ジョセフ・ヒース アンドルー・ポター 訳・栗原百代 早川書房2021.10.10(オリジナルは2014年、原著は2004年発行)
読書日2022.1.2
1950年代に誕生したカウンターカルチャーは、政治的な反体制に結びつかず、単に文化的な差異として吸収され、その差異が評価され、資本主義の中で富を生んでいると主張する本。
読んでいて、ちょっと退屈だった。たぶんそれは、進化心理学的な視点がほとんど入っていないから。これが書かれたのは2000年代初頭で、進化心理学的な内容が世の中に普及する少し前のことだった。それで、この本は20世紀後半までの哲学や学問の枠内で語っている。
いろいろごちゃごちゃ書いてあるけど、進化心理学的な視点で述べるともっと簡単にすっきり説明できるんじゃないだろうか。わしの目からは、カウンターカルチャーって単に「子育ての大誤解」とかに出てくるような子どもの心理的な発達の一過程としか見えないんだよね。
つまり、子供は親とは関係ない文化を仲間たちで育むってこと。
文化ってこんなふうに発展するというだけのことで、どんな世代だって、前の世代にやっていたことはダサくて、自分たちはもっとクールだと考えているんでしょう?
カウンターカルチャーはいまでは「意識高い系」や「オルタナティブ」という言葉に置き換わり、こちらも商品化され、資本主義に吸収されてしまっています。
参考になったのは、経済の外部性に関するところかな。
具体的には、それまで経済学の外部性として取り扱っていたカウンターカルチャーや環境を内部として取り込んでいく過程だ、と説明しているところ。たしかにこうやって、資本主義は何でも取り込んでしまう。それは地球全体だってそうで、地球はコモンとして扱わなくてはいけないって言う人もいるけど、やっぱり内部性として取り込まれていくんじゃないかな。
そういうわけで、左派の環境問題の運動は、大いにずれているというのが著者たちの見立てのようですが、まあ、そうでしょう。わしも環境問題は資本主義の枠内で解決可能だと思います。かつて公害が解決されていったように。
結局、資本主義というのは状況に対応する経済体制なのであって、必要ならばなんでも取り込むのが資本主義なんじゃないでしょうか。逆に言うなら、全体主義になればそれに対応してしまうので、資本主義だからなんでもオーケーというわけではないわけですが。だから社会の方から運動を起こして、資本主義に環境や倫理の問題を取り込むように仕掛けないといけないのですが、資本主義自体を否定する必要はないと思います。
それにしても、繰り返すけど、最近では進化心理学的な視点が入っていないと、なんか議論が物足りないんだよね。
★★★☆☆