ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー

ジェームズ・C・スコット 立木勝・訳 みすず書房 2019.12.19
読書日:2020/11/30

農業が誕生すると人類がそれ待ちかねたように定住し、国家を作り、文明化にまい進したという物語は幻想にすぎず、実際には定住が起こっても国家はなかなか存在できず、できても非常に弱く、人類はほとんどの人間がごく最近まで国家に属せず生きてきたと主張する本。

これは驚くべき本で、従来の農業、定住、国家の考えが覆ってしまう。

人類が定住を始めたのは、紀元前1万2千年ぐらい前のことである。基礎的な作物の栽培が確実になるのは紀元前8000年ぐらいで、このころ農業が誕生したと言われている。一方、国家が誕生するのはそれから4000年後であり、4000年間の空白がある。この長い期間、いったい何が起きていたのだろうか。

著者のスコットは、農業が始まったことが国家を作ったのではなく、麦や米などの穀物中心になったことが国家を作ったのだという。どういうことか。スコットが描く人類の歴史を見てみよう。

紀元前1万2000年前に人類の定住がはじまったが、これは豊かな地に人類がとどまっただけなのだという。狩猟採集民でも豊かな土地であれば移動する必要はないので、当然である。

この豊かな土地とは、たとえばチグリス・ユーフラテス川という大河が河口に作る湿地である。季節ごとに様々な作物が実り、魚などの漁業も可能で、渡り鳥や動物も移動してくるような土地だ。定期的に洪水が起きるので、人々は亀の甲羅と呼ばれる少し高い土地で暮らしていた。

このような定住跡から多くの種類の食料の痕跡が見つかっており、人々は栄養に恵まれた生活を送っていたことがわかる。狩猟採集民の暮らしは、特定の時期に、例えば動物が移動してくる時期などに集中的に作業を行うが、それ以外の時期は比較的のんびりした生活を送っていたようだ。すべては自然のタイミングに合わせた生活だったのだ。植物の栽培は行われていたが穀物が中心というわけではなく、穀物にすべてを頼っていたわけでもなかった。このような生活のために狩猟採集民は定住した農民よりもはるかに広い知識を必要とし、柔軟な思考を持っていたという。

狩猟採集が中心の場合、国家が生まれることはなかった。なぜなら、彼らの食料は保存がきかず、税金の取り立てもできなかったからだ。しかし食料が穀物なら保存し、運ぶことができ、分配することもできる。つまり富の蓄積が可能になるし、さらには通貨としても機能する。

穀物は税金の徴収にも便利だ。穀物は同時期にいっせいに実が付き、刈り取りが行われ、脱穀されるために、徴収が簡単だったからだ。これが芋なら何年か土の中に置いておくこともでき、豆はいっせいに実らず、長い期間取り入れができるため、税としては不適当だった。なので、主要作物に穀物を採用しなかった国家はないという。

つまり多様な食糧でなく、穀物に集中することで利益を最大化できると考えた人たちがいたわけだ。それが国家というシステムなのだ。だから国家ができるためには、何らかの方法で穀物の生産を強制させ、税金として穀物を納めさせるようにしなければならなかった。

だが、これが大変難しいことなのだ。なぜなら、狩猟採集民は簡単に移動できてしまうからだ。強制するとすぐに逃げてしまう。こんな状況では国家の継続は困難だ。この時代は国家のような物が誕生してもすぐに消えてしまうという状況が4000年も続いたのだ。

人々に強制的に穀物を作らせ、その穀物を納めさせる国家というのは、一種のプランテーションを行うベンチャー企業のようなものだということがわかる。個人的には、このビジネスが拡大したのは、穀物により初めて余剰というものが誕生し、それをさらに投資して増やすという資本主義の原理が働いたことが大きかったのだと思っている。そして、ベンチャー企業の常として、必要なノウハウが蓄積するまで時間がかかったのだ。とくに国家という複雑なシステムに結実するまでは。

強制労働のためには、人々を奴隷にするのがもっとも手っ取り早い。近代のアメリカ南部でアフリカ人を運んできて労働させたように、チグリス・ユーフラテスの河口に誕生したメソポタミアの国々も、周辺から人々を集めて奴隷化していったらしい。

このころ生まれた国の中心には城壁ができていた。この城壁はもちろん敵からの攻撃を防ぐという意味もあったが、さらに重要だったのは、国民が逃げ出さないようにするためだったとスコットは推察している。

戦争の意味も違った。今の戦争では国境を広げることが主な目的となるが、このころの目的は奴隷を得るためだった。他の国を攻撃すると、その国民を連れてきて、奴隷として労働させる。国家というベンチャー企業はともかくマンパワー、安い労働力を必要としたのだ。

こうして生まれた国家の生活条件は劣悪だった。

まず栄養のバランスが非常に悪かった。穀物中心の食生活になり、栄養不足を原因とする病気が発生した。栄養が悪いために体の大きさは小さくなったという。

また家畜を飼うようになり、家畜から人間に感染する新しい感染症が発生し、パンデミックを引き起こした。スコットはこのころ放棄された町のかなりは伝染病が原因ではないかと推測している。

こうして劣悪な環境の中、死亡率は上がったが、ここで人々の家畜化が進行したという。(スコットは数十万年前の火を使い始めた時から家畜化が始まったというが、まあ、ここではそこまでさかのぼらなくてもいいだろう。)

犬や猫、ヤギやヒツジ、豚や牛、鶏などが家畜化されたが、家畜化の傾向は共通だという。つまり、身体が幼生化(ネオテニー化)して、脳が小さくなり、性格が温和になるということである。そして成熟するまでの期間が短くなり、短期間で繰り返し出産が可能で、多産になる。

劣悪な環境で高い死亡率だったにもかかわらず、家畜化した人間の人口増加率は狩猟採集民のそれを少しばかり上回ったらしい。それが何千年の期間の中では圧倒的な差になり、国家に属する臣民の数が増えていった。この結果、長い間には、狩猟採集民が追いつめられることになっていった。

とはいえ、国家が誕生したころには周辺に広大な国家に帰属していない土地があった。つまり圧倒的に狩猟採集民の方が強かったのである。特に馬を使って移動している民族の場合は、国家側の軍隊は太刀打ちできなかった。国と違って、狩猟採集民には中心というものがそもそも存在せず、攻撃してもただ散らばるだけなので、どうしようもなかった。

そして低地に作られた国家は、穀物は豊富だったが、その他の食料、金属、建築木材、燃料などは全くなかったので、周囲からの交易に依存していた。国家は単独では存在できなかったのだ。

さらに、周辺の狩猟採集民にとっては、富を蓄積している国家は格好の略奪の対象だった。なので周期的な略奪にあった結果、国家の方から定期的にみかじめ料を支払うことも多かった。こうした状況は国民国家が誕生し、技術も進んだつい最近まで変わらなかったのだという。(たとえば遊牧民に占領された中国の清が20世紀にも存在したことが思い出される)。

狩猟採集民は歴史を残さない。国家は歴史を残したので、歴史家は国家の側から見ることに慣れてしまい、実は国家の方が少数派であったことになかなか気が付ないのだとスコットは主張する。現代では地球上のあらゆるところに国境線が引かれているが、そうでない、国家に支配されていない人々の時代がずっと長く続いたのだ。

いまでは誰もがどこかの国家に属している。これは幸福なことなのだろうか、と考えさせられる。

★★★★★

 


反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