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死の講義 死んだらどうなるか、自分で決めなさい

橋爪大三郎 ダイヤモンド社 2020.9.29
読書日:2021.2.3

社会学者の橋爪大三郎が、死について世界の宗教の考え方を紹介して、自分にあった考え方を選ぶのがよい、とする本。

橋爪さんによると、死んだらどうなるか、それは確認できないので、自分で好きなように決めてもいい、という。そりゃそうですよね。そこでそれを決めるたのに、世界の大宗教の考え方の特徴をおさらいして、自分にあった考え方をえらぶヒントにしてほしいというのが、この本の趣旨だ。

その世界の大宗教とは、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教儒教、仏教の5つだ。儒教って宗教だっけ、と思ったが、儒教の考え方の土台も宗教的なんだそうだ。

ここでなるほどと思うのは、各宗教の表面的な説明だけでなく、こういう考え方も含まれる、とか、こういう考え方は一見反対の考え方だが実は同じこと、とか、そういう深いレベルで紹介していることだ。

たとえば、こういう具合だ。

キリスト教一神教の宗教だ。世界は神が創造した。しかし、神は世界を創造しなくてはいけない理由はないのに世界を創ったのだ。だから、こうして世界が存在し、自分が存在するということはありがたいことだ。だから神に感謝するが、一方では神に何かを負っているという感覚になるという。

ここまでは普通だ。

で、他方、神はいない、世界があるのも自分が存在するのも、すべては偶然だ、と考えることもできる。

神はいると考えるのか、いないと考えるのか、両者はいっけん真逆のようだが、実はそんなに違いがない、と橋爪さんはいう。

神がいないならこの世界は偶然である。一方、神がいるのならこの世界は必然になる。この2つは世界の見え方の2つの相で、行ったり来たりできるものだという。なるほどねえ、同じことの裏表というわけで、本質的な違いがないんだ。

こういったところがなかなか考えさせられる。

ちなみにわしは儒教の考え方のところが面白かった。儒教は基本的には死を考えない、その代わりに道教があって、こっちが死後の世界を語っている。儒教道教は2つでセットなんだそうだ。なるほどねえ。

ところで、橋爪さんはこの本で、1冊の本を引用している。それは伊佐敷隆弘さんの「死んだらどうなるのか? 死生観をめぐる6つの哲学」だ。これによると、死んだらどうなるかという考え方には、基本的に6つのパターンしかないという。

1 他の人間や動物に生まれ変わる。
2 別の世界で永遠に生き続ける。
3 すぐそばで子孫を見守る。
4 子孫の命の中に生き続ける。
5 自然の中に還る。
6 完全に消滅する。

うん。確かに。なんだかこっちを読んだ方がいいんじゃないかって気がしてきた(笑)。

このなかでわしに最もあうのは、
5 自然の中に還る。
ですかね。五木寛之の「大河の一滴」にもあったけど、死んだら宇宙の大きな流れの一部に還るような気がします。

★★★★☆

 


死の講義――死んだらどうなるか、自分で決めなさい

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