ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

ミュージカルの歴史 なぜ突然歌い出すのか

宮本直美 中公新書 2022.6.25
読書日:2022.8.11

ミュージカルは普通のお芝居と違って物語に歌やダンスが入っており、そうするとお芝居をしていて役者が突然歌い出すという日常にはない不思議な光景を見ることになるが、それはなぜかという謎に、ミュージカルが成立する歴史を振り返りながら迫るという本。

結論を言うと、ミュージカルはもともと歌やダンスのショーがあって、そこに物語が付くという形で成立したので、こういうショーだと当然、歌手が舞台に現れてすぐに歌い出すわけだから、突然歌い出すのは別段普通であった、ということである。以上、おしまい(笑)。

まあ、現代のミュージカルなら、アバの歌を集めた「マンマ・ミーア」のように、最初に歌があって、そこに物語を取って付けたようなスタイルだったわけだ。客は、お気に入りの歌が聞ければ満足だったわけだ。

しかし、このような突然歌い出して違和感あるような状況は現代のミュージカルではほぼない。だいたい全編、歌っている事が多いし、少なくともずっと音楽が鳴っているような状況が続いているからだ。

わしは最初に自分でチケットを買って観たお芝居がミュージカルで、いまでも観るのはミュージカルばかりであり、それも現代のよくできたメガヒットミュージカルばかりだから、もちろん役者が歌うことにまったく違和感なしである。そもそもそんな疑問はTVでタモリなんかがミュージカルをからかっているのをみて、そんなことを思う人もいるんだと知ったくらいだ。

それでも普通のお芝居とミュージカルは何が違うんだろうか、と考えることはある。しかし、そんな謎は歌舞伎を観たときに氷解した。歌舞伎も単なるお芝居だけでなく、役者は歌わないかもしれないが、踊りも音楽もはでな舞台転換も何でもありである。客を楽しませようとすると、このように何でも取り込むのが普通ではないだろうか。

世界に民族の神話や伝説をモチーフにした伝統的なお芝居があるが、そういうのは大抵はダンスも歌もある。だから、逆にセリフだけですべてを済ませようとする現代の演劇こそ、歴史的に異端なのではないだろうか、とすら思う。

わしがミュージカルで驚くのは、やはり歌と脚本と演出がうまく行ったときの圧倒的な濃密さである。歌は空間も時間もキャラクターも乗り越えて共感し合う空間を作ることができるのだ。

この本の中では例としてレ・ミゼラブルの1幕終わりのワン・デイ・モアが取り上げられている。これは確かに素晴らしい。だが、わしが一番感動したのは、レントという作品の例だ。

another dayという歌で、舞台の下手ではエイズにかかった患者が自分たちの不安を話し合うライフサポートの会が開かれている。一方、舞台の中央では引きこもりのロジャーがいて、ミミが外に行こうと歌っている。不安なロジャーに、No day but today 今日を生きよう、とミミが歌う。すると、ライフサポートの参加者たちも身を乗り出してミミと一緒にロジャーを励ますように歌いだすのだ。ここで時空を超えて一体になる瞬間が描かれている。わしはいつもこのシーンで感動してしまうのでした……と告白するのも、ちょっと照れるけれど(笑)。

まあ、そういうわけで、うまくできたミュージカルはびっくりするくらい感動的ですから、みなさんもどうぞミュージカルを観てください。でもミュージカルはチケット代が高いし、最近、あまりの人気でチケットはなかなか取れないんですけどね。今年の東宝エリザベートはわしは取れませんでした。

★★★☆☆

 

生命知能と人工知能 AI時代の脳の使い方・育て方

高橋宏知 講談社 2022.1.12
読書日:2022.8.5

機械系エンジニアである著者が、エンジニアの立場から脳の研究を行い、生命の知能はダーウィンの進化論をもとにした試行錯誤を伴う自律化の知能であり、一方、人工知能は試行錯誤のない自動化の知能であると主張し、両者は補い合うことができると述べる本。

