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恐るべき子供 リュック・ベッソン『グラン・ブルー』までの物語

リュック・ベッソン 訳・大林薫 辰巳出版 2022.6.25
読書日:2022.11.15 

フランスの映画監督リュック・ベッソンが孤独な少年時代を過ごしたあと、グラン・ブルーを発表して、ようやく何者かになるまでの自伝。

わしは社会人になりたての90年代、年末には地方の実家に帰っていた。といっても何もすることがないから、大晦日にはおもにテレビで映画を観ていて夜を明かすことが多かった。そのときひどいと思ったのは、毎年、同じ映画が流されることだ。少しはバリエーションを増やせよ、と思うのだが、地方の放送局だから年末の深夜映画にそんなに力は入っていないのである。そしてなぜかグラン・ブルーが流されることが多く、結局わしは3回ぐらい観たんじゃないだろうか。

というわけでグラン・ブルーには親しみがあり、どちらかと言うと好きな作品である。わしはてっきりこれはアメリカ映画だと思い込んでいた。リュック・ベッソンがフランス人のクリエイターだと認識したのは、ニキータあたりからじゃないかな。そのときはフランスでこんな映画が撮れるんだと、驚いた。ぜんぜんフランス的じゃない。

この自伝は、前半と後半に分かれていて、前半は映画のクリエイターになることを決心して学校をやめるまでで、後半は映画をやることに決めて、フランスの映画界で悪戦苦闘する話である。

しかし、全編を通して漂っているのは、リュック・ベッソンの恐ろしいほどの孤独である。なにしろ小さい頃から父親クロードと母のダニエルのどちらからも気にかけてもらえず、友達もいなかった。普通、両親のどちらかは子供に気をかけるものじゃないだろうか。しかしふたりとも忙しくて、リュックはまったく相手をしてもらえなかったのだ。

父親のクロードはリゾートのアクティビティの仕事をしていたので、夏はギリシャの島などの海のリゾート地でヨットや水上スキーなどを客に教えていたし、冬は冬山のリゾートでスキーを教えていた。母親もダイビングの資格を取って客に体験させていたりしたり、冬山ではクレープを焼いたりして働いている。

特に父親はサービス精神が旺盛で、客にとても人気があり、常に客の相手をしていたから息子の相手をしている暇などないのである。リュックは、父親は神のような存在で、神様はみんなのものだから仕方がない、と自分を納得させている。父親の注目を集めたい一心でスキーの特訓をして、ついに父親を超えるところまで上達して、褒めてもらえるかと思ったら、逆に嫌な顔をされて、逆効果だったなんていう話もある。

そんな風にほったらかしにされていたので、自分ひとりで遊ぶしかない。季節ごとに移動し、しかも周りには同じ年頃の子供もいなかったので、就学前は他の従業員が飼っていた犬のソクラテスが友達で、いつも一緒にいたそうだ。

さらに素潜りをして、タコやウツボなどを飼いならして、一緒に遊んだりしている。タコが足を絡ませてじゃれてくると、とても慰められたと言ってるのだから、どれだけ孤独だったんだよ、と言いたくなる。もちろん、両親はリュックに食事を与えなかったというようないわゆるネグレクトのようなことをしたわけではなかったが、抱きしめるとかの愛情行為はほとんどしなかったんじゃないだろうか。なにしろタコに抱かれて感激するほどなんだから。ある意味、精神的なネグレクト状態だったといえるだろう。

しかし、後年のリュックを思わせるというか、行動力はものすごいのである。簡単な板の舟に犬と一緒に乗って、対岸のスイカ畑にスイカを盗みに行ったりしている。地上からは難しいが海からだと簡単に入れたからだ。うまく行ったが、スイカを食べたら眠ってしまい、夕暮れに慌てて舟を出したら急造のオールが壊れて遭難しかかったりしている。(父親のヨットに助けられた)。夏のリゾート地のハイライトはイルカと友達になった経験だろうか。それこそグラン・ブルーの原体験だ。この経験から将来はイルカの学者になりたいと思ったりしている。

