馬部隆弘 中公新書 2020/3/25
読書日:2020/9/22
日本最大級の偽文書である椿井(つばい)文書について研究し、解説した本。
18~19世紀の近江に、椿井正隆という人物がいて、自分に都合の良い偽書を大量に作成し(あまりにも多いので工房があったのではないかという)、それが地域にばらまかれ、なかには正式な研究文献として引用されたりして、さまざまな混乱を引き起こしているという。
日本の地方には偽書が多いというが、専門家はその偽書を見破り、普通はそれを無視する。しかし椿井文書の場合は、周辺の地域や正式に採用された文書もあり、それぞれが他の文書を補完しあっているため、一見本物のように思え、信じてしまうことも多いという。
特に地域の自治体によっては、町おこしの旧所名跡の根拠に利用したりしている。そうなると自治体公認となり、修正がほぼ不可能になるという。著者がいくら偽書であると主張しても、それは誰の得にもならないため、放置されるという。
なるほどなあ、と思う。
わしがよくいくサイトに「新宿会計士の政治経済評論」というのがあって、韓国についてよく評論しているが、そのなかに韓国のうそつきビジネスの「ゼロ対100」理論というのがある。これはインチキを仕掛けた場合、「勝てば100%、引き分けでも50%、負けても0%」で、決してマイナスにはならない、というものだ。(だから韓国はインチキを永遠に仕掛けてくる、という)。
これは韓国に限らずインチキ全般に当てはまり、本書の椿井文書にも当てはまっているわけだ。インチキビジネスってその構造自体が非常に興味深い。まるで無から生み出されたミームであり、生きているみたいだ。
面白いことに、偽書は歴史研究の邪魔になるものだが、そのうちに本書のように偽書自体が研究対象になってしまう場合がある。実際に、偽書が作られるにはそれなりの背景があり、そしてその偽の歴史が受容されていくにもそれなりの理由があるわけで、そういうことが丸ごと研究対象になるのだ。
著者によると、椿井文書は巧妙に作られているが、現代の図書システムやインターネットによる探索の敵ではなく、かなり簡単に区別がつくという。しかも作者自体があとから言い逃れができるように、未来年号などを用いて、偽書だと分かるようにしているという。(未来年号とは改元した年のあり得ない年月を使うこと、例えば平成31年8月1日(平成は平成31年4月30日まで)のような日付を使うことである)。
それにしてもインチキというのはそれなりに効果があるというのが面白い。みんなに都合のいいインチキなら生き延びるわけで、生み出されたミームはそれが嘘でも適者生存の原理で長く受け継がれるんだなあ、と感心する。すると、積極的にインチキを仕掛けるのもありな気がするが、ばれると個人の信用が傷つきそうだから、相当高等な技術になるんでしょうねえ。
現代のフェイクニュースにも通じるものがありそう。
★★★☆☆