ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

「良いデジタル化 悪いデジタル化」を読んで考えたこと

f:id:hetareyan:20210331032425j:plain


良いデジタル化 悪いデジタル化」では、日本では分散、オープンな変化に対応できないのは、日本の組織構造とあっていないからとし、日本人の意識そのものを変えないとデジタル化は難しい、という話だった。

なぜ変わらないのだろうか?

いぜんわしは、国民も国もそれを望んでいないから、という説をここで唱えた。今回は効率、生産性という観点から考えたい。

わしの見立てでは、日本は自分でわざと生産性を下げているのだ。なぜかというと、生産性が上がると仕事が減ってしまうからである。日本は1人でできる仕事を3人以上で分け合って暮らしている世界なのだ。そのおかげで一人ひとりの給料は低いかもしれないが、多くの人が生活していけるようになっている。

世界と戦わなくてはいけないところ(輸出の製造業とか)は生産性をあげるが、それと関係ない内需の仕事では、なるべく多くのひとと仕事を分け合っているのだ。これはある意味、ひとつの生活保証である。そして紙とFAX、郵送のみでDX(デジタルトランスフォーメーション)が全然成り立っていなくても、とりあえずなんとかなっているところに注目しなくてはいけない。コロナのワクチン接種でも、DXなしにそれなりにうまく進んでいるのだ。

ワクチン接種はぜんぜんデジタル化されていないので、きっと今後、世界で進むであろうワクチンパスポートにはこのままでは対応できないだろう。でも必要ならきっと人海戦術で、ワクチンパスポートにも対応するに違いない。それはぜんぜんITでもDXでもないかもしれないが、とにかく対応する。そしてたくさんの人をその仕事に割り当てる。

マイナンバー制度で、野口さんは、たとえば運転免許証をマイナンバーに紐付けできないのは、運転免許証の更新が巨大産業化しているからで、マイナンバーに紐付けされ簡単に更新されるようでは困るから、という。まったくそのとおりだか、利権構造は悪だからこれを崩せと言っても誰も耳を傾けることはない。これは生活の問題なのだから。

そういうわけで、日本で効率が上がるわけがないのである。誰もそれを望んでいないのだから。

日本人はこういうふうに仕事を分け合って、低い収入に甘んじて生きているが、でもそういう仕事はいわゆる「クソつまらない仕事」である。本当かどうか知らないが、ほとんどの人はできればクリエイティブな仕事をしたいと思っているという調査結果があったりする。しかし生活のためにクソつまらない仕事をしているんだという。

もしこれが本当なら(わしは疑わしいと思っているが)、ベーシックインカムなどが導入されると、基本的な生活はそれで保証されるので、クソつまらない仕事はなり手がほとんどいなくなり、効率が劇的に上る可能性がある。

まあ、基本的な生活が保証されていると、人は面白いとか、暇つぶしとか、そういう活動が大幅に増えるだろう。その中にはクリエイティブなことも多く含まれるだろうから、やっぱりクソつまらない仕事はやる人は減るんだろうな、と思う。

本当にクリエイティブなことをするかどうかだが、ひとつ言えるのは、なにがクリエイティブでなにがクソつまらない仕事かを、第3者が判断することは避けたほうがいいということだ。

たとえばクソつまらない仕事の中に、スーパーのレジ打ちなんかはそうだと言われることが多いような気がする。たしかにお金を得るためにレジ打ちをしている人はつまらなそうに見えるかもしれない。

でも、わしのいつも行くスーパーには、この人は本当にレジ打ちが好きなんだろうなあ、という人がいる。他の人の1.5倍くらいの処理のスピードがあるのだ。いかに効率的に処理をするかに人生をかけているような気迫がある。こういう人にとっては、レジ打ちは最高の自己実現の場なのかもしれない。

その仕事がクソつまらない仕事なのかクリエイティブな仕事なのか、その判断は簡単にはできないのだ。やりたくないことはやらなくてもいいというだけで。

わしとしては、そんなばかなというくだらないことをたくさんしてほしいな。きっとそれがその人のクリエイティブだ。いや、日本人はすでにそうなってる気も少ししますが。

なお、野口さんも言っていますが、納税などお互いのメリットが一致するところでは効率化が大いに進んでいますよね。国も税金を早く支払ってほしいし、国民も手間をかけずに支払いたいからね。

まあ、繰り返しになりますが、いまの日本では生産性は上がりません。そしてそれでいい、という部分が確かにあるのです。

以上…

で締めくくろうと思ったが、ちょっと無責任な気がしたので、少し加える。

なにも変わらないというと、なにか絶望に駆られるかもしれませんが、そんなことはありません。こういう時には置いてきぼり戦略という方法があります。たとえば、運転免許証の制度をつぶしたいのなら、そのことを声高に叫んでも無意味です。しかし、自動運転の技術が進むと、自分で運転したい人以外は運転免許はそもそも必要なくなります。こうなると、運転免許にまつわる利権は消滅します。つまり制度自体が無意味になる方向にわしらが投資を行うようにすれば、間接的ですが、制度にまつわる利権を減らすことができるでしょう。ぜひEVやAIの会社に投資して、応援しましょう。

先程も述べたように、ベーシックインカムが進むと社会が変わる可能性がありますので、それを進めそうな政党や候補者に投票しましょう。

こういうふうに、わしとしては敵の本拠地で戦うのではなく、外堀を埋めるように戦うのが良いのではないかと思います。時間はかかりますが、結局この方が早いというふうになるんじゃないでしょうか。

えっ? 運転免許がいらなくなっても、それに代わる何らかの規制を作り、新たな利権構造を作るに違いないから、意味がないって。まあ、その可能性は否定できませんが、その時にはまたその外堀を埋める行動をするだけのことでしょう。

 

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