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ルソー

福田歓一 岩波書店 2012.6.15
読書日:2024.7.31

哲学者ジャンージャック=ルソーの生涯、文筆活動、思想の全体像を述べた入門書。

わしはルソー嫌いを公言していて、それは高校のころに初めてルソーを読んだときからであるから筋金入りなのである(笑)。

どこが嫌いなのかというと、人間は生まれたときには何にも影響されていない自由な存在で、その後人と交わって社会に入り、文明にさらされると汚れていくという、最初は良かったがだんだんだめになるという、そういった考え方である。

さらには、社会契約を結んだあとには、その契約に全面的に従わなくてはいけないとする考え方である。わしには、この考え方は共産党の政権の考え方とダブって見えるのである。

というわけなのだが、そもそもルソーの人生には興味を持っていたので、いつかルソーの評伝を読んでみたいと思っていた。

ルソーの伝記を読みたいということであるのなら、ルソーの自伝「告白」を読めばいいではないかというひともいるだろう。でもルソーってなんだか自己弁護がとてもうまい人のような気がする。それよりも、別の人がきちんとチェックした本を読みたいと思っていたので、そういう本を探してみた。ところがどうもルソーの評伝って意外にないのである。みんな、ルソーの哲学について語りたがるが、その生涯についてはあまり熱心ではない。

その点、この本は入門書ではあるが、ルソーの生涯にかなりのスペースを割いているので、良いように思えた。

で、読んだ感想だが、ルソー個人について勝手に抱いていたイメージとかなり違っていた、ということを告白しよう。ルソーがこういう人だとは、わしは知らなかった。

では、ルソーとはどんな人だったのか。

わしの印象では、ルソーは現代のミュージシャンの心象に近い気がする。現代のミュージシャンって、ラブ・アンド・ピースとか、発展途上国の人を救えとか、LGBTとかの性の多様性を訴えたりとか、そういうリベラルな部分で団結したり世間に訴えたりするじゃないですか。そういう感性に近い人っていう気がした。

なにより、ルソー本人は実際に本物のミュージシャンで、ずっと音楽関係で暮らしを立ててきたのだ(それも死ぬまで)。オペラを作詞・作曲して、けっこう評判になったりしたりしている。

このルソーのいた時代は、作曲家は音楽を民衆に売って生きていくことができない時代だった。普通の平民の人たちが音楽にお金を払うということが考えられない時代だったのだ。では当時の音楽家はどうやって暮らしを立てていたかと言うと、宮廷からお金をもらって生活していたのだ。

オペラが評判になったルソーは国王から年金を出そうと申し出をされる。これは音楽家として認められたということだ。ところが、ルソーはこれを断ってしまい、周りから驚愕されてしまう。あり得ない話なのだ。ルソーはお金をもらうことで誰かの下につくことを拒否するような人だったのである。つまり、反骨の人なのだ。わしにはまるで、「イェーイ、ロックしてるぜ」とでも言っているように思えた。

そもそもルソーはどうやって音楽家になったのか。それはほぼ独学である。

ルソーの家はもともとは裕福だったらしいが(ジュネーヴ共和国の選挙権を持っていた公民だった)、父親が決闘沙汰の果てに逃げ、ルソーは親戚に育てられる。そしてあまり教育も受けられずに12歳頃には働きに出なくてはいけなかった。だが、ルソーは徒弟の生活に馴染めなかった。

当時の都市は塀で囲まれて、夜には門を閉めていた。ある夜、時間に間に合わずに外に締め出されたルソーは、都市が私を締め出すというのなら私もここには帰らない、とでも言うように、そのままジュネーヴを去るのである。16歳のときである。

いろいろあって、後に愛人となるヴァランス夫人と出会い、面倒を見てもらう。その後、大聖堂聖歌隊の寄宿生となり(1729年10月)、音楽を習うのだが、翌年1730年の7月には辞めてしまう。つまり、音楽をきちんと学んだのは、たった9ヶ月である。これだけの経験で、彼は自身を音楽家と称して、作曲をして、ローザンヌで指揮までしている。この時、18歳である。なんというか、あまりに豪胆というか。この試みは失敗するけれども、ともかくルソーは音楽で食べていく決意をするのである。

