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クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの社会

ヤニス・バルファキス 訳・江口泰子 講談社 2021.9.13
読書日:2022.2.20

2008年のリーマン・ショックのあと、資本主義が倒れたあとのあり得たもう一つの世界を描く小説。

左派の人たちのおめでたさには呆れることが多いけど、どのへんで呆れるかというと、世界への怒りを市民のみんなが共有してくれて、いざというときに世界中のみんなが一緒に立ち上がって戦ってくれると信じているようなところかな。少なくともこういう革命的な美しい幻想を抱いていることが多いような気がする。

この本はSF仕立ての小説になっていて、天才技術者が開発した機械がパラレルワールドの別の世界との通信を可能にし、そっちのもう一つの世界では、2008年のリーマン・ショック時に資本主義が倒れていて(もちろん、市民のみなさんが立ち上がって(笑))、新しい世界が誕生しているのだが、そのシステムがうまく機能していて驚く、というのが主な内容。

まあ、左派のみなさんの好きな、平等、共有(シェア)、共同管理(コモンズ)というのがおおむね発想の中心になっていますが、参考になるところもあるのでまったく駄目ってわけじゃないけど、たぶんうまく行かないだろうな、という感じです。ここに出てくるアイディアは以前見たものもあるから、バルファキスが考えたというよりも、すでにあるアイディアを集めたものでしょう。

面白いのは、小説になっているので、左派の人たちの心理というのも描かれていて、左派の理想主義者の挫折の感覚も分かるところ。

いろいろツッコミどころ満載の内容だけど、わしは最初のコーポ・サンディカリズムから、もう駄目だった。サンディカリズムとは、組合主義といって、資本家ではなく組合が会社の経営を行うこと。

では、もう一つの世界では会社はどういうふうに経営されているのだろうか。

その世界では、会社は従業員が1人1株だけ持っていて、ピラミッド組織ではなく完全フラットな組織で、職種は自由でなにをやってもよく、事業計画は誰もが提案できて、どれを採用するかは投票で決め、給与は基本給はみな同じだが、働きに応じてボーナスを投票で配分する、というものだそうだ。

事業計画は最低1ヶ月間かけて従業員全員が案を読み込んで、投票で決めるんだそうだ。たぶんこれは1年で1回やるのだと思うけど、どう考えてもこんな計画経済どおりに1年間なにごともなく進むはずがないので、ちょっと難しいのではないだろうか。あっという間に事業環境が変わる世界にわしらは住んでいるというのに。

事業では、すばやく、軽やかに判断しなくてはいけないことのほうが多いだろう。間違ってもいいからすぐに決断することの大切さは、企業経営においてよく聞くことだ。するとやはり重要な決断は少人数のグループで行わなくてはいけないのではないだろうか。

一方、ボーナスの配分もこれでいいのだろうか。

たとえばひとり100ポイントずつもらって、それを同僚に配分するんだそうだ。まあ、同僚が10人ぐらいなら可能かもしれないけど、何百人も同僚がいたらどうやって全員の仕事を評価できるんだろうか。きっと自分の周りの人間に対してしか評価できないだろう。わしなんて、会社で隣の別の仕事をしているグループの人間の働きを評価することすら無理だろう。結局、いつも一緒に仕事をしている仲間といえる範囲でしか評価できない。すると、このシステムでは何万人という規模の会社は運営自体が不可能で、想定すらされていないんじゃないだろうか。

わしがともかく不信感を持つのは、経営にしろボーナスにしろ、みんなで決める、みんながみんなを評価する、という部分だ。こんなふうに「みんなで」という発想が好きな人がいるけど、わしはこういうのはうまくいかない、とすぐに判断してしまう。

なぜか。

わしは評価、決断というのは人間が行うにはかなりコストが高い作業ではないかと考えている。一般の人ができるのは、せいぜい専門家が作ったいくつかの選択肢からどれかを選ぶくらいではないだろうか。それ以上複雑な評価、決断をみんながやらなくてはいけないとすると、それは不可能だと思う。面倒くさくなって、なんでもいいからそっちで決めてくれよ、となるのではないだろうか。

こういう意志決定の困難さに比べれば、従業員一人一株一票、という会社の制度はまだ受け入れられる。従業員自体が会社の所有者で、しかも1株に制限されるので資本家がいなくなるのだそうだ。

ほかにも、個人が中央銀行に口座を持つので銀行がなくなる、とかは現実にあり得るかもしれない。実際に通貨がデジタル化されるとそういうふうになるのかもしれない。こういうのは検討の余地があると思う。

さて、パラレルワールドのもう一つの世界は、経済的には資本主義が倒れたところまでは万々歳なんだけど、でもそれで全部解決されるわけではない。

例えば女性蔑視の家父長制的なジェンダーの問題はそのまま残っていて、こちらの方は当面解決不能らしい。この問題はわかりやすいのだが、さらに興味深いのは登場人物のひとりアイリスが抱く、市場への嫌悪感だ。

資本主義が滅んだあとでも、交換をおこなう市場は残った。ところが、アイリスはすべてのものに市場価値をつけて(値段をつけて)交換の対象にするという考え方自体を嫌悪しているのだ。アイリスにとってすべての行動が善から発して、それに見返りを求めないことが善らしい。だから資本主義がなくなっても、まだ不満なのだ。

たぶんこれが著者バルファキスの本性なのでしょう。市場も必要なく、仲間と助け合って生きていける世界。そういう世界が望みなのだ。

そういう世界に憧れる人がいるというのはなんとなく理解はできる。よくある幻想は、かつて原始時代の世界はそんな世界だったというものだ。でもねえ、わしはそんな世界はかつて存在したことがなかったという方に100ペソ賭けますね。逆にどうしてこんな幻想が繰り返し表現されるのか、そっちの方が不思議。ともかく、左翼の人の世界では、みんな仲良く、が至高の善となるようだ。

物語は、その後、一時的にパラレルワールドか繋がるワームホールの扉が開いて、人が行き来できるようになり、ある者は向こうの世界に行き、ある者はこの世界に留まる。その辺はちょっと意外性があるように書かれていて、小説としては完結するようになっているが、まあ、そこはわし的にはどうでもいいかな。だって登場人物の誰にも共感できないんだもの(苦笑)。

小説としてはいまいちな感じだけど、資本主義が滅んだあとでどんな世界を左翼の人たちが思い描いているのか、かなり具体的にまとまった形で見せてくれているという意味ではけっこうこの本はいいかもしれません。

題名の「クソったれ資本主義…」は「クソどうでもいい仕事…」という表現が流行ったので、乗っかったのでしょうか。クソ◯◯、という表現は、まだしばらく使えそうですね(笑)。

★★★★☆

 

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