ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

いままで起きたこと、これから起きること。 「周期」で読み解く世界の未来

高城剛 光文社新書 2022.8.30
読書日:2023.3.24

高城剛が世界に起きている周期を読み解くことによって、これから起きることを予測する本。

わしの出自がエンジニアのせいか、周期で説明しようという話を聞くと、どうも眉唾な印象を受けてしまう。何かを説明するときにいろんな周期をいろんな重みで合成すると、いかようにでも波形を作れてしまうからである。使う周期の波の数は多ければ多いほどよろしい。その方が合わせやすい。こういうのはパラメータ・フィッティングといって、十分な数のパラメータがあると、本当にどうとでも合わせ込みができてしまうのである。

市場の予測にも、よくコンドラチェフの波動がどうしたとかという話が出てくるが、わしはどうにもイマイチだと思ってしまう。波動が発生する理由は科学技術のパラダイムシフトで、新しい技術により景気が移り変わるという説明自体は悪くはないと思う。でもそれは定性的には、であり、いつ景気がどうなるか、というような具体的な部分については使えないと思う。

というわけなのだが、高城剛は十分根拠があると考えているのであろう。彼は歴史上に登場したいろんな周期についての知識を披露してくれるのである。

その中にはけっこう、おっ、と思うのもあった。例えば、地球の気温は地球の軌道や歳差運動などの影響を受けているという説があり、それによれば2050年から地球は寒冷化に向かうんだそうだ。なるほど。じゃあ、何もしなくても二酸化炭素による温暖化の問題はなくなってしまうかも知れないんだ。これはちょっとした注目点ですね。軌道や歳差運動は、測定可能である点が大きい。

しかし高城さんの興味は温暖化なのではなく、政治経済的な関心があるようだ。

高城氏が推しているのが、地政学者ジョージ・フリードマンの唱える80年周期説だ。アメリカのこれまでの政治の歴史は80年ごとに変わっていて、それに50年周期の社会経済的サイクルが存在して、これが合わさって歴史が動いていくという。これによれば、2025〜2030年は両方のサイクルが下の方になるので、なにかやばいことが起きそうだ、ということになる。

もうひとつ80年周期説があって、それはストラウスとハウの80年周期説で、20年ごとに世代が循環し、一周するのだという。それぞれの世代の特徴を「英雄」「芸術家」「預言者」「遊牧民」で分けている。そして社会的には春、夏、秋、冬とめぐるという。この予想でも、いまは冬の時代(危機の時代)で、2030年までそれが続くのだという。

それから投資家のレイ・ダリオの「覇権国家の250年サイクル説」は250年ごとに覇権国家が変わっていくというもので、アメリカは2026年に建国250年を迎えるので、転換点になるかも知れないという。(建国時はアメリカは覇権を握っていなかったから、建国のときからカウントするのは間違っているのでは?)。

というわけで、2020年代はなにかヤバそうなことが起きるというのですが、高城剛は今後何が起きるというのでしょうか?

アメリカの覇権が終わる! そして世界は多極化する!

以上でございます。(苦笑)

いやー、これって予言というか、これまでもさんざん言われてきていることで、わざわざ周期説を持ち出さなくてもいいことですよね。

このアメリカがやばいということを補強するために、エマニュエル・トッドの「帝国以後」という本を引用しているんですけど、エマニュエル・トッドはまったく周期を唱えていませんからねえ。そうなると、周期説は必要なくて、エマニュエル・トッドだけでいいんじゃないかって気がしますけど。

それでアメリカの覇権が終わったらどうなるか、いろいろ予想を書いているんですけど、ドルが没落するとか、代わりに暗号通貨が幅を利かすとか、まあ、あんまり大したことは書いていません。アメリカの内戦というのはあり得るからこれは要注意かな。

スイスのツークという村がクリプトバレー(暗号バレー)と呼ばれていて、これはスイスの銀行が匿名で資産を預かってくれなくなったのに対応して、ヨーロッパの貴族が新しく資産を匿名で運用できる制度を目論んでいるのだという点は、なるほどと思いました。まあ、なるほどと思ったのはここだけなんですけどね。

どうもこの本を読む限りは、将来を予測するには、世の中を素直に見たほうが、なまじ周期説を検討するよりも確かな気がしました。

★★★☆☆

マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険

スザンヌ・シマード 訳・三木直子 ダイヤモンド社 2023.1.10
読書日:2023.3.23

森の木たちがマザーツリーと呼ばれる古い木を中心に地下の菌根菌の菌糸でつながっており、水や炭素などを融通しあっていることを証明して、森の見方を一変させたカナダの生態学者の回想録。

この本に書かれてある実験を、わしは何かの記事かTV番組で見たことがある。

2つの木の根を共通の菌根菌でつながった状態にしておく。ここで、一方に光合成ができないようにカバーをかけておく。光合成ができないので、普通ならば枯れていく。ところがもう一方の木が菌根菌を通して栄養を分け与えてくれるので、カバーをかけられた木も枯れずに生き延びることができるのだ。この実験ほど、木たちが助け合っていることを明確に示す実験はないだろう。