そうこうするうちに、両親が離婚する。お互いに好きな人ができたのだ。リュックは母親の方に引き取られた。リュックは初めて母親を独占できたと喜んだが、再婚相手の元レーサーのフランシスに煙たがられて、歩いて通える学校だったにも関わらず、寄宿寮に入れられたりする。

そこでは新入生に対する伝統的ないじめがあって、それはむりやり陰毛を剃ってしまうというものだった。リュックはおとなしくやられるタイプではないので、夜中に部屋に侵入してきた上級生たちに椅子を振り回して応戦し、相手に大怪我をさせている。おかげでリュックに対するいじめはなくなったが、友達ももちろんできなかった。成績は落第寸前だったが、演芸会で爆笑のコメディを作って教師たちを感心させて、なんとか進級できたという。

芸術の才能は、父親の仲間たちから教えてもらった。トムという父親の仲間から、写真について勉強し、フレーミングなどを学んでいる。トムはレコードも集めていて、音楽についても教えてくれた。いっぽう、本を読んだという話はあまり書いていない。本で夢中になったのは、クストーの海の本だけだったらしい。だがマンガには夢中になったようで、マンガ雑誌を買う木曜日だけが現実逃避の瞬間だったという。どうりで、なんかマンガっぽい映画が多いと思った。

ほかにも工作が得意な人がいたりして、お金はなくても、何でも自分で作ってしまうことを学んだ。そんな感じなので、火薬を分けてもらうと、それでロケットを作ったりして、ロケット発射の見学者が大勢集まったりしている。

いっぽうで、お金のかかるものはまったく買ってもらえなかったので、レコードをたくさん買ってもプレーヤーは人から借りるしかなかったし、写真に夢中になってもカメラは買ってもらえなかったからずっと人からの借り物でなんとかやっていた。

不思議なことに、映画監督なのに、映画を観た話はほとんど出てこない。TV時代が始まっていたのに、ドラマの話は1つしか出てこない。白黒の画質の悪いテレビだったが、観てもいいと言われたドラマがそれだけだったようだ。そんなわけで、子供の頃は、実際にほとんど映像作品は観ていないようなのだ。アニメの「ジャングル・ブック」を見て、動物に愛情を持って育てられた主人公を見て、自分も動物に育てられたいと思ったということが書いてある。そして母親にねだって「2001年宇宙の旅」を観たときには感動したとか、「スターウォーズ」を観にわざわざパリまで行ったという話も出てくる。だが、本当にそれくらいなのだ。

一方では、リゾートでは父親が演出するお芝居の舞台に立たなくてはいけなかったりして、どちらかと言うと実地の舞台で観客を喜ばせることを学んだようだ。リセ(高校)のときには爆笑のコメディを創って進級できたのはこのような経験のおかげだ。

では、映画もほとんど観ていない少年がなぜ映画の世界を目指すようになったのだろうか。リセでいよいよ将来何をするか決める必要ができたときに、リュックは好きなことと嫌いなことのリストを作ったのだという。そうすると、好きなものにはなにかを創造するものがずらりと並んだのである。写真が好きだったが、写真は動かないのが満足できなくなっていた。それで、映画を作ることを目指すことを決める。驚いたことに、そう決めると、学校が耐えられなくなっていたので、リセすらもやめてしまうのである。

大学を中退する話はよく聞くが、高校すらも中退してしまう人は初めて知った。よくこんな思い切ったことができると感心する。映画のことは何も知らないから、実地ですべて学ぶことにして、なんとか現場に潜り込んですべてを学ぼうとする。もちろん、経験させてくれるのなら無給でも大歓迎だった。仕事がないことが多かったが、そういうときには脚本をたくさん書いていたようだ。脚本の書き方もすらも知らなかったが、捨てられたボツ脚本を集めて学んだという。そんなわけで、なんとリュック・ベッソンは映画の専門学校すら行ってないのだ。このころに「フィフス・エレメント」の元になる脚本を書いている。

