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西洋の敗北 日本と世界に何が起こるのか

エマニュエル・トッド 訳・大野舞 文藝春秋 2024.11.10
読書日:2025.6.4

アメリカ、イギリス、フランスが中核となっている西洋という文明は世界から孤立し、すでに敗北していると主張する本。

これまでもエマニュエル・トッドは、アメリカ、イギリス、フランスの「核家族構造」は、ユーラシア大陸の中央を占める中国やロシアの「共同体家族構造」や日本やドイツのような「直系家族構成」に負けつつあると主張してきた。

この本で西洋と言っているのは、アメリカ、イギリス、フランスの「核家族構造」を中心とする文明のことであり、敗北と言っているのはウクライナ戦争の敗北のことも指してはいるが、それ以上に西洋が宗教面、教育面、産業面、道徳面での崩壊プロセスに陥っているという状況を敗北だと言っている。そして世界は西洋に憧れを感じなくなっていて、どちらかというとロシアや中国に親近感を持っており、西洋は孤立化しているというのだ。

エマニュエル・トッドは、ごく僅かな、誰も否定できない明確な数値を用いて論を進めていく。これはかつて、著者が乳児死亡率の推移からソ連の崩壊を予言したときと同じで、すこぶる明確なのだ。

さて、こういうことが明白になったのが、2022年2月に始まったウクライナ戦争である。エマニュエル・トッドがまず論を進めるのは、現状のウクライナ戦争についてである。

ウクライナ戦争は事実上、ロシアとアメリカの戦争である。戦っているのはロシアとウクライナだが、ウクライナの背後にいるのはアメリカで、アメリカから武器の供与を受けて戦っている。したがって、アメリカが十分に武器を供与できるかどうかが大切になる。ところが、この戦争で明らかになったのは、アメリカが十分に武器を供給できないという事実だった。

一見すると、これは信じられないことである。アメリカは世界最強の経済をほこり、一方のロシアのGDPは西洋全体(アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、日本、韓国)のたった3.3%しかないのだから。

しかしエマニュエル・トッドはGDPだけでは生産能力は推し量れないことをはっきりとした数値で示している。それはエンジニアの数である。

ロシアは大学に進学する人のうち23.4%がエンジニアリングを専攻する。いっぽう、アメリカでは7.2%しかいない。人口はアメリカのほうが3.4億人で1.4億人のロシアよりも多いが、推計されるエンジニアの数は、アメリカが135万人に対してロシアは200万人に達する。人口もGDPも小さいロシアのほうがアメリカより多くのエンジニアを育成しているのだ。エンジニア不足のアメリカはインドや中国からエンジニアを輸入しているが、それを考えてもロシアが武器の生産でアメリカに対抗できるのは明らかだという。

それだけではない。アメリカは社会としてもロシアに負けている。それが現れるのが乳幼児死亡率で、ロシアが1000人あたり4.4人なのに、アメリカは5.4人と、アメリカの方が悪いのである。かつてソ連時代にロシアの乳幼児死亡率が西側諸国よりもはるかに悪く、エマニュエル・トッドソ連の崩壊を予言した。乳幼児は社会の中で最も弱い存在なので、乳幼児死亡率はその社会の状態を非常によく表すのだという。たとえば、乳幼児死亡率はその社会がどれだけ腐敗しているかを示す良い指標なのだそうだ。

その他、収監率、自殺率、アルコール依存症率など、どの指標をとってもロシアよりもアメリカのほうが悪いのである。そして先進国の中で唯一、アメリカだけが平均余命(平均寿命)が低下している。ロシアはソ連崩壊のあとの混乱期を抜けていまではとても安定した社会であり、一方、アメリカは腐敗し、荒廃しているのだという。

アメリカのGDPは世界最大だが、エマニュエル・トッドはGDPはその国の真の実力を推し量るのにはふさわしくないという。GDPの中には、他の人にサービスする対人サービスが含まれているが、それは有用性が不確かで実質的に何も生み出していないからだそうだ。

そこでGDPの代わりに対人サービスの分を削除したRDP(国内実質生産)という指標を提案している。それによると、2022年のアメリカの一人あたりGDPは7万6000ドルだが、一人あたりRDPを求めると、3万9520ドルになるという。(対人サービスの分の有用性を0.4倍するという簡略的な計算を行う。なお、この0.4という数値は医療サービスからエマニュエル・トッドが推計したかなり恣意的なもの)。

