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我々はどこから来て、今どこにいるのか

エマニュエル・トッド 訳・堀茂樹 文藝春秋 2022.10.30
読書日:2023.2.18

家族形態と現代政治との関係を見つめてきた人口歴史学者エマニュエル・トッドが、これまでの研究成果をまとめて、民主主義の行く末を示唆する衝撃の書。

第三次世界大戦はもう起こっている」を読んで、米英と異なる視点の発言に大いに感心したけれど、この本を読んで、改めてエマニュエル・トッドがフランス人で良かったと思った。米英の研究者ではこの本は書けなかったのではないか。フランスは、ジャック・アタリもそうだが、別の視点から世界を見ることを教えてくれる大切な国だ。

この本はこれまでエマニュエル・トッドが発表してきた研究の内容をまとめた集大成だが、わしはエマニュエル・トッドをこれまで読んでいなかったので、その内容に衝撃を受けた。

エマニュエル・トッド自身は、自分の研究には過去の文化人類学者や社会学者、人口歴史学などの成果によっており新しいところはない、自分に新しいところがあるとすればそれらを現代社会に当てはめて考察したところだけだ、となかなか謙虚である。

エマニュエル・トッドが発見したのは次のようなことだ。

その国の政治形態はその国民の家族形態に沿ったものになっている、ということである。

米英は核家族を中心とする世界で、兄弟間の不平等は認めるが、個人の自由は最大限に認める家族形態である。このようなところでは政治形態は個人の自由を重んじる民主主義国家になる。一方、父親の権威を重んじ、兄弟間の平等を重んじる家族形態であるロシアや中国では、権威主義な国家になる。だから共産党の権威が最高で国民がそれに従うような共産主義国家は、このような国にしか根付かなかった。

マルクスは、社会は政治などの上部構造とそれを支える経済という下部構造があり、上部構造は下部構造によって決まると言っていたが、下部構造のもっと下には家族形態という深層(基底)が潜んでいるというわけである。家族形態にマッチした政治形態でなければ、それはその国の人にとって受け入れられない、ということだ。

そうなると、かつては中国が経済的に発展すると民主主義国家になるという幻想があったが、家族形態が父系の権威主義的な形態なので、そもそもそんなことはあり得ないことだったということである。ロシアもソ連が崩壊したあと、自由主義的な世界になると期待されたが、結局はプーチンにより権威主義的な国家に戻ってしまった。しかし、その方が国家は安定するのである。何よりも、国民自身がそのような国家を望むのである。そしてその基底には、国民自身の家族形態が絡んでいる。

ここまでは、なるほど、というレベルである。しかし常識が覆されるのはここからだ。

わしらは社会の発展段階として、なんとなく、最初は抑圧的な世界があって、社会が発展して個人が力をつけると、抑圧的な政治を倒して個人の政治的な自由を獲得し、個人が尊重される世界になるという、そういう発展段階の順番を思い浮かべる。つまり自由な社会は人類が到達した究極の世界というわけだ。中国が経済力をつけると民主主義国家になるのではないかという幻想には、なんとなくその順番が当然という幻想が働いている。

しかし順番は逆なのである。

もともとホモ・サピエンスは、約20万年前に誕生して以来、核家族を中心とした世界で、男女の差も少ない自由な社会だったのだ。

このような核家族の社会が変わったのは約1万年前(紀元前8000年)ごろにユーラシアの中心で農業が発達してからだ。農業が発達すると、農地や農業技術を誰かに継承しなければならなくなる。ここで選ばれたのは、特定の男性(たいてい長男)だった。この結果、女性の地位は下がり始める。これが第1段階である。ドイツや日本はこのレベルにある。(レベル1、父系直系家族)

この男性の継承が遊牧民族に伝わると、さらに発展した。遊牧民族は農業国を襲うように軍事化したので、兵士の役割を担う男性の兄弟は重要だから、兄弟間で平等化が進んだ。一方、兵士を供給しない女性の立場はますます低くなる。遊牧民は農業国を征服したので、このような父系化が農業国に導入された。家族は核家族のようにばらばらにならず、一族として一緒に住むようになる。中国やロシアのレベルである。なお、この段階では女性は一族の外部から得ている。(レベル2、外婚制父系共同体家族)

