ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

「本を読む本」の真逆? 図書館を使って本を読むということ

本を読む本」の読書スタイルは、明らかに自分で本を買って読むようなスタイルなのであって、わしのような図書館の本を読む人間にはなんともぜいたくな話だなあ、という気がしました。

わしも昔は本を買っていましたが、本が溜まっていくのが好きになれず、しかもどんどん買っていくと読んでいない本もどんどん増えていくので、これも困ったものです。

で、あるとき、図書館でいいじゃん、と割り切ることにして、本は捨てました。今でも本を買うことはありますが、電子図書に限定にしております。わしは紙というものが嫌いなのです。紙の本を擁護している人がいますが、そのへんは好き好きですから構いませんが、ともかくわしは本という物質から開放されて快適です。

買う電子本ほとんどアマゾンのKindle本ですが、よく言われているようにこれは所有していません。アマゾンがある日倒産して、買った電子本が二度とダウンロードできなくなり、読めなくなる可能性もありますが、読み返すような可能性はほぼ皆無ですので、別に構いません。

物質としての本については、家には図書館から借りた本が常に数冊ありますが、まあ、これらはいずれ図書館に戻っていくのであり、数冊程度なら特に問題はありません。

そういえば、会社でもプリントアウトを毛嫌いしていて、pdfファイルの普及をとても喜んでいます。いまでは会社ではほぼ全ての書類が電子化されました。パソコン1台あれば、なんでもできる時代になりました。とても快適。

前置きが長くなりましたが、ともかく、図書館で借りた本で、「本を読む本」で書かれたような読書はまず無理です。

わしは読みたい本が多いので、常に限度いっぱいの予約を2つの図書館(住んでいるところと勤めているところ)で行っています。すると毎週、数冊は届くことになります。これはどういう状況かというと、平均3日で1冊を読んでいかないと追いつかないという状況です。(なので、このブログはだいたい3日ごとに更新しているわけです。)

そうなると、精読もなにも、ともかく読まなくてはいけません。読み飛ばすこともありますが、ほとんどの本は予約段階ですでに多くの候補から絞ったもので、それなりに興味があって読み始めるので、大抵は面白く読めます。いちおうおすすめ度として星をつけていますが、★4のものが多いのはそのせいです。

読み方としては、頭から最後までともかく読む、という単純なものです。そうなると、わしの読書レベルは、アドラーから見ればせいぜい点検読書レベルということになるでしょう。ブログはほとんど読んだ直後の記憶で書いていて、固有名詞とかその程度の確認をするだけで、まず読み返しません。

なにか分かったようにブログには書いていますが、きっと間違いが多いんだろうな、と自分でも思っています。でもあとで気になって確認しようにも、本は返してしまっているので、それはできません。あらためて借りれば別ですが、まあ間違っていてもいいや、と思っています。べつに苦情をいう人もいないでしょうからね。

さて、アドラーシントピカル読書を目指すように言っているわけですが、読書自体があるテーマについて主に行われているのなら、広い意味でシントピカルと言えるのではないかという気もします。

じつはわしの読書はあるテーマに沿って行われているのです。そんなふうに思えないでしょ? でもわしの読書は基本的に次のことが知りたくて行っているのです。それは、

 未来のことが知りたい

ということです。

この未来のこととは直近の世相の変化という場合もありますが、そういうことよりも、経済的に、政治的に、国際的に、科学的に、人類全体的に、文化的に、いったいわたしたちはどこに向かっているのか、ということが知りたいのです。

だからわしの知りたい未来というのは、時間的には数カ月先からわしが死んだあとの遠い未来も含んでいるので、スパンは長いです。わしはそのすべてを見届けることはできませんが、それでも何が起きるのか思い描いておきたい。

そうなると、何が変わらず、何が変わり得るのか、などといろんなことを知っておかないといけませんからね。自然といろんな分野の本に手が伸びます。

こういう見方で本を読むのは、10代の頃にトフラーの「第3の波」を読んだことがすべての出発だったような気がします。「第3の波」で予言されたことは、このコロナ禍の世界ですべて実現しましたね。じつに40年先を見据えていたんですね、この本は。技術的にはずっと前にも可能でしたが、コロナにならないと在宅勤務は一般化しませんでした。技術だけでなくなにか大きなきっかけがないと世の中は変わらないんですね。

ほとんどの人は、やはり未来に興味があって本を読むんじゃないでしょうか。自分がどう生きるべきか、というのは端的に自分の未来を思い描いているってことでしょう? 

