飲茶 ダイヤモンド社 2019.6.19
読書日:2022.7.6
小説仕立てで、正義とはなにか、善い人生とはなにかについて哲学の全体像を語ってくれる本。
うーん、これはとてもわかりやすい。どんな哲学の本を読むよりも、この本を読む方が哲学の全体像を把握できるんじゃないだろうか。なにしろ正義、善く生きることというのはすべての哲学に関係してくることなんだから。例えばこの本はギリシャ哲学からポスト構造主義まで、すべての哲学の立場を「絶対主義vs相対主義」の立場で一気に説明してくれる(第7章)。非常にありがたい限り。
わしはじつは実存主義について、その意味がいまいちよくわからなかったのだが、この本を読んでようやく腹落ちした。実存主義とは人間の枠外に絶対的な善が(ようするに神が)存在することを否定する、という考え方だったのだ。それで神は死んだのか。なるほど、分かりやすい…って、こんなこと常識かしら。すみません。
著者の飲茶先生によると、実存主義を唱えたニーチェ以降、人間なしでも存在する絶対的な善ということを唱える人がいなくなってしまったそうだ。でもそれはなぜかしら? それってやはり科学の成功が効いているのかしら。疑問に思ったけど、それに対する答えはないようだ。
わしは今後、倫理が復活するという直感を持っているが、人間の枠外に存在する絶対的な倫理ではなく、人間の枠内で議論できる新しい倫理がどこかで誕生するのかもしれない、と思った。(新実存主義のマルクス・ガブリエルに期待。しつこい?(笑))
わしはほかにもいろいろ勘違いしていることに気がついた。例えば、ベンサムの「最大多数の最大幸福」って平等主義の考え方だったのか。王様もひとりとして考えるってところは確かに平等だけど、でもわしのイメージしている平等とはちょっと違うので、少しびっくり。わしの平等のイメージは、たとえ貧しくなったとしてもみんな同じがいい、という考え方だからね。この辺が哲学をちゃんと学んでいなくて聞きかじりの人間の悲しさでしょうか。
ともかく、本当にこの本、役に立ちました。どうもありがとうございます。
(物語)
高校2年で生徒会長の正義(まさよし)は平等を正義と考える最上千幸(ちゆき)、自由を至高の善と考える自由(みゆう)、人間なら誰でも直感で理解できる倫理が存在すると宗教的に信じる倫理(りんり)に惑わされる日々。だが、倫理の授業で風祭封悟(かざまつりふうご)から3人のどの考え方にも問題があることを知る。そしてこの高校ではいじめで生徒が自殺したことによりパノプティコン・システムという全校を監視カメラで監視するシステムを導入し、問題になっている。果たして正義の下した結論は?
平等の正義(功利主義):単に平等というよりは、功利主義では各人の満足度を平等にすることで、社会全体の幸福を最大にすることを目指す。この場合、幸福とは身体的な快楽。→問題点:幸福を客観的に測定できない、身体的な快楽が幸福と言えない、最大の幸福を実現するためには強権的な存在でないと最適な分配が実現できない。
自由の正義(自由主義):自由主義は弱い自由主義(リベラル)と強い自由主義(リバタリアニズム)に分かれる。弱い自由主義は、幸福>自由、で幸福のためには自由を多少制限してもいいと考える。実質的に功利主義と同じ。強い自由主義は、幸福<自由、であり、他人の自由を脅かさない限りは、何をしてもいい。例えば麻薬などの明らかな愚行も許容する。→問題点:格差社会の拡大、自分さえよければいいという行き過ぎた個人主義、当人同士が合意すれば何をしてもいいという非道徳的行為の蔓延、現在の自分の決断が将来の自分の自由を奪う可能性。
宗教の正義(直観主義):人間という存在と関係なく正義は存在し、人は議論することなしに直感的にそれを認めることができるという考え方。→問題点:直感で説明されても、それが単なる思い込みでないことを説明(証明)できない。自分に正義があるという思い込みが多くの虐殺を生み出してきた。
ヒュームのギロチン:哲学用語。どんなに言葉を組み合わせても、「〜すべき」という言葉を論理的に導き出すことはできないという主張。
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