さらに進むと、女性を外部と交換することが減り、一族内でやり取りするようになる。つまりイトコ同士の結婚が増える。ここで、女性の地位は最も低くなる。これはアラブ・ペルシャ世界の家族形態である。(レベル3、内婚性父系共同体家族)

このように農業の発生した中心部(メソポタミア、中国)で家族形態が進化していき、その家族形態が農業の伝播にともなって、レベル1、2、3の順番でゆっくりと周辺部に伝わっていった。つまり核家族の家族形態がどんどん父権を強化するような、進化した家族形態に転換していったのである。いまではもともとのホモ・サピエンスの家族形態である核家族を維持しているのは、ユーラシア大陸ではヨーロッパの一部など、ユーラシア大陸の周辺部に限られているのである。

この事実には慄然とさせられる。

いまのところ、米英は民主主義や男女平等などのリベラルな概念を世界に普及させようと盛んに運動している。しかし、そういった理念のもとになっている核家族自体は、過去1万年の間、進化した父系の家族形態に負け続けているのだ。そして、いちど父系化した社会が核家族に戻った例はないらしい。すると、民主主義やリベラルの理念が本当に世界に広がるのかどうかは、はなはだ心もとないと言わざるを得ないのではないだろうか。

ちなみに日本はレベル1の直系家族の段階に分類されている。中国の隣国という状況にも関わらず、日本が直系化したのは非常にゆっくりだった。財産と技術の継承を理念とする直系家族だが、日本でそれが始まったのは13世紀の鎌倉時代で、武士を中心に広がっていった。しかし、日本国民全員にそれが制度として定着したのは明治時代である。たった100年ちょっと前の話である。

日本はもともと女性の地位が高い国だった。ところが一度レベル1の父系化が確立すると、女性の地位向上を進めるのに現在非常に苦労している。この事実だけを見ても、いちど父系化した社会を逆転させるのがいかに難しいかが分かるというものだ。とくに、一度軍事国家化すると、ユーラシアの遊牧民と同様に男性の地位が急速に向上して、父系化が根付くような気がする。

日本はレベル1の父系化であるが、このレベルは微妙な段階である。米英の民主主義も受け入れることもできるが、中国やロシアのようなレベル2を受け入れることももちろん可能だろう。いまは米国の勢力下にあるので民主主義、リベラルの理念を受け入れている。しかし、もしも将来、中国の勢力下に入ることになれば、比較的簡単に権威主義的な社会を受け入れるのではないだろうか。

このように人類の歴史を振り返ると、核家族社会が父系化社会に圧倒されてきた。しかし、いまの世界は米英(アングロサクソン)の核家族の社会が覇権を握っている状況である。一体何がおきたのだろうか。

これはもちろん、イギリスで産業革命が起きた一方、イギリス人が世界中、とくに米国に移住して数を増やしたからである。米国もイギリスと同じように核家族社会を作っており、その結果、民主主義の国になっている。国民国家として誕生したときにはイギリスには数100万人の人口しかなかったが、それがいまではヨーロッパ全部の人口よりも大きな何億人という人数になっている。アメリカなどでは、他のヨーロッパからの移民も多かったが、彼らもアメリカでは核家族化していったので、核家族社会がそのまま増えたのだ。

そうなると、なぜイギリスで産業革命が可能でドイツができなかったのか、ということを問わなくてはいけなくなる。なぜなら、プロテスタント革命によって、じつは民衆の識字率はドイツが高かったので、知識の大衆化という点ではドイツのほうが有利だったからだ。

どうもこれは核家族社会の変化への柔軟さという点に求められそうだ。それは例えば産業革命が起きてからの人口の移動をみても分かるという。農業社会だったイギリスが産業革命が起きてたった40年で都市人口が72%になったという。猛烈な人口移動が起きたのだ。これに対して過去の継承のためのシステムである父権直系家族のドイツでは、そのような柔軟性が少なく、硬直的な社会だったということらしい。ただし父系直系家族は技術の継承という点では非常に有利なので、日本やドイツでは一度産業が確立すると、それを継承発展させるという、特徴がある。

柔軟さという点では政治制度の発明についても、イギリス人は柔軟だ。イギリスは初めて国民国家をフランスとともにつくった国で、しかも民主主義についてはフランスよりも100年早かった。エマニュエル・トッドは、経済的な動きの前に必ず政治的な動きが先行すると言っている。イギリスは政治的な発明でも、その後の経済的な発展を用意していたということだ。

