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貧農史観を見直す

佐藤常雄 大石慎三郎 講談社現代新書 1995.8.20
読書日:2020.8.12

時代劇などに出てくる貧しい農民の姿は事実ではなく、日本の農民の生活は豊かだったと実証する本。

どこかでこの本のことを知り、読まなくてはいけないリストに入っていましたが、夏休みになってやっと読みました。

この本には江戸時代の百姓のリアルな生活が収められてあって、体制の中でどんな存在だったのかとか、どんなふうに管理されていたのか、などが書かれています。その中でわしの関心のあるのは、百姓がどのくらい豊かだったのか、という点だけでして、それが書かれてあるのは、第3章の40ページほどです。

それによると、江戸時代の初期は新田開発や治水工事などの費用を負担するため、かなり税金が高かったようですが、開発が一段落すると、税金は安くなっていきました。17世紀にいったん村の生産量を測定して、村ごとの産出量を測定し、それに対して20〜30%ぐらいの税率だったようです。その後、その産出量の再測定は江戸時代の間行われませんでした。つまりこのときに税金は固定化されたのです。

その後も、農業技術が発展し産出量は増えていきましたが、納める税金は変わりませんでした。しかも農村では換金化がしやすい高付加価値の農作物(綿や生糸など)やあるいは加工品などの生産も行われましたが、それでもおさめる税金は変わりませんでした。その結果、実質の税率はどんどん下がり、中には税率は10%を切るの村も多数あったようです。累進課税なんかはもちろんありません。なんて羨ましいんでしょうか。

こんな感じですから、農村の富は増え、経済力は上がり続けました。衣食住はもちろんですが、祭りや芸能などの遊びが充実しました。年間のお休みの日数は30日〜40日ぐらいあり、中には60日お休みがあった村もあったといいます。昔の日本では、若い男は若者組という組織に入って、一緒に過ごすのですが、その若者たちは若者らしいむちゃをする一方、歌舞伎、踊り、獅子舞、相撲、花火などのイベントをしょっちゅう行っていたようです。

侍が農村に行って監督するなんてことはまったくありませんでした。決められた税金さえ払えば、村に干渉することはなかったのです。農民は自分たちで村の中を治めていました。高度な自治を持っていたわけです。自治を行わなくてはいけませんから、村を治める庄屋は少なくとも読み書き算盤をできなくてはいけませんでした(藩への報告の義務があった)。なので、各村に少なくともひとりはそのような教養を持っている人がいたわけです。

というわけで、江戸時代の日本国民3000万人は、概ね豊かな生活を送っていたようです。また宗教的なしばりは一切なく、物質的で、享楽的な人生を送ったようです。中村元の言ってたとおりですね。

★★★★☆

 


貧農史観を見直す (講談社現代新書)

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