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カタストロフィ 大惨事の人類史

ニーアル・ファーガソン 訳・柴田裕之 東洋経済新報社 20220.6.2
読書日:20220.9.23

人類が経験した大惨事のほとんどがパンデミックであり、大惨事はべき乗分布のロングテールに存在するので予測は不可能であり、我々ができるせめてもの目標は大惨事が起きても回復力のある社会、より望ましくは大惨事を超えてさらに強くなる反脆弱力のある社会を作ることだ、と主張する本。

この本はもちろん現在のコロナ・パンデミックにインスパイアされて書かれたもので、過去のパンデミックの話が中心になる。それによると、人口の1%以上が死亡したパンデミックは人類史上7回あるという。これらの過去のパンデミックに比べれば、コロナのパンデミックは規模が小さく、26番目のものになるのだそうだ。

一方、たくさんの人間が死ぬ印象のある戦争は意外に規模が小さく、事実上、第1次世界大戦と第2次世界大戦の2つ以外は規模が小さい。第1次世界大戦では世界人口の1%、第2次世界大戦では3%が死亡した。

それに対して、国内の内戦やジェノサイド、あるいはデモサイド(政府が自国民を虐殺する)は逆に死亡数が意外と大きい。たとえばスターリンソ連では2000万人が死亡したという。ほかにもいろいろあるが、歴史的にはあやふやな数字のものが多い。たとえばチンギス・ハンは見せしめに3700万人を殺した可能性がある。これは当時の世界人口の10%に相当したという。中国の8世紀の安禄山の乱では3000万人が死亡した可能性があるという。中国では内戦や内乱で大きな犠牲者がでることが多いようだ。

政治的な理由による飢餓もある。毛沢東大躍進政策は3000万人以上の飢餓者を出したと推定されている。しかし、独裁的な政権ではなく、民主主義的な政権では概ね政治的な理由による飢饉は起こりにくいようだ。

どの原因にせよ、起きると複合的になるのが普通で、戦争や紛争では死者数は戦闘によるものより戦争にともなう飢饉や病気によるもののほうが大きいことが多い。

地震や洪水などの自然災害では、局地的なので、それほど大きなものにはならない。しかし、火山の噴火で世界の気温が下がり、不作になって大きな飢饉が起きるという展開はあった。

ということで、いまのところパンデミックが人類にとってなにより大惨事になるようだ。ネットワークの影響が大きく、現代のような緊密なネットワークの世界では、あっという間に世界中に広がって、パンデミックの侵入を防ぐのはほぼ不可能である。

ネットワークにはもう一つ伝染するものがあって、それはフェイクニュースである。これは現代に限らず、昔から存在するが、現代ではインターネットがそれを爆発的に伝染させる。

しかしながらパンデミックが起きたときに強い社会というものが存在する。じつはパンデミックが成長中の社会を押し留めた例はないという。成長している社会ではパンデミックがあってもさらに成長する。一方、強大に見えた帝国が急速に崩壊することがよくあるが、実際にはこうした帝国ではすでに弱っていて、パンデミックなどの社会的に大きな事件が起きると、それが最後の一撃となって急速に崩壊するのだという。

というわけで、パンデミックはだめになっていく社会とより強くなる社会を強烈に分別するのだという。もちろん、目指すべきは、より強くなる反脆弱性の社会を作ることである。今回のパンデミックでは台湾と韓国がうまく対応していて、参考になるという。

ただしファーガソンは今後の人類の大惨事になるのは、パンデミックではないだろうという。なにか思いがけないことで人類は大打撃を受けるだろうと予測する。もちろん、それが何かは起こってみないとわからないのだが。

というようなことが書いてあるのだが、ファーガソン歴史学者であるから、それぞれの事件の内容をとても詳細に語る。もっと簡単にしてくれよと言いたくなるほど。とくに戦争については詳しい。本人はしばしば、詳細はこの本の目的でないから簡単に書いた、というのだが、わしにはまだ詳しすぎるように思えた。

そうですねえ、この内容でしたら、10分の1ぐらいにまとめていただきたいですね。

★★★☆☆

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