本書は学部生を相手にした講義や講演をもとにしたものであり、学生を相手にしているものだからとてもわかりやすい。前も言ったかもしれないが、エンジニアの書いたものはたいていわかりやすく、明解なことが多い。

本書では基礎的な知識から意識についての議論まであるが、著者自身の実験を紹介している部分が一番面白いので、その部分を見ていこう。

2008年に高密度CMOSアレイというデバイスがスイスの研究室で開発され、高橋さんはそれを手に入れることができたのだという。高密度と言っても電極は17ミクロン間隔なのでそんなに高密度とも思えないんだが、このCMOSアレイの上で大脳の神経細胞を育てると、神経細胞の電位がシート状で観測できる。そうすると神経細胞の軸索を通って電気が走るのが観測できるんだそうだ。また電極から電気刺激を与えることもできる。

面白いのは複数の出力と入力を決めて、出力の信号に重み付けをして加算したものを入力にフィードバックすると、それまでデタラメに活動していた神経が特定の信号を安定的に出すようになるんだそうだ。そこでこの信号をロボットに入力して、安定的に出ている場合は直進するようにし、何かにぶつかると方向転換するようにプログラムすると、まるでロボットは生物のように動き出し、それを迷路に入れると試行錯誤の上に迷路から脱出できるようになるという。

こうした学習はリザバー計算という手法に当たるんだそうだ。これは現在の多層ニューラルネットワークディープラーニング)とは異なる。多層ニューラルネットワークでは各ニューロンの重みを計算するのに誤差逆伝播法という方法を使っているが、この場合全ニューロンについて計算しなくてはいけない。リザバー計算では、最終層の重みだけ計算するが、ネットワークの中身については調整は行わない。このような簡単な方法でも、高い適応力を得られて、業界に衝撃を与えているんだそうだ。

なるほどねえ。たしかに実際の脳の中でそんなに細かい計算が行われているとは思えないから、きっとリザバー計算のようにかなりいい加減な方法が実際に使われている可能性は高いだろうね。

このことから高橋さんは、脳はフィジカル・リザバー(物理リザバー)だと言っている。これは任意の力学系を計算リソースとして利用するというということだそうで、動物の姿勢制御は脳が細かく制御しているわけではなく、筋骨格のダイナミズムが働いているのだという。たとえば死んだ魚を水流に放り込むと脳がないのに泳ぎだすのだそうだ。同じようなことが脳にも起きているのだという。つまり脳は計算機ではなく、計算リソースとして働いている、のだそうだ。

確かにこういう説明は納得性が高いと思った。

高橋さんはエンジニアだから、リバースエンジニアリング(分解してどのような構成になっているか逆残すること)の発想を大切にしているが、意識に関してだけはどのような構成要素でできているかすらさっぱりわからないから、機能から逆残するしかないと言っている。意識って手強いねえ。

★★★☆☆

 

韓国民主政治の自壊

鈴置高史 新潮社 2022.6.17
読書日:2022.7.30

韓国の民主主義は大統領が司法を押さえてベネズエラ的な独裁的な方向に進んでおり、自壊していっていると主張する本。

高名な韓国観察者である鈴置高史さんの最新刊ですが、なんか韓国はもういいかなって気がするんですよね。隣の国だから無視はできないけど、政治的には無視して見たくないみたいな。

韓国の経済もこれだけ大きくなるとちょっとやそっとでは瓦解しないでしょうし、(まあ、可能性はないではないですが)、じわじわと弱くなるぐらいかなと。不動産バブルがはじけて苦しむかもしれないけど、むちゃくちゃ国が貧乏になるようには見えないな。

ムン・ジェイン大統領が強硬に米韓同盟を切って北と統合するぐらいまでやってくれれば良かったのですが、そこまではさすがにやりませんでした。やってれば、即瓦解したんですけどねぇ(笑)。

ユン・ソンニョル新大統領も共に民主党のメンバーの逮捕には熱心ですが、中国にはやはり及び腰というのが鈴置さんの見立てですね。そして、司法を自分の味方に順次変えていくと。

