ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

最近読んだ本で未来の社会を想像する

最近読んだエマニュエル・トッド我々はどこから来て、今どこにいるのか」と柄谷行人力と交換様式」などを読み比べて、未来の社会がどうなるのか考えてみたい。

「我々はどこから来て、今どこにいるのか」から次のようなことを学んだ。

家族の形式が社会の姿を規定していて、父権が強い家族形態では権威主義的な社会と相性がよく、核家族の社会では個人の自由を尊重する民主主義的な社会と相性が良い。

驚いたことに、個人主義的な社会よりも父権の強い社会のほうが新しく進化した社会で、父権の強い社会に一度なると、なかなか核家族的な性質を持つように戻らないということだ。(明確に書かれてはいないが、たぶん戻った例はない)。

そして定住が始まってから父権は強化される一方で、核家族的な社会は負け続けているのだ。ユーラシア大陸中央部で進化した父権化は、ユーラシア大陸の周辺部まで達しており、今のヨーロッパでも父権主義的な社会が核家族的な社会を押しのけつつある。

民主主義の将来を悲観的に感じて暗澹たる思いになってしまったが、柄谷行人の「力と交換様式」を読んで、元気が出てきた。なぜなら、現在の社会を超える姿を垣間見せてくれたからだ。

まず、エマニュエル・トッドの考えと柄谷行人の枠組みを突き合わせてみよう。もう一度柄谷のいう交換様式の種類A〜Dを書くと、次のようである。

A:互酬(贈与と返礼)
B:服従と保護(略取と再分配)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:Aの高次元での回復

核家族的な社会(狩猟採集民の部族社会)は「交換様式A:互酬(贈与と返礼)」に当たると考えよう。(ちょっと違う気もするが、とりあえずそう考えよう)。そして定住して以降の父権的な社会は「交換様式B:服従と保護(略取と再分配)」に相当するとしよう。

柄谷行人によれば、いまの資本主義社会は「交換様式C:商品交換(貨幣と商品)」が強く、国家に関するBの交換様式すら規定している状態である。国家は国民国家として国民を教育し、労働者の供給を担っている。つまり国家(B)が資本主義(C)のために存在している。ただし、同時に国民は資本主義を支える消費者としての側面も持っているので、国民はかなりの自由とある程度の平等(分配)を享受している状態である。この状態がいまの自由主義陣営の社会の状態と言える。

一方、中国やロシアのような権威主義的陣営では、強権的な国家のほうが民間の会社を抑えている状態なので、交換様式Bの強い国家が交換様式Cを取り込んでいる状態と言える。

Bのほうが強いかCのほうが強いかの違いはあるが、BとCが強く結びついている点では同じである。

柄谷によれば、BとCのどちらかをさらに高次元化して統合することはありえない。それは単にBかCをより強くするだけであるから。なので、Aを高次元化して(揚棄or止揚orアウフベーヘンして)BとCを統合するという方向しかありえないという。つまりそれは交換様式Dの世界である。

この交換様式Dの世界は、まだ訪れていないからはっきりしていないが、柄谷はいくつか例をあげているのでイメージすることは可能だ。

ひとつはキリスト教、仏教、イスラム教のような世界宗教である。確かに、国家の枠を越えているし、富の意義も否定する傾向があるから、BとCを越えていると言える。宗教であるから個人的であるとも言える。

もうひとつは、カントに始まる世界政府の発想だ。まだ世界政府は実現していないが、世界大戦の結果をうけて国際連合が誕生している。また、EUのような国家を越えた国家連合も誕生している。例えばジャック・アタリは「2030年 ジャック・アタリの未来予測」で述べたように、明確に世界連邦を志向している。

このようなDの世界になるにはどのような条件が必要だろうか。

資本主義に関しては、経済学者の言葉が参考になる。

資本主義を超えた世界について語っているのは、例えば経済学者のケインズである。将来生産性が極端に上昇し、週に数時間働くだけで良いような、ほとんどの時間を遊びに費やすような世界を想像している。

他にも、水野和夫は「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」で、金利がゼロになったということは、未来を思い煩う必要がないということだから、人々は今を楽しむ芸術の時代になると主張している。

ここで念頭に置いているのは、製造業なのであろう。しかし、わしはあらゆるものの生産性を極端に上げる必要があると思う。そのうち一番上がってほしいものは、食料の生産性だ。

いまの農業も生産性はかなり高い。が、農地を必要としている時点で、その生産性には限界がある。わしは食糧生産を土地から、そして植物から切り離してほしいのである。いちおう食料工場という考え方があるが、これはほぼ水耕栽培のことで、やはり植物を使っている。しかしあまり知られていないかもしれないが、植物による生産性はそんなに高くない。わしは食料を化学合成、あるいは培養で作って欲しいのである。炭水化物、タンパク質を低コストで化学的に生産できるようになると人類史に革命が起こるだろう。