未だ来ない未来こそは人生でいちばんわくわくすることじゃないでしょうか。

本を読む本

M・J・アドラー C・V・ドーレン 訳・外山滋比古 槇未知子 講談社学術文庫 1997.10.10(底本 日本ブリタニカ 1978.6)
読書日:2021.10.17

読書とは受け身ではなく積極的な行為であり、初級読書、点検読書、分析読書を経て、最終的にはシントピカル読書という段階を目指さなければならないと主張する本。

シントピカル(syntopical)という単語は初めて知った。どういう意味かというと、同じトピックという意味の造語らしい。つまり、同じテーマの本を複数読み合わせるということである。

当然、時代や国が異なる著者の作品も読み合わせるので、使っている言葉が違ったり、同じ言葉でも使っている意味や範囲が違ったり、いろいろ難しいことが起きそうだが、それを吸収して読み解くという非常に高度な読み方らしい。

大学のゼミなんかであるテーマについて課題図書を何冊も出されて次の講義までに読んでおくように言われた、そんな感じですかね。この場合、当然、それらの主張の違いもきちんと説明できなければならず、比べながら読むことになるんでしょうね。

でも、そんな読み方ってほとんど研究者じゃん。そんなふうに読むことが目標だなんて困っちゃうな。

シントピカル読書を行うためには、まず同じテーマの本を選出しなくてはいけない。本人も言ってるが、同じテーマかどうかは読んでみないとわからないし、すでに読んでいるなら新しい読書とは言えないから矛盾している。

だったらすでに読んでいる人に聞けばいいかというと、その人の見解を押し付けられる可能性があるので、それも望ましくないという。

ではどうするかというと、1940年に出版された「西欧名著全集」の索引である「シントピコン」を用いるというのである。これをみれば関連する名著同士の関係がわかるという、、、ってそんなこと言われても知らんがな。(苦笑)

現代でもシントピコンに相当するリストのようなものはあるのかしら。アマゾンのおすすめがそうだったりして(笑)。

しかし実際、この本の読み方を読んでいてなんか羨ましくなってきちゃったな。確かにこんなふうに読書ができたらいいかもしれない。

本に書き込みをすることを勧めているけど、図書館から借りた本ではそんな事はできませんね。それに返却期日までに急いで読まないといけないから、精読なんかはるか彼方の贅沢な話です。

本を読む前に急いで内容を大まかに掴んで読むに値するかどうか把握しなくちゃいけないというけど、わしの場合はほぼ新聞や雑誌の書評で読むに値すると判断して借り出していますので、そのへんは省略していいでしょう。

まあ、こういうのはなにかを主張する本とか、ノンフィクションの本の場合であって、文学は別の読み方をしなくてはいけないと言っています。その世界にまずは浸らないといけない、論理的に正しいかどうかではなくてその基準は美なのだから、というのは全くそのとおりですね。わしの意見では小説では飛ばし読み、速読はほぼ不可能なのではないかと思います。

まあ、わしの読書のレベルは、これを読む限りは、点検読書のレベルでしょうかね。とても分析的な読書をしているとは言えませんもの。2回読むこともほぼ皆無ですし。

著者によれば、ほとんどの本は拾い読みで十分で、本当に読むべき本は千冊、1万冊に1冊程度で、全部で数千冊だそうです。えっ? そんなに少ないの?(笑)

(メモ 読書のレベル)
・初級読書 本を読むことができるようになり、読書体験を自分のものにできる段階。
・点検読書 目次や序文、拾い読みで大まかな内容を把握したあと、表面的な読書を行い、本の内容を把握すること。大体の本はこれで済むという。
・分析読書 一冊の本をいろいろな角度から読み解いていく読み方。本の分類、骨格となる構造、著者の言葉の使い方・キーワードに注意を払い著者の意図をくみ取り最終的にはその意見を自分の言葉で言い換えて、最終的な評価を行うような読書。
シントピカル読書 複数の同じテーマの本を読み比べて、あるテーマについて複合的な知識、見解を得る。

★★★★☆

 

目的に合わない進化 進化と心身のミスマッチはなぜ起こる

アダム・ハート 訳・柴田譲治 原書房 2021.3.22
読書日:2021.10.16

ヒトが作り上げた社会や文化のイノベーションが早すぎて、ゆっくりと進む進化は追いつけず、ミスマッチが起きていることを書いた本。

いくつかのトピックスについて、人間の進化が社会変化に追いついていないことを示しているが、どのトピックスも遺伝だけでは説明が難しく、いろいろな要素が複雑に絡んでいて、話題が豊富にも関わらず、いまいち明快性に欠ける内容。おまけにあちこち話が跳んでいるから、おもしろいトピックの羅列といった感じ。一般書としてはこれでいいのかも。