こうした木たちが地下でお互いにつながって助け合っているという実験が、実はひとりの生態学者が初めて行ったものだとは知らなかった。それが著者でカナダの生態学スザンヌ・シマードなのだという。

いまでは世界的に有名らしいスザンヌ(スージー)・シマードだが、全然エリートでもなんでもないのである。木こりの家系に育ったスージーは、オレゴン大学在学中から一般の木材会社にアルバイトで働く。だが皆伐というすべての木を伐ってしまうという現代企業のやり方に嫌悪感を覚えて、こういう方法をやめさせたいという思いが研究のモチベーションになっている。

森を見ていた彼女は木どうしが菌根菌(きのこの一種)を通してつながっているのではないかという洞察を得る。しかし、このときはまだ菌根菌のこともまったく知らず、図鑑をみながらこつこつと実地で菌根菌のことを調べ始めた程度だった。大学を卒業して木材会社に雇われることを目指したが、アルバイトをした木材会社には雇われなかった。そのときには非常に落ち込んだが、たぶん、これは彼女にとって幸いなことだった。

あちこちに履歴書を送っても成果はなく、スイミングのアルバイトをしていると、知己(ちき)を得ていた森林局のアラン・ヴァイスが政府の研究の仕事を回してくれ、やがて森林局の正規職員になる。しかもアランはスージーに科学的実験の手法を教えてくれたのだ。さらにアランはスージー修士への進学を後押ししてくれ、研究者の道を進むのである。

木どうしの関係がはっきりしない研究が続いたあとで、博士課程の研究で、スージーは一か八かの実験をする。アメリカシラカバとダグラスファーの菌根菌がつながった状態で、一方に炭素14を、もう一方に炭素13で光合成をさせて、その炭素が相手の方に移っているかを確認する実験を行ったのである。すると、見事に、炭素を交換していることが分かったのである。これは決定的な証拠だった。しかも同種でなく、種の垣根を越えたやり取りが確認できたのだった。この実験は1997年にネイチャーに掲載されて、数千回引用され、彼女の名前を一躍知らしめることになったのである。

その後、ブリティッシュ・コロンビア大学の教授になり研究を続け、スージーはマザーツリーの概念にたどり着く。マザーツリーは若い木を積極的に助けるているのである。マザーツリーが主に助けるのはやっぱり自分の子どもたちなのだが、種を越えても助け合う。こうして、地下の世界を通じて、森の木々は助け合って、何の助けもない場合よりもずっと早く、豊かに広がって行くのである。

いま、森の地下でどのようなネットワークが築かれているのか、細かい地図が作られて、様々なことが分かりつつある。木たちはいろんな物質、たとえば神経伝達物質も交換していて、なんらかの知性があることを示唆しているというのだが、いまのところもちろん仮説である。だが、森というのは個別の生物の集まりというより、一個のスーパー生物だと考えるなら、ありえるのかもしれない。

いまでは彼女の研究が理解され始めていて、すべての木を伐る皆伐や除草剤(必要ないとされた雑木も枯れさせる)は行われなくなる方向に進んでいるという。

まあ、こういった研究の進展が述べられている間に、著者自身の人生がけっこう赤裸々に語られている。スザンヌは驚くほど家族や親戚、友人との人間関係をずっと維持する人なのである。まるで森の木たちのようで、森のネットワークをイメージする人のメンタリティとはなるほどこういうことかと、ちょっと納得感がある。

具体的には、家族兄弟の絆が非常に深い。最初の方の研究では、家族に協力を要請して、姉のロビンや弟のケリー、さらには父親にも、いろんな仕事を手伝ってもらっている。たぶんこれは、得た研究費を家族の間で回そうとしているのだと思う。そりゃどうせお金を払うんなら身内の方がいいよね。ケリーが事故で亡くなっても、ずっとケリーのことを思い続けて、ケリーの子どもたちとの付き合いは切らさない。

両親は離婚しているんだけど、どっちともスザンヌは深く付き合っている。そして自分は修士の頃に学生結婚したが、彼女の研究の仕事が忙しくなりすぎて、結局、10数年後に離婚してしまうんだけど、その元夫との関係も切れていなくていまでも結構会っているみたいだ。ちょっとびっくりなのは、離婚して作った新しい恋人は女性である。(最近、このパターンを聞くことが多い気がする。恋人はネイティブアメリカンの人かな?)。ガンにもかかって、闘病生活も経験しているが、たくさんの人が彼女のそばにいた。古い友人のジーンともずっと一緒だ。

こういった細かい人間関係がくどくどと書かれているのが特徴で、内気ではっきりと意見の言えなかった彼女が人間的に成長して、いまでは自分の意見をTEDで講演して、たくさんの再生回数を誇るまでになっている。娘もいまでは生態学者を目指しているんだそうだ。

