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人類はなぜ<神>を生み出したのか?

レザー・アスラン 訳・白須英子 文藝春秋 2020.2.10
読書日:2020.10.27

イスラム教からキリスト教に改宗し、さらにイスラム教に回帰した宗教学者が自伝的な要素も交えて、神とは人間そのものだ、と主張する本。

著者によれば神とは人間そのものなのである。神は自分の分身として人間を作ったのではなく、人間が自分に似たものとして神を創ったのだ。

人間はなんでも、人格化、キャラクター化する。子供におもちゃを与えれば、車でもなんでも、意思を持ったキャラクターにしてしまう。そういうわけで、世界のすべてを何か意思を持った存在として理解しようとする人間の認知能力が神を創ったのだという。

こうして生まれた自分に似た神と言えるものの世界は、その人間の社会組織をそのまま受け継いでいる。家族に共有されれば家族のような、一族に共有されれば長老のような一族を守る神を創る。

だから多くの部族や都市を征服する帝国が誕生すれば、すべての神々を越えた最高位の神、つまり人間の皇帝にあたるものが誕生する。例えば、メソポタミアの神々の中の王であるマルドゥク神のように。

ここまでは多神教の世界だ。神はとても人間臭い。

実は、著者の本当の関心は一神教にある。著者はたぶん、一神教の神こそが真の神と言えるものだと考えているのだろう。

多神教の世界は理解しやすい。人間の多様性を、それぞれの神が引き受ければいいからだ。しかし、一神教になったとたんに矛盾が生じる。世界のすべてをひとりの人格が引き受けられるのだろうか。たとえば、善と悪、光と影の両方を。

矛盾を解決するひとつの方法は非人間化だ。

一神教というとユダヤ教が発祥のように一般には思えるが、それ以前にも一神教に挑戦する動きはあった。紀元前1353年、エジプトのアクエンアテン王(アメンホテプ4世)は神はアテン神のみと言って、他の神の存在を許さなかった。アテン神は非常に抽象的な神で、人間的な要素はなかった。そのせいか、王の死後、否定された神々は、有名なラー神も含めて、すべて復活した。

次に一神教に挑戦したのは紀元前1100年ごろ、イランのゾロアスター教だった。ゾロアスターが創った名前のないこの神は便宜的にアフラ=マズダーと呼ばれた。しかしゾロアスターの死後、この宗教も衰退した。

その後、ゾロアスター教は紀元前6世紀のササン朝ペルシャの国教として復活する。しかし、その時には一神教ではなく、2つの対立する存在で世界を説明する2元論の世界になってしまっていた。

このように、非人間的な一神教の神は、人間には受け入れられないものだった。ところが、ユダヤ教がそれを覆す。

ユダヤ教ももともとは多神教の世界だった。旧約聖書を子細に読めば、多神教の世界が広がっていたことがわかる。ヤハウェ神は単にユダヤ民族の神でしかなかった。

ところが新バビロニアネブカドネザル2世にユダ王国が滅ぼされ、ユダヤ人たちがバビロンに強制移住させられたバビロン捕囚のときに、転機が訪れる。

ユダ王国が滅ぼされたことは、ユダヤの神ヤハウェメソポタミアの神マルドゥクに負けたことを意味する。ヤハウェユダヤの民を守ってくれなかったわけだ。すると、ユダヤ人たちはヤハウェを捨てて他の神を信仰すべきなのだろうか。

もちろんユダヤ人たちはヤハウェを捨てなかった。代わりに、彼らは自らのアイデンティティをかけて、ヤハウェ以外のすべての神を否定し、ヤハウェ唯一神としたのだ。

こうして生まれた唯一神ヤハウェは、自らの中に矛盾を抱え込むことをいとわない神だった。報復を誓う神であり、なんというか、非常に人間臭い唯一神だった。

一神教の神なのに、人間的な矛盾を内部に抱え込んでいるという点で新しく、この辺がこれまでの観念的な一神教と異なるところだ。これがユダヤ教が成功した理由だ。

ヤハウェ唯一神で、他に神がいないとしたらなんでもできるはずだ。なのに、なぜこの唯一神はわざわざユダヤの民を苦しめるのか。それはユダヤの民が決められたらように信仰しなかったからだとなり、ユダヤ教は律法が中心の宗教になった。

この人間的で非常に矛盾を含んでいる唯一神キリスト教に引き継がれ、イエス・キリストと神と天使たちの関係を説明するために、三位一体という独創的な発想を生み出した。

また、ヤハウェは7世紀に誕生したイスラム教によりさらに観念的な方向にバージョンアップされた。イスラム教のアッラーユダヤ教キリスト教よりも観念的だが、それでも人間的な要素はクルアーンコーラン)のなかにたくさん残されており、観念的な唯一神とその人間的な部分との関係がまだ矛盾として残っていた。

しかしやがて13世紀にイブン・アラビーの「ワフダト・アル・ウジュート(存在一性論)」がという考え方が現れて、神は世界そのものとなり矛盾は解消された、という。

著者アスランの信仰の遍歴もここに極まって、神は世界のすべてに偏在している、という感覚でこの本は終わる。そして、その神は読者自身だとも。神はすべてに偏在しているというこの感覚は、非常に古い起源があり、一神教は昔に先祖返りしているともいえる。

世界は神そのものだなんて、「世界は存在しない」と言っているマルクス・ガブリエルが聞いたら、なんて答えるでしょうね(笑)。

 

(付録)
この本は宗教に関する本だが、アスランは非常に優秀な学者であり、考古学についても詳しい。この本では、人類の定住と宗教に関することについても記載があり、これがなかなか興味深いので、ここに記載しておく。

通常、人類の定住は農業の開始とともに始まったとされているが、どうも考古学的にはそうではないようなのである。

トルコ南東部、シリアの国境沿いに、エデンの園の跡地と呼ばれる古代都市ウルファがある。そしてそこから15キロ離れた丘の上に、ギョベクリ・テペ(太鼓腹の丘)と呼ばれる神殿と思われる建造物が発掘されている。

建造されたのは紀元前1万4千年ごろと考えられており、農業が起きる前なのだ。そして、その周辺には人が住んでいた形跡がなく、純粋に宗教的な行事のためだけに人の住まない丘の上に作られたものらしい。

農業は起こっていなかったが、かなり離れた所には狩猟採集に適した場所が何か所かあり、いくつかの部族の人たちがこの宗教施設を共同で運営していたらしいのである。彼らは特定の日にこの場所に集まってなにか儀式をしたらしい。

そうすると、彼らがこの地から去らなかったのは、この宗教施設があったからで、つまり宗教が理由で定住した、というのがアスランが言っていることなのである。定住が先で、そしてそこに農業が起こったのだという。

日本でも縄文時代の定住の跡が発見されているから、農業が起こったから定住したというのは間違いで、まず何らかの理由で定住が起こり、そのあとでさらに生産性を上げるために、農業が起こったというのが正解らしい。

すると、農業は、別に農業がなくても暮らしていけるような豊かなところで始まったということになる。豊かなところがさらに生産性が向上して豊かになる・・・少なくとも農業が資本主義の起源というのは間違っていないようだ。

★★★★☆


人類はなぜ〈神〉を生み出したのか? (文春e-book)

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