今の時点でも研究が続行している内容がほとんどなので、明快性に欠けるのは仕方がないということもある。最新の研究をきちんとフォローしているという点では好感がもてる。

(1)食料摂取関連
主に肥満について語られる。現代のような高カロリーを取ろうと思えばいくらでも取れる環境に人間の進化が適応していないことは、明らかといえば明らかではある。

遺伝子関連という意味では、ときどきメディアで話題になる「倹約遺伝子」についてかなりの紙幅で語られるが、未だに論争が続いて決着はついていないらしい。しかし読んでいる限りは、ほぼ都市伝説に近いのではないかという気がした。それにこの話を議論する意味もよくわからない。結局、倹約遺伝子があろうがなかろうが、限度を越えてカロリーを摂取すればまずいことになるということは変わりないので。

わしからみれば、一説にはコカイン匹敵するという、人間の糖分に対する依存症の方についてもっと議論したほうがいいのではないだろうか。わしはかなり克服できたように感じているが、この依存症からの脱却はほとんどの人にはとても難しいのではないかしら。甘いジュースやスイーツ、ファーストフードの食べ物たちの誘惑は非常に大きい。

1万2千年前に定住が起きてからの進化について、有名な牛乳に対する耐性に関する進化の話や、逆に小麦の栽培によるグルテンアレルギーに関する話もでてくる。

(2)社会的なストレス関係
危機的な状況に対応するために進化したストレスが、現代人に大きな脅威を与えているとする。現代では小さなストレス(マイクロストレス)が常時降り掛かってくる状況だが、長い間に蓄積されて壮年や老年に達する頃に大きな影響を与えるという。現代社会と人の進化は確かにミスマッチを起こしている。

しかしこのような状況は現代特有というよりも、人間社会が誕生してからずっと続いているような気もしないではない。セネカだって時間がないと嘆いているではないか。この本でも少なくともここ1000年間は人間の生活はこんな状況だという。

人間はお互いに協力するように社会的に進化してきたが(社会脳仮説)、現代の人間関係はこの社会性も進化の限度を越えていてミスマッチしているという。とくにインターネットができてから、能力をこえた人数の繋がりができるようになったのが問題だという。

人間が対処できる人数は人間の脳の能力で決まっているが、有名なダンバー数では150人であり、他の研究でもせいぜい1000人ぐらいで、どうも数百人の桁らしい。

この人数よりも多く関わることは不可能なので、著者のおすすめは、なるべく自分にとって良くないと思われる関係は関わらないようにするということだ。逆に言うと、昔の人は選択の余地がなかったが、現代の人は多くの人間関係から自分に都合の良い関係を選択できるということだ。

わしは現実だろうが仮想空間だろうがそもそも人間関係はあまり築かないほうなので、そういうストレスは少ない。

マイクロストレスにしても、わしはさいきん、先延ばしにできるものはなんでも先延ばしにすることにあまり罪悪感を覚えなくなった。これができるようになってからストレスがかなり減った気がする。ほとんどのことは死ぬまで先延ばしにできるんじゃないかしら(笑)。

(4)暴力
人間は異常に暴力的に進化してきたという。霊長類は他の生物に比べて全般的に暴力的なようだ。まあ、確かに現代では暴力性はミスマッチかもしれないけど、実際に暴力に出会うことが少ないのでいまいち実感がないな。

面白いのは、人間社会の暴力が減っているというピンカーの主張(「暴力の人類史」)に対する反論だ。ピンカーはいろいろな数字をあげて人類の暴力が減っていることを示すのだが、これが単なる数字のスケーリングに過ぎないという人類学者ラウル・オーカの反論が紹介されていて興味深い。

100人の部族が戦争を行うのに25人の大人の男性が加わると25%の参加率だが、100万人の国で戦争を行ってもその比率のまま25万人が戦争に加わるわけではない。それよりも少なくなるのは確実なので、単純にスケーリングにより比率が下がっているように見えるだけなのだという。実際には戦闘で死ぬ確率は昔も今も同じだという。

なるほど。でも逆に言うと、人類の人数が増えると暴力に関わる確率は減るということだからそれはそれで意味はある考察なんじゃないかな。

ピンカーの「暴力の人類史」はずっと読むべき本のリストに入ってるんだけど、やっぱり読まなくちゃいけないかな。

しかし人間の拳が効率的にパンチできるように進化したと研究する人がいるとはねえ。ちょっとありえない発想だけど、著者も人間は暴力に使えるものはなんでも利用しているだけ、という。

