間宮改衣(まみや・かい) 早川書房 2024.3.10
読書日:2024.5.1
(ネタバレあり。注意)
機械の体になる融合手術を受けて歳を取らない身体になったわたしが、亡くなっていった家族の話を語り、本当の自由を得るまでの物語。第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。
近頃、純文学の分野ではちょっと不思議な感覚を出すためにSF的な発想を加えることが普通になっている。SF的なものが蔓延していると言ってもいい。それ自体は喜ばしいことなのであるが、一方で、これぞSF、と言えるものがなかなか出てこなくなったような気がする。(あんまり小説を読んでいないわしが言うのもなんですが)。
この作品はSFコンテストに応募しているのだからSFのはずなのだが、最初はちょっとSFっぽい純文学との違いがよくわからなかった。なにしろ話の中心はあくまで家族で、家族の話を機械の身体になったわたしが語るものなんだから。でも読み終わって、確かにこれはSFだと思った。でも、わしがこの作品をSFと認定した基準はなんなんだろうか、いったいSFと純文学の違いってなんだろうかと考えてしまった。
わしはあまり小説の類を読まないので、これはわしの勝手な推測なのだが、SFファンがSFかどうかを判断する基準は世界観を提示しているかどうかなのではないか。純文学は人間に興味があって、これまでにない人の新しい精神世界を見せてくれるものだ。しかし、SFは人間にももちろん興味はあるが、人間をとりまく世界自体にも強い興味がある。そこがしっかり書かれていれば、SFファンはSFと認めるのではないだろうか。この本でそういった内容が語られるのは小説の後半である。
お話はまず現代の2022年から始まって、101年後までが語られるのだが、ほとんどは九州の誰もいない山の中の生活なのだ。そして、すべての家族が死んだのち、名前不明の「わたし」は家族史を書いていたが、やがて故郷を離れて、人が集まっている秋田県能代まで歩いていく。理由は他の人とおしゃべりしたくなったからだそうだ。
能代に人が集まっているのは、そこが未来の日本の宇宙基地になっているからで、人類は環境が悪化した地球から別の惑星へ移住しようとしていたのだ。
100年後の日本人のメンタリティはどうなっているかというと、人工知能と融合して、超リベラルになっている。それで、彼らは彼女を助けようとするのである。なぜなら彼らは、彼女の書いた家族史を読んで彼女が家族から虐待されてきた、と認定したからである。リベラルな彼らはこのような弱者を絶対に見捨てないのだ。そして専門のカウンセラーすら付けるのである。
結局、彼女が2022年に融合手術を受けさせられたのは、子供の頃から性的に虐待してきた父親が、25歳でまだ幼さが残る彼女の身体をそのままの姿で残そうとしたからだった。ところが、機械の体になってしまうと、可愛らしさはそのままだったが、身体は冷たく、固くなってしまって、父親の方はこんなはずじゃなかったという羽目になる。(まあ、いわゆるアトム問題)
父親の死後、彼女は自分のことが好きだという甥のシンちゃんと一緒に暮らすようになるのだが、カウンセラーを受けているうちに、実は自分がシンちゃんを虐待をしていたことに気がつくのである。自分がされてきたそのままに。
シンちゃんには他に恋人がいたのに、彼女は彼が一番すきだという嘘の笑顔で、彼をとりこにしたのである。そしてシンちゃんが100歳で死ぬまで、ずっとその状態を続けたのだ。死なない身体の彼女にとってそれはあっという間だったそうだ。ある意味、それは彼女の復讐だったのだろう。死なない身体になると、時間を武器に使った復讐ができるのだ。
未来のカウンセラーは記憶を人工的に調整してトラウマを消し去り、一緒に系外惑星へ移住しようと提案する。だが彼女はそれを断って、地球に残ることを選ぶ。
家族が全員亡くなったいまこそ、彼女は自由になったのである。そして、未来の日本は超リベラルで、ある意味で幸福を強制する社会だ。これは彼女の目指す自由ではない。
今後、彼女は自由に歩いて旅をするつもりだという。手術から100年後の今、彼女の身体をメンテナンスする技術はすでになく、彼女の身体は遠からず動かなくなることは確実である。たぶん、どこかで身体は動かなくなり、野垂れ死ぬことになるだろう。でも彼女はいま、野垂れ死ぬほど自由なのである。たとえその自由な時間が短いとしても。
言葉の使い方にも工夫がある。最初は家族史が漢字が少ない言葉で書かれているが、書いている彼女が漢字を書くのが面倒だからだそうだ。きっとすでに機械の身体が壊れかけていて、生きている脳も劣化しているのだろう。次の能代にいるときの記録には、漢字がすべて記載されている。これは、彼女の話した内容を機械が書き起こしているからだ。そして最後に彼女がひとりになってからの文章は、すべてひらがなである。もう漢字は書けないほど劣化しているのだ。このような言葉の表現を使った手法は、SFでは「アルジャーノンに花束を」以来、使われている伝統的な手法だ。
内容はまさしく特別賞にふさわしい作品。このまま間宮さんが純文学に進まず、SFの世界に留まってくれますように。
★★★★★