ベネズエラ型の独裁というのは、「民主主義の死に方」に書かれてある方法ですね。選挙で選ばれた大統領が司法やメディアを押さえて独裁化する、というものです。でもたとえ独裁化してその国が無茶苦茶になっても、なかなか国ってなくならないんですよね。国民がいる限りは。ベネズエラだってしっかり存続していますからね。

だから、どうなろうと韓国ってずっと隣りにいるんだなあと思うと、まあ、あんまり考えてもしょうがないかなという気がしてきました。(笑)

わしも韓国の政治はともかく、在宅勤務の時にはよく部屋でKポップを流していますしね。(苦笑)。

まあ、少なくとも韓国にはリスキーすぎて、投資はできませんね。韓国に投資するのは口からでまかせのジム・ロジャーズに任せましょう。

★★★★☆

 

となりの億り人 サラリーマンでも「資産1億円」

大江英樹 朝日新書 2021.12.30
読書日:2022.7.30

金融資産1億円の億り人というのは目立たず地味な人が多いが、意外にその数は多く、100人のうち2、3人いて、まさしくとなりのひとがそうであってもまったく不思議ではないとして、普通の人でも億り人になることは可能と主張する本。

この手の本を読む年代って何歳ぐらいなのかなあ、という気がしますね。というのは、これが20代ならいいけど、50代なら書いてあることを実践するのは無理でしょ? だって、時間をかける長期投資になるんだからねえ。

というわけで、最後のQ&Aにも、「50歳ですが今からでも億り人になれますか」という質問があって、著者の回答は、仮にいま金融資産がないということなら難しい、というものです。なんのために億り人になりたいかということを考えると、そもそも無理にそれに挑戦する意味はないから、余生に必要なお金を一度計算してそれを貯めるようにするのがいい、との回答でした。

そうだよねえ。そうなるよねえ。

で、サラリーマンが億り人になるには、
1.給料天引きで資金を作り、2.長期投資でコツコツ投資をして、3.暴落してもやめない。
ということですね。

最初の一歩は、収入の範囲内で支出をおさめる、という生活術なのだとか。無駄な保険はかけないなど、漫然と支出せず自分で考えて納得してお金をだすことです。もちろん自分の好きなことにはお金を出してもかまいません。

また、億り人は実はお金を増やすことが目標ではないので、余分なお金を持つと寄付などを行う人が多いんだそうです。

で、FIRE(Financial Independence、Retire Early)という言葉がありますが、そのうち大切なのは前半のFIの経済独立の方だそうです。であって、後半の仕事を辞める方に重きを置くべきではない、と最近の風潮を諭しています。

さて、ヘタレイヤンの億り人はどうなったのでしょうか?

一瞬だけ億り人になったヘタレイヤンですが、あっという間に億り人では無くなってしまいました(笑)。2022.8.15の段階で資産約7千万円ですね。

というわけで、わしが安定的な億り人になるのは、まだ先ですね(笑)。まあ、投資から降りることなくマーケットに居続けましょうかね。

★★★☆☆

 

不自然な死因 イギリス法医学者が見てきた死と人生

Dr.リチャード・シェパード 訳・長澤あかね 解説・養老孟司 大和書房 2022.4.20
読書日:2022.7.29

子供の頃に法医学の教科書に心を奪われて法病理学者になることを決意した著者が、イギリスの法医学の変遷から自身が関わった正しい拘束に関する社会運動、育った家族と自分が作った家族、そして2万件の死体解剖の結果陥ったPTSDなどについて語った自伝。

ここで書かれている著者の自伝は、特に内容が華々しいというわけでもなく、どちらかと言うと淡々としたものだ。著者は仕事が好きで、知的好奇心にあふれているから、ちょっと変わった事件に遭遇するとわくわくしたりする。悲惨な事件、乱射事件とか大量に死者が出る事故とかに遭遇しても、プロらしく感情を内に押し込んで淡々と大量の死体を解剖し仕事を進めていく。もともと感情を表に出すタイプではなく、たまに趣味の飛行機の操縦でうさを晴らすぐらいだったらしい。

