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ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ナオミ・クライン 訳・幾島幸子・村上由見子 岩波書店 2011.9.8
読書日:2023.9.17

ミルトン・フリードマンの唱える新自由主義は自由のみに価値を置く過激な経済思想だが、過激すぎるゆえに民主主義の世界では受け入れ不可能で、最初は独裁国家のみで実現されていたが、そのうち災害などで社会がショック状態にあるときにすばやく導入するという戦術で民主主義国家でも導入されるようになり、ソ連が崩壊したあとは東ヨーロッパに、アジア通貨危機が発生するとアジアに新自由主義を導入することに成功してグローバル化を達成し、さらにはアメリカでは新自由主義の考えに沿ってイラク戦争すら引き起こし、このため全世界で貧困層が拡大し、空前の経済格差が発生した上に、民主主義は大幅に後退していると主張する本。

この本は2007年(日本語版は2011年)に出版されたものだが、わしはこの本の存在を知らなかった。まったく不覚である。「100分de名著」に取り上げられて、こんな本があるんだとびっくりして、図書館に予約した。同じことを考えた人が多かったらしく、昔の本には珍しく、多くの予約が入っていた。そして、読んでいて題名のとおりにショックを受けることが多く、読むのに苦労した。

この本の功績は、1970年代からの経済的な流れと政治的な歴史を、ひとつの一貫したアイディアのもとに再構成することに成功したことである。

この間、新自由主義が広がってグローバル社会が誕生したことは誰でも知っている。しかし、個々の歴史的な事件がいかに新自由主義の「革命思想」と結びついているのか、見通すことは難しかった。新自由主義の革命思想は、共産主義の革命とは異なり、なかなか目に入らないのである。それは静かな革命ではあるが、結局共産主義の革命と同じように、民主主義的でない強権的な方向に向かうというふうに、非常によく似ている。

この新自由主義が単なる経済思想ではなくて、共産主義と同じ「革命思想」だということにはなかなか気が付かない。なぜなら政治的な独裁を目指すわけではないのだから。政治的な革命を起こす代わりに使う手法が、政治的、経済的、自然災害的な事件が起こり、社会がまだショック状態で自分のことに精一杯でなにもできない間にすばやく導入する、ということなのである。他の選択肢がないというふうに見せかけて、民主的な手続きなしに導入するのだ。それがショック・ドクトリンなのである。

なぜこんな手法を使うのだろうか。それを理解するために、もう一つの革命思想である共産主義と比べてみよう。

イギリスの名誉革命やフランスのフランス革命によって、国民が主体の民主的かつ資本主義的な国民国家が誕生した。民主国家の標語は「自由と平等」である。自由と平等はある意味相容れない概念である。その辺のバランスをどのように取るかというところに民主国家の妙がある。そういう状況だから、この民主主義制度は自由の価値を重んじる人にも、平等の価値を重んじる人にも不満のある制度なのだ。

ここで「平等」のほうに思いっきり舵を切ったのが共産主義と言える。全員が労働者で、必要に応じて働き必要に応じて受け取る(ということになっている)。皆、平等なのである。自由を制限したこのような極端な政策は強制力が必要になるため、労働者が作った政党、共産党による独裁が認められる。革命が成功すると、その政治的な成功はすぐに誰の目にも見える。

一方、「自由」の方に思いっきり舵を切ったのが、新自由主義と言える。新自由主義は個人が何の制約もなく自由に行動すればもっともよい社会が自然に生まれると主張する。むき出しの資本主義を前提とするので、新自由主義では解雇したり減給したりということが起こりがちで、大部分の有権者に不利だから、民主主義の国ではこのような政策はほぼ受け入れられない。では共産主義のように政治的な権力を握って、人々に強制的にこの制度を受け入れさせればいいかというと、新自由主義においては自由を最も大切な価値観としているので、強制するのは自己矛盾に陥ってしまい、原理的にできないのだ。

