ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

喧嘩両成敗の誕生

清水克行 講談社 2006.2.11
読書日:2016.04.11

世界でもめずらしい喧嘩両成敗という制度について述べた本。

これはけっこう面白かったです。喧嘩両成敗という考え方が世界的にも珍しいらしいのですが、それが中世の人間が激しい性格で激昂しやすく攻撃的なひとたちだったからというのが面白い。あまりに激しいので、復讐が際限なしに続くのを避けるために、受けた被害以上に仕返しをしてはいけない、というように歯止めとして機能しているというのです。あまりに激しすぎるので、全否定につながると言いますか。

なんとなく日本人は穏やかな人というイメージがあるのですが、この本を読んでいくと、それがどんどん覆されていきます。表面上は儀礼を外さないが虎視眈々と復讐の機会をうかがう陰険さというか粘着質の陰湿さを持っていたというのもわかる気がする。このメンツにこだわるというのは、いまだってそうではないでしょうか。笑われるのが嫌いというのは、今の日本人が失敗するのが大嫌いで、かえって新しいことに挑戦しないという状況とも似ていると思う。

これは私見ですが、あまりに激しすぎるので、それがいつの間にか全否定につながるというのは、わしはお金についてもいえると思う。日本人はお金のことを汚いと言い、全否定する人が多いけど、これはあまりに日本人がお金が好きで、お金を稼いでいる人のことがうらやましくてしょうがないので、かえってお金を全否定する方向に向かっているのではないかという気がしています。

日本人が想像以上に激しい民族だということは、本当に愉快なことです。

★★★★☆

 


喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

ポストキャピタリズム 資本主義以後の世界

ポール・メイソン 訳・佐々とも 東洋経済新報社 2017.10.5
読書日:2020.11.15

イギリスの左派ジャーナリストが、資本主義はもうすぐ終わると主張する本。

ポール・メイソンのことは、「資本主義の終わりか、人類の終焉か? 未来への大分岐」で知って、その発言が面白かったので、彼自身の著作も手にとってみた次第。

資本主義が終わるという話は、キリストが再臨するという話と同じくらいに繰り返されるテーマで、一向に実現しない点でも一致する。

ポール・メイソンが資本主義が終わるというのは、リフキンの「限界費用ゼロ社会」と同じで、情報社会の進展で製造コストがどんどん安くなり利益が取れなくなり、さらにネットワークの進展で今までの資本主義でない新しいネットワーク経済が生まれるから、ということである。

しかしながら、左派のジャーナリストであるメイソンは、プロレタリアートの立場からそれを説明しており、そのへんがなかなか面白い。言うまでもなく、資本主義では資本家と労働者(プロレタリアート)が対になっており、プロレタリアートの立場からこの新しい経済の出現がどう見えるのか、ということを述べているのが、なかなかわしの目には新しかった。

具体的には、200年の資本主義の進展をプロレタリアートの側から語り直していて、さらにはマルクスの言葉がたびたび出てくるのだ。例えば、メイソンによれば、機械の自動化が進むと社会がどうなるかについて、最初に論文にしたのはマルクスなんだそうだ。

1858年の「経済学批判要項」という本で、マルクスは機械の自動化が進むと人間は機械を監視するだけの存在になり、そうすると機械の中の知識が重要になり、知識が主導する社会になるという。知識が主導する社会では、労働者の知的能力を開発する必要がある。その学習のために労働時間を減らさざるを得なくなり、その結果労働者は仕事以外の科学や芸術の力も身につけ、これが資本主義の基盤を吹き飛ばす物質的条件を形作る、というのだ。

いやはや、19世紀の中頃に知識社会の到来を見通すこんな論文を書くマルクスにはびっくりだ。この他、ヒルファーディングやルクセンブルグブハーリンといった、新自由主義の時代に育ったわしにはよく知らない経済学者の名前が次々に出てくる。

そして、マルクスの労働価値説も復活する。労働価値説というのは、人間が費やした労働が製品の価値になっているという説で、アダム・スミスの時代から存在する。(現在は価格は需要と供給で決まるとするのが一般的)。