ところが彼が80年代から情熱を注いできた法医学がイギリス社会でしだいにないがしろにされるようになっていき、しかも小さな書類上のミスに対してさえ糾弾するような姿勢が強くなり、60歳のころ著者も過去の事件で見逃しがあったとされ医師の資格を停止されそうになると、ついに内にこもっていた病気が発症する。PTSDになったのだ。ちょっとしたきっかけで過去の事件がフラッシュバックするようになり、仕事ができなくなった。

この本はそうした時期に書かれた。というわけで、これはある意味、治療の一環として書かれたものらしい。たぶん、カウンセラーに子供の頃とか妻とか子供とか職場の人間関係についていろいろ語ったのだろう。母親が亡くなった話やその後の父親との関係、新しい母親のこととか、妻の話とか、スーパースターの上司との関係とか、中年の危機と再婚の話とか、そういうところが結構詳しく書かれてある。そもそも、この本は最初にPTSDを自覚したときから始まっているし。

仕事の内容としては、ナイフの傷について研究をして、死体の傷を見るとどんなふうに刺殺が行われたかを再現できるまでに究めつくして、ナイフの第一人者となる。また、容疑者が拘束中に死亡する事例が多いことに気がついて、正しい拘束の仕方を警官に教えることに力を注いだりする。また親の赤ん坊殺しの事件の難しさなどについても語られ、揺すぶられ症候群が話題となり社会の乳児の死亡に関する事件に敏感になっていく様子も語られる。著者が世間の本人が見逃したと責められる事件も乳児の死亡に関するものだった。そして遺族に対応する難しさも書かれている。

有名な事件にも多く関わっていて、9.11の時には、ニューヨークに駆けつけて、犠牲になった英国人の身元確認の対応にあたったし、バリ島のテロ事件や、ダイアナ妃の検死の結果が妥当だったかどうかを検証する委員会のメンバーになったりしている。

死体格差 異常死17万人の衝撃」という本によると、不振な死体の死因究明をする法医学の業務は、日本では大学の先生が片手間でやっているような状態だが、欧米ではちゃんと専門の法医学者(この本では法病理学者と呼んでいる)がいて、すべての病死以外の死体の解剖を行ってきちんと死因を突き止めようとするということだった。

なるほどこの自伝を読むと、なにか死体が見つかるたびに、事件であれ事故であれ、著者は呼び出されて死体解剖を行っていることがわかる。そして検死官という死因を確定させる別の専門の法律職があり、死因だけを扱う検死法廷という裁判も存在する。また解剖には警察が必ず立ち会うという。やっぱり日本よりもしっかりしているという感じだ。

ところがイギリスでもだんだん法医学は追い詰められているそうで、まず大学の医学部から法医学はすっかり追い出されてしまったそうだ。そこで法医学者たちは自分たちの団体を立ち上げて仕事を受けるようになる。また検死官も法医学者に声をかけることが少なくなってきたという。その理由はお金が死体1体あたり数千ポンドかかるからで、死因が明らかだと普通の医者のサインで十分と判断して、わざわざ法医学者を雇わないのだという。また、著者が磨いてきたナイフの刺殺の状況の再現などはまったくお呼びがかからなくなったという。かつては裁判で証言していた著者も、最近では法廷にまったく呼ばれなくなったそうだ。新技術の影響も大きいようだ。身元の特定は遺伝子解析一本となり、検死もMRIの検査で終わらることも多いようだ。というわけで、イギリスでも法医学者の役割は小さくなっている。

もちろん、法医学者の仕事がまったく無くなったわけではなく、著者はPTSDを克服して、いまでも現場に立っている。

★★★★☆

 

