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資本主義の終わりか、人類の終焉か? 未来への大分岐

齋藤幸平、マイケル・ハートマルクス・ガブリエル、ポール・メイソン 集英社新書 2019.8.14
読書日:2020.10.12

気鋭の経済思想家、齋藤幸平が3人のビジョナリーたちと資本主義、民主主義の未来について語り合った本。

これは面白かった。3人と話しているが、3人目のポール・メイソンがもっとも面白かった。なぜなら、ポール・メイソンだけが次の時代に何が起きるのかを明確に述べているからだ。それはポストキャピタリズムの世界だ。

なので、ここではポール・メイソンに集中して述べてみたい。

これまでの資本の発達は次のような経路で発展してきたという。つまりある科学技術(例えば蒸気機関)を使って商品を開発し、その商品が成熟すると、次の科学技術(例えば電気)を使った商品を開発するというふうに、科学技術を乗り換えて、商品が成熟するのを防いできた。

現在は情報技術をつかった新しいモードに入っているが、じつは情報技術はこれまでと違った性格をもっているという。情報社会では、限界費用がどんどん低くなるという性格がある。音楽のようなデジタル化した情報商品はもちろんのこと、実体のあるモノの商品についても、設計情報を共有することでどんどん安くなることが見込まれている。家は高いというイメージがあるが、家についてすら、今後は安くなることが見込まれているという。

つまり現代は「潤沢な社会」と言えるものになっていく。このような社会ではますます利潤率が減っていくから、資本を蓄積できない状態になる。

ここまでは、リフキンの「限界費用ゼロ社会」などにも述べられていて、理解はできる。

問題はこの先どうなるかだ。

高度なオートメーション化が進むと、余暇が増える。それで仕事と余暇におこなう趣味の境界が不鮮明になる。余暇でおこなう社会的な活動は趣味なのか仕事なのか。

社会的な活動は収入には結びつかないが、やはり仕事であり、仕事の成果は賃金ではなく共有という形になるという。こうして仕事と賃金の分離が発生する。

共有される情報が多くなると、私的所有や私的財産がだんだん減ってくる。この結果、私的所有を基本とする資本主義が弱くなってくる、という。

ネットワークが正の外部性のフィードバックを持っているので、ますますシェアされる情報が増えていく。すると、その成果は民間企業には太刀打ちできなくなる。すでに百科事典はウィキペディアに太刀打ちできずに消えていったが、いろんなビジネスがそうなる。民間企業は撤退するから、情報の民主化が進んでいく。

究極的には生産も民主化されるようになる。人々は強制的、義務的な仕事から解放され、無償の機械を使い必要なものを生産する社会になるという。

この結果、100%の再生使用可能な社会とリサイクル率の高い社会が生まれるという。(わしは、この辺は疑問なのだが)。

こうして誕生する持続可能な協同社会型の経済がポストキャピタリズムなのだという。

まあ、左派のポール・メイソンがそういうふうに考えたいのは理解できるが、なかなかそんなふうにはいかないだろう。

本人もそれを理解していて、各段階でさまざまな抵抗が発生するといっている。そのなかでもっとも興味深いのが、人々の勤労意識に関するものだ。

人々は、週40時間働いて、給料をもらうという勤労スタイルにものすごくこだわるという。現在でも労働時間を減らすことは可能だが(例えば週休3日とか)、その方向に世の中はすすんでいない。そこで仕事をしたがる人たちに仕事を供給するために、世の中にはブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)が世の中にあふれているんだそうだ。

こうして、人々の勤労意識が変化しないために、協同社会型の経済にはなかなか進まない可能性があるわけだ。

わしは、特に日本にはこのような仕事があふれていると思う。コロナで日本ではデジタル化が進んでおらず、保健所などはアナログのFAXで情報のやり取りをしていることが報道されて周りからあきれられたが、これはもちろんデジタル化により効率化されると、その仕事がなくなるからだ。クソくだらない仕事はこうして生き残る。

今回のように、あまりに弊害がすぎると、デジタル庁により仕事は簡素化されるだろうが、実際には日本はこうやって皆で仕事を分け合うような、そんな社会なのだと思う。たぶん生産性なんて度外視だ。だからデジタル庁の成果は、直近問題になった部分が多少改善される程度になるだろう。

もちろん賃金も物価も上がらない、でも生活水準はそれなりに高い日本は、案外ポストキャピタリズムに最も近い世界なんじゃないかっていう気もする。

さて、「限界費用ゼロ社会」や「ライフシフト」など、ポストキャピタリズムと近い考えを書いた本は他にもあるが、別の角度、特に左派の立場から読むことができて良かったと思う。

さて、残りの二人の主張も簡単に残しておこう。

マイケル・ハートによれば、すでに1970年代から資本主義は危機に陥っていたという。そこで登場したのが「新資本主義」で、これは分配政策をやめて、格差を助長することで資本の蓄積を促す政策だという。さらにそれがグローバル経済化をすすめ、それが行き詰ったのが2008年のリーマンショックなのだという。

これを解決するためには社会的な富を表す<コモン>を増やすことだという。そして労働者は多様性を確保してプロレタリアートからマルチチュードになるという。

コモンの考え方は、メイソンの情報共有の考えに近い。

2人目のマルクス・ガブリエルについては、これまでにも彼の本についていろいろ述べてきた。

基本的には、彼の新実在論は今後の世界を議論するための哲学を用意しているという位置づけで、特に倫理について述べている。民主主義について相対主義を排除することを述べているが、一方、資本主義が今後どうなるかについて、はっきり述べていない。

それにしても齋藤幸平さんは、左派の匂いがぷんぷんするけど、なかなか面白い人で今後も注目していきたい。

★★★★☆

 


資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書)

 

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