面白かった点としては、彼女は小さいときに土を食べる子供だったんだそうだ。彼女によれば、シラカバの腐葉土が一番甘くて美味しいそうだ。食べてみます?(笑)

★★★★☆

私が陥った中国バブルの罠 レッド・ルーレット 中国の富・権力・腐敗・報復の内幕

デズモンド・シャム 訳・神月謙一 草思社 2022.9.5
読書日:2023.3.17

2000年代に中国で総理だった温家宝の一族に接近し、その伝手を利用して新富豪になったデズモンド・シャムとその元妻ホイットニー・デュアンだったが、習近平の腐敗一層キャンペーンの中で逆風にあい、ホイットニーは失踪してしまうという顛末を振り返った本。

この本はデズモンド・シャムが貧しかった上海から両親に連れられて香港に移住し、アメリカの大学を卒業して、中国に投資をする会社に入るまでの過程がまず述べられている。

もともとは富裕な一族だったが、祖父が中国本土に残るという最悪の決断をしたため、元資本家として差別されて厳しい環境で大きくなった。しかし、そのような中でも、中国への愛国心は根付いていて、中国の発展に寄与したいという気持ちがあって、中国に投資しようとする。

しかしながら、当時の中国では、いい投資先は中国共産党との深い関係がないとできないのだった。なぜなら、ビジネスには大小様々な部署のハンコが必要で、それらすべての関係者とグワンシと呼ばれる「関係」を築き上げないといけないからだった。もちろん中国共産党の幹部と知り合いになれれば、関係はおおいに進むのである。

そういうわけで、アメリカ流の教育を受けたデズモンドはなかなかうまくいかないのだが、そこでホイットニー・デュアンと出会って、意気投合するのである。ホイットニーは強い女性で、自分をちゃんとした仕事のパートナーとして扱ってくれる夫を求めていた。そして彼女は中国ではグワンシが大切とわかっていて、強力なグワンシを作っていたのである。それは後に首相となる温家宝の妻、張おばさんだった。

こうしてホイットニーが強力なグワンシを提供し、実務はデズモンドが担うという協力関係が成立し、二人は結婚し、本物のパートナーになる。

いろいろな投資機会を探すうちに、北京空港の隣接地帯に巨大な保税倉庫(まだ入国していないという扱いで関税がかからない倉庫)を作るというプランを思いつく。しかし、権利関係が入り組んだ複雑な土地に作ろうとしたので、なかなかうまく進まない。だが、地区の役所の大物をアメリカに接待旅行をしたとき、その大物が心臓発作を起こして倒れたのを、デズモンドが病院をうまく手配してその生命を救うという事件が起きた。すると命の恩人というわけで、関係(グワンシ)が一気に進み、事業のための全てのハンコが揃ったのである。

このとき二人は資金の面でも枯渇する一歩手前で、デズモンドは親から借金をしていたくらいなのだが、さほど期待せずに投資していた国有の保険会社が上場して大金が手に入るという幸運も手伝い、危機を脱する。こうして事業が成功すると、二人は数10億ドルの資産を持つ大富豪になる。

デズモンドたちが着々と役人と関係を築いて行き成功していくところは、臨場感たっぷりでとても面白い。もともとデズモンドは上海で育ったので、ベタベタした中国風の人間関係に慣れていたのだが、アメリカの生活でそれを忘れていた。それが、役人とベタベタな関係を築いていくうちに、それを思い出して、さらにそのような関係が心地いいと思えるようになるのだ。こうしたデズモンドの変化は興味深い。

やっと手に入れた富を使って二人はバブリーな行動に走るのだが、成金趣味そのままで、この辺はなかなか微笑ましい。

そのうち、中国ではグワンシを使わなくても仕事ができるような状況になってきたので、デズモンドはそのようなビジネスがしたいと思う。一方、ホイットニーはグワンシ構築が必要なくなると自分の存在意義が問われると思い、ますますグワンシを使ったビジネスモデルに固執し、共産党の幹部候補たちに接近していく。こうして二人の間ですれ違いが生じ、ついに離婚してしまう。

これには香港で、自由を求める学生のデモが起きているなかで、中国政府を支持する側のデモに無理やり参加させられたデズモンドが共産党に失望したという背景も関係している。

その後、習近平が台頭してくる中で、温家宝一族の膨大な資産がアメリカの新聞に報じられて、一気に温家宝の一族の立場が悪くなり、そんな中でホイットニーは突然、消息を絶ってしまうのである。そして、中国では人間が失踪してしまうことは珍しくないのである。デズモンドはアメリカにいたので助かったが、中国にいたらおそらく彼も行方が分からなくなっていただろう。

デズモンドが腐敗にまみれた共産党をあばくこの本を出版しようとしたところ、消息を絶ったホイットニーから突然電話が入り、本を出版しないようにと懇願したそうだ。なので生きていることは確認できたが、それ以降も、ホイットニーはやはり消息不明である。

