ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

力と交換様式

柄谷行人 岩波書店 2022.10.5
読書日:2023.3.8

人類の歴史はその交換様式で区別でき、そのスタイルは4つしかなく、いまは商品や権力に関連した交換様式が強いが、将来は個人に関係した交換様式の世界になると主張する本。

最初はそれがどうしたという感じで読んでいたが、次第にこれは未来を考える上で強力なツールになるような気がしてきて興奮してきた(笑)。

とりあえず、柄谷さんの主張を見ていこう。

柄谷さんはマルクスエンゲルスを思索の中心においている人らしく(なんかこういう人が多い。まったくこの二人の影響力には驚かされる)、人間の歴史は下部構造の経済の「生産様式」で語られると思っていたが、それ以上に「交換様式」を考えることでもっと幅広く思考できるということに気がついたのだという。

具体的には交換様式は次の4つがあるのだという。

A:互酬(贈与と返礼)
B:服従と保護(略取と再分配)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:Aの高次元での回復

人類が狩猟採集生活をして移動する生活をやめて定住するようになってから、このような交換をすることで社会生活を営んできたのだという。
定住以前の人類は、平等で全ての収穫物は平等に分配されていた。なぜなら、蓄積ということが不可能だったので、分配して消費してしまうより仕方がなかったからだ。

ところが定住するようになって、まずAが発達した。近隣の部族間の交流を持続させるために、何かを贈ったり、贈られたりするようになった。定住以前の社会では、もしも部族間でなにかトラブルがあっても、ただ別の場所に移動すればすんでいたが、定住するとなると近隣の部族間で調整が必要となる。なので、関係を作っておくということ自体が重要になるからだ。お互い関係を作ること自体が目的だ。この状態ではまだ人々は平等で、首長は絶対的な力を持っているわけではない。

ところが農業が発達して、蓄積が可能な穀物が農業生産の中心になってくると、国家というものが出現するようになる。このとき交換するのは、Bのような様式で、王に服従するかわりに王は保護を与える。穀物は税としていちど徴収され、王により再分配される。これはAの水平な交換様式が垂直に展開されたのだという。こうして権力が生まれる。

さらに異なった地域間、国家間の交換を行うために貨幣というものが誕生し、Cのように貨幣と商品を交換するようになる。Cは初めは大きな力を持っていなかったが、産業革命が起き、資本主義化すると、Cの商品と貨幣の交換様式が全てを規定するようになる。こうして、国民国家が成立し、国家は国民を教育して、労働者として資本の役に立つように供給する。また、労働者は消費の主体として資本主義を後押しする。

こうしてBの交換様式による国家や帝国、あるいはCの交換様式による資本が力を持つようになると、それを超えた普遍的な価値観で、Aの水平的な結びつきを回復させようという動きが出てくるという。それがDの交換様式だが、これまでも超国家的、普遍的な価値観として出現しているという。たとえば国家を超えた世界宗教がそれだという。キリスト教、仏教、イスラム教のような宗教だ。これらの宗教は権力や貨幣の力を否定し、個人を回復させるような存在だ。

A、B、C、Dのような交換は、いつの時代も存在していて、どれが一番強くなるかというのは、その時々の歴史の流れによるようだ。現在はCの交換様式が他のすべてを規定しているような状況だが、いつまでもこの交換様式が続くというわけでもなさそうだ。

Cの交換様式では、この交換様式の特徴である貨幣経済が行き詰まると、恐慌という経済崩壊や、あるいは戦争といった方向に行きやすいという。これを克服するDのような交換様式のアイディアはすでに出ている。それはカントのいうような、国家を超えた世界政府のような考え方で、いまのところ、国際連合はまだCのような交換様式を克服するに至っていないし、戦争と恐慌の時代はまだまだ続きそうだ。しかし、柄谷行人は、いづれDの交換様式の世界が来ると信じているようである。

柄谷行人のDの交換様式は、いまいち何と何を交換するのかよく分からないところがある。Aの高次元の回復というだけではよく分からない。だが、たぶんそれは、国家でも資本でもない(BもCもなくならないが)、個人の平等と尊厳の回復ということなのではないだろうか。次の時代はDの交換様式の時代という主張は、ある種のリトマス試験紙のような役割を果たすだろうし、参考になる。

それにしても、この本の約半分は、誰が何を言ってるとか、マルクスはここまで視野に入れた思考をしていたとかの、過去の確認に費やされているのは、ちょっと驚く。マルクスに関しては、膨大なテキストが残っているし、いまではマルクスのノートも含めた膨大な全集が発表されているから、検索すればどんな思想の種も発見されてしまいそうな気がするけどね。そんなわけで、そんなに重大かなあ、という気もしてしまう。まあ、ともかく、マルクスは物と物の交換には単なる効用ではなく「霊(フェティッシュ)」が宿っていると資本論で述べているんだそうで、それがこの論考の出発点になっている。

でも柄谷さんが、最近の文献もよく取り込んでいて、「反穀物の人類史」や社会脳仮説なんかも取り込んでいるのには感心した。なにしろ、柄谷さんは御年80歳なんだそうで、80歳でこんな本を発表するなんてすごすぎる。しかも、とても読みやすい文章なんだから。頭のいい人の文章は読みやすい。

★★★★★

 

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