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狂伝 佐藤泰志 無垢と修羅

中澤雄大 中央公論社 2022.4.25
読書日:2022.12.10

1990年に41歳で自殺した小説家、佐藤泰志の一生を、作家の熱狂的な愛好家である著者が、できる限りの資料と関係者へのインタビューを通して明らかにした評伝の決定版。

わしは佐藤泰志の本は読んだこともなく、名前すら知らなかったが、なにかこの本を紹介する書評の熱量がそうとう大きかったので、読んでみることにした。佐藤泰志はどうやら一部の人を熱狂させるタイプらしく、死後、その作品を原作にした映画も次々に制作されているようだ。まあ、わしはこの映画のことも全く知りませんでしたが(笑)。

佐藤泰志はいわゆる私小説と呼ばれる、自分の人生に実際に起きたことを物語にする人だ。小説のモデルになった関係者が、まったく事実そのままでなんの創作も入っていないと呆れたくらいなので、その作品をたどればほぼその人生を追うことができる。また自分自身が題材なせいか、自分に関する資料、日記、手帳、手紙の類を捨てずに保存している。

著者の中澤さんは家族の信頼を得て、その資料を存分に使うことができた。こうした資料を駆使して、これまで知られていなかった人間関係(特に女性関係)を明らかにして、可能な限り本人あるいは関係者にインタビューを試みている。新聞記者出身の中澤さんの言うには、自分は文学論は語ることはできないが、できる限りその人生を追うことができる、と驚くべきストーカーぶりを発揮している。どちらかと言うと、佐藤泰史よりも著者の執念の方が印象深いくらいだ(笑)。

それはともかく、作家、佐藤泰史とはどういう人だったのだろうか。

佐藤泰志は1949年に函館で父・省三、母・幸子の長男として生まれている。両親の仕事は担ぎ屋と言って、米を連絡船で青森から運んで函館で売って差額を得るという仕事だったが、もちろんそんなに稼げないうえに省三はバクチ好きで、家は貧乏だったようだ。しかも祖母が置屋(娼婦を世話するところ)をしていたので、社会的にも蔑まれていたようだ。

というワケアリの家系で、あまり経済的にも社会的にも恵まれているとは言えず、作家本人もそれなりに苦しんだだろうが、私小説家としてはなかなか潤沢な題材があったといえるかもしれない。この辺の家族の歴史に関することも小説に多く書かれている。(「颱風伝説」など)。

高校に入ってから、旺文社とかの学習雑誌に投稿をはじめ、それが入賞するようになる。「市街戦のジャズメン」など高校生離れした作品を発表するようになり、北海道では名前が知られるようになる。こうして小説家になることを決意する。

1970年に國學院大學に二浪して合格、上京する。1971年、喜美子と出会って同棲を開始、同人誌『黙示』や『立待』などに作品を発表する。
 
作家になる予定だった佐藤泰志は就職活動に身が入らず、就職に失敗、アルバイト生活に入る。その後、マンションの管理人や、梱包会社などを転々として作品を作り続ける。

芥川賞には5回候補になるが、受賞には至らなかった。やがて自律神経失調症を病み、さらにはアルコール依存症になり、競馬にも夢中になる。女性関係もそれなりの数だ。自殺未遂も薬を多量に飲む方法で1回している。もちろんこういう人に経済能力はないから、家計は妻の喜美子が支えていた。子供が二人生まれていた。

そして1990年、41歳のときに首吊自殺をして死亡。作家としても、依存症など精神的にも行き詰まって死んだようにも見えるが、実際には妻の喜美子に「いつも死ぬ死ぬ言って死んだためしがないじゃないか。やれるもんならやってみな」とあざけられて、発作的に死んだらしい。妻の喜美子の方も本当に死ぬとは思わなかったという。あれま(笑)。

というわけで、結局、小さな賞はいくつか取ったが、芥川賞のような大きなものは取ることがなく亡くなってしまったわけだが、その後、再評価がされて現在ではかなり有名な作家になっているらしい。特に、函館を架空の町に置き換えた「海炭市叙景」が映画化もされて有名なようだ。

なぜ佐藤泰志は作家として成功しなかったのだろうか。

これにはいろいろこの本にも書かれているが、個人的には時代が悪かったとしか言いようがないと思う。佐藤泰志は、私小説というかなり日本の伝統的なスタイルの作家である。しかし、1970、80年代は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」や村上春樹の「風の歌を聴け」のような、小説の枠を広げるような新しい作家が注目された時代である。正統派には厳しい時代だった。

文才があるのなら、エンターテイメントの方に進んで、小説で稼ぐという手段もあっただろう。だが、私小説家であればあるほど、自分の経験と関係ない空想の世界を描くことなどあり得なかったのだろう。

そうなってくると、本当に賞を取るしか道はなくなる。だが、賞を取るというのは、他人の評価次第ということになり、自分ではコントロール不可能なものである。このようなコントロール不能性は、なんとも神経によろしくないのは当然だ。

わしはそもそも芸術家とこのような賞とは相性が悪いと思う。芸術家の場合は、これまでの常識を疑うような革新性が必要なのに、それを評論家に認めてもらわなくてはいけないという矛盾が生じる。本当に革新的なら理解できないかもしれないではないか。

もしも評価されなくても、自分の好きなもの、実現したいものを創り上げて満足できればいいのだが、どうしても認められたいという、承認欲求を抑えることができないなら悲劇でしかない。

佐藤泰志の場合、賞をもらいたいがために、ついには審査員の安岡章太郎に自分の友人のふりをして、佐藤泰志をよろしくと電話をしてしまい、安岡章太郎を怒らせ、やぶ蛇になってしまう始末だ。それはまるで太宰治が受賞を懇願する手紙を書いたことを思い出させる。

結局、時代が巡って自分に脚光が当たるのを待つしかなくなり、多くの場合、それが死後になってしまうのは、なんともなあ、と言う気がする。それは、「掃除婦のための手引書」のルシア・ベルリンにも感じたことだ。それにしても、私小説家にはアルコール依存症が多いのだろうか。

私小説家のばあい、自分の身に起きたことだけが題材なので、それが本人の私生活にも影響を及ぼさざるを得ない、というのがなんともつらい。なにか小説のネタにならないかと、常に周囲に目を光らせているような状況なので、いるだけで佐藤泰志の周囲には独特の緊張感が漂っていたという。そんな状況だったせいか、子どもたちは父親が死んだあとのほうがのびのびと生活したそうだ。なんとも気が滅入る話である。女性関係も恋愛が多いというより題材探しの一環だったのかもしれない。

認められようが何しようが、自分の好きなものを創って満足する、と言うふうにはならないのかなあ。たぶん、世の中にはそういう人もいっぱいいるんでしょうね。そして、そういう人はきっと世間に知られることなく死んでいくんでしょうけれど。

承認欲求、なんとも手強いですねえ。

まあ、この作家の場合、中澤さんのような熱狂的なファンもでき、こうしてきちんとした評伝も作られているのですから、良かったと言えるでしょう。

★★★★☆

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