開放化政策で、多少とも透明化が進んだものの、いまの中国はすっかり元の不透明な社会に戻ってしまったようだ。中国では法律がどこまでも曖昧に作られており、しかも多くの法律が過去に遡及できるようになっている。腐敗防止キャンペーンが行われても、そもそもまったく腐敗しないことは不可能な社会になっているので、誰が投獄されるかはまったく恣意的である。腐敗の証拠がない場合も、どこからともなくその証拠が出てくるような状況なのである。

こういう状況を見ると、中国の未来はあまり明るくないなあと思うんだけど、簡単に崩壊するとも思えないので、困ったことです。

★★★★☆

現代の奴隷 身近にひそむ人身取引ビジネスの真実と私たちにできること

モニーク・ヴィラ 訳・山岡万里子 英治出版 2022.12.20
読書日:2023.3.14

現代の奴隷は麻薬や負債で被害者を抵抗できなくして売春や労働を強制するもので、昔の奴隷と異なり使い捨てのローリスク・ハイリターンのビジネスであり、さらに身近で行われているのに気づかれていないという実態を報告した本。

この本では、実際に奴隷状態に陥ったものの、そこからなんとか抜け出したサバイバーの体験談を中心に書かれている。実際の体験に勝るものはないからだろう。

衝撃的なのは、そのうちの一人のマルセーラの体験談だ。彼女はコロンビアから何も知らずに、なんと日本に連れてこられて売春をさせられそうだ。彼女を奴隷化していたのはヤクザらしい。コロンビアとの間に国際的なネットワークがあるのだ。日本では、彼女は常に泣いていたが、日本の人たちは誰も彼女に関心を持たなかったという。彼女は日本人は冷たいという。こんなことがあるのだろうか。残念ながら、わしはおおいにあり得ると思ってしまった。とくに都会ではそうなってしまうだろう。

彼女はパスポートを取り上げられて、コロンビアに置いてきた娘を殺すと脅されていた。ヤクザたちは彼女を麻薬漬けにしようとしたが、賢い彼女は決して手を出さなかった。薬に手を出していたら助からなかっただろう。

奴隷化の一環として、被害者の自尊心を徹底的に破壊して、自分になんの価値もないと思わせる。マルセーラは何度も「お前は売春婦だ」と繰り返し聞かされたという。マルセーラは逃げ出してコロンビアの大使館に駆け込んだとき、大使館の人が「あなたは被害者です」と言っているのに、「いいえ、私は売春婦です」と言い続けて、自分が被害者だということがなかなか理解できなかったという。

現代の奴隷は使い捨てだが、そうすると新しい奴隷の調達はどうなっているのだろうか。マルセーラは友達に電話をかけさせられ、日本に来るように勧誘することを強要させられたという。こうして次々に奴隷が生まれている。

マルセーラは暴力を受けなかったようだが、アメリカのジェニファーの例はもっと悲惨で、繰り返し強姦されたり、暴力を受けたり、食事も満足に与えられず、シャワーすら使わせてもらえず、床で眠らさせたのだという。多くの被害者が逃げ出したあと、シャワーを使わせてくれと頼むことが多いそうだ。あるいは牛に焼印を押すように、見えるところにタトゥーを入れることも多いという。ジェニファーの場合は恋人に売られたので、精神的にもきつい。

こんな扱いを受けるので、奴隷状態から脱出しても被害者は、とても強いトラウマを抱え、PTSDを患っているのが普通だ。だが、このような奴隷状態に置かれた被害者のPTSDに関する知識がないカウンセラーがほとんどで、心理療法的な助けは得られないことが多いらしい。

そして被害者は、お金がないので万引などをして犯罪記録が残りがちだ。そうなると、せっかく逃げ出すことに成功してもまともな職を得ることができずに、もとに戻ってしまうこともある。

カタールのワールドカップで、奴隷のように外国人労働者を使って問題になったが、本書でもネパール人の男性が借金を背負ってカタールで奴隷化してしまった例が載っている。まず外国に行くのに借金をして手数料を払い、外国に行くとほとんど給料を払われないまま借金が増えていき、債務奴隷化してしまう。これなどは日本の技能実習制度に酷似している。

そして世界中で子供を使った奴隷労働が行われている。

ILOの推計によれば、奴隷状態の人数は世界で4030万人。

どうすればいいのだろうか。

例えば、奴隷化はわしらの身近なところで起きていることが多いので、若すぎる人が働いていないかとか、びくびくしている女性がいないかなどに気をつける、などという方法がある。わしはふだんぼーっと歩いているので、とても気がつくとは思えないけど(苦笑)。

興味深い例としてはクレジットカードのビッグデータを使って、不法な仕事の痕跡を見つけるという方法があるという。たとえばネイルサロンの店で客のクレジットカードによる支払いが夜中から朝までの入金が多い場合は、売春をしている可能性が高いという。

外国人が日本で奴隷になる話が書かれてあるが、日本人が日本で奴隷になる実態の方はどうなんだろうか。

★★★★☆

 