そこでミルトン・フリードマンやその弟子たちが取った方法が、ショック・ドクトリンなのである。

彼ら自身は政治活動は専門外で関与しないと、建前上はそういう態度を取る。しかし常になにか社会的なショックが起きた場合に備えておくのだ。ひとたびショックが発生すると、新自由主義的な政策を受け入れさせるように為政者を説得するのである。非常事態なので、民主主義の制度は一時的に停止しているような状況で、しかも急いで決断しなくてはいけない。このような状況ではすでに用意されている急進的な経済政策が受け入れられやすいのだ。事実上、為政者を他の選択不可能な状況に追い込むのだ。国の代表者が選んだのなら、実際にはその国民が直接選んだわけではなくても、新自由主義者たちは自分たちが押し付けたのではないと主張できるわけである。 

このようなショックを使う手法については、ミルトン・フリードマンの著書「資本主義と自由(1962、日本語版は2008、未読)」にすでに書かれてあるのだという。

驚くのは、フリードマンはこのアイディアを実現するために、周到に準備を重ねていたことである。具体的にはシカゴ大学に世界中から優秀な若者を集めて自分の思想を吹き込んで、各国の大学や政府機関に送り込んでいったのである。彼らをシカゴ・ボーイズという。新自由主義革命にはこのような地道な準備期間があったのだ。フリードマンの信念の強さが感じられる。

その最初の成果が、1973年にチリで起きたクーデターである。ピノチェトは左派の伸長に危険を感じてクーデターを起こしたのだが、ピノチェト共産主義に対抗する強力な政策を必要としていた。その時、すばやく反共的な政策を提供したのが、シカゴ大学で学んだシカゴ・ボーイズだったのだ。もちろん軍事独裁政権であったから、民主主義的な手続きは不要である。反共のピノチェトはこの政策に飛びついた。

この結果、価格統制は撤廃されてインフレが起こった。労働者は解雇されて失業率が激増した。国が国民に提供していた福祉などのセーフティーネットの予算はカットされた。こうして大不況が起きて、国民は生きていくのも大変になった。当然、国民は抗議したが、独裁政権はつぎつぎに逮捕して拷問を加えたので、やがてそれも静まった。

これがなぜ国際的な非難を受けなかったのだろうか。アメリカを中心とする外国企業にものすごく有利だったからだ。

国営の企業や資産は売りに出されたが、適正価格がどうというよりも国家から切り離すことを優先されて、ともかく格安で売りに出されたのだ。外国の大企業が掘り出し物を買い漁ったのは言うまでもない。そして、利益を出すために解雇を行い、そうやって得た利益は本国へ送金し放題だったので、チリに残ることはなかった。貿易障壁も撤廃されたので、外国の安い商品は無関税で輸入されて、チリの産業はますます壊滅的になった。

為政者たちも、この膨大な資産を自分のものにしたのは言うまでもない。アメリカなどは反共のチリを歓迎し、国際融資を行った。この融資は国民に渡らずに、どこかに消えてしまった。政治腐敗が蔓延したのである。

やがてインフレは収まった。なぜなら、誰も物が買えるほどお金を持っていなかったからだ。一方で、少数の金持ちが贅沢な生活をしたので、金持ちの経済が回り始めた。こうして、チリは困難な時代を乗り越えて、自由主義経済として再生した、という評価がされたのである。巨大な経済的格差が誕生したことは無視された。金持ちたちのお金はトリクルダウンで国民の皆に渡ると主張され正当化されたが、実際にはトリクルダウンが起きることはなかった。

一部の資本家、大企業は、ショック・ドクトリンによりチリで莫大な利益をあげることができた。こうしてショック・ドクトリンはある国の資産をまるごと手に入れられるので、非常に旨味のあるスキームであることが証明された。そうすると、資本主義としてはこのスキームを一過性に留めずに連続して活用して、利益を上げ続けたいと思うのは当然である。

このため、南米の独裁国家に連続してこのスキームが使われた。アルゼンチン、ウルグアイなどである。しかし新自由主義独裁国家にしか使えないと評価されてしまった。

そのころ民主主義に移行したボリビアが経済的苦境に陥っていた。ハイパーインフレに見舞われ、天文学的な対外債務を抱えていたのだ。1985年の選挙のあと、政府は突然、新自由主義的な政策を実行した。これは公約になかった政策で、民主主義的な手続きを一切無視して導入された。