(5)依存症(嗜癖
依存症はほとんど脳の報酬系に作用する化学反応で、人間は昔からこれを利用するように進化してきたという。

たとえばアルコール。

アルコールが消化できるようになったのは1000万年前のまだ猿の時代らしい。熟れすぎて自然発酵した果実を食べられるように進化したためだそうだが、すぐに分かるように、自然の果物の中のアルコールでは濃度が低すぎてほとんど問題がないという。

ところが人間は技術力でいくらでも濃いアルコールを生産できるようになり、店で簡単に手に入るようにしてしまった。こうしてミスマッチが生まれているという。

コカインも、原住民がやっていたように自然のコカの葉を噛んでいるだけでは全く問題がないのに、たくさんのコカの葉を集めて複雑な工程を経て、純粋に大量に精製する技術を開発したのが問題なのだ。

ギャンブルなどの行動系の依存症も、オンラインでギャンブルができるなど科学はますます依存症を加速する方向に進んでいる。

まあ、確かにミスマッチかもしれないけどねえ。わしは自分が株取引依存症を自覚しているし、スマホがそれを加速していることも理解できるが、やめる気はさらさらありません。いいじゃん、依存症で。

それよりも糖分依存症をなんとかしないと(しつこい(笑))。

★★★☆☆

 

 

無人島に生きる十六人

須川邦彦 青空文庫 2004.5.8 (底本 新潮文庫 2003.7.1、親本 講談社 1948.10)
読書日:2021.10.10

明治32年、漁場の調査に出た龍睡丸(りゅうすいまる)がハワイ列島のパール・エンド・ハーミーズ礁近海で遭難し、乗組員16人がひとりの死者も出さずに無人島で規則正しい生活をして、全員が肉体的にも精神的にも健康な状態で生還したという実話。

この本は少し前にネットで椎名誠がらみで話題になっていて、わしはさっそく青空文庫版をダウンロードしていたが、そのままになっていた。得てしていつでも読める本は後回しになり、なかなか読まないことになるのだ。

ところが、会社の同僚に読書好きがいて、ときどき面白かった本を紹介しあっているのだが、その人がこの本は面白かったからぜひ読んで見るようにというので、さっそくダウンロードしておいた青空文庫版を読み始めたが、たしかに文章も昔の本にしては読みやすいし、内容もとても良かった。

時代は明治時代だが、この時代は国際社会で自分は日本人だという感覚を強烈に持っていたというのが、文章のあちこちにあふれている。ひとりひとりが日本という国を背負っているという気概があふれているかのようだ。こんな感覚を現代で味わうことはめったに無いだろう。

途中、船が破損してハワイに寄るのだが、このときも日本人として堂々と行動しようという感覚があふれていて、そういう規律ある船員たちの態度でアメリカ人が感心したとか、そんなことが記載されている。そういう感覚はちょっと懐かしいような、独特の感覚だ。このころは日本人はこういう緊張感をもって日本国外に出ていたのだなあ、と思う。船の修理代はなんと地元の日系人の寄付で賄ったというのも驚き。日本人、団結力強し。

船員には小笠原諸島帰化人がいて、小笠原諸島はむかしはアメリカの捕鯨船の基地で、小笠原が日本の領土になったときに、その島で生まれた人の中にはそのまま日本人になった人がいたということだ。この人達はベテランの船員ということでとても尊敬されている。なので、船員の人種的多様性もある。もしかしたらグローバルな感覚はいまよりも明治時代のほうが優れているのかもしれない。

遭難してから無人島にたどり着くまでもなかなかの冒険だが、無人島についてそこで生活することを決心したあと、船長は全員の健康、とくに精神状態に気を配り、弱気で悲観的な状態にならないようにしていたのが印象的だ。毎日ほがらかに暮らすことが決められたりする。

沖を通る船にすぐに合図を送れるように交代で24時間の見張りをするのだが、深夜にひとりでいると弱気の虫が襲ってくるので、深夜の見張りはベテランの船員が買って出たりと、船員間の協調も抜群だ。健康面でも、周辺には魚やアオウミガメなど食料は豊富だが、食べすぎないように腹八分目にするように決めたりしている。

一日中仕事を割り振って忙しく働き、実習生の船員もいたので勉強の時間も作り、字の練習、数学の勉強、そしてアメリカ人の船員がいるから英語の学習もしていた。しかしどうも一番人気は、それぞれの船員が体験した過去の話を代わる代わるした体験談だったらしい。そして新しい知識を得るのに、ベテランも若手の話をきちんと聞いていたことで、上下関係も良好だったようだ。この学習の結果、字を知らなかった者も、帰国後に家族あての手紙を自分で書けるようになったという。勉強のための道具は工夫して、インクを作ったりしている。