だが、労働価値説でも、結論は同じだ。つまり機械の自動化により、製品の製造に費やされる労働はどんどん減っていくから、製品の価値も減り、値段はどんどん安くなる。利益がなくなるのだから資本主義は滅亡する、という結論だ。

こういう議論は面白い部分もあるが、あまりにもプロレタリアートの歴史、哲学、マルクス経済学がしつこすぎて、少々うんざりする。でも彼には必要なことなのだろう。

結局、ポストキャピタリズムの世界はどうなるとメイソンは言っているのだろうか。いろいろ語っているのだが、どうもはっきりしない。まとめると、こんなところだろうか。

1.限界費用ゼロの世界で資本主義は終わる。
2.ネットワーク経済の発展で、貨幣を使わずに、価値を直接お互いにやり取りする。(したがってマネーはなくなる)。
3.新しいものを作る起業家や技術者が能力を発揮する場は確保される。(どうやって?)

それを実現するための移行期間の対策として、以下を実行する。

4.気候変動を抑えるために強力な対策を取る。(社会を持続可能にするため)。
5.国家債務を解決するために金融システムを国有化する。
6.貨幣がなくなるまでの暫定期間には国民に一時的にベーシックインカムを支給する。

なんだかなあ、左派の発想というのは、わしには理解不可能かもしれん。とくに金融システムの国有化というのには呆れた。大変なことなのに、まるで当たり前のように口にして、説明がほとんどないんだから。

メイソンはすでに社会の動きは資本主義の対応力を越えていると言うけれど、わしは資本主義は対応して生き残ると思います。そして社会は、彼の言うネットワーク経済を含めたハイブリットの形になっていくでしょう。

資本主義は結局、差異をお金にする経済のことです。わしはどんなにテクノロジーが発展しても差異はなくならないと思います。差異がある限り、資本主義はなくならないでしょう。その差異は小さくなるかもしれませんが。

逆に資本主義がなくなるという人は、この差異が小さくなるので価値が生み出せずになくなるというのですが、もしかしたらものすごく小さいな差異がものすごく大きな価値を生み出す、そんな社会に逆説的になるんじゃないですかね。

★★★★☆(最後の方は呆れたが、面白いといえば面白かったので星は4つです)

 


ポストキャピタリズム―資本主義以後の世界

 

リスクに背を向ける日本人

山岸 俊男, メアリー C・ブリントン 講談社 2010年10月16日
読書日:2018年08月18日

最初に「冒険やリスクを求める」に自分が当てはまらない、と考えている人の割合が国別に出ています(2005-2008年調査)。日本人はダントツの1位で実に70%以上の人が、自分はリスクを取らないと答えています。

なぜリスクを取らないのか。この本は、社会心理学者の山岸俊男さんと社会学者のメアリー・C・ブリントンさんの対話で進んでいきますが、2人とも、日本社会の方がアメリカ社会よりもリスクが高いということで一致します。つまり日本社会のリスクが高すぎて、日本人はリスクを取れないというのです。

一般には、アメリカの方がリスクが高いということになっていますが、事実は逆であると言います。アメリカ社会では1度失敗しても、2度目のチャンス、3度目のチャンスと何度もやり直すことができる。なので、個人はリスクを取ることができる。ところが、日本では、1度失敗すると、2度目の取り組みは、ハードルが極端に高くなってしまう。2度目のチャンスがなかなかないということになると、まずは失敗しないようにすることが大切で、したがってリスクを取らない方が基本戦略になる、というのです。

メアリーさんがインタビューした銀行に勤める中年男性の言葉が印象的。「自分の立場はそんなに居心地がいいわけではないけれど、外は寒すぎて出られない」。リスクを取らない生き方というのは、いま自分が属しているメンバーに嫌われないことが重要になり、つまり無難な生き方ということになります。

こういう話が延々と続いて、なにやら身につまされます。

読んでいて、これってベーシックインカムが実現されたら、全て解決されるんじゃない?と思いました。ベーシックインカムがあれば、基本的な生活は確保されているわけだから、日本人だってリスクを負うことができるでしょう。きっと日本はずっと住みやすくなるでしょう。