わたしの好きな季語

川上弘美 NHK出版 2020.11.20
読書日:2022.7.20

俳句もたしなむ小説家の川上弘美が自分の好きな季語をネタにしたコラム集。「すてきにハンドメイド」という婦人誌に連載したもの。

小説をほとんど読まないから川上弘美もこれが初めての本。ちなみに小泉今日子の映画「センセイの鞄」は観たことがある。

川上弘美は俳句が好きだったわけではなくて歳時記が好きだったんだそうだ。子供の頃から面白い言葉を集めるのが趣味だったそうで、歳時記を見つけたときは面白い言葉の宝庫だと思ったそうだ。

そうなんだ。やっぱり文学者ってこんなふうに言葉に敏感なんだね。わしは言葉の収集をしようなんて思ったことがないなあ。そのせいか、いまも言葉を知らず、本を読んでるとすぐに知らない単語に出くわして面倒くさいなあと思いながら調べてる。いまはスマホがあるからいつでも調べられるし、キンドルなら辞書も付いてるから非常に便利。

川上弘美の生まれは東京の郊外で、東京の郊外がいかに自然にあふれていたかがいろいろ書かれている。なんと天の川が普通に見られたんだそうだ。(天の川)

川上弘美は人と会うのが苦手で、しかも人が大勢いるところも苦手なんだそうだ。それで、子供たちを連れてテーマパークとかに行くこともなく、墓参りばかりしていたんだそうだ。(お弁当を持って)。すると子供たちは墓参りがレジャーだと思ったらしく、帰ろうとするとぐずったんだそうだ。笑える。子どもたちにはどこにも連れて行かずに悪かったと謝ってる。(墓参)

人と囲む鍋料理というのも苦手だそうで、そのことを告白したら、私もです、というレターがたくさん来て、自分だけじゃなかったと思ったそうだ。(春菊)

子供のころ、お雛様よりも弟の鯉のぼりの方が好きで、朝、鯉のぼりをつけて夕方に取り込む仕事を買って出て、弟がやりたがると「まだ小さいからだめ」と言ってやらせなかったという。しかしそれで満足して、自分の子供には鯉のぼりはしなかったという。ここでも息子に謝っている(笑)。(鯉幟)

まあ、こんなふうに、川上弘美が何が好きで何が苦手かがなんとなく分かるような本です。ああ、べつにわしは季語にさほど反応しませんでした。やっぱり文学者じゃないよね、わし。

★★★☆☆

 

世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論

カルロ・ロヴェッリ 訳・富永星 NHK出版 2021.10.30
読書日:2022.7.18

イタリアのループ量子力学の研究者、カルロ・ロヴェッリが量子力学の本質について述べた本。

カルロ・ロヴェッリの「時間は存在しない」はわしに大変感銘を与えた。というわけで、この本も手に取ったわけだが、この本では量子力学の本質について彼がどのように考えているかということを述べている。その問題とはすなわち「観測問題」であり、「量子もつれ」である。量子力学についてこれ以上の大問題はあるだろうか。

というわけで、この本を読んだのだが、わしはロヴェッリの言うことが正しいと思ったが、うまく説明できる自信がない。それに一見過激なように思える言葉も、ただ普通に量子力学で言われていることを繰り返しているだけのようにも思える。なにかトートロジーっぽい感じが否めないのだ。非常に困ったことである。

まあ、ともかく、やってみよう。

観測問題と言えば、「量子重ね合わせ」である。状態1と状態2が重なって存在していてどっちでもあるという状況である。具体的には「シュレディンガーの猫」で死んだ猫の状態1と生きている猫の状態2が重なっている様子を思い浮かべてもらえればいい。または、ひとつの粒子を経路1と経路2の2つに分けてまた経路を重ねて干渉させる実験でもいい。

この2つの状態がある量子重ね合わせについては、「多世界解釈」とか「隠れた変数」とかいろいろな解釈があるが、ロヴェッリによればどれも難がある。そこでロヴェッリが提案するのが、量子力学の方程式を素直に見るということである。

