キャサリン・レイヴン 訳・梅田智世 早川書房 2023.4.25
読書日:2023.7.13
(ネタバレ注意)
親から虐待を受けて15歳から一人で暮らしてきた著者が、モンタナ州の丘にコテージを建てて暮らし始め、そこに訪れる<キツネ>と友だちになる話。
著者のレイヴンは本当に両親の愛のない家で育ったという。親族でわずかに彼女に愛を注いでくれたのは祖父だけだったらしい。親から虐待も受けたらしい。もともと子供は欲しくなかった、と言われて続けて育ったのだ。それで15歳のときに家を抜け出した。驚いたことに彼女はその後、大学へ行ったのだ。15歳で大学って、どういうこと? 彼女にとって幸いなことに、彼女はとても成績優秀だったらしい。(上位2%なんですって)。でも、父親は彼女の大学の奨学金を持ち去って、逃げたらしい。彼女はそのお金も働いて返さなくてはいけなかったという。その後、父親とは二度と会わなかったし、母親ともずっと後に一度会っただけだという。
こんな状況では、人付き合いが苦手になるのも仕方がない。彼女は東海岸側にいたらしいが(ジョージタウン大学とアメリカン大学にいた)、卒業後、すぐに西へ飛んで、イエローストーンなどの国立公園のレンジャーに就職する。そうやって人と付き合わないで、自然の中で生きてきたが、上司から大学院へ行くことを勧められ、生物学を専攻し、分子生物学でDNAをいじるような実験をしている。でも、そんなふうな狭い学問領域に入っていくのは、彼女の性分に合わなかったようだ。
博士号を取った後、モンタナの外れの丘に小さなコテージを建てて、一人で暮らしていくことにする。収入は大学と契約した2つの講座の授業と、教科書を書く仕事だけで、本人の言うには、医療保険も払えない厳しい生活だ。家族もいない、友もいない、そもそも誰かと気持ちを通わせたこともない、そんな彼女がほんとうの意味で心を通わせているのは、読書だ。彼女は気に入ったいくつかの本を読み込んでいる。その本は、サン=テグジュペリの『星の王子さま』『人間の土地』、メルヴィルの『白鯨』、シェリーの『フランケンシュタイン』。人間社会に背を向けて自然と向き合う話ばかりだ。
しかし、そんな彼女のところに、一匹のキツネが毎日やって来るようになる。餌付けをしたわけではない。ただ一緒にいるのである。毎日4時15分になるとキツネはやってくる。やらなくてはいけない仕事があっても、彼女は外の椅子に座るようになる。キツネは横で丸まって日向ぼっこをする。そんなキツネに著者は、『星の王子さま』を読んで聞かせるのである。
ということになると、『星の王子さま』を読んだ人はすぐに、この本に出てくるキツネの話を思い浮かべるだろう。地球にやってきた王子様に、キツネが友だちになる方法を教える、というエピソードだ。(実際には友だちになるじゃなくて、「飼い慣らす」と表現しているけど)。その方法はちょっとずつ近づいて、やがてお互いがなくてはならない関係になるというものだ。不思議なことに、レイヴンは、このエピソードについてまったく触れられていない。あまりに有名だからだろうか。それとも飼い慣らすという表現が生物学者としては受け入れられなかったのか。
もうひとつ、著者はこのキツネに名前を付けずに、ただ<キツネ>と呼んでいる。(原著では大文字の<キツネ>らしい)。この理由として、著者の主張では、自分は生物学者であるから、固有名詞をつけたりすると、擬人化してしまい、科学者として客観的になれないからだという。
しかしこれも不思議な話である。生物学のフィールド研究でも、いまでは個体識別をして、名前を付けるのは普通だからである。(違う? ちなみにわしの記憶では、これを始めたのは日本のサル研究だ)。だいいち、著者は<キツネ>以外の動物や木にはさんざん名前を付けているのである。<Tボール>とか、<ジン>と<トニック>とか。そうなると、なぜキツネのことを<キツネ>と呼んだのかというと、『星の王子さま』のなかで、キツネを単に<キツネ>と呼んでいたからに他ならないだろう。<キツネ>は、『星の王子さま』に出てくるキツネの名前をもらったのだ。
著者は<キツネ>が来ないと、寂しくなるし、<キツネ>の方も訪ねたときに著者がいないと、コテージの中を覗き込もうとしたりしている。そのうちメスのキツネとつがいになって子供が生まれると、子供を連れてきて、著者の庭で遊ばせたりしている。ちなみにメスのキツネの方は彼女のところにはやって来ない。
もちろん生物学者だから、他のキツネはまったくなつこうとしないのに、この<キツネ>だけが著者になつくのか、考察したりしている。キツネの家畜化の実験では、ベリャーエフの実験が有名だ。ソ連のベリャーエフは人間になつくキツネだけを選んで交配した。するとほんの数世代で、人間に尻尾を振るくらいに家畜化したのである。このとき、キツネは耳がたれ、足の先が白くなったという特徴が現れた。家畜化した動物によくある特徴だ。そしてまさしく、この<キツネ>も足の先が白かったのだそうだ。
こうした関係を著者の受講者たちも敏感に察して、講義が行われるたびに<キツネ>はどうなったかを聞くようになる。
2年経つと、ひとりと一匹の関係はもう離れられないものになっている。野生のキツネの寿命は数年だそうで、短いものだから、彼女もいつかはこの関係が終わることを理解していたが、それは想像よりももっと早く訪れる。山火事が起きて、彼女の小屋も危険にさらされたのだ。彼女も避難して、戻ってきたとき、<キツネ>は行方不明になってしまったのだ。
それをきっかけに彼女は生活を変えることにする。大学での仕事をフルタイムに変えて、奇形だった上唇小帯の手術もした。現在はサウス大学の教授だそうだが、いまでも同じコテージに住んでいるんじゃないだろうか。彼女も少しだけ人間の社会に歩み寄ったところで、本書は終わる。
個人的には、彼女が動物を識別できるのに、人間を識別できないというところに共感したな。彼女は社会人のフィールドワークも担当していて、一緒に野外に何日間か出ているが、フィールドワークから返ってくると、街に行かないようにしているんだそうだ。なぜなら、この生徒たちはまだ街にいる可能性が高いけれど、服装とかが変わると、彼女には誰が誰だったか分からなくなるからだそうだ。じつはわしもそんな傾向があるので、大いにうなずいた次第です(笑)。同じマンションの住人とマンションの外で会っても、誰が誰か分からないんだから。
(星の王子まさクイズ)
問い:物語のラストで星の王子さまはどうなったでしょうか。
答え:毒蛇に噛んでもらって死に、魂となって星の世界に帰った。
星の王子さまを好きだという人も多いけど、ラストについては意外に覚えていない人が多い。なので、星の王子さまのことが話題に上がると、わしはこのクイズを出して楽しんでいる。
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