こうやっていろいろ本を読んでると、ベーシックインカム制度が整うと、日本の問題のかなりが解決するんじゃないの? デフレから日本社会の雰囲気まで、全部変えられる。わしは強力にベーシックインカム制度の導入を支持するなあ。

山岸さんの社会心理学の実験が挙げられているが、そのどちらも面白い。独裁者ゲームとボールペンを選択するゲーム。詳しくは本を読んでください。

(今レビューを読み返すと、独裁者ゲームもボールペン選択ゲームもどんなだったか思い出せない。だから、全部書いとけよ、と過去の自分に言いたくなる。2020.11.8)

★★★★☆


リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)

発達障害サバイバルガイド 「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47

借金玉 ダイヤモンド社 2020.7.29
読書日:2020.11.4

発達障害の著者が何とか生きていきためのライフハックを紹介する本。

これはとても参考になった。

わしは発達障害ではない(と思うが)、発達障害の人が困る点と普通の人間が困る点というのは、そのレベルの違いはあっても、結局は同じところでつまってしまうものなのだと思う。

例えば楽に生きるためには設備投資をしなければいけない、というハックはどうだろう。

この本で真っ先に買えと言ってるのは、食洗器である。

これは普通の人でもなかなか手を出さない人が多いのではないだろうか? わしも声を大にして言いたいが、食洗器は買いなさい。これでどれだけ時間が節約でき、というよりも、食器を洗わなければならないという強迫観念から解放されるかわからない。

次に投資するのは、睡眠。中途半端な価格のマットは外れが多いから、本当に使える高いものを買うようにと。まったくその通りだ。

お金のハックではこうだ。必要なのは金を稼ぐことではなく、収入の範囲で何とかやっていくことだという。

まったくその通りというか、それ以外にないよね。収入が少なくてもそれなりに楽しくやっていくことはできるはず。

そのためには家計簿はやめて、そのかわりにすべての買い物をクレジットカードですることを勧めている。なにしろクレジットカードの明細がそのまま家計簿になるのだから。

普通の人でさえクレジットカードに拒否感をもつ人が多い中では、革新的な発想といえるでしょう。

どうです。こんな参考になる発想が満載なんです。

ここに書いてあることは発達障害の人というより、みんなが困ってるところなんじゃないですか。

使える本です。

★★★★★

 


発達障害サバイバルガイド――「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47

ヘタレイヤン 億り人に

コロナ禍のなか、世界中で金融緩和が行われ、行き場を失った金で株価が上昇しています。そしてアメリカ大統領選に決着が付き、不透明感が払拭されたことを歓迎して、日本株はさらに上昇、29年ぶりの高値を付けました。

そういうわけで、わしの株資産も上昇、本日(2020.11.9)の終値で1億円を突破しました。(写真参照)

 

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単なる数字ですが、それでも1億円を越えてみると感慨深いものはありますね。なにしろ2008年のリーマンショックの時には、3千万円を下回っていたんですから。

おまけに当時の金融危機のさなか、妻からは執拗にマンションを買うように言われ、わしは個人投資家をやめなければいけないのか、真剣に悩みましたからね。

 

www.hetareyan.com

 

まあ、明日にはまた1億円を切るかもしれませんが、とりあえず、1日は憶り人になれました。よかったよかった。

(2020.11.09)

 えー、やっぱりというか、次の日の今日、640万円も資産が急落し、憶り人は本当に1日で終わりました。乱高下が激しいのね。(2020.11.10)

 

 

コロナ大戦争でついに自滅する習近平

福島香織 徳間書店 2020.5.31
読書日:2020.10.25

中国関連のスタージャーナリストである福島香織がコロナ・パンデミックはコロナ大戦争といっていい状況であり、習近平グラスノスチを行わざるを得ず、これにより中国共産党は自滅する、と主張する本。

なにしろ出版は5か月前の5月で、コロナ関係の情報としては旧聞に属する話しか書いてありません。

そういうわけで現在この本で読む価値のある所はほんの10ページぐらいです。

その中身というのは、

(1)このコロナはすでにコロナ大戦争といってもいい、と福島香織が判断していること。
(2)習近平にはグラスノスチ(情報公開)の選択肢しかなく、それをきっかけに中国共産党体制が崩れる可能性がある。

