クォン・ナミ 訳・藤田麗子 平凡社 2024.3.6
読書日:2025.2.12
1990年代、ニートだった20代に暇つぶしに日本文学の韓国語翻訳をはじめ、徐々に仕事が入って来るようになったが、仕事のネタを探しに日本へ行ったらうっかり結婚、その後に離婚、シングルマザーになってからは真剣に翻訳に打ち込み、やがて訪れた日本文学ブームの中で飛躍、いまでは日本文学翻訳の第一人者になった著者のエッセイ。2011年初刊、2021年改訂版の翻訳。
1991年に日本で結婚して三鷹に3年間住んでいた頃、韓国は日本文学に対する理解はまったくなく、著者がいいと思った吉本ばななも江國香織も全く需要がなかったそうだ。仕事のほしかった著者は、恋愛関係のエッセイから適当に見繕って、一冊でっち上げるようなこともしている。当時の韓国は著作権法がしっかり整っていなかったからできた荒業だった。当時の日本の貧乏新婚生活を書いたエッセイまで出版している。
2002年に離婚。当時は仙台に住んでいたんだそうで、本人の仙台イメージは、失恋したら向かう町(笑)。まあ、そう言えば、日本では挫折した人間は北に向かうことになっているのかもしれない。
ソウルに帰ってきてからは、出版社に電話をしても仕事がない焦る日々が続いたが、運良く(本人曰く、自分は運8割だそうだ)、昔の知り合いが独立して出版社を起こして、彼女に連絡してくれた。最初は何でも訳していたが、自己啓発系は合わず、文学系専門にしたのだそうだ。この頃から、仕事が途切れず、数年後に借金を返してソウル郊外に小さなマンションを買えるくらいになったそうだ。
彼女の活躍した時代はちょうど韓国の日本文化開放政策の時期と重なっていて、日本の小説への需要も高まった。彼女の出世作は日本映画「ラブレター」の原作本で、このときは日本ですでに映画を観ていたので、出版社に強く出版を勧めて、原作本を翻訳したのだという。最初はあまり売れなかったが、2年後に映画が韓国で大ヒット、原作本もベストセラーになった。これまでもベストセラーは出ていたけど誰もが知るものではなかったが、映画の宣伝効果はものすごくて、「ラブレターの翻訳者」というだけで本を読まない人にも訴求できるようになり、一般に名前が知られるようになったのだそうだ。
成功した翻訳者となった彼女のところには、「私も翻訳者になりたい」という類のメールがたくさん届くのだという。しかし、翻訳なら簡単に副業できそう、くらいの安易なものが多くて、彼女はたいていはこの道に入ることをお勧めしないのだという。だいいち、そんなに収入にならないという。彼女はほとんど毎日休み無しに働いているが、月収400万ウォンくらいだそうだ。(2011年の初版当時の話)。
翻訳家はフリーランスなので立場が弱く、なかなか原稿料を上げることができないという。仕事が途切れるのが怖いので、好きな作品の仕事ばかり選ぶということもできない。翻訳家は内気な人が多くて、そういう交渉事は難しい。新人のころに報酬について苦情を言ったら、結局その出版社との関係は切れてしまったという。
若手の翻訳や希望者に与えられるのはレジュメの仕事だそうで、日本の本を読んであらすじなどの資料をまとめる仕事なんだそうだ。これは安いんだけど、レジュメを読んで出版を決めるとレジュメを書いた人に仕事が回ってくる確率が高くなるから受けたほうがよいという。しかも、この仕事はばかにできないらしく、レジュメを読んだだけで、その人が将来素晴らしい翻訳家になるかどうかが分かるんだそうだ。へー。
仕事が途切れなくなってからレジュメを作らなくなったが、そうすると似たような仕事ばかりになるので、出版社に出すかどうかは別にして、本を読んでレジュメを作るようなことをしているんだそうだ。
翻訳料は、買い切り型にするか印税型にするかの選択肢があるが、著者は買い切り型一択だという。そのため本がベストセラーになっても余分なお金が入らない。きっと苦労した時期が長かったので、確実にお金が入る方を選んでいるんだろう。知り合いの翻訳者の中には、印税で一冊で家が買えたという話もあるそうだけれど、著者はやはり買い切りを選ぶそうだ。なお、翻訳料は難しいものでも簡単なものでも同じだそうだ。
この辺の翻訳家事情は、日本もあまり変わらないんじゃないかな。もしかしたら、いまの日本の翻訳家はあまりレジュメのようなことはしないのかもしれないけど。(たぶん向こうから売り込みが来るんじゃなかろうか?)。
娘の靜河(ジョンハ)とのやり取りも楽しい。小さい頃は電話に出るのが好きで、仕事の電話に必ず出てマネージャーのようなことをして、各出版社の人に可愛がられたんだとか。大きくなったら自分も翻訳者になると言っていたけど、そのうちその夢は記者に変わったそうだ。一日中パソコンの前に座って楽しくなさそうだから、という理由らしい。そして2021年のいまは会社員として働いているそうだ。
著者は翻訳を天職と考えていて、もう一度若い頃に戻っても翻訳をするかと聞かれれば、喜んでそうすると答えるそうだ。
★★★☆☆