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ネット右翼になった父

鈴木大介 講談社 2023.2.1
読書日:2025.5.2

父親とあまりコミュニケーションを取ってこなかった著者だったが、高齢となった父がネット右翼スラングや物語を語るようになって驚き、父の死後に、なぜ父親がネット右翼になったのかを調査した本。

世の中の現象を書くときに、世の中全体の動きを追う方法もあるが、一方では、特定の人物や事件に特化してそこを私小説的に深く掘り下げて探るという方法もあり得る。この本では、自分の父親について徹底的に掘り下げて調べている。家族について調べるというのは、コンプライアンス的な問題も起きにくく、なかなか狙い目かもしれない。もちろん著者は自分自身についても、深く掘り下げている。

さて、著者は父親とうまくいかずに18歳で家を出て、その後苦労してライターになったようだ。主にリベラルの価値観から貧困問題や差別等の問題に取り組んで、出版してきた。家族との縁を完全に切ったわけではなく、ときどき父親とも言葉を交わしたようだ。

ところが、会社を退職し、リタイアした頃から、その父親から、「三国人」とか「火病(ファビョ)る」とか「ナマポ(生活保護のこと)」とか右翼系のネットで使われる単語が出てくるようになり、テレビを見ながら、中韓を非難するような発言や、シングルマザーやブラック企業に勤める弱者を揶揄するような発言をして、著者を驚かせた。

読む雑誌は「正論」とか「WiLL」とかの右傾の雑誌。ノートパソコンには嫌韓YouTube動画や保守系まとめサイトばかり。かつてはいろんなジャンルの本を読んでいた好奇心旺盛な父が、右翼のヘイト思想にかぶれてしまって変わってしまったのだという。

父の死後、このことをWebマガジンの「デイリー新潮」に書いたら、読者から大変な反響があり、自分の父親もそうだという声が多くあった。さらに新聞などからの取材も相次いで、これが日本の普遍的な現象なのだということを認識するようになる。そういうわけで、著者はこの件を、気が重いながらも、さらに調べることにするのである。

最初は年齢が進むと人間的に劣化して、右翼系の定食化したメニューだけを食べるようになり、自分の価値観にあう物語だけを取り入れるようになった、といった内容を書くつもりだった。しかし、調べるうちに、思い描いていたような内容でなくなっていくのである。

家族や親戚、知り合いから父について取材をすると、父に対する著者の認識と周りの認識が異なっているのである。著者以外は、だれも父親が右傾化したとは思っていないのである。

父親は、テレビを見て、シングルマザーがナマポを受けることを非難するようなことを言っていたが、実際のシングルマザーに対してそのような非難することはまったくなかった。実は著者の姉が離婚してシングルマザーになっていたが、彼女に対してそのことを非難することはなかった。そして、小さな子供たちに大変人気があるおじいちゃんであり、弱者や貧困者に対しても親切な人だったことがわかった。中国に語学研修に行ったり、韓国語を習ったりするような人でもあり、中韓に対する偏見があったようにも思えない。結局、父親が右翼的なことをいうのは、現実ではない物語上の架空のシングルマザーや中韓に対してだけなのであって、現実世界の実際の人に対してはそうではなかったのである。

また、会社の役員にまで出世したような人だったのに、そのことをひけらかすようなこともなく、引退後は料理も始めて家族の食事作りを担当し、周りの男達にも料理を教えるような人でもあった。

自分の認識があまりに周囲と異なるので、著者は実はそれは自分の偏見のせいだと気がつくのである。著者は、自分がリベラルな価値観に囚われすぎて、右翼的なスラングを聞いたりするとその人を右翼とレッテル貼りをし、猛烈に拒否反応を起こすというアレルギー体質になってしまっていたのだという。

そういうわけで、高齢者が右傾化したといっても、単にそのような文化に触れて流行っているワードや物語として使っているだけなのか、それともすっかり染まっているのか、という区別をきちんとしなくてはいけないし、一方、自分自身ついても偏見があるかどうかも確認しなければいけないという結論に達するのである。

著者は父親が生きているうちに気がつくことができなかった。もちろん、それは、父親がまだ生きているうちに分かったほうがいいから、著者はチェックリストを作って、読者に確認することを勧めている。

じつをいうと、亡くなったわしの父親もこんな感じだった。韓国のニュースが流れると、韓国の悪口をいったりしていた。あまりに中身のないプアな言い方だったので、わしが少し反論すると、びっくりしたような顔をして、こちらをみて口ごもったことを思い出す。別にしっかりした考えがあったわけではなくて、単にそれが習慣的な言い方になっていただけなのだろう。ちなみに選挙では共産党に投票するような人で、右翼ではありませんでした。

この本を読んでいると、自分がどんな偏見に染まっているんだろうか、と考えざるをえなくなるなあ。でも、うーん、まあ、別にいいか(笑)。

なお、これもクーリエ・ジャポンの今月の本棚で読みました。

★★★★☆

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