ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

映画「The Valley of Light(光の谷)」を観てアメリカ人の感覚について思ったこと

Tiktokで「The Valley of Light(2007)」という映画が紹介されていて、興味を持った。

調べてみると、その映画の全編がYouTubeにアップロードされていて、観始めたら結局全部見てしまった。第2次世界大戦直後の1946年のノースカロライナ州の地方を舞台にしていて、なんというかその時代の地方のアメリカ人の端正な生活というか、礼儀正しい所作とかが印象的で、それで最後まで観てしまったのだ。昔のよきアメリカ人の物語といった感じ。

ところが、どうもラストの展開が納得できない。

じつは1回目は字幕なしに観ていた。英語が得意じゃないわしでも、画面を観ているだけでなんとなく展開がわかるから、気にせずに観ていたのだが、どうもそれでは最後の展開が分からないのだ。

そこで、今度は字幕をつけて観たのだ。当然、何を言っているのかは分かる。驚いたことに、字幕を付けても、理解できなかった。それで、わしは考え込んでしまったのである。

お話を簡単に説明すると次のようだ。

第2次世界大戦が終わって、従軍していたノアが故郷に帰ってくる。しかしすでに両親は亡くなっていて、生まれ育った家には別の家族が住んでいる。故郷には居場所がないから、彼は自分が居てもいい場所を求めて、釣りをしながら川から川への旅に出る。

旅に出て一年ほど経ったとき、ノアはホークという老釣り師と出会う。二人は一緒に釣りをして別れるが、ホークはこんなことをいう。尾根の向こうに光の谷という土地がある。そこにはいい人たちが住んでいる。そして、そこに小さな池があり、皆は魚がいないというが、じつは池の主のようなバスがいて自分は一度釣り上げたがリリースした。いまではもっと大きくなっているはずだから、そのバスを釣り上げて私のことを伝えてほしい、と。

そこでノアが尾根を超えると、言われたとおり池があり、その岸辺でノアは巨大なバスが空中に飛び上がるのを見る。ノアは、また会おう、とそのバスに言う。

光の谷の住人は本当にいい人ばかりで、放浪者のノアを受け入れてくれる。とくにマシューという口のきけない男の子と、エレノアという若い未亡人と親しくなる。ノアとエレノアは少しずつ惹かれ合っていく。(ちなみにノアは28歳、エレノアは4歳年上の32歳という設定)。

光の谷の人たちと交流を深めるノア。しかし、マシューがひとりで釣りをしていて溺れて死んだとき、ノアは光の谷を離れる決心をする。最後に池の主のバスを釣り上げ、ホークとの約束も果たす。ノアがここにいたのはたった二週間だった。

光の谷から乗り合いバスに乗ると、リトルベリーという釣り師から声をかけられ、ホークの話になる。その釣り師によると、ホークは5年前に亡くなったというのだ。それを知ったノアは、乗り合いバスを降りて、光の谷にいるエレノアのところに戻るのである。

これで終わりなのだが、分からないのはホークがすでに亡くなっていたと知ったら、なぜノアは戻ることにしたのか、というところである。そのへんがよく分からない。なにしろ、ノアは巨大なバスに挨拶するというホークとの約束だけでなく、エレノアと約束したキャビンの床を直すことも、町の商店で請け負った店の壁のペンキ塗りも仕上げて、すべてをきちんと片付けて光の谷を発ったのである。かなり固い決意で町を出たのだ。ここまでして、戻るということは普通は考えられない。

わしは考え込んでしまった。そして、しばし考えて、わしは自分が大変な思い違いをしていることに気がついたのだ。

問題はノアとホークの会話にある。

ホーク:You just wandering around…or you going somewhere?
 ただあてもなく歩き回ってるのかい? それとも、どこか行き先があるのかい?
ノア:I guess I’m wandering. Just looking for a sign that tells me stop.
 たぶん、さまよってる。“ここで止まれ”って教えてくれるサインを探しているんだ。

ノアのいうサインのことを、わしは、「自分が居てもいいと心から納得できる、腹落ちができる何かがあること」という意味でとらえていたのだ。つまりノアの気持ちベースで考えていたわけだ。

ところがそうではないのである。ここでいうサインは、「神が出すサイン」のことだ。啓示とか、天啓とか、お告げとか、そういう何か宗教的なサインだ。ノアは、「もし自分が正しい場所に着いたら、神が目に見える明確なサインを自分に送ってくれるはずだ」と信じている、ということなのである。

これは、キリスト教のアメリカ的プロテスタント文化の考え方だ。プロテスタントは個人が神と直接つながっていて、とくに福音派は神が個人にサインを通じて介入してくる、という感覚を持っている。ほとんどのアメリカ人はこういう考え方を自然に持っているだろう。だから、平均的なアメリカ人はノアの言うサインを、「神のサイン」と間違いなく受け取るはずだ。