巨神のツール 俺の生存戦略 知性編

ティム・フェリス 2022.10.20 東洋経済新報社
読書日:2023.3.11

週4時間だけ働く」のティム・フェリスが、ポッドキャストで著名人にインタビューした内容をまとめた本(を3分冊にした1冊)。

どうやら週4時間だけ働くと、仕事以外にいろいろな活動ができる時間を捻出できるらしい。有名人になった著者は、新たに作った人間関係を駆使していろんな分野の106人にインタビューを行い、それを本にハック集としてまとめた。ひとり数ページだが、全部で500ページ以上になってしまい、日本では3分冊にされてしまった。

内容からして、どんな順序で読んでも問題なさそうなので、順序をつけずに図書館に予約したら予約が少なかった3冊めの知性編が一番最初に届いた。もしかしたら、1、2冊目を読んだ人が、もういいや、と思って3冊めの予約をあまりしなかったのかもしれない(笑)。が、まあ、やっぱり、どこから読んでも同じだったので、問題ない。

インタビューの傾向としては、ビジネス的に特異な人もいるけれど、映画や作家、コメディアンといったクリエイター関係が多い。

その中でも面白いのは、やっぱり映画監督ロバート・ロドリゲスの話だろう。ティムもよほど感心したのか、ロドリゲスにはなんと18ページも費やしている。

ロドリゲスが映画を作ろうとしたときに、まず自分が持っているもののリストを作ったのだそうだ。友達が農場やバーを持っていたからそこを舞台にすることにして、いとこがバス会社を経営していたからバスのアクションシーンを入れることにして、知り合いのペットの犬やカメがいたからそれらを使ったシーンを撮ったのだという。こうしてたった7000ドルで作った映画だったが、7万ドルの制作費だと言いふらした。この映画「エル・マリアッチ」は試作品のつもりだったが、サンダンス映画祭で観客賞を受賞してコロンビア・ピクチャーズに売れてしまう。

その後もロドリゲスは、いま自分が持っている資産を有効活用して、映画を取り続けている。たぶん条件が限定されているからこそ、創造性で乗り越えようとするのだろう。その創造性こそが映画に必要なもので、その他の条件はどうでもいいことなのかもしれない。もしかしたらロドリゲスはいまあるおもちゃで遊んでいるだけの子供なのかもしれない。

ビジネス関係者で異彩を放っているのは、あのピーター・ティール(「ゼロ・トゥ・ワン」)の投資会社ティール・キャピタルのマネージング・ディレクター、エリック・ワンスタインかな。さすがにピーター・ティールの関係者らしい発想だ。

エリック・ワンスタインの発想にあるのは多数派への疑問あるいは嫌悪といったものだ。一般受けしなくてもいい、2000〜3000人の人に受ければそれでいい、という言葉にそれが現れている。(ただし、その2000〜3000人は、力を持った有力者なんだけど)。

多数派にならないためにやっている習慣が面白い。エリック・ワンスタインはすぐに新語を作ってしまうんだそうだ。TELEDULTERYとは、一緒に見ようと約束していたTVシリーズを、相手が勝手に見てしまうことなんだそうだ。なぜこんなことをするのかと思うけど、言葉が思考の限界を決めてしまうので、自分で限界を広げているのだ。

他にも言葉を使った、人前で話すのをはばかれるような言葉の配列を考えて、あえて唱えることで精神を普通でない別のモードに入らせるのだという。この言葉は秘密だが、唱えるのに7秒かかるのだという。

他にも、40歳を越えたら幻覚剤を使ったほうがいいとか、ちょっと危ない発想が異彩を放っている。(幻覚剤は、他にも勧めている人がいるけど、ほとんどの人がやっているのは瞑想だそうだ。)

アメリカらしく、軍人がリーダーとして認識されていて、何人か紹介されている。そのなかでも面白いのは、米海軍特殊部隊ネイビー・シールズのジョコ・ウィリンクだろうか。ジョコは部下が困ってしまって、相談に行くと、必ず「いいね」と言うんだそうだ。なにかうまく行っていないことから、何かしら新しい良いことが生まれるからなんだそうだ。なるほど、いいね。ネイビー・シールズ関連では、「急がない、休まない」の項目で、「スローはスムーズ、スムーズはスピーディ」なんていう有意義な言葉も紹介されている。あと、どこに書いてあったのか忘れたが、命令が下ったときに、ゆっくりと着実に準備をすると恐怖心を克服できるって書いてあった気がするなあ。

ほかに特異な人の中では、チェスの神童だったのに柔術の黒帯を取ったジョシュ・ウェイツキンの話も興味深い。結局、彼は物事に素早く習熟するための方法を極めた人らしい。エンド・ゲームから始めるとか、水平思考を勧めるゴー・アラウンドとかいう言葉をとか。彼の著書、「習得への情熱」はぜひ読まなくては。