量子力学を最初に定式化したのはハイゼンベルクである。この本の原題であるドイツ沖の北海にあるヘルゴラント島でアレルギーの治療でひとり訪れたとき、量子力学をどのように定式化するかを思いついたのである。その式は、電子の最初の軌道と最後の軌道がわかっている場合にそのエネルギーや発光する光の強度が計算できるが、電子が途中どうなっているかさっぱり分からないという式だった。ハイゼンベルクの言うには、彼はオブザーバブル(観測可能)なものだけに式の内容を限ったというのである。

途中の状態は省略されてしまったのだろうか。そうではないのである。式が示している通り、実際に分からないのである。素直に式を読めばそうなる。なぜわからないのだろうか。観測していないからである。観測していないことは分からない、という当たり前のことが示されているのだ。

そもそも観測とはなんだろうか。観測とは観測者が観測対象と相互作用(お互いに影響を与えあうこと)をして、観測対象のなんらかの情報を得ることである。

例えばAさんがキッチンでお湯の温度を測るところを考えよう。Aさんが温度計をお湯に入れると、お湯の熱の一部が温度計に移り、温度が測定できる。お湯から熱をもらったのだ。一方、温度計はお湯を少し冷ましている。つまりお互いに影響を与えている。これが相互作用だ。このように相互作用をしないと相手の性質は分からない。

というわけで、ロヴェッリが示す量子力学の第1の性質が次の言葉だ。

 1.相互作用なくして属性なし

属性というのは観測対象の性質のことだ。位置や速度、色などなんでもだ。この例では温度が属性だ。

ここで、別の部屋にBさんがいるとしよう。Bさんは、Aさんがキッチンでお湯の温度を測ろうとしていることを知っている。しかし別の部屋にいるのだから、Aさんがもう測ったかどうかは分からない。するとBにとってこの状況は、Aさんが温度を測った状態と測っていない状態の重ね合わせとなる。一方、Aさんにとってはもちろん自分が測ったかどうかは知っている。つまりAさんの現実とBさんの現実は異なっている。

 2.事実は相対的である(=立場によって異なった現実になる)

このキッチンではお湯は50度か70度のどちらかに設定できるとしよう。ここでAさんが温度計をお湯に入れて温度を測ったら(相互作用したら)70度だった。相互作用した結果、お湯とAさんの間には温度に関して相関関係ができた。量子力学的には量子もつれエンタングルメント)の状態になったということだ。Aさんがここでキッチンを離れるとする。たとえばトイレに行く。

さて、Bさんがキッチンへ行くとお湯だけあってAさんはいない。お湯は50度か70度のどちらかで、どちらもあり得る。そこでBさんが温度計でお湯の温度を測ると70度だった。それからAさんを探しに行く。キッチンから離れたトイレの前でAさんを見つけたBさんは、Aさんにお湯の温度は何度だったか聞く。Bさんから見ると、Aさんの答えは50度か70度のどちらかで、どちらもあり得る。するとAさんは70度だったと答える。Bさんから見ると、キッチンとトイレという離れた場所で、お湯を測った結果とAさんの答えは一致している。

相互作用したお湯とAさんの間には、不気味な遠隔作用が……いやそんなものはないって(笑)。単にAさんから見た場合とBさんから見た場合で現実が異なっているいうだけだ。Aさんにとっては相互作用した本人だから明らかだが、関わりのないBさんに取っては、Aさんとお湯の関係は不確定だから、なにか関係があるということが不思議に見えるというだけのことである。これがロヴェッリの説明するエンタングルメント(量子もつれ)である。つまり以下のような言葉になる。

 3.エンタングルメントは三人で踊るダンス(3人目が他の2者の相互作用した結果を確認すること)

以上。

というわけで、ロヴェッリの手にかかると、量子力学の最大の謎がバカバカしいくらいに簡単に説明されてしまう。

こう考えると、本人が過激という割には当たり前のことを言ってるだけ、という気がするでしょ? わしも、分かった!と思った。でも、本を閉じて自分で考えると、また分からなくなるのである(苦笑)。例えば、この説明を2重スリットで1個の粒子が自分自身と干渉する実験にうまく展開できるのだろうか。