もしもそのようなサインを得たら、ノアはどうするつもりなのだろうか。それは、ノアは自分の気持ちとは関係なく、そのサインの指示に従うということなのだ。たとえそこに居たくなくても、神のサインならそうするということだ。

ここでようやくラストの乗り合いバスのシーンの意味がわかる。釣り師のリトルベリーがノアに、ホークは5年前に死んだ、と告げたあと、ノアの表情を見てこういう。

リトルベリー:You look like you just seen a ghost.
 幽霊を見たような顔をしてるぞ。
ノア:Oh, no sir. I do’nt believe in ghosts. Maybe angels.
 いいえ。幽霊は信じません。天使なら信じます。

つまり、ノアはあのホークは天使だったと考えた。すると、ホークは神の使いで現れたのだ。そして天使のホークが光の谷へ行くようにと言ったということは、それは神の出したサインなのだ。だからノアはバスを降りて、光の谷に戻ったのである。

もちろん、映画なので観ている人と気持ちの乖離があったらうまくいかない。たぶん、ほとんどのアメリカ人は、町を出るというノアの判断は間違っており、彼は光の谷にいるべきだと考えるだろう。だから、神のサインは適切だと考え、神はやはり自分たちをちゃんと見てくれているのだと思い、安心するだろう。そしてそこに感動するのである。これは神が起こしてくれた小さな奇跡なのだ。

わしのように、自分がここにいるべきでないと思ったのなら、ホークが5年前に死んでいようが(そして、たとえ天使であろうが)、出ていったほうがいいんじゃないか、と思うのは、アメリカ人的にはあり得ない発想ということになる。

まあ、なにしろ、わしは神が何もしてくれない神道の国の住人だから、仕方がないよね。というか、やっぱりアメリカ人の考え方が特殊すぎると思うんだけど、違う?

(参考1:神道について)

www.hetareyan.com

(参考2:アメリカ人の精神性について)

www.hetareyan.com

(おまけ)
この映画は脚本が良くできていると思う。わしが感心したところを少しあげていこう。

・故郷に帰ってきたノアには弟がいて、弟は刑務所に入っている。なにか悪いことをしたらしいのだが、弟はこのシーンで少しだけ出てきて、あとは関係ない。では、何のためにこのシーンがあるのか。このあと、ノアは旅をしながら弟に手紙を書くのだ。手紙の中でノアの近況が語られて、ノアの気持ちも語られる。たぶん、弟の存在はこのためだけに必要だったのだと思う。刑務所にいれば弟に付いてこられることもない。

・ノアは釣りをする前に、水に手の指だけを入れる癖がある。水の中にいる魚に水を通して挨拶をしているようだ。こういう独特な仕草を映画に取り入れるかどうかは、ちょっとした判断になるが、うまくいく場合が多いように思える。映画「グラディエイター」の主人公が麦の穂を手のひらでかき分けるというシーンは有名だろう。この癖はノアと魚が霊的につながっていることを表しているのかもしれない。

・何度もいうが、この映画の魅力は、この時代の所作や言葉遣いにあると思う。この時代は帽子を被っている人が多く、帽子を使った所作や、他の人、とくに女性に対する丁寧な言葉遣いは昔風でいいなあと思う。ノアと初めて話すときに町の人が腕をわざと組む所作をするのも面白い。本当に当時の人はこんなふうにやっていたと思えるし、やっていたんだろうな。

・最後に乗り合いバスの中でノアに話しかけるのは町の外から来た釣り師のリトルベリーだ。そのリトルベリーは、光の谷で開かれる釣り大会に参加しに来た。だから帰るために乗り合いバスに乗っていたわけ。実は釣り大会が開かれることは何度も町の人から話される。この釣り大会が開かれなくてはならなかったのは、この乗り合いバスにこの釣り師が乗っていなくてはいけないからだ。ノアはその大会に参加していなかったが(池の主である魚のバスと戦っていた)、他の人から、ノアがいたらノアが優勝していた、と聞かされていたので、乗り合いバスの中にいるノアに気がついたということになっている。この辺ちょっと微妙だけど、全体としてつじつま合わせはなかなかうまくできているなあと思う。このつじつま合わせは徹底していて、「パーティが嫌いだから大会が終わるとすぐに帰るんだ」みたいのことをわざわざリトルベリーに言わせているくらいだ。

・ノースカロライナに黒人がいなかったはずはないのだけど、黒人は一人も出てきません。白人の理想の社会が描かれています。黒人が出てきたら人種問題が想起されてちょっと雰囲気が変わってしまうから、これはこれで正解なのでしょう。

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