という点です。

(1)については、すでに中国は世界との関係が悪くなっていることもあるから、戦争というのも分かる。

ただしここで戦争と言ってるのは、武器を使う戦争ではなく、中国がよく言っている「超限戦」のことです。中国は第3次世界大戦は、ハッキングなどの情報戦や宣伝戦などを含んだものとして定義していて、事実上の第3次世界大戦を現在戦っているというのです。

しかし(2)のグラスノスチはどうでしょうか。

福島氏は、人民の不信感を払拭するために習近平グラスノスチをするしかないというのですが、権力を維持するためには国民を大量殺戮することも選択肢から外さない中国共産党が、そんなことするはずがありません。

いざとなったら彼らは、全世界から非難を浴びても、人民を力で押さえつけるでしょう。

中国の歴史を振り返ってみれば、そういうことがばかばかしいほど何度も何度も繰り返されてきたことが分かるでしょう。資本論を読むよりも、自国の歴史を読むことの方が多いであろう中国共産党エリートは、ある意味、人民の虐殺に不感症になっているかもしれません。

例えば、次の本が参考になるでしょう。

www.hetareyan.com

中国共産党は滅びることがあるかもしれません。しかし、だからと言って、中国を民主主義で治めることができるのか、わしは疑問です。

わしには、中国を治めるには専制国家しかないのではないか、という気もするのです。

どうにも中国に民主主義が根付くイメージがわきません。

★★☆☆☆

 


コロナ大戦争でついに自滅する習近平

魂は社会脳仮説で説明できる? 人類はなぜ<神>を生み出したのか、で考えたこと

人類はなぜ<神>を生み出したのか、の著者アスランは、人類は古くから人には肉体と魂があると信じてきた、という。魂があると考えるのは、民族などによらない人類の普遍的な発想なのだという。そしてなぜ魂というものを人間が信じるのか、アスラン自身は分からないという。

アスランはなんでも人格化してしてしまう人間の認知能力がそうさせているのではないかというが、それも含めて「社会脳仮説」で説明していいんじゃないかという気がするが、どうだろう。

社会脳仮説は、人間の脳がなぜこんなに進化したのかを、他人の意思を読み取ってそれに社会的に適切に対応するためだった、という仮説だ。

社会脳仮説が正しいとすると、そもそも人間の脳は、他人は自分とは異なる独立した精神を持っている、という仮定から発想していることになる。

そして社会脳は、その他人の精神がなにかどんな動機を持っていて、世界をどんなふうにとらえている傾向があるのかを考え、その人が物事にどう反応するか、どうしてそうするのか、などの推理をする。

このように人が肉体とは独立した精神構造を持っているならば、その人独自のその構造を何と呼べばいいだろうか。

それを魂と呼んでもいいだろう。

肉体とは別のものなら、死んだ後にも魂は残っているかもしれないと考えるのも、非常にあり得る話だろう。

魂とは、目には見えないが、その人の行動原理を担っている何かなのだ。たぶん、こうして魂は人類にとって普遍的な発想になったのではないか。

ところで、生物というのは、何かの特性を得ると、それをなんにでも転用する。だから社会脳が発達したら、それをあらゆる世界の理解に転用するだろう。

こうして、世の中のすべてのものは何か意思(=魂)があり、何かが起きた時、その裏には何者かの意思が働いていると考えるだろうことも理解できる。

山が噴火すれば山は怒っており、風で木の葉が揺れて音がすれば何かをささやいているということになる。人間と同じ精神を持ち、同じ働きをしていると考えるわけだ。もちろん、車のおもちゃを見ればヘッドライトは目になり、バンパーは口になるというように人格化、キャラクター化は無限に進む。

現象の裏になにか目に見えないものがあるのではないか、という発想は、やがてはそこに作用している抽象的な原理があるのではないか、と考えることに繋がるだろう。つまり、科学的な発想も、そもそもは社会脳の仕組みから始まったのではないかというのも、なんとなく納得ができる気がするんだが、どうでしょうか。

 


人類はなぜ〈神〉を生み出したのか? (文春e-book)

 

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