ジェレミー・リフキン 訳・柴田裕之 集英社 2023.9.30
読書日:2024.4.8
「限界費用ゼロ社会」で有名なリフキンが、進歩と成長が絶対だった文明が終わり、レジリエンスの時代が来る、と主張する本。
まあ、この手の本は多いわけですが(苦笑)、リフキンが書いたということで読んでみようかと思ったわけです。「限界費用ゼロ社会」はいろんな費用がどんどんゼロに近づき、3Dプリンターでどこでも製造業ができるという話で、当時としてはぶっ飛んだ発想でした。わしはおおいに唸ったものです。
というわけで読みましたが、いまいちでした。理念先行で、それに当てはまるように見える現象をかき集めて並べてみましたという感じですね。説得力がいまいちです。
まずリフキンは、効率一辺倒で突き進んできた工業の時代、GDPの時代が終わり、さらには資本主義も終わるといいます。効率をあげるためにどんどん機械を導入して、労働者の首を切ってきた時代は終わるというのですね。
ところがリフキンは、いま進んでいる別の効率化の方は称賛するんですね。
今後は第3次産業革命が進んで、情報のインターネットだけでなくエネルギーや物流のインターネット化も起きて、全てがスマートになるそうです。こちらの効率化は別に構わないようです(笑)。エネルギー産業や物流産業の労働者は職を失わないんでしょうか?
そして、時代の流れのキーワードは分散で、将来、人々は都会を離れて、続々と地方の自然の近くに移住するんだそうです。その根拠はアンケートを取ったら、半数以上が都会よりも田舎に住みたいと答えたから、というのですが、本当に田舎へ行きますかね?
わしなんかは自然を守りたいのなら、田舎へ移住するよりも、すべての人間が都市に住んで、田舎を全部自然に返してしまえばいいんじゃないかという気がしますが。わしはリフキンとは逆に、都会がさらに増殖する方向に進むと思います。
分散は政治にも及んで、地域やコミュニティに権限が分散されて、幅広い人達が政治に参加するようになるんだそうです。それを「ピア政治(ピアオクラシーpeerocracy)」と名付けています。
わしが一番気に入らないのはこの辺ですね。わしは昔からルソーと性が合わないのですが、この辺、ルソー的な匂いがぷんぷんします。
わしがルソーが気に入らないのは、「一人ひとり」が平等になるためには「全員」の合意が必要だ、というところですね。「個人」と「全員」という、なんとも両極端なところでバランスを取らなくてはいけないところが、危うい。
まずそんな事はできないし、できたとしてもその合意が全員を縛って、なんとも居心地の悪い状況になりますし、最悪、それを実現するために絶対権力とか独裁とかが必要になるでしょ?
そういうのに比べると、デヴィッド・グレーバーのような、自由を中心した発想のほうがいいですね。つまり、そこが嫌になったら逃げ出せるということが担保されていてほしいんです。同じ平等でも、いつでも誰でもどこへでも逃げ出せる自由があるから、みんなが平等、というふうになってほしい。
まあ、ともかく、リフキンの語るような未来はいろんな人が口にするけど、わしが思い描いている未来とは違うんですよ。
★★★☆☆