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グレーバー+ウェングロウ『万物の黎明』を読む 人類史と文明の新たなヴィジョン

責任編集・酒井隆史 河出書房新社 2024.4.20
読書日:2024.9.23

『万物の黎明』に関するインタビュー、議論、書評などを集めて、どんな影響を与えたのか、与えつつあるのかを教えてくれる本。

出版と同時に古典入りした感のある『万物の黎明』。わしも読んでたいへん感銘を受けた。

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だが、なにしろ様々な内容を含んでいるため、わしの理解が及ばないところがたくさんあるに違いない。ここは他の人の意見も聞いてみたいところであった。ということで、この本を読んだわけである。

いろんな人が意見を述べているんだけれど、やっぱりわしの意見と重なる部分が多かったな。

なんと言っても、『万物の黎明』の意義は、文明が行き詰まってしまった感がある現代において、そうではないと力強く宣言してくれたことだろう。

つまり、人は過去において、いろいろな社会を試しており、こうした新しい社会を構想して試す能力は失われていないはずだから、その力を取り戻せるはずだ、ということだ。

そして、自由の意義をもう一度再確認させてくれたということだ。過去に、国というものがなかった時代、人は驚くほど、自由に動き回っていたのである。ある場所、集団が嫌なら比較的気軽に、別の場所に移動していたのだ。このように自由に移動できる社会では、人は他人になにも強制できないのである。

その自由な移動を可能にするシステムが古代の社会には備わっていた、とグレーバーたちは主張するのだが、これは実はわしにとっては、ちょっと疑問なところだった。

グレーバーたちはネイティブ・アメリカンの人たちの、クランという制度を例に上げているけど、これってアメリカに特有のシステムなんじゃないかしら。どうも日本の縄文人がこれと同じように日本中を旅していたようには思えないんだよね。まあ、移動してことは間違いないんだけど。この移動の自由さが、新石器時代に普遍的なものなのか、その辺について疑問を出している人がいなかったのが、ちょっと意外だった。でも、外から来る人を歓待する傾向があるような気がする。

もうひとつ、意外にいろんな人に感銘を与えたのが、自由で平等だという概念をヨーロッパ人はネイティブ・アメリカンのカンディアロンクとの対話から学んだ、ということ。このカンディアロンクとの対話は当時本になって、確かに当時のベストセラーになったらしいけれど、どのくらい影響力があったのか、どうもわしには疑問だったんですが、意外にみんなはこの意見を素直に受け入れているらしいんだな。人が平等という話は、中国の「天」の考え方が影響している、という話も聞いたことがあるから、他にもいろいろ影響が考えられるんじゃないか? だから多くの人がこの説を批判なく受け入れているのには、ちょっとびっくりだな。これは古代の話じゃないから、確認は可能なんじゃないかしら。誰か検証してほしいなあ。

『万物の黎明』には官僚機構とか王政とか権力機構のシステムなしに、人々がただ集まるという話が出てくるんだけど、あのインダス文明もそうだということを小茄子川歩が報告していて、そうだったんだあ、とちょっと驚いた。インダス文明モヘンジョダロとかハラッパーというのは、ぜんぜん都市なんかじゃないんだそうだ。だいいちものすごく狭くて、人々が集まって生活していた痕跡はなさそうだ。なにか市場のようなものだったらしい。

アイヌ社会を研究している瀬川拓郎が、アイヌの家長というのは奴隷として人々を使って毛皮や魚の商品を作る人たちだったんだけど、他の家族にはまったく権力が及ばず、部族の族長でもないんだそうだ。この話なんかは、家父長制と王政との中間みたいで、家父長制の起源が気になっているわしには興味深かった。

★★★★☆

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