この3万9520ドルという数字はヨーロッパの一人あたりGDPよりも低い。さらに国ごとに国民の豊かさを比べると、見事に乳幼児死亡率の順番と一致するという。つまりドイツが1位で、アメリカが最下位である。(ヨーロッパの方はRDPを求めておらずGDPを使っているので、これでいいのかという疑問はあるが)。

つまりアメリカの豊かさはGDPから見えるよりもはるかに低い。

アメリカはRDP(国内実質生産)が少ないので、足りない分は外国から輸入している。このときアメリカがやっているのはドルを刷るということである。ドルが基軸通貨ということを最大限利用したものであり、これはアメリカが持つ最大の天然資源なのだそうだ。

しかし、この豊かな天然資源は、「天然資源の呪い」という状況になっているという。「天然資源の呪い」とは、豊かな天然資源を持つ国が、その豊かさのために努力しなくなり、かえって貧しくなってしまうことである。石油の産出国などがよく陥る状況だ。アメリカはドルを刷って輸入することがあまりに簡単なので、「天然資源の呪い」から抜け出せず、アメリカの製造業が復活する可能性は小さいという。

こうしてロシアが意外に強くて、アメリカが意外に弱い、……というか相当弱いということがわかる。

さらにウクライナ戦争で衝撃的だったのは、国連でのロシアへの制裁決議に世界からの賛同が得られずに、西洋諸国が孤立していることが浮き彫りになったことである。制裁付きでロシアを非難したのは、アメリカの同盟国か軍事保護国に限られ、世界の人口のたった12%だけだった。一方で、まったく非難しなかったのがBRICSの国々で、ここには中国、インド、ブラジルなどの人口の多い国が混じっている。おかげで、西洋の経済制裁の効果は大幅に抑えられ、ロシア経済は十分に機能している。

西洋は、自分たちが世界の中心だと思っていたが、そうではなかったことが明らかになったのである。エマニュエル・トッドはそれを西洋のナルシシズムだという。

しかし、この西洋というのはそもそも何なのだろうか。その原点はエマニュエル・トッドによれば宗教にあり、もっと具体的に言えばプロテスタンティズムなのだそうだ。これは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を書いたマックス・ウェーバーと同じ視点である。

キリスト教プロテスタントは聖書を自分で読んで神と個人的な繋がりをつくる。そのため、プロテスタントは識字力を身につけなければいけない。この識字能力こそが西洋を発展させた原動力だという。そしてプロテスタンティズムは予定説を信じていて、「選ばれしものと地獄に落ちるものがいる」と考えるので、「人間は平等でない」という考え方がある。これは「洗礼を受けたものは皆平等」と考えるカトリックとの違いだという。だから、ドイツ、イギリス、アメリカの社会は不平等を強く内包する社会なのだ。(フランスはカトリックなので平等を重視する社会らしい)。

この同じ文字を読むということが、国民をまとめ上げて国民国家を作ったし、宗教の価値観が社会生活や道徳を形成してきた。ところが、この宗教が世俗化して行くにつれて、共通の価値観がなくなっていく。宗教の世俗化は、宗教の形式だけが残る「宗教ゾンビ」の状態になり、やがてそれさえもなくなる「宗教ゼロ」の状態にまでなってしまう。

こうして社会がなくなりバラバラの個人になっていく。エマニュエル・トッドによれば、個人というのは社会を通してこそ個人を超えて大きな存在になれるが、社会とのつながりのないバラバラの状態になってしまうと、単体の個人の力は個人以上になれないから小さな存在になってしまうのだそうだ。

このとき、イギリスやアメリカのような個人主義核家族の場合は、本当に個人はまったくのばらばらになってしまう。いっぽう、ドイツや日本などの直系家族主義、あるいはロシアのような共同体平等家族では、宗教がまったくゼロになっても、個人と社会とつながる「何かが残る」んだそうだ。宗教がなくなったイギリスやアメリカはまったくの「虚無」の状態であり、残るのは「ニヒリズム」だけなのだという。

そしてそのような虚無的なニヒリズムの中では、人間として当然あるような道徳すらも無くなって、「道徳ゼロ」の状態になるんだそうだ。そして道徳ゼロになった社会は、もはや崩壊していくのである。