ちょっと試してみよう。ロヴェッリは自己干渉についてこの話法では述べていないので自己流で。(なお、ロヴェッリ自身は不確定性原理で説明している(p115))。

2重スリットの実験では、電子が1個にも関わらず、スクリーンには2重スリットのどちらも通り抜けたような干渉パターンが現れる。このとき電子と相互作用するのはスクリーンだから、スクリーンと相互作用するまでは電子の属性(この場合は位置)は不明である。つまり、電子は射出されてからスクリーンに到達する間のどこにあるかという位置は不明である。したがって、スリット1とスリット2のどちらかを通ったか分からないようなパターンしかスクリーン上には形成されず、それが干渉パターンのように見える。なぜなら、もしもスリット1あるいは2を通ったということが分かるパターンがスクリーンに形成されると、観測していないはずの属性の情報が手に入ってしまうことになり、1の相互作用なくして属性なし、の原則が成り立たなくなってしまうからだ。

一方で、どちらかのスリットで電子が通ったかどうかの観測を行うと、そこで観測との相互作用が起きてしまい、スリット1あるいは2のどちらかが通ったことが確定してしまうから、どちらか一方だけのスリットが通ったパターンしか形成されない。なぜなら干渉パターンが形成されるとどちらのスリットを通ったか分からないということになり、やはり観測結果と合わなくなってしまうからだ。

いちおうは説明できた。でもやはり不思議な気がするのはわしだけだろうか? まるで余分なデータが手に入らないようにわざわざ自然が撹乱しているようではないか。それになにか従来の説明をちょっと言い換えただけのようにも見える。

(従来)2重スリットの両方を通るから干渉パターンが生じる。
(今回)2重スリットのどちらかを通ったか分からないように干渉パターンが生じる。

うーん、微妙。わしの説明が悪いのかな? 他の説明の仕方があるかな?

トートロジーっぽいところも気になる。たとえば次のような部分だ。

 途中の状態が分からないのはなぜでしょうか? (答え)分からないから。

うーん、やはり不思議感はなくならない。

一方で、この量子力学の原則から導かれるこの世界の様相については、ロヴェッリはとても詩的な表現で語ってくれるのだ。

ある粒子は他の粒子と相互干渉しない限りは世界に存在していないも同然である。他の粒子と相互作用したときだけ、その粒子は世界に立ち現れる。相互作用するというのはある粒子と別の粒子が関係を持つということだ。だから、世界を見るとは粒子どうしの関係が見えているのであり、世界は関係でできている。相互作用していないとき、粒子は存在しているのに存在しない、空とでもいうべき状態だ。そうすると、関係の網が世界を覆っている一方、世界は思ったよりもスカスカな状態なのだ。

確かにこの状態を想像すると、すぐに仏教の「空」を思い浮かべるし、世界に対する形而上でなく経験に立脚した哲学のことも思い浮かべるので、ロヴェッリもそのことについて熱く語っている。しかし、まあ、そのへんは省略(笑)。

なお、「2.事実は相対的である」の部分で、立場によって異なって見えるのは、相対性理論でいろんな速度で動く人から見ると観察対象の速度や長さが違って見えるということと同じだ、という説明があって、これはたいへん分かりやすかった。

量子力学に対する理解はまだぼんやりだが、少なくとも量子もつれエンタングルメント)に関する理解は進んだかな。でも量子力学で、はっきり理解できることはあり得るのかなあ。まだ隔靴掻痒の感が否めません。

**** メモ1 ****
量子力学とは従来の物理学にたったひとつの式を加えただけだとロヴェッリは言う。その式とは、

XP−PX=ih/(2π) (「hバー」の表記ができなかったので正確に書いた)

というもので、測定の順序が変わると値がずれることを表している。このことから情報に関して次のことが言えるという。

(1)情報は有限である:ハイゼンベルク不確定性原理
どこまでも無限に正確に測定はできないということ。(あるいは2つ以上の属性の情報を同時に取得できないので、情報が限られてしまうこと)

(2)情報は無