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個人投資家目線の読書録

次なる100年 歴史の危機から学ぶこと

水野和夫 東洋経済新潮社 2022.2.10
読書日:2022.9.16

資本主義は蒐集のシステムであるが、金利がゼロ以下になったことでこの蒐集のシステムは崩壊しており、これ以上の生産、供給が必要なくなったことを示しているから、これから100年ほどをかけて次のシステムに移行し、その向かう先は生きている幸福を実感する芸術の時代になる、と主張する本。

以前、水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」を読んだことがあったが、よく分からなかった経験がある。その本でも水野は、資本主義とは蒐集のシステムであると主張し、蒐集とは差異をなくすことであるといい、グローバル経済が出現し差異がなくなった世界では蒐集する物がなくなるので、資本主義は終わるという話だった。

ここでわしが分からなかったのは、地理的にはそうかもしれないが、知識、とくにテクノロジーを考慮に入れてもそう言えるのだろうか、ということだった。科学テクノロジーはいまも日々進んでおり、知識も増え続けているのだから、差異がなくなるということはないのではないか、差異がある以上は蒐集するものはあるのではないか、と思った。だから、わしにはいまいち水野和夫のいうことが分からなかったのだ。

ところがこの本では、資本主義は蒐集のシステムだという点は同じであるが、資本主義にとって蒐集とは「金利」のことであり、金利がゼロ以下になるということは、蒐集のシステムが終わったのだ、と明確に定義している。

この定義は非常に分かりやすいし、確かにそうだ、と言える。金利がゼロまたはマイナスということは、そもそも投資する意味がないということであり、供給は需要を完全に上回っているということであるから、もう十分だと市場が言っているということだからだ。

世界で最初にゼロ金利が実現したのは日本であり(2016年)、その後ドイツ、フランスでもゼロ金利が実現した。そういうわけで、この3カ国については従来の資本主義のシステムは働かなくなった。

しかしながら、市場を神とし、資本を増やすことを善とする新自由主義がはびこっており、資本を増やそうとする流れは収まってはいない。金利がゼロの状態で、さらに蒐集をしようとするとどうなるかと言うと、他のものから富を奪うしかない。つまり略奪である。

そのひとつの方法は、水野によれば「ショック・ドクトリン」という手法を使って弱いものから富を搾取することだという。ショック・ドクトリンとは「例外的な状況」を引き起こすことだ。

具体的には次のような手順を踏むという。現代のような投資先がない金余りの状態では株や不動産のような資産への投資が進み、バブルとなる。しかしこのようなバブルには実体がないから、いつかそのバブルは弾ける。バブルが弾けると、それに耐えられない弱いものは安値で資産を処分するしかなくなる。そのような安値で捨てられた富を買うのは強いものである。つまりすでに多くの富を持っている者がますます富を増やす。

ここで没落するのは、中産階級である。下層階級ではそもそも資産を持っていないからだ。中産階級はある程度の資産を持っているが、この虎の子の資産を処分しなくてはいけなくなる。こうして中産階級は資産を失って没落していき、富裕層との格差が拡大するという。

このようなショック・ドクトリンが、現代では3年毎に起こっているのだと、アメリカのサマーズが指摘しているのだそうだ。

これが国際的に行われているのが、グローバリゼーションである。つまり他の国を破産させて安くなった資産を強い国の企業が買うのである。水野は、IMFはその後始末のために作った銀行なのだという。

もうひとつの方法は労働者への配分を減らし、資本家への配分を増やすことである。新自由主義のROE(自己資本利益率)を高めることを目指す経営の結果、労働者は生産性を増やしても所得が分配されず、所得は下がり続けている。一方、資本家に対しては企業は配当を増やし、さらに内部留保をも増やし続ける。

必要以上の内部留保が正当化されるのは、なにか起きたときにそれを使うためである。ところが、コロナのパンデミックがおきて、ついにお金を使うその時が来たが、企業は使おうとしなかった。というわけで、必要以上の内部留保は理由がない、つまり企業は嘘をついているのだという。必要ないことが分かったのだから、その過剰な内部留保は労働者に返すべきだという。その金額は日本では155兆円である。

というわけで、現状はゼロ金利が達成され、もう十分に供給されているのに、資本をさらに増やそうという新自由主義の政策が行われ、人々は搾取され不幸である。ケインズは2030年ごろには金利がゼロになり、働かなくてもいい時代になると予想した。それよりもはやく日本はゼロ金利を達成したが、あまり幸福ではなさそうだ。

ゼロ金利ということは、未来を思い煩わなくてもいいということであり、現在を楽しめばいいということだ。余暇はたっぷりあるので急ぐ必要はない。このような状況で心を豊かにするのは芸術しかない。中世は神(イコン)が中心だったが、近代では資本(コイン)が中心となり、ゼロ金利の時代は芸術(アート)が中心になるという。芸術は資本と違って、いくら集めても過剰ということはないのだという。

日本は世界の中でその目的に一番近い位置にいるという。数字で数えられる土地や資本ではなく、数えられないものを中心にした社会を作ることが日本の使命だという。

さて、みなさん、水野和夫の主張をどう思いますか?

論理の展開に少々強引なところもあるようにも思いますが、しかし、一貫性があり、整合性も高いレベルにあるようです。これはなかなか説得力が高いのではないでしょうか。なかなかここまで考えさせられる本も珍しいです。(できれば、コロナ後のパンデミックから再起動したいまの経済状況について、ウクライナ戦争も含めて、水野がなんと言っているのか聞いてみたい。これ、ウクライナ戦争前の本なんだよね)

水野の言う通り、日本人が将来の不安を忘れ、享楽的に現在を生きる社会を作れるのでしょうか。なかなかイメージできないかもしれませんが、じつは日本人というのはもともとそういう民族なのです(詳しくはここ)。そういう日本人ですから、水野の目標を達成するのはもしかしたら可能なのではないでしょうか。

もし達成するとしても、日本人はそのような制度を理論的に考えて設計した結果では絶対ないでしょう。意図していなかったが、いつのまにかそうなっていた、という感じになるんじゃないかと思います。

じつはわしはすでに日本はそんなふうになっていると思います。

あとは、非正規とか、シングル・マザー(ファザー)などの社会的弱者をすくい上げられれば、という気がします。だから岸田政権の目指す、分配政策を中心にした新しい資本主義は方向としては正解だと思うのです。

わしは必ずしも水野の主張するように、企業の内部留保の活用にこだわらなくてもいいと思います。お金を集めたい人は集めてもいい。しかし誰もがそれを聞いて、「ふーん、だから?」
と言って興味を持たないような社会を作ることが大切だと思うのです(ワシの意見はここ)。

だれもが未来でなく、現在を生きる社会、そんな社会を作りたいですね。

****メモ****
国民国家ではなく帝国の時代)
ヒトもモノもカネも自由に国境を超えるグローバリゼーションの時代では、国民国家は崩壊しており、事実上、帝国の時代に逆戻りしているのだそうだ。地球はいくつかの地域帝国に分割されそうだ。アメリカは非公式な帝国である。もう一つはEUで、事実上のドイツ帝国だという。そして中国が帝国を目指している。

ここで帝国とはなんだろうか。国民国家は国境と国民を確定しそれを管理する。帝国はその逆で、国境を定義せずに、たえず広がろうとする流動的な場のようなもの、なんだそうだ。皇帝はいなくてもいいが、中国のめざす帝国にはどうやら皇帝がいるらしい(笑)。もちろん日本はアメリカ帝国に含まれている。

★★★★★

以下参考

 

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