まあ、ともかく、この本を読むと、さらにたくさんの紹介されている本を読みたくなり、映画を見たくなること間違いなしなのだ。

相変わらずティム・フェリスという人は、一ヶ所に留まらることができず、いろんな所に出かけているようで、この本は最終的にはフランスでまとめられたようだ。ふーん。

富編、健康編も届くのが楽しみ。

★★★★☆

 

最近読んだ本で未来の社会を想像する

最近読んだエマニュエル・トッド我々はどこから来て、今どこにいるのか」と柄谷行人力と交換様式」などを読み比べて、未来の社会がどうなるのか考えてみたい。

「我々はどこから来て、今どこにいるのか」から次のようなことを学んだ。

家族の形式が社会の姿を規定していて、父権が強い家族形態では権威主義的な社会と相性がよく、核家族の社会では個人の自由を尊重する民主主義的な社会と相性が良い。

驚いたことに、個人主義的な社会よりも父権の強い社会のほうが新しく進化した社会で、父権の強い社会に一度なると、なかなか核家族的な性質を持つように戻らないということだ。(明確に書かれてはいないが、たぶん戻った例はない)。

そして定住が始まってから父権は強化される一方で、核家族的な社会は負け続けているのだ。ユーラシア大陸中央部で進化した父権化は、ユーラシア大陸の周辺部まで達しており、今のヨーロッパでも父権主義的な社会が核家族的な社会を押しのけつつある。

民主主義の将来を悲観的に感じて暗澹たる思いになってしまったが、柄谷行人の「力と交換様式」を読んで、元気が出てきた。なぜなら、現在の社会を超える姿を垣間見せてくれたからだ。

まず、エマニュエル・トッドの考えと柄谷行人の枠組みを突き合わせてみよう。もう一度柄谷のいう交換様式の種類A〜Dを書くと、次のようである。

A:互酬(贈与と返礼)
B:服従と保護(略取と再分配)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:Aの高次元での回復

核家族的な社会(狩猟採集民の部族社会)は「交換様式A:互酬(贈与と返礼)」に当たると考えよう。(ちょっと違う気もするが、とりあえずそう考えよう)。そして定住して以降の父権的な社会は「交換様式B:服従と保護(略取と再分配)」に相当するとしよう。

柄谷行人によれば、いまの資本主義社会は「交換様式C:商品交換(貨幣と商品)」が強く、国家に関するBの交換様式すら規定している状態である。国家は国民国家として国民を教育し、労働者の供給を担っている。つまり国家(B)が資本主義(C)のために存在している。ただし、同時に国民は資本主義を支える消費者としての側面も持っているので、国民はかなりの自由とある程度の平等(分配)を享受している状態である。この状態がいまの自由主義陣営の社会の状態と言える。

一方、中国やロシアのような権威主義的陣営では、強権的な国家のほうが民間の会社を抑えている状態なので、交換様式Bの強い国家が交換様式Cを取り込んでいる状態と言える。

Bのほうが強いかCのほうが強いかの違いはあるが、BとCが強く結びついている点では同じである。

柄谷によれば、BとCのどちらかをさらに高次元化して統合することはありえない。それは単にBかCをより強くするだけであるから。なので、Aを高次元化して(揚棄or止揚orアウフベーヘンして)BとCを統合するという方向しかありえないという。つまりそれは交換様式Dの世界である。

この交換様式Dの世界は、まだ訪れていないからはっきりしていないが、柄谷はいくつか例をあげているのでイメージすることは可能だ。

ひとつはキリスト教、仏教、イスラム教のような世界宗教である。確かに、国家の枠を越えているし、富の意義も否定する傾向があるから、BとCを越えていると言える。宗教であるから個人的であるとも言える。

もうひとつは、カントに始まる世界政府の発想だ。まだ世界政府は実現していないが、世界大戦の結果をうけて国際連合が誕生している。また、EUのような国家を越えた国家連合も誕生している。例えばジャック・アタリは「2030年 ジャック・アタリの未来予測」で述べたように、明確に世界連邦を志向している。

このようなDの世界になるにはどのような条件が必要だろうか。

資本主義に関しては、経済学者の言葉が参考になる。

資本主義を超えた世界について語っているのは、例えば経済学者のケインズである。将来生産性が極端に上昇し、週に数時間働くだけで良いような、ほとんどの時間を遊びに費やすような世界を想像している。

他にも、水野和夫は「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」で、金利がゼロになったということは、未来を思い煩う必要がないということだから、人々は今を楽しむ芸術の時代になると主張している。

ここで念頭に置いているのは、製造業なのであろう。しかし、わしはあらゆるものの生産性を極端に上げる必要があると思う。そのうち一番上がってほしいものは、食料の生産性だ。

いまの農業も生産性はかなり高い。が、農地を必要としている時点で、その生産性には限界がある。わしは食糧生産を土地から、そして植物から切り離してほしいのである。いちおう食料工場という考え方があるが、これはほぼ水耕栽培のことで、やはり植物を使っている。しかしあまり知られていないかもしれないが、植物による生産性はそんなに高くない。わしは食料を化学合成、あるいは培養で作って欲しいのである。炭水化物、タンパク質を低コストで化学的に生産できるようになると人類史に革命が起こるだろう。

