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個人投資家目線の読書録

農家はもっと減っていい 農業の「常識」はウソだらけ

久松達央 光文社新書 2022.8.30
読書日:2023.2.22

28歳のときに農業に新規参入して実地で農業を見つめてきた著者が、世間が抱いている農業の常識は幻想だと喝破し、小さな自営業の農業が生き残っていくのに必要なのは競争することではなく、ファンを増やす最愛戦略を駆使することで、勝つのではなく負けないことを目指すべきだと主張する本。

久松農園は、農作業の人数が4人で、出荷チームが3人の7人体制で、とれたて野菜をネットで直接販売して、年間5000万円ほどの経営規模なんだそうだ。顧客数は毎週送るのが30件程度、隔週が70件、月イチが30件ほどらしい。そのとき一番いい旬な野菜をみつくろって送るのが基本で、顧客は送ってほしいものを選ぶことはできない。いちおう有機栽培なのだが、有機栽培を売り物にしているわけではないそうだ。

ネットを使ったスモールビジネスということになるが、ビジネス戦略という意味では、通常のスモールビジネスとほぼ重なる。つまり、ファンである固定客をがっちり掴む粘着性のあるビジネスを行うということである。というわけで、農業も他のビジネスと何ら変わりがないというのが久松氏の主張である。

ただ農業にはネットビジネスでよく使われる差別化戦略は使えないのだという。

通常のスモールビジネス戦略では、一部に熱狂的なファンがいる一方で、市場規模は大手が参入するには小さすぎる商材を見つけることができれば、成功の確率は非常に高くなる。しかし農業ではこの手法は使えないのだそうだ。なぜなら、たとえ一部に根強いファンがいる珍しい野菜を見つけたとしても、ある程度の技術をもつ農家なら簡単に栽培できてしまい、たちまち市場は飽和して、優位性はなくなってしまうからだそうだ。農産物はどこまで行ってもコモディティなのだという。

商品で区別ができないということになると、誰から買うか、という売り主の区別が大切になる。というわけで、ファンになってもらうための久松農場の戦略が(1)自分の悪いところも正直にさらけ出し、(2)自分が自信をもって自慢できる野菜をドヤ顔でおすそ分けするような感覚で売り、(3)SEO検索エンジン対策)のような姑息な手段を使わずひたすら事業を磨くこと、なんだそうだ。まあ、つまりは自分自身のブランド化ということである。これは、なんというか、極めて普通である。

というわけで、ビジネスとしては農業も普通のビジネスと変わらないわけである。ところが、これが農業というだけで、特殊な状況になるのである。

一つには、安いコストで農地を所有できる農地法や農業振興のための補助金などの、政治的な問題がある。

普通のビジネスならば、事業は強いプレーヤーにどんどん集約化されるはずであるが、農業では、ほとんどの農家が売上が500万円にも満たない零細農家であり、赤字なのになかなか集約化が進まないのだそうだ。というのは、ほとんどの農家は年金をもらっている高齢の農家であり、利益は関係ないからである。これは家賃のいらない自宅で飲食店をずっと続けるような場合に近いそうだ。農地法により、所有のコストが安いうえに、なにかの機会に宅地や公共的な目的のために売ることが可能なので、農業をしていなくても農地として保有し続けて、集約が進まないのだという。

しかも世間的には、零細な農家は弱者であり、保護しなければいけないという雰囲気がある。食料自給が問題になると、なぜか生産力をアップする集約化ではなくて、農家をもっと増やそうという話になる。

というわけで、著者はほとんどの農家は業(ビジネス)として機能していないので、農家はもっと減っていいという主張をしている。実際には、スピード感を持って集約は進まないかもしれないが、高齢者はどんどん亡くなっていくから、遅かれ早かれ集約は進む方向らしい。まあ、30〜50年ぐらい経てばという話ですが。久松さんは遅すぎると思っているかもしれませんが、政府はそれまで待つ気満々のようです。

もう一つ、農業が普通の事業と異なるのは、グリーンやエコだったり、健康的なイメージだったり、さらには自然と親しむ癒やしのようなヒーリングのような独特のイメージがあること。それが勘違いを生む。

たとえば農業を始める人の中には、かなりの確率で組織の人間関係に疲れた人が、人間関係は必要ないという幻想を抱いて始める場合がある。そして儲けはそこそこで、自給自足的な環境に満たされる世界を空想しているわけだが、実際には自営業なので、むちゃくちゃ人間関係構築力が必要なんだそうだ。農業はいろんな関係者のサポートで成り立っていて、その関係を構築、維持する必要がある。

さらには、学び続けないと維持も難しく、そのような学びや新しいプロジェクトのためのネットワークを構築する必要もある。

農業をやっている人のほとんどは科学知識に乏しくて、自分で考える力がなく、周りの人のやっていることを真似しているだけなんだそうだ。その一方で、農業に変態的に取り組んでいる人も日本中にはたくさんいて(笑)、そういう人と付き合うと、学ぶものがたくさんあるという。あるとき、種を植える深さをミリ単位で揃えないと、発芽のタイミングが狂って、最終的には作物が同じ時期に取れなくなると注意されて、そこまでやるのか、と驚いたのだそうだ。

著者はこのようなネットワーク構築力を「座組み力」と呼んでいる。

さらには、有機栽培やオーガニックという言葉のイメージも問題で、オーガニックだから特別に健康に良いとか安全ということはないのだという。たとえ農薬を使っているような普通の栽培でも、今の農産物は十分安全で、残留農薬などはほぼないのだという。著者が有機栽培をしているのは、単にそっちのほうが面白いからだそうだ。

久松さんによれば、自分だけが頼りの自営業には特有の問題があるという。それは自分を大切にしないことなのだそうだ。つまり、頑張りすぎてしまい、身体や心を壊してしまう人がたくさんいるんだそうだ。実は著者もその罠にハマって、あるとき身体が動かすことができなくなって、精神科に通ったそうだ。それからは自分だけで無理はせずに、人を雇うようにしたのだそうだ。そして、毎朝ストレッチをしっかりしないと仕事ができないのだという。

この辺は、「失敗のしようがない 華僑の起業ノート」に通じるものを感じるな。華僑は考える人と実行する人を必ず分けるようにするそうだ。

わしも農業には多少興味がある。

しかし、わしがやってみたいという農業は自営のために農業ではなくて、放っておいても作物がなるような方法を試してみたいのだ。ほったらかし農業である。不耕起のもっとすごいやつというか。何しろわしの投資もほったらかしに近いですからのう。

そういう手間をかけない農業が可能なのかどうかをやってみたい。雑草も取らないし、もちろん肥料もやらない。しかし、雑草も取らないような方法は貸し農園じゃ、手入れしていないと怒られそうだし、虫がたくさん発生して苦情が来るかも。

そうなると、それなりの田舎でやるしかないだろうが、それも引っ越さない限りなかなか難しい。というわけでちょっと無理かな。

ところで、この本の表紙の写真だが、なんかちょっとあざといなあ。まあ、別にいいけど。

★★★☆☆

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