面白いのは、救助されたときにボロボロの服ではみっともないということで、遭難時に着ていた服は大切に保管しておいて、島では裸で暮らしたということだ。こういう恥ずかしさを忘れずに行動しているところが面白い。(同じような話はこの本にもあった。すると発見時の服装の心配は遭難者に共通の思いなのかも)。

記憶していた海図から、近くに島があるということで小さなボートを漕いで島を発見し、その島では流木などの特産品が取れるので常時3人を交代でいることにしたが、そこでも船員たちは指示者がいなくても自律的に規律正しく作業を行ったという。

アザラシがいたけど、アザラシは最後の食料として捕獲しなかったので、アザラシと仲良くなりなついたが、救助され島をはなれるときにはアザラシたちがそれに感づいて海を泳いで追いかけてきたという。それで救助したほうの船が感心したという。

しかし、明治時代に16人が遭難して無事に帰ってきて、しかも規律を失わずに健康だったという話があるとはねえ。この話は一時、社会から忘れられていたけど、また復活した。きっとこれからも折に触れて、復活するんじゃないだろうか。話も面白いし。

なによりグローバル社会における昔のちょっと懐かしい日本人の感覚が味わえる点で貴重かも。

★★★★★

 

 

 

LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義

吉森保 日経BP 2020.12.21
読書日:2021.10.6

科学的思考が大切と力説する著者が、科学的思考を全開して自ら関わってきた細胞のオートファジーを軸に生命科学について語る本。

この本の前に読んだ「動物意識の誕生」があまりに歯ごたえがありすぎたせいか、こういう一般向けの本を読むとほっとするが、今度は歯ごたえが足りなくてちょっと不満という、まことに贅沢な話。生命系の本が続いたのは、単なる図書館の予約本が届くタイミングの関係で、なんの意図もないです。

さて、最初に強調するのは科学とは仮説の集まりで、仮説を立てて限りなく真実に近づこうという学問だけど、あくまでも仮説であって真実ではないという話がされます。わしはここに同じことを書いたけれど、こういう話は子供のときに聞かせてほしかったな。高校時代ずいぶんと悩んだので。

それで科学の最強の武器は「相関」と「因果」だといい、この2つを混同しないようにすることが大切といいます。相関があったからといって因果関係が証明されたわけじゃないけど、やっぱり相関というのは非常に強力なツールだといいます。相関があれば、因果関係の仮説を立てて、確認することができます。

そして科学が信頼性が高いのは、論文には査読という制度があり、また重要な実験は多くの検証が他の研究機関で行われるので、結局正しいものが残りやすいということです。論文が採用されてもそれが間違っていることはよくあるといいます。なのでまちがっても誰も怒らないとか(そりゃそうだ)。

わしにとってはその後の細胞の話はちょっと退屈だったが、面白くなるのはやっぱりオートファジーの話が始まる最後の3分の1ぐらい。

オートファジーが細胞を若返らせる働きがあるとか、細胞の中に入った病原体を分解してしまう、つまり細胞内の免疫みたいなことをしているとか、しかしオートファジーを実行するオートファゴソームは、病原体を認識して攻撃しているわけではないとか(細胞の中に入るときに包まれる膜を破ることを検知するんだそうだ)、ヒトが老化するのは進化の結果だとか、老化にはオートファジーを止めるルビコンというタンパク質が増えて起こるとか、ルビコンを抑えることができればオートファジーを活性化して死ぬまで健康になれるかもだとか、そういうところが面白かった。

ヒトの老化は他の生物よりも早く激しいんだそうだ。そして動物の中で、若さが価値を持つのはヒトだけなんだそうだ。(他の動物は死ぬまで子供を作れ、年寄りのほうがモテるという)。ヒトは早く子供を生んで早く死ぬように設定されているらしい。

で、ルビコンを抑える薬はまだ先の話なので、いまでもできる老化対策は、カロリー制限とかおなじみのメニューが並んでいる。なんかもう、ともかく食べちゃいけないらしい。

ところで、オートファジーノーベル賞をとった大隈良典先生には、二人の弟子がいて、ひとりは本書の吉森保さんでもうひとりは東京大学教授の水島昇さんだそうで、まるで大隈先生が水戸黄門で、吉森さんと水島さんが助さん格さんみたいだ、と言われているそうだ。