もちろん、農業がなくなるというわけではないが、農業は嗜好品に偏ることになるだろう。

食料の合成が可能になると、飢えは一掃され、人類の一人ひとりに食料を保証することが可能になる。基本的な食料は無料で供給するということも可能になるだろう。(おそらくそれはベーシックインカムという形で施行されるだろう)。ここに来てようやく人類は働くということから解放されるのである。働くことは楽しみのために、あるいは嗜好品を買うために行われる。

働くということから解放されると何が起きるだろうか?

人類の移動性が急激に高まるだろう。

もともと移動性の動物だった人類が定住するようになったのは農業のためだった。しかし農業のあとの産業でも人々は土地に縛られていた。工場に、そして職場に。このため自由に移動するということは休日の楽しみになっていた。

しかし食べることに不安がなく、どこに行ってもそれが保証されるのなら、ひとは自由に移動するようになる。それも家族単位でなく個人単位でそれが起きるだろう。

おそらく、食料だけでなく、実際に住んでもらおうと、地域や国家は無料の住宅も提供するのではないだろうか。どこに行っても住むところがある、という状況になる。

こうして、人々は農業が始まる前の狩猟採集民時代をはるかに上回る大移動の時代を迎えるのだ。全人類のノマド化だ。「週4時間だけ働く」の全人類化とも言える。

さて、こうなると、社会のあり方、国のあり方は劇的に変わらざるを得ないだろう。Bの父権的な社会はその存在意義がなくなってしまう。なにしろ、そのような締め付けの強いところからは人々は逃げ出すだろうから。Cの資本主義も困難に陥る。食べることが保証されている社会では、究極的にはなにも買わなくても困らないのだから。人々は自分のやりたいこと、知りたいこと、好みのものに100%お金を使える。

このような交換様式BとCは力を失い、力を増した個人が中心の交換様式Dの社会になるだろう。

このとき、国家ではなく別のものが人々の生活の中心になるだろう。でもそれはたぶん、世界連邦や世界政府のようなものではない。

わしの予想は、全世界をおおういくつかのデジタル的なプラットフォームのようなものになるのではないかと思う。いまのグーグルやテンセントを遥かに上回る、人々の生活に直接関与するプラットフォームがいくつかあり、人々はどのプラットフォームに所属するかということになるのではないか。国籍とかも無くならないだろうが、プラットフォームを通じていろいろな処理が簡単できるので、国籍とかそういうものはあまり意識しなくなるのではないか。

こうして事実上の世界政府がデジタル的に誕生する。(プラットフォームをどのように規制するかという問題は残る。国家はそれを規制する存在として残るのかもしれない)。

プラットフォームは人々と1対1で結びついている。つまり未来の世界政府は直接人民と結びついていて、父権というものはなくなるだろう。

このような世界になると、人口はどうなるのだろうか。食べるものがいつでも入手可能で、働くことがなくなると人々はセックスしまくって、子供は産み放題になるのだろうか。

そうはならないだろう。子供を育てることは簡単になるだろうが、この時代の人々は、子供を何人も産んで、自分の時間を子供に取られるのを避けるはずだ。子供は自分の楽しみに合致する場合だけ産むことになる。子供のペット化だ。そうすると、逆に子供の数は減って、人口は減る可能性すらある。いまの先進国がそうであるように。

以上のように社会の変化を予想すれば、抑圧的で父権的な交換様式Bの社会、あるいはお金が中心の資本主義の交換様式Cの世界を、個人を中心にした交換様式Aを交換様式Dで高次元化した(揚棄or止揚orアウフベーヘンした)と言えるのではないだろうか。

いつごろそれが可能になるだろうか。

この予想では、生活のすべての基本が無料で提供されるということが前提になっている。そのためには食料も含めてすべての生産の効率がむちゃくちゃ高くならなければいけない。

そのような社会が実現するには、あと200〜300年かかるのではないだろうか。

しかし、それは決して不可能ではないと思う。


まとめ:
(1)食料を含むすべての生産性が劇的にあがり、基本的な衣食住は無料で提供されるようになる。
(2)どこにでも住めるようになり人々の移動性が高くなり、人々はプラットフォームに属する。
(3)国家も資本主義も越えた(ただし無くならない)、別の社会になる。

おまけの予想:
(4)人口が減って、農場も多く必要なくなるとすると、地球の自然は劇的に回復するだろう。

力と交換様式

柄谷行人 岩波書店 2022.10.5
読書日:2023.3.8

人類の歴史はその交換様式で区別でき、そのスタイルは4つしかなく、いまは商品や権力に関連した交換様式が強いが、将来は個人に関係した交換様式の世界になると主張する本。