では、民主主義は今後どうなっていくのだろうか。

エマニュエル・トッドは未来の予測はしないと言っているが、いくつかの示唆を示している。

まず地理的には、今のヨーロッパはあまりよい状況とは言えないようだ。民主主義は核家族社会との相性がいい。そうすると、EUが東ヨーロッパを取り込んで拡大した一方、イギリスがEUから抜け出た結果、現在のEUの核家族社会の割合は27%にすぎず、少数派に転落している。EUは父系的な権威主義の方向に向かう可能性が高まっている。これは民主主義にとっては試練となりそうだ。

民主主義のもうひとつの重要な概念である平等はどうなるだろうか。核家族は自由を尊ぶが、平等はそれほどでもない。

イギリスは階級社会を維持している。

アメリカには強力な黒人への人種差別がある。アメリカは少なくとも黒人以外の人種の平等についてはそれを目指してきた。これは、黒人と比べれば他のヨーロッパ人やユダヤ人は仲間と認められる、という意味である。最近では、アジア人も仲間に認められるようになってきた。アメリカの平等は黒人(+ネイティブアメリカン)への差別の上に成り立っている。

しかし、近年は新しい階級が誕生して民主主義に脅威を与えている。学歴の高いエリートが高い収入の職を得て、学歴のない非エリート層が没落していくという能力主義メリトクラシー)による新しい階級の出現である。

これについては、イギリスが早くも非エリート層の要望を取り入れるような動きがあるという。これはもともと階級社会で、上流階級が労働者の要望を取り入れてきたイギリスの知恵が働いているのではないかという。おそらくアメリカもそれに追随するであろうという。

どうやらメリトクラシーは解決される方向とエマニュエル・トッドは見ているようだ。

もうひとつの重要な因子は人口だ。

世界的に人口が減る方向だが、父系化社会の方が人口が著しく減る方向だ。中国はもちろん、日本やドイツも減っている。一方で、核家族社会の方はまだ人口を置換できる2.1人に近い1.9人を女性が産んでいるという。またアングロサクソンの国々は移民も当てにできる。移民により高学歴化の停滞も克服できるかもしれない。そして、新しい産業が生まれるのは、やはり核家族の社会かもしれない。

一方で、米国はグローバル化メリトクラシーにより、幼児死亡率や自殺率、平均寿命などの指標が悪化しており、社会が崩壊に向かっていることを示している。

こうしてみると、いろんな指標が強弱並行して存在しているので、民主主義について簡単に未来を予見するのは難しそうだ。

なお、エマニュエル・トッドが特に興味を持っている国はロシアのようだ。ロシアは、強烈な父系共同体家族の国にも関わらず、女性の地位が非常に高いという特徴を持っているからだ。これは父系共同体家族になったのが17世紀でまだ歴史が浅いからかもしれない。さらに歴史的には、普遍主義的な共産主義システムを自らに課すということをし、ナチズムを打ち破って人類に貢献もしている。トッドはロシアは特異例かもしれないと言っている。

日本については困惑しているようだ。なぜなら、日本は世界のどことも異なった傾向を持っているからだ。同じような父系の韓国や台湾のほうがまだ分かるという。韓国はドイツに近いそうだ。

日本は具体的にどこが違うのだろうか。人口が減っていることに対して、ドイツは移民を増やしている。韓国もそうだ。しかし外向的なドイツに対して、日本は極端に内向きで、移民を増やそうとしない。ドイツが東ヨーロッパに労働力を求めたときも、日本はサプライチェーンを維持しようとしていただけだった。東日本大震災の後も、原子力産業を維持するという内向きの対応しかしなかった。そして国全体が国力が落ちて国際的地位が下がる道を甘んじて受け入れているようだという。

なによりエマニュエル・トッドを驚かせたのは、ある国際的なアンケート調査で日本だけが事実上の無回答(イエスでもノーでもない中間を選択)の多さで際立っていたことだという。ヨーロッパとも他のアジアの国とも違うのが日本という国らしい。

日本に関しては、本当にどこの国とも違う特別な国だということを認めなければいけないかもしれない、と言っているくらいだ。

エマニュエル・トッドにも不思議の国と呼ばれる日本。喜んでいいのか?(苦笑)。

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