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日本経済学新論  渋沢栄一から下村治まで

中野剛志 ちくま新書 2020.5.10
読書日:2021.9.16

ナショナリストの中野剛志が、日本の経済を引っ張った偉人たちは合理的な学問としての経済学ではなく、プラグマティズムと国の発展を考慮した経済ナショナリズムを展開したと主張し、それはいまの最先端の経済学を先取りしていると主張、現代の新古典主義的な経済政策を批判する本。

この本を読んでいると、中野剛志は本当にナショナリストなんだなあ、と思う。ナショナリストとはなにかというと、わしの理解では自分の国の発展を第1に考えるような人のことだ。

わしは日本は好きだし、日本以外で暮らすことは全く考えられないが、日本を第1に考えているかというとどうも違うという気がする。わしの関心は、人類とか文明とか、まあ、国単位よりももうちょっと広いんじゃないかという気がする。

とはいうものの、資本主義、民主主義、国民国家の三位一体を考えると気持ちは複雑だ。というのは、ふつうこの3つは同じ領域、国土の中でないと成り立たないと言われているからだ。そうすると、やはりナショナリストの発想を取り入れなければならないのか。そのへんがちょっと残念な気がする。

さて、中野剛志がこの本で取り上げているのは、渋沢栄一高橋是清岸信介、下村治の4人だ。

で、そのなかで、半分くらいを渋沢栄一に当てている。ここで中野剛志が証明しようとしているのは、渋沢栄一の「論語と算盤」という発想が、西洋の合理的な経済学ではなくもっとプラグマティズムなものであり、そしてそれが水戸学の朱子学に対する批判から来ていることだ。そしてもちろん渋沢栄一ナショナリストでなければならない。

ここで論語がどんなふうに発展してきたかを見てみると、孔子のもともとの発想では、一般市民を無視するものではなく、逆に国をよく治めるために、国民を富ませることを重視していたという。そして、国民にも論語を学ぶことを期待していたという。

ところが後年、それが朱子学に発展すると、論語は合理主義的に体系化されて、しかもそれは為政者のみが学べばいいものになったという。そして為政者は国を富ませるとかビジネスの発想はなく、武士は食わねどなんとかみたいな発想なのだという。

水戸で発達した水戸学はそういう朱子学を批判しており、渋沢栄一が学んだ論語はそのような水戸学の系譜だったので、渋沢栄一論語を実際の経済運営に活かすことができたのだという。つまり、渋沢栄一が学んだ論語は民衆を大切にする論語なのだ。

ところで水戸藩は強力な尊皇攘夷のお国柄であり、渋沢栄一自身も若いときには尊皇攘夷の志士だった。この過激な尊皇攘夷運動と現実的な経済政策が合っていないように思えるが、中野剛志はそうではないという。尊皇攘夷というのは、海外の脅威を逆手に取って国をまとめるナショナリズムの発想で、ペリーの来訪やアヘン戦争の前からあらかじめ用意されていたものだという。

そして渋沢は、国を富ませるためには豊かな中間層が必要だと考え、日本の資本主義の発展に邁進したというのである。

そういうわけで、中野剛志の主張は、渋沢栄一の学んだ論語のなかに、国民国家ナショナリズム)、資本主義(富国強兵のための産業を興すことと中間層の充実)、民主主義(エリート為政者の否定)の3点セットがすでに用意されている、という主張なのだ。

うーん、ちょっと都合よくまとめられすぎている、という気もするが、まあ、間違ってはいないようにも思える。

なので、渋沢栄一にかけていたものは、通貨に対する認識だけなのだという。渋沢自身は素朴な商品貨幣論(貨幣は商品の一部が普遍性を持って一般化したものという説)を信じていたようだ。

それが次の世代の高橋是清になると、一部旧来の考え方を引きずっているが、ケインズを先取りするような貨幣感を持つようになる。その結果、貨幣を増やしてもインフレは起こらず、需要が起きて初めてインフレが起きるとの認識にいたり、高橋是清国債発行による財政出動を行い、日本は世界に先駆けて世界恐慌から脱することができたのだという。

高橋是清に流れていたのも、合理主義ではなく、現実的なプラグマティズムであり、経済ナショナリズムなのだと中野は主張する。

次の世代の岸信介になると、自由な競争は国力全体が増進するような範囲内で行うべきだとして統制経済に進んでいくが、これも日本の現実を考えたプラグマティズムの考え方なのだという。中野に言えば、自由経済の理想は、英国がもともと保護主義的だったのに、自分の方が有利になるととなえたご都合主義的なものに過ぎないという。

そして、最後の下村脩になると、ケインズが見逃していた成長の理論(いわゆる乗数効果のこと)を発見し、欧米の経済理論を越えていたという。。そして、下村も現実に即して柔軟な発想をするプラグマティストであったという。

(なお欧米の主流の経済学が成長という現象を取り込むことに苦労した経緯については、この本に詳しい)。

バブルが弾けた90年代以降、新古典主義の理論を展開する人たちが、日本を改造すると言って、自由主義やまちがった貨幣論を展開して、日本の経済をむちゃくちゃにしたことに中野は憤っており、いまこそ日本の伝統的なプラグマティズムと経済ナショナリズムに即した経済学者、政治家が必要としているし、こういう伝統はきっと復活するという。

日本が復活するのはいいが、わしは国民国家、資本主義、民主主義の3点セットをグローバル社会とどう折り合いをつけていくのか、そのへんの加減が難しいと思うので、ぜひとも次の世代の経済学者、政治家にはプラグマティズムを発揮して腕を奮ってもらいたいなあと思う次第です。

人物的には、わしは岸信介に興味をもったので、そのうち彼の評伝をよんでみたいな。

★★★★☆

 

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