これって、音楽で食べていくと決意した現代の若者とほとんど変わらないように思える。現代でも成功する可能性は少ないが、音楽がビジネスとして成り立っていない18世紀ではほとんど絶望的である。夫人から仕事を紹介されても、音楽にこだわるルソーはすぐに辞めてしまう。結果としてヴァランス夫人に依存する生活になる。結局、ルソーはヴァランス婦人の愛人となるが、30歳のときに愛人の座を別の男に奪われてしまい、自立を迫られる。しかし、いろいろやってやっぱりうまくいかず、結局は音楽に舞い戻ってしまう。

このころ、無学で内気なテレーズ・ルヴァスールと出会う。二人は気が合ったのか、付き合うことになる。ルソーは快楽を満たすためなどと言っていたが、彼女と出会ってルソーは気を取り直し、書きかけのオペラ「優美な詩の女神たち」というオペラを完成させる。33歳のときである。これでリシュリュー公爵の知遇を得て、この作品はベルサイユで公演までされたのだから、なかなかである。

テレーズって成功前にいろいろ助けてくれる、内助の功とか糟糠之妻(そうこうのつま)みたいな女性をイメージしませんか? この辺もどこか現代のミュージシャンっぽい。(将来を悲観していたので、生まれた子供を孤児院に送るなんてこともしてるんだけど)。

で、「優美な詩の女神たち」はそれ以上の成功を収めなかったが、次の作品「村の占師」という作品は大成功を収めて、オペラ座で公演までされている。この時、国王から年金を与えるという申し出があった。ところが、ルソーはこれを断るのである。年金を受け取ることを潔しとしなかったのである。40歳のときだ。

こうした成功するまでの間、ルソーが何をやって食いつないでいたかと言うと、写譜をしていたのである。どうやら、当時、楽譜の印刷はなかなか難しかったらしく、楽譜は人間が手で写していたらしいのだ。

そして、じつは、成功したあともいろいろルソーは政治的な問題などを起こしているから、なかなか経済的にはずっと厳しかったのである。小説「新エロイーズ」が新種の恋愛小説として大評判になり当時としてはベストセラーになったりしているが、厳しさは変わらず、結局ルソーは死ぬまで写譜の仕事を続けたのである。

午前中は写譜の仕事をして、午後は著作をするという生活だったそうだ。

こうしてみると、ルソーは生涯自分を養ってくれる資産を持っていなかったことがわかる。この辺が貴族出身だったり、豊かな中産階級の哲学者と違うところだ。にもかかわらず、有力者の傘下に入ることも潔しとしなかった。彼は誰にも束縛されたくはなかったのだ。

こうしてみると、ルソーって、なにかロックンローラー的な心情を持った人間だという気がしないですか? 

結局ルソーって、誰にも束縛されずに自分の思うように生きたいって思う人だったんですね。それだから、そもそも人は文明以前、自然の中でなんの束縛もなしに生きて幸せだったはずだ、と夢想するんでしょう。そして、どうしてそのように生きられないのか、ということを考えざるを得なかったんだと思います。

この心情はよく理解できる。わしにもそういう部分があるから。なので、ルソーが意外に自分に近いということを実感できた。

でもここからが、ちょっと違う。もしそうなら、あらゆる権威を否定するような、政治的にはアナーキズムリバタリアンの方向を目指さないか? でもルソーは違うのである。

ルソーはこう考えるのである。

もしも人々が集まって共同体を作ったとして、「各人がすべての人と結合しながら、しかも自分自身にしか服従せずに、それまでと同じように自由である」ような共同体があるとしたら、どんな共同体だろうか、と。そんな夢のような共同体が可能なんだろうか、と。

ルソーによれば、あるとすれば、それは「各構成員は自分の持つ一切の権利とともに自分を共同体全体に譲渡する」ことだというのです。そうすれば、共同体の意思は自分の意思と言えるでしょう。ならば、共同体の意思を全面的に受け入れても、それは自分の意思なのだから、何ら問題ではないという理屈です。

いやー、これは受け入れられないですね。その共同体の決定に対して、「そんなのは嫌だ」と言えなくなるってことですから。(これだからルソーは独裁政権に利用される)。

しかし、こういう極端な夢想をするようなところも、なんかミュージシャンという気がしないでもないですね。ラブ・アンド・ピースですべてうまくいくと夢想するような。

なお、ルソーはテレーズとはずっと内縁関係でしたが、1768年に正式に結婚しています。56歳の時です。ルソーの最期を看取ったのもテレーズでした。

ルソーの哲学はともかく、その人間性には意外と親近感が持てたということは収穫ではありました。そして、その生き方自体は刺さる部分が大いにありました。

★★★★☆

 

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