池上俊一 講談社 2020.9.1
読書日:2025.7.14
中世ヨーロッパで起こった動物を被告とする動物裁判の謎を追った本。
13世紀から17世紀頃にかけてのヨーロッパで、人を襲ったり、害を与えた動物をまるで人間のように捕らえ、裁判にかけて処刑したという記録が大量に残っている。例えば、人を殺した豚を裁判にかけ、処刑している。弁護士もちゃんとついた裁判である。
豚、牛、馬などの大型の動物なら人間が殺されることもあるのでまだ分かる。だが、バッタなどの大量発生して作物を食い荒らす昆虫なども、裁判にかけられている。
昆虫の場合、それはこんな具合だ。
まず、裁判所に提訴が行われると、判事はその昆虫がいるところに出向いて、いついつ裁判が開かれるから出廷するように、と大声で申し渡す。もちろん来るはずがないのだが、その日になって、被告の昆虫が出廷しないと欠席とみなされる。3回同じことが行われて欠席すると欠席裁判の条件を満たすので、裁判が始められる。もちろん、昆虫にもちゃんと弁護士がつく。弁護士は、虫にもいろいろ事情があるなどと言って弁護に努める。そしてそれがうまくいくと、たとえば別の土地を与えられて、そこに移るように申し渡されたりする。しかしそういうことがうまく行かないと、もっとも強い処置は「破門」である。こういう裁判所は教会が運営しており、判事は司教や司祭だったのである。
しかしこう聞いても、頭の中は疑問だらけになる。破門というからには、まずは入信があったはずである。ハエやバッタたちはいつ入信したんだろうか。
疑問は尽きないけれど、ともかく司教たちが火のついたロウソクを地面に投げつけ、踏みつける破門の儀式を行うと、あら不思議、昆虫たちはおそれをなして逃げてしまうのだそうだ。(実際には、裁判にものすごく時間がかかるので、昆虫たちは食料を食べ尽くして移動しただけだと思われる)。
読んでいると頭がバグってくるけれど、いったいどうしてこんなことを大真面目にやるのだろうか。
ヒントは動物裁判が始まった時期が13世紀ごろだったことにあるという。また、それがもっとも多くなされたのが16〜17世紀だったこともヒントになる。そして、動物裁判をおこなうエリートたちから、動物裁判に対する否定的な意見はごく一部だけでほとんどなかったという事実も大いに関係があるという。
まず、動物裁判が始まったのは、なぜ13世紀だったのだろうか。
池上さんによれば、鬱蒼とした森の世界だったヨーロッパで、森を耕地に開拓する作業が終わったのがこの頃らしい。これまで森というのは人々に魔を感じさせる恐怖の対象だったのが、13世紀頃にはそれがなくなり、その魔的なものは個々の動物や人(魔女)に移され、悪魔にそそのかされた動物や人という考え方が出てくるのだそうだ。そうすると、動物たちは悪意という「意図」を持って行動していることになり、つまり「人格」があるということになる。
このころ「中世合理化運動」という中世のあらゆる局面に影響を与えた運動があったという。この中では、エリートたちにとって、動物も人間の理性(=法)のもとに管理したいというものになる。こういうエリートたちにとって、動物裁判は非合理なものではなかったのだという。
一方、民衆の側にとっても、アニミズム的な発想から、動物も人間と同じと考える擬人化が行われており、悪いことをした動物が罰せられることに違和感はなかった。
こうして、エリート側と民衆の思いはすれ違っているものの、結果については違和感もなく一致しているので、動物裁判は何世紀にも渡って続いたのだそうだ。
そして民衆への合理主義への啓蒙的な活動が盛んになるにつれて、動物裁判も盛んになった。しかし民衆側への啓蒙活動が完了した時点(中世の合理化運動が科学的啓蒙活動に転化した時点)で、動物裁判は終了を迎える。まるで燃え尽きる少し前のローソクが最も明るく輝くみたいな感じで、16〜17世紀にピークを迎えるのである。
なお、この過程は、魔女裁判とも一致するという。魔女裁判では、動物ではなく人が悪魔にそそのかされるのであるが、やはり、16〜17世紀にピークを迎える。魔女裁判にも動物裁判と似たような思考があるのだそうだ。
結局、動物裁判は自然を理性で征服する合理主義が席巻していく過程で生じたあだ花のようなものだったようだ。
一方、自然と共生するような感性の日本では、こういうことは起こり得ないことなのだという。まあ、そうでしょうね。というか、こんなことはヨーロッパだけでしょう。
★★★★☆