関大徹 ごま書房 2019.6.3
読書日:2020.10.7
曹洞宗の禅僧で、光源寺や吉峰寺の住職をした関大徹が75歳の時に著した自伝的著作の復刻版。初刊は昭和50年らしい。
関大徹なんてしらないから、最初、題名みたとき、摂食障害に関する本かと思ってしまいました(苦笑)。
「食えなんだら食うな」とは托鉢など人の善意によって生きる修行僧の覚悟を表した言葉でした。もしも何も食べるものが得られなかったら飢えて死ぬのみ、という意味です。ある意味、軽さと重さを同時に備えた言葉といって言っていいでしょう。自分が死ぬだけという軽さと、そのくらいの覚悟で修行をするという重さです。
そういう状態なので、修行僧にとって家族をもつのは、妻帯の禁止以前に、そもそも不可能なのだそうです。修行には自分が死ぬだけという軽さが必要なのです。それに対して家族は重すぎる。死ぬことも簡単にできない。一人なら死ぬときは気軽に自分の死を見物できるが、家族がいるといろいろ死ぬ前の後始末が大変です。
なので、何かに一途に人生を送る男は家族をとるか自分の一途をとるかを決断しなくてはいけないといいます。
本人は中学時代に、苦学(働きながら学校へ行くこと)でこの覚悟が身についたといいます。さらには「食えなんだら食うな」が「食えなんでも食える」という心境にまでいたったといいます。つまり、ゴミ箱をあさってもいいではないか、野良犬にまでなってもいいという心境にまでいたったわけです。それどころか野良犬にいたってもなお仏に迫れる、そういう自由を知ったというのです。
そして心は野良犬から覚者まで自由に行き来できるようになって、苦行は苦行でなくなったといいます。修行が楽しくてならなくなり、修行三昧に入ったのです。こうして、初めて悟りを得ること、初関を得たのだといいます。
こういうふうに書くと、なんだかありがたいお坊さんの言葉のように思えるかもしれませんが、いやいや、大正生まれの大徹さんの口調はまったく古くはなく、現代の言葉そのもので、非常に読みやすいです。
それにしても、修行僧って、ある意味、最も自分勝手な人たちかもしれませんね。
以下、各章の主な内容。
・食えなんだら食うな
自分の生まれから、修行に入ってからの心境の変化を述べたもの。
・病なんて死ねば直る
ガンを患った経験を中心にした病話。死ぬことなど怖くはなく、さっぱりした気分だったのに、手術が成功した時に「儲けた」と思ったことを恥じるところがいいですね。
・無報酬ほど大きな儲けはない
寄付を依頼されたときには、その時出せる全部を寄付するのが方針なんだそうです。また、金は出したら帰ってくる(施しはめぐっている、ただし施しを受けても当然と思ってはいけないという戒めがある)という考えで、吉峰寺が人がいなくて静かだったので元日詣でしたひとに弁当を配り、雑煮と酒を飲み放題にしたら、人が集まって信者も増え、寺の財政は安定した、などの話。
・ためにする禅なんて嘘だ
プロ野球の監督が禅をして優勝すると禅がブームになったが、禅とは効果などは2の次で、自然の理と一体になり、仏の悟りを知るのが目的だという。また、禅の悟りは社会にとって有用とかではなく、あくまで個人的なものだという。
・ガキは大いに叩いてやれ
子供を叱るときには恐怖心を感じるくらいでないと効果がないという。一方では、大人は子供の問いに真剣に対応し、寄り添わないといけないという。
・社長は便所掃除をせよ
陰徳を積むことの大切さを説いたもの。社長は便所掃除をするべきだが、これ見よがしにしてはならず、知られることが恥ぐらいの覚悟でやる。陰徳を積んだひとかどうかは、いざというときの態度に現れるという。禅僧は泊めてもらった家の便所掃除を夜中にやるものなんだそうだ。
・自殺するなんて威張るな
お寺にはノイローゼや不良やら普通でないたくさんの人が来るという話。ノイローゼの少年に普通の修行僧と同じことをさせると、言われたことを「なぜ」と疑問も思わずに素直にするので、周利槃特(しゅりはんどく、愚鈍でいわれたことを素直に行いお釈迦様に褒められた伝説の弟子)の再来か、と有難がったが、すぐに普通の少年に戻ってしまった話が面白い。題名は自殺未遂の男性に座禅のときに「自殺するなんて威張るな」と一喝すると憑き物が落ちたという話。
・家事嫌いの女など叩き出せ
両手両足をなくしても家事や子育てをした中村久子さんのことを初めて知りました。
・若者に未来などあるものか
若者には若いだけで老人をたじろがせるほどのエネルギーを持っているが、未来がどうなるかはいまを峻厳に生きてこそあるという話。冬山で遭難死した若者を弔うために、夏山に登って供養をしたら、そのときの写真が心霊写真になって評判になったという落ちが付いている。
・犬のように食え
一般の人が修行に参加するときも、食事の作法(食作法、じきさほう)だけはしっかりやってもらうという。座禅をして、しゃべらず、言葉を使わずに自分のほしい量を告げる。犬は犬のように食うのが理にかなっており、人間も人間のように食うのが理にかなっているという。人間は言葉だけでなく、意(こころ)で伝えることができるという。精進料理の意味など。
・地震ぐらいでおどろくな
富山の空襲のとき、供養に駆けずり回った話がすごい。もちろんこんな経験などしたら、地震などで驚かないでしょう。
・死ねなんだら死ぬな
生きるということは死ぬこと。
★★★★★