ウォルター・アイザックソン 訳・井口耕二 文藝春秋 2023.9.10
読書日:2024.3.13
著名人の伝記を次々発表するウォルター・アイザックソンの最新作であるイーロン・マスクの伝記。
ウォルター・アイザックソンといえば、著名人の伝記を次々発表していて、いちばん有名なのはアップルの「スティーブ・ジョブズ」だろう。この本のおかげで、「現実歪曲フィールド(or空間)」という言葉が一般化してしまった。
最近では「コードブレーカー」という本でキャスパー・キャス9でノーベル賞を取ったジェニファー・ダウドナを主人公にノンフィクションを発表している。
驚くのは、主人公の周囲にいる人のほとんどすべての人に対してインタビューを成功させていることで、それはその人を嫌っていたり、敵対しているような人に対しても成功している。おかげで伝記に厚みができるわけだが、アイザックソンはまるでどんな人とも関係を築けるようなのだ。よほど誠実な人物なのだろう。
そして、アイザックソンのスタイルのもっともたるものが、本人と長期間にわたって行動をともにして、その実情に迫るというスタイルで、おかげでアイザックソンの伝記は前半がそれまでの生い立ちだが、後半は最近の出来事のドキュメンタリーという二重構造になっている。何しろ有名人の人たちだから、彼らの日常自体がすでに波乱万丈で、「コードブレーカー」では、中国でこの技術を使ったデザインベビーが生まれたり、コロナ・パンデミックが起きたり、なにより最後にはダウドナがノーベル賞を取ってしまったりした。
この二重構造はこのイーロン・マスクでも遺憾なく発揮されていて、後半のハイライトはツイッター(現X(エックス))の買収とそのリストラの話だろう。そしてこの本で一般化した言葉が、イーロン・マスクがときどき陥るという「悪魔モード」だろうね。
イーロン・マスクは、本人が認めるように共感性に乏しいアスペルガーであり、子供時代は父親から虐待的な扱いを受け、友達を作るのが苦手なのに寂しがり屋で自分の周りに家族を常に置きたがり、たくさんの女性に子供を作らせて自分の周りに置いている。ただし女性については、関係をつくるとほぼ放ったらかしで、関係をメンテナンスすることもあまりないようだ。すぐに離婚となるのはそのせいだが、不思議なことに関係が完全に切れることもない(たぶん子供のおかげ)。
親族にリスクを偏好する人たちが多数いて、マスクのリスク好きは遺伝のせいでもある。ゲーム好きで、プログラムのコーディングもゲームがやりたかったかららしくて、プログラミングを覚えると、自分でもゲームを作っている。ゲームは戦略的なゲームが好みで、システムの中でどのようにすれば高得点を取れるかを集中的にやり込むことで獲得し、すぐに達人の域に達してしまう。
そして、実際のビジネスでもまったくゲームと同じように取り組んでいて、集中的にやり込むというモードを次々に繰り出して(アイザックソンはシュラバと呼んでいる)、短期間に成果をあげることを繰り返している。生きていくために、このようなリスクを取る超ストレス状態が常に必要で、何かをやり遂げると次の目標を無理矢理にでも作り出してしまう。障害があっても、物理的な第一原理に反しなければ、すべて無視する。とくに人間が作った規則は無視しがちである。
こういったマスクの特徴だが、わしがいちばん興味を持ったのは、マスクが取り組んでいるのが「製造業」だということだな。お金を稼ぐだけなら、他のテック会社のように、情報だけを扱っても良かった。実際、最初にお金を稼いだのは、情報システムの構築だったのだから。GAFAMのなかで一番マスクに近いのはアップルだろうけど、アップルはデザインだけで自社工場で製造しているわけではない。でも、マスクは実際にロケットを製造しているし、EVも自分で作ることにこだわっている。
それは単純に、他に外注して作れるものなど扱っていない、ということもあるのだろうけど、やっぱり世の中を変えていくのは情報だけでなく、実物なのだということを信じているんだろうなあ、と思う。だから、情報しか扱っていないツイッターを買ったけど、なんとなくつまらなさそうだ。
工場に住み込んでいろいろ改善していくのが好きで、そんなマスクを見ていると、なんかスズキ自動車の鈴木修氏を思い出す。マスクの得意技は余計なものを省くということで、製品でも工場でもなにか省けないかといつも目を凝らしている。省きすぎて失敗して、少し戻すくらいがちょうどいいんだそうだ。鈴木修氏も余分なものを省く名人で、「重力はただ」が合言葉だけど(物の動かすときには動力を使わずに重力の落差を使って動かせという意味)、マスクはITもAIも理解している新時代の製造業者だなあ、と思う。
マスクは材料の種類も省いて、特殊な材料を使うのを嫌って普通のステンレスを愛用しているという。ロケットもそうだし、自動車もそうしてしまった。
省く、の中には人ももちろん入っていて、ツイッターを買ったときも、人が多すぎると言って、社員数を4分の1以下にしてしまった。でもツイッター(現X)は今もつつがなく動いていて、マスクの見立てが正しいことを証明している。少数精鋭が好きで、しかもその少数も中身を変えることに躊躇しない。
マスクの写真がたくさん載っているけど、ブヨブヨに太ったり、逆にダイエットして痩せてすっとしたりしていて、なんだか健康状態が不安だな。超ストレス状態に身をおかないと生きていけないようだけど、こんな調子ではなんかあまり長生きしないような気もする。長生きしたら長生きしたで、父親のエロールのように、妄想と陰謀論にとりつかれるような気もするなあ。
なんとも危なっかしい人だけど、人類からアスペルガーが進化論的になくならないのは、アスペルガーが人類の役に立つからなんだろうね。なにより、マスクが人類文明的な視点から考えるアスペルガーだったのは、幸いでした。
★★★★☆