なんでこんなことを書くかというと、会社の同僚に「水島昇はわたしの親戚です」という人がいたのを思い出したから…ってそれだけなんですけどね。大隈先生がノーベル賞をとったときにあちこちのTV出て、親戚のあつまりでからかわれたとか、そんな話を聞いた。なんの意味もない話ですみません。せっかくだから水島昇さんの本も読んでみるかな。

吉森先生は、62歳でベンチャーを起こしたそうだ。つまり自分の研究成果を自分の手で世に広めようというのだ。うーむ。

★★★☆☆

 

動物意識の誕生 生体システム理論と学習理論から解き明かす心の進化

シモーナ・ギンズバーグ エヴァ・ヤブロンカ 訳・鈴木大地 勁草書房 2021.5.20
読書日:2021.10.4

動物の意識は、無制約連合学習という機能が基礎になった、と主張する本。

「動物意識の誕生」という書名からてっきり、人間だけでなく動物にも意識があると主張する本なのかと思った(笑)。そうではなくて、生物の心がどんなふうに進化して意識(主観的体験)が誕生したのか、という話なのだった。ここでは最低限どのような機能があればその動物に意識があるといえるのかということをつきとめ、その機能がいつどの種に備わったのか、ということを議論している。

わしなんかは心が広いから、植物を含めてすべての生物に意識があるんじゃないかという気がしてしまうが、しかしここでいう意識は、漠然とした生きていこうという意思のようなものではなくて、しっかりした主観的な心の体験のことだ。

すべての生物は生きようとしているから、生きようという意思のようなものを感じとることができる。本当に意思があるかどうかはわからないが、少なくともそう感じさせる反応はする。それについてはここに書いた。

だが、確かにそれは意思かもしれないが、わしらが体験しているような、主観的な内面の体験ではないことは確かだ。少なくとも植物が意識をもっていて、日々いろいろ思いをめぐらしているということはないだろう。

そうすると、意識があるのは動物に限られるが、すべての動物が意識を持っているとするのも難しいだろう。単細胞生物でも、ゾウリムシなんかは十分複雑な動物のようにわしには思えるが、意識を持っているかと言われると、わからないとしか答えられない。

そうすると、そもそも意識にはどんな特徴があって、それを実現するにはどんな仕組みになっていなくてはいけないか、意識に必要な最低限のモジュールは何か、それはどう進化したのか、どの動物がそれをもっているか、などというふうに順に考えていかなくてはいけない。

そこでまず、著者たちは、意識の特徴について過去のいろいろな人の主張をまとめようとする。それこそアリストテレスから現代の生物学者までの言葉から意識の特徴を探り、リスト化するのだ。その結果、意識の特徴を7つにまとめ、それに関連する意識についてのさまざまな議論で上巻は終わってしまう。なんと、著者たちの主張自体は下巻に持ち越されてしまう。

いやはや、研究した著者たちにとっても検討すべきことが多くて大変だっただろうが、読んでいる読者の方もこれはなかなか辛い工程で、たぶんほとんどの人は、この意識に関する議論で疲れ果てて、挫折するのではないか、という気がする。なにしろこの本は著者の思いが注入されているので、一般人に向けて読みやすく省略するとかの考えは最初からまったくないらしい。

思うに、専門家じゃないわしらは上下巻のうち、上巻は読み飛ばして結論だけ読むことにして、下巻から本格的に読んでもいいんじゃないかと思う。面白いのは圧倒的に下巻なのだから。

それに、そもそも著者たちの主張していることは、そんなに難しい話ではないのだ。ではその主張を見ていこう。

脳(もしくは脳のようなもの)には、身体中の感覚器官からおびただしい量のデータがやってくる。脳がやっているのは、それらのデータを使って世界を再構築したり、何が起きているのかを考えたりすることだ。これはつまりあるデータと別のデータを結びつけるということで、それを学習と言おう。しかし全部のデータの組み合わせを検討することは不可能だ。組み合わせの数はすぐに天文学的な数字になってしまうのだから。

そうすると、意図的に、データの組み合わせの中から有用なものを選択し、その関係のみに注意を向ける必要がある。このような選択や注意、いわばこころの重心を傾けるような機能こそが、意識のもっとも基本的なモジュールだと主張しているのだ。

これができるのが、「無制約連合学習」と著者たちがいうものだ。無制約というのは、組み合わせが無限にあることを示し、連合学習というのはあるデータと別のデータを結びつけることをいう。

もちろん、もともと生得的に記憶されているような関係ではなくて、いっけんなんの関係もなさそうなデータでも結びつけられなければならない。たとえば、パブロフの犬のように、ベルの音と唾液という本来、関係のないものを結び付けられなければならない。