もちろん、農業がなくなるというわけではないが、農業は嗜好品に偏ることになるだろう。

食料の合成が可能になると、飢えは一掃され、人類の一人ひとりに食料を保証することが可能になる。基本的な食料は無料で供給するということも可能になるだろう。(おそらくそれはベーシックインカムという形で施行されるだろう)。ここに来てようやく人類は働くということから解放されるのである。働くことは楽しみのために、あるいは嗜好品を買うために行われる。

働くということから解放されると何が起きるだろうか?

人類の移動性が急激に高まるだろう。

もともと移動性の動物だった人類が定住するようになったのは農業のためだった。しかし農業のあとの産業でも人々は土地に縛られていた。工場に、そして職場に。このため自由に移動するということは休日の楽しみになっていた。

しかし食べることに不安がなく、どこに行ってもそれが保証されるのなら、ひとは自由に移動するようになる。それも家族単位でなく個人単位でそれが起きるだろう。

おそらく、食料だけでなく、実際に住んでもらおうと、地域や国家は無料の住宅も提供するのではないだろうか。どこに行っても住むところがある、という状況になる。

こうして、人々は農業が始まる前の狩猟採集民時代をはるかに上回る大移動の時代を迎えるのだ。全人類のノマド化だ。「週4時間だけ働く」の全人類化とも言える。

さて、こうなると、社会のあり方、国のあり方は劇的に変わらざるを得ないだろう。Bの父権的な社会はその存在意義がなくなってしまう。なにしろ、そのような締め付けの強いところからは人々は逃げ出すだろうから。Cの資本主義も困難に陥る。食べることが保証されている社会では、究極的にはなにも買わなくても困らないのだから。人々は自分のやりたいこと、知りたいこと、好みのものに100%お金を使える。

このような交換様式BとCは力を失い、力を増した個人が中心の交換様式Dの社会になるだろう。

このとき、国家ではなく別のものが人々の生活の中心になるだろう。でもそれはたぶん、世界連邦や世界政府のようなものではない。

わしの予想は、全世界をおおういくつかのデジタル的なプラットフォームのようなものになるのではないかと思う。いまのグーグルやテンセントを遥かに上回る、人々の生活に直接関与するプラットフォームがいくつかあり、人々はどのプラットフォームに所属するかということになるのではないか。国籍とかも無くならないだろうが、プラットフォームを通じていろいろな処理が簡単できるので、国籍とかそういうものはあまり意識しなくなるのではないか。

こうして事実上の世界政府がデジタル的に誕生する。(プラットフォームをどのように規制するかという問題は残る。国家はそれを規制する存在として残るのかもしれない)。

プラットフォームは人々と1対1で結びついている。つまり未来の世界政府は直接人民と結びついていて、父権というものはなくなるだろう。

このような世界になると、人口はどうなるのだろうか。食べるものがいつでも入手可能で、働くことがなくなると人々はセックスしまくって、子供は産み放題になるのだろうか。

そうはならないだろう。子供を育てることは簡単になるだろうが、この時代の人々は、子供を何人も産んで、自分の時間を子供に取られるのを避けるはずだ。子供は自分の楽しみに合致する場合だけ産むことになる。子供のペット化だ。そうすると、逆に子供の数は減って、人口は減る可能性すらある。いまの先進国がそうであるように。

以上のように社会の変化を予想すれば、抑圧的で父権的な交換様式Bの社会、あるいはお金が中心の資本主義の交換様式Cの世界を、個人を中心にした交換様式Aを交換様式Dで高次元化した(揚棄or止揚orアウフベーヘンした)と言えるのではないだろうか。

いつごろそれが可能になるだろうか。

この予想では、生活のすべての基本が無料で提供されるということが前提になっている。そのためには食料も含めてすべての生産の効率がむちゃくちゃ高くならなければいけない。

そのような社会が実現するには、あと200〜300年かかるのではないだろうか。

しかし、それは決して不可能ではないと思う。


まとめ:
(1)食料を含むすべての生産性が劇的にあがり、基本的な衣食住は無料で提供されるようになる。
(2)どこにでも住めるようになり人々の移動性が高くなり、人々はプラットフォームに属する。
(3)国家も資本主義も越えた(ただし無くならない)、別の社会になる。

おまけの予想:
(4)人口が減って、農場も多く必要なくなるとすると、地球の自然は劇的に回復するだろう。

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