雑用をしているうちに、助監督として働くチャンスを得た。そのときには監督の思いつきを実現させるために悪戦苦闘しながらもなんとか実現させてしまうという離れ業を連発する。たとえば壊れた噴水から水を出してほしいと言われれば、ホースを見えないところに配置して噴水が上がっているように見せかけたり、群衆がほしいということになれば、アラン・ドロンに会えると嘘をついて人を集めたりする。お金がなくてもなんとかする臨機応変さは、やっぱりなんでも自分でやるという子供の頃からの習慣の賜物なんだろう。芸術のためなら何でもするという覚悟が必要なんだそうだ。

そして友達を集めて、「最後から二番目…」というSFのショートムービーを作ったあと、それを長編化した「最後の戦い」という映画を撮って、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭のグランプリをとるのが1983年、24歳のときである(本には21歳と書いてあるが間違いでは?)。商業映画「サブウェイ」を撮ったのが1984年、25歳で、「グラン・ブルー」を撮って文字通り映画界に刻印を押したのが、1988年、29歳のときだ。

というわけで、映画界で成功したのだが、あれだけ、孤独だ、自分を愛してくれ、と叫んでいた家族との関係はどうなったんだろうか。

どうやら映画を撮ると言って自立したあとは、けっこううまくやっていたようである。母のダニエルはリュックの決断にびっくりしたが、父のクロードは賛成していろいろ便宜を図ってやっている。(もともと冒険好きな人なのだ)。あれだけリュックのことを厄介者にしていたフランシスは、アヴォリアッツ映画祭で会場のアヴォリアッツが雪に閉ざされそうになったとき、「最後の戦い」の上映フィルムを、元レーサーのドライビングテクニックを駆使して山道を突っ走って運んでくれたりしている。それになによりたくさんの友達にも恵まれたし、結婚もして子供も作った。

というわけで、やっと孤独から開放されたのか、と思ったら、グラン・ブルーの成功のあと、お金は入ったが友達は少なくなったそうだ。あれま(笑)。

グラン・ブルー以降については本書には書いてないのだが、その後も、リュック・ベッソンは結婚、離婚を繰り返しており(その後も、というのは、その前もそうなのだ)、はたして彼の子どもたちは父親から十分な愛情をもらっているのだろうか、と心配になってしまう。自分が受けた孤独だけは子どもたちに与えていないと信じたいのであるが、親は子供の頃に受けた扱いを自分の子供に繰り返してしまう傾向があるからねえ。まあ、わしが心配してもしょうがないのだが。

**** 追記 *****
この本を読んだあと、気になったので映画「サブウェイ」を観てみた。イザベル・アジャーニの美しさは別として、まったく面白くなかったので困惑した。まあ、せいぜい才気あふれると言える程度だ。この作品のあと、リュック・ベッソンは本当にグラン・ブルーを撮ったのか。あまりにグラン・ブルーとの差がありすぎる。

どうもこの頃、リュック・ベンソンは脚本の力が足りなかったようだ。グラン・ブルーも何度も書き直しをしても、脚本がビシッと決まらなかったらしい。それで映画会社の社長のアドバイスをうけて、フランシス・ヴェベールというベテランのアドバイスを受けることにしたのだという。

ヴェベールは、脚本を読んで弱いところを見つけると、「どうしてそうなったのかな?」と聞くのだという。それに答えても、また「どうして?」と聞いてくるので、リュック・ベッソンはどんどん追い込まれていったという。

結局、ストーリーの構造がまだ弱く、しっかりしたものになっていなかったのだ。シーンがいくつも移動され、おかげで主要登場人物、ジャック・マイヨールとエンゾ・モリナーリのライバル関係が鮮やかに浮かび上がってきたという。

ヴェベールとの10日間は最高に勉強になったと、リュック・ベッソンは書いている。

★★★★☆

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