ただ、限られた選択肢のデータ同士ではなくて、無限ともいえる組み合わせの中から選択できることが重要だ。なぜなら限られた選択肢の中では、意識がなくても学習させることが可能だからだ。

単純な生物はもちろん、驚いたことに植物にも学習させることも可能だという。光と風の方向を一致させて育てると、光がなくても風があるだけでそちらの方向に伸びていくというのだ。(ほんまかいな)。

そういうわけで、選択肢の限られた中での学習は意識がなくても可能だから、それは意識の証明にはならないわけだ。著者はこれを「制約下連合学習」と言っている。

ちなみに連合学習でない学習とは、それぞれの感覚器が鋭敏化したり、馴化(じゅんか、慣れてしまって反応しなくなること)したりという、個々の感覚器レベルの学習のことだ。

このような無制約連合学習は実際に観察や実験が可能だという点が重要だ。ではそれを担うモジュールはどのような構成になっていなくてはいけないのだろうか。

まずデータを選択する基準はなんだろうか。いつも同じデータを選択して同じ学習をしていたのでは進歩がない。だからこれまで出会ったことのない新規なものに目を向けるはずだ。

新規かどうかは過去の学習の記憶と比較するしかない。すると過去の学習結果を記憶しているメモリユニットが必要だ。そしてメモリの内容を読み出してやってくるデータと比べて、これまでと異なる新規の内容だと知らせてくれるユニットがなくてはいけない。

こうして学習に値すると判断して、はじめてその関係を結びつけて学習する。

(つまりわしらは、無意識に頭の中で過去の学習結果を用いて世界を再構築して、次に何が起きるかの予想を常に行っており、そして予想が外れるとびっくりして初めて意識をそこに向ける、という行動をする。)

さらには新規のデータを結びつけると、それをメモリに定着させる機構があり、定着すると学習が完了する。

このような無制約連合学習の仕組みを作るためには、少なくとも3層の階層を持つシステムが必要だと著者は言う。そして意識があるためには、さらにその上に4層、5層という階層が必要になるだろうという。

非常に理にかなった考え方であり、なるほど意識は無制約連合学習のモジュールが基礎のなっているのだろう、という気にさせる。

では、進化史上のいつ意識は誕生したということになるのだろうか。この答えはまったく普通でなんの意外性もない答えが返ってくる。つまり、それは5億年前のカンブリア紀だ、というのだ。例の不思議ないろいろな形の生物が突然出現したカンブリア爆発が起きた時代だ。

ということは、意識は動物らしい動物が出てきたとたんに誕生した、と言っているに等しい。そりゃそうかもしれないがなんの意外性もなくてがっかりする。

著者の見解では、カンブリア紀の海の中で、節足動物脊椎動物で無制約連合学習は起きた。そして奇妙なことに、それはどちらも左右相称の形態を持つ。(もしかしたら2つの脳に分離していることに意味があるのだろうか。)

それから2億5戦万年後、タコやイカの頭足類に、無制約連合学習ができるような種が出てきたという。だから必ずしもカンブリア紀にすべての意識が誕生したとは限らないようだ。

以上が概要だが、他にも興味深い言葉がいっぱいだ。

たとえば無制約連合学習ができるようになると、過剰学習が問題となり、ストレスが増しただろうとか(つまり、意識が誕生すると同時に心の病が誕生したことになる)、それに対抗するようなホルモンとか、睡眠はそのために(忘れるために)あるのかもしれないとか。

もちろんAIに関する言及があるし、エピソード記憶などにも触れている。

メモリ機能に関しては、中枢神経とDNA以外でも、いろんな段階で記憶されていることが分かっている。だから単細胞の生物にもちゃんと彼らなりの学習がある。そして、著者たちがまとめた意識の特徴はないかもしれないが、意識がないと断定もできないのだ。著者たちは、この機能があれば客観的に意識があると判断してもいいでしょう、という基準を提案したにすぎない。

この本では進化関係の本では珍しく、ラマルクに対する評価が高いことも特徴で、ラマルクが唱えたような個体の経験が記憶されて子孫に受け継がれるといったこともあり得ると考えているらしい。エピジェネティック(ゲノムのうち、タンパク質の設計図であるDNA以外の部分)に記憶が残り、細胞分裂してもその記憶は受け継がれているのだから、というのが理由らしい。ラマルクはもしかしたら今後大きく復権するのかもしれない。

それにしても、あまりに力作すぎて、ある意味扱いに困ってしまうような本で、だれか新書ぐらいのボリュームでまとめてほしいですね。(苦笑)

 