かつてイギリスやアメリカが世界から敬意を集めていたときには、プロテスタンティズムに基づく、価値観、道徳が敬意を得ていたのだが、いまではそういうものは失われ、西洋はどこからも尊敬を得られなくなったのである。そして、西洋に比べれば、ロシアのほうがまだ好ましいものとして映っているのだそうだ。

これこそが「西洋の敗北」の意味するところである。

道徳ゼロの西洋は新自由主義のもとでグローバル化を推進し、外国の安い労働力を使って、その労働力を搾取してきた。(そして自国の労働者を捨ててきた)。グローバル化は世界すべてに恩恵をもたらすものだと西洋は主張するが、それは相手からは「第2の植民地化」のように見え、反感を呼んでいるという。それに西洋は気がついておらず、西洋が世界から支持されないのを見て、驚いているのだそうだ。

さて、エマニュエル・トッドは今後どうなるかについても少し述べている。

ウクライナ戦争に関しては、ロシアはウクライナ黒海から切り離すまでは戦争を続けるだろうから、まだ続くという。

アメリカは今後、帝国を維持することに全力をつくす。それは同盟国への支配を強めることを意味する。アメリカは必要なものを海外に求めざるを得ないからだ。輸入先として中国を切り離す方向であるから、アメリカが行うのは西ヨーロッパ、日本、韓国、台湾の支配の継続である。

どうやら日本は世界の中で存在感をなくしていく西洋に囚われたままで、なんとかその中で自分たちの生存を考えるしかなさそうである。

*** メモ1 宗教の世俗化の指標 ***
エマニュエル・トッドは宗教が世俗化して無くなってしまうまでを、宗教活動期、宗教ゾンビ、宗教ゼロ、の3段階に分けているが、この段階の指標について説明していて、これがなかなか面白いのでメモに残す。

宗教活動期: ミサへの参加率が高い。
宗教ゾンビ: ミサには行かなくなるが、子供に洗礼は受けさせる。キリスト教の婚姻も維持される。
宗教ゼロ : 洗礼がなくなり、火葬が大規模に行われる。同性婚が正式に認められる。

宗教ゼロでは、「同性婚が認められる」という指標があるので各国が宗教ゼロになった年が正確に分かるんだそうだ。それによると、
オランダ:2001年、ベルギー:2003年、スペイン、カナダ:2005年、スウェーデンノルウェー:2009年、デンマーク:2012年、フランス:2013年、ドイツ:2017年、フィンランド:2017年、アメリカ:2015年
だそうだ。日本ではまだ正式に認められていない。

さて、「同性婚」が宗教ゼロの状態の指標だというのなら、「トランスジェンダー」はどうなるのだろうか。

トランスジェンダーは生物的な性に反するもう一方の性(虚偽の性)を主張することだが、エマニュエル・トッドはこれが認められる社会は虚偽を認める社会だ、というのである。このような社会では、ある時に主張したり約束したことを、あとになってそうでなかったと簡単に覆すことが可能な社会で、たとえば今のアメリカはそうなのだという。このような傾向は、当然、国際的な顰蹙(ひんしゅく)を買い、信頼性を損ねるものである。おそらく、それを一番感じているのはウクライナだろうという。

トランスジェンダーに関して、エマニュエル・トッドはわざわざ日本について言及している。2023年6月に「LGBT理解増進法」が制定されたからだ。日本が西洋にすり寄った形になっているが、ここで彼が注目しているのは、半父系的な社会の日本が西洋の方に変わっていくのか、それともこれを押し付ける西洋に対する憎しみが増す方向に行くのか、ということだ。

わしは、日本はもともと性的に非常にゆるい社会だと思っているので(父系的な面が強まったのは、たかだかここ数百年じゃないかな)、トランスジェンダーもべつにOKで、どうってことないんじゃないかと思っている。なので、憎しみが増す方向には行かないんじゃないかな。

なお、エマニュエル・トッドは、同性婚とかトランスジェンダーについて、いいとか悪いとかの価値判断はしていない。念のため。

*** メモ2 民主主義について ***
エマニュエル・トッドは、西洋でも民主主義はすでに死んでいるという。民主主義の理念の中には「市民の間での平等」「人々の社会条件をなるべく近づける」という観念があるが、あまりにも格差が広がりすぎているのを鑑みると、今の西洋にこのような観念はまったくない。高等教育を受けたエリートは自分たちの価値観のみを唱え、その他の人々をすでに代表していない。したがって、いまの西洋は民主主義とは言えず、「リベラル寡頭制」なんだそうだ。

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