このとき、ボリビア新自由主義の政策を受け入れたのは、どうしてもアメリカの援助が必要だったかららしい。債務に苦しんでいる国は、ともかくドルが必要なのだ。こうして、民主主義国家でも、厳しい経済状況にある国は、援助と引き換えに新自由主義を受け入れることが証明されたのである。

このころIMF世界銀行などの国際的な機関には、フリードマンの生徒たちのシカゴ・ボーイズが多数雇われていた。ボリビアの推移を見守っていたIMF世界銀行のシカゴ・ボーイズは、IMF世界銀行がこのスキームをどの国に対しても実行できることを理解したのである。つまり、何らかの理由で、国家が経済的な苦難に陥ると、その国は援助と引き換えに、新自由主義の政策を受け入れるのである。

こうしてソ連崩壊直前の1989年のポーランドや1997年のアジア通貨危機時に、IMFは民主的な手続きを一切無視して、援助と引き換えに、新自由主義的な政策を受け入れさせている。

IMFがいかに民主主義的な手続きを避けようとするかは、1997年のアジア通貨危機での韓国への対応で分かる。韓国はちょうど選挙の時期で、どの候補者もIMFの求める政策を受け入れることを公約で表明することは不可能だった。しかしIMFはすべての候補者が、当選後にIMFのスキームを受け入れない限り、援助はしないと言って、裏で全員から誓約書を取り付けている。この結果、韓国の国民は選挙で政策を選択することは不可能になってしまった。IMFはともかく民主主義的な手続きを避けようとするのだ。

IMFの政策を受け入れると、どの資産を売却するか、どれだけ解雇するかなどの決定は、専門家からなるという委員会が作られ、委員会が決定する。この委員会は民主主義の枠外に作られているにも関わらず、絶大な権限を有するのである。国民は常に埒外に置かれるように政策を進めるのである。

この手法は、自然災害も利用する。スリランカ政府は2003年に、IMF、世銀の作ったショック療法プログラム「スリランカ再生計画」を導入しようとして、うまくいっていなかった。そこに2004年にスマトラ沖地震が発生し、スリランカ津波に襲われた。この時を逃さず、政府は水道事業の民営化の法律を可決し、さらに電力会社の民営化に着手した。津波のショックで国民の誰も気が付かないうちに進めようとしたのだ。

アメリカでは、2005年にハリケーンカトリーナに襲われ、ニューオリンズが壊滅したとき、この時を逃さず、ニューオリンズ市は公立学校をほとんど廃止し、チャータースクールに切り替え、教師のほとんどを首にした。

しかし、やはり民主主義で新自由主義の政策を進めるのは難航した。英国のサッチャー新自由主義の政策を進めようとしていたが、うまくいっていなかった。そこに1983年にフォークランド紛争という非常事態が起き、サッチャーはこの戦争に勝った勢いで新自由主義の政策を推し進めた。

アメリカではブッシュ(息子)大統領とラムズフェルド新自由主義の政策を進めようとしていた。軍の仕事を民営化しようとしていたのだ。しかしうまくいっていなかった。そこで起きたのが、9.11のアルカイダのテロである。この時期に一気に軍隊と諜報という国家的セキュリティの民営化と外注化が進んだ。これらの民営企業の経営陣にラムズフェルドなどが絡んでいたのはもちろんである。こういう外注はほとんど無競争で莫大な金額が支払われ、その金額の妥当性はまったく監査されていないという。

正直に言って、この本を読むのは苦しかった。

なぜなら、わしは、新自由主義が真っ盛りの時期に育っており、フリードマンの「選択の自由」などを読んで、紛れもなく新自由主義に感染していたからだ。わしが新自由主義ではうまくいかないと確信したのは、2010年代になってからだ。

なぜこんなに新自由主義は感染力が高いのだろうか。それは、「自由」が最も大切で、それさえあればすべてがうまくいくという、シンプルさ、純粋さにある。それは、かつて、共産主義が「平等」を叫んで、世の中のエリート層に訴えたシンプルさ、純粋さと共振する。

だが、「自由」と「平等」のどちらに振れてもうまくいかないのである。「自由」と「平等」のバランスを取るしかないのだ。それがいかに複雑で困難であろうとも。

そして今はあまりに「自由」側に振れすぎており、「平等」側へ戻すべき時期なのだ、とわしは信じる。

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