メモ:意識の7つの特徴、属性
 すごくわかりにくいが、なにしろこれを議論の中核にそえているので。もうちょっとわかりやすく表現できないんですかね。

(1)大域的活動・アクセス性
 意識が特定の脳領域に局在していないこと。意識は広い範囲に大域的に存在している。

(2)結びつけ・統一
 意識はなにかを理解するときには、それにいろいろなものを結びつけて統一的に理解する。バナナならばその形、色、匂い、味などを結びつけて、統一的に理解し、上の階層で地図を作る。

(3)選択・可塑性・学習・注意
 意識経験が構築されるとき、神経のネットワークの選択が行われている。神経のネットワークは可塑性(柔軟に変わること)があるので、学習が可能である。選択は注意するということと関係がある。

(4)指向性について(ついて性)
 意識は、いまその意識が何についての意識なのか、が常に問える。(意識は常に特定のテーマに注意を向けているということ)。

(5)時間的[厚み]
 ある一定時間、刺激が続かないと、意識されない。

(6)価値・情動・目的(ゴール)
 経験には主観的な感情値(ポジティブ、あるいはネガティブ)があり、それが情動として表現される。意識は、なにかの必要性を満たす目的(ゴール)を志向するときの、動機づけをするインターフェイスの役割を担う。(ちょっと意味不明)。

(7)身体化・行為者性・「自己」概念
 意識が発生するためには身体からのフィードバックが不可欠で、それにより「自己」と呼ばれる所有感や行為者感覚がもたらされる。(なので身体をもたないAIには著者は否定的)。

★★★★☆

 

 

 

2040年の未来予測

成毛眞 日経BP 2021.1.12
読書日:2021.9.25

もと日本マイクロソフト成毛眞が2040年の世界を未来予測をするという触れ込みの本。

この本、人気あるんですよね。図書の予約をしてからずいぶん待たされましたから(笑)。しかし読んでいると、違和感ありありです。

成毛さんの言い分では、未来のことはすでに現在でも出現している、その芽が将来普通になるのが未来の姿だから、今起きていることから未来を探せばいいといいます。

それはいいのですが、書かれている今のことがほぼ新聞の記事レベルで、そんなこともう知っとるわ、ということのオンパレードで、たとえば自動運転が普通になると聞いてももう誰も驚かないよね。

わしなんかはそれ以上に、自動運転がまだ普及していないことに驚いているくらいで、どうして普及していないのか逆にそっちを聞きたいくらいだ。わしにはそういうことがたくさんある。わしはもしかしたら自動運転は思った以上に厳しいんじゃないかって、逆の心配をしているくらいだ。せめて近い将来に遠隔運転ぐらいは普及しますように。これも厳しいかな?

それからに唯一確実に言える日本の人口動態から、日本の将来がどうなるかを述べたりしてるが、それも新聞記事レベル。(というか、誰だって同じことしか言えないと思うんだけど)。

ここでは、将来に備えて貯金でなく投資を考えなければいけないと言い、一方、別のところでは、やっぱり現金で持っているのがいちばん、とか真逆のことを言っていて、どっちなんだ、と言いたくなる。

災害の話も多くページをとってて、いつか必ず起きるから注意しましょうという話なんだが、これって未来予測なの? まるで株は必ず暴落するって言い続けている人みたい。それは間違いなくいつかそうなりますけど、当たったってことになるのかしら。

それで本当に未来予測らしきところは、3章の50ページ弱くらいで、まあまあそこは面白かったけど、予測している内容が少なすぎる。

簡単につぎつぎあげていくと、

世界人口が増えていくと肉が足りなくなるので培養肉が増える、
魚は遺伝子改良されたものを食べる、
修繕をされずにマンションの値段は下がる、
オンライン教育は当たり前になる、
アメリカの大学は高すぎて富裕層以外はいけない、
日本では学歴が無意味になり大学は専門家する、
貧乏な日本ではシェリングが行きていくのに必須になる、
アフリカのファッションがトレンドになる、

という内容で、まあ、特に驚く内容でもないけれど、それなりに読めるところだった。こういう身近なところで予測能力をあげていきましょうという例で出されたんだろうけど、もっとこういうので埋め尽くしてもらわないと。

それにしても、みなさん、この本を読んで役に立つのかなあ。わしが唯一良かったと思えるのはMMT(現代貨幣理論)に好意的なところかな。未来予測じゃないけど。

成毛さんはこの本を最後にしばらく著述業をやめるそうです。このレベルならば、しばらく充電でもしていただいたほうが良さそうです。

★★☆☆☆(最近、ハズレが多い)

 

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