最初はそれがどうしたという感じで読んでいたが、次第にこれは未来を考える上で強力なツールになるような気がしてきて興奮してきた(笑)。

とりあえず、柄谷さんの主張を見ていこう。

柄谷さんはマルクスエンゲルスを思索の中心においている人らしく(なんかこういう人が多い。まったくこの二人の影響力には驚かされる)、人間の歴史は下部構造の経済の「生産様式」で語られると思っていたが、それ以上に「交換様式」を考えることでもっと幅広く思考できるということに気がついたのだという。

具体的には交換様式は次の4つがあるのだという。

A:互酬(贈与と返礼)
B:服従と保護(略取と再分配)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:Aの高次元での回復

人類が狩猟採集生活をして移動する生活をやめて定住するようになってから、このような交換をすることで社会生活を営んできたのだという。
定住以前の人類は、平等で全ての収穫物は平等に分配されていた。なぜなら、蓄積ということが不可能だったので、分配して消費してしまうより仕方がなかったからだ。

ところが定住するようになって、まずAが発達した。近隣の部族間の交流を持続させるために、何かを贈ったり、贈られたりするようになった。定住以前の社会では、もしも部族間でなにかトラブルがあっても、ただ別の場所に移動すればすんでいたが、定住するとなると近隣の部族間で調整が必要となる。なので、関係を作っておくということ自体が重要になるからだ。お互い関係を作ること自体が目的だ。この状態ではまだ人々は平等で、首長は絶対的な力を持っているわけではない。

ところが農業が発達して、蓄積が可能な穀物が農業生産の中心になってくると、国家というものが出現するようになる。このとき交換するのは、Bのような様式で、王に服従するかわりに王は保護を与える。穀物は税としていちど徴収され、王により再分配される。これはAの水平な交換様式が垂直に展開されたのだという。こうして権力が生まれる。

さらに異なった地域間、国家間の交換を行うために貨幣というものが誕生し、Cのように貨幣と商品を交換するようになる。Cは初めは大きな力を持っていなかったが、産業革命が起き、資本主義化すると、Cの商品と貨幣の交換様式が全てを規定するようになる。こうして、国民国家が成立し、国家は国民を教育して、労働者として資本の役に立つように供給する。また、労働者は消費の主体として資本主義を後押しする。

こうしてBの交換様式による国家や帝国、あるいはCの交換様式による資本が力を持つようになると、それを超えた普遍的な価値観で、Aの水平的な結びつきを回復させようという動きが出てくるという。それがDの交換様式だが、これまでも超国家的、普遍的な価値観として出現しているという。たとえば国家を超えた世界宗教がそれだという。キリスト教、仏教、イスラム教のような宗教だ。これらの宗教は権力や貨幣の力を否定し、個人を回復させるような存在だ。

A、B、C、Dのような交換は、いつの時代も存在していて、どれが一番強くなるかというのは、その時々の歴史の流れによるようだ。現在はCの交換様式が他のすべてを規定しているような状況だが、いつまでもこの交換様式が続くというわけでもなさそうだ。

Cの交換様式では、この交換様式の特徴である貨幣経済が行き詰まると、恐慌という経済崩壊や、あるいは戦争といった方向に行きやすいという。これを克服するDのような交換様式のアイディアはすでに出ている。それはカントのいうような、国家を超えた世界政府のような考え方で、いまのところ、国際連合はまだCのような交換様式を克服するに至っていないし、戦争と恐慌の時代はまだまだ続きそうだ。しかし、柄谷行人は、いづれDの交換様式の世界が来ると信じているようである。

柄谷行人のDの交換様式は、いまいち何と何を交換するのかよく分からないところがある。Aの高次元の回復というだけではよく分からない。だが、たぶんそれは、国家でも資本でもない(BもCもなくならないが)、個人の平等と尊厳の回復ということなのではないだろうか。次の時代はDの交換様式の時代という主張は、ある種のリトマス試験紙のような役割を果たすだろうし、参考になる。

それにしても、この本の約半分は、誰が何を言ってるとか、マルクスはここまで視野に入れた思考をしていたとかの、過去の確認に費やされているのは、ちょっと驚く。マルクスに関しては、膨大なテキストが残っているし、いまではマルクスのノートも含めた膨大な全集が発表されているから、検索すればどんな思想の種も発見されてしまいそうな気がするけどね。そんなわけで、そんなに重大かなあ、という気もしてしまう。まあ、ともかく、マルクスは物と物の交換には単なる効用ではなく「霊(フェティッシュ)」が宿っていると資本論で述べているんだそうで、それがこの論考の出発点になっている。

でも柄谷さんが、最近の文献もよく取り込んでいて、「反穀物の人類史」や社会脳仮説なんかも取り込んでいるのには感心した。なにしろ、柄谷さんは御年80歳なんだそうで、80歳でこんな本を発表するなんてすごすぎる。しかも、とても読みやすい文章なんだから。頭のいい人の文章は読みやすい。

★★★★★

 

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