には、倫理的な問題が発生するのではないかというもっともな疑問が議論されるが、まあ、この宇宙内で大量の動物や細菌を含む生物を日々殺しているのに、別の宇宙の知的生命だけを特別扱いするのはどうもなあ、という気がしました。

★★★☆☆

 


ユニバース2.0 実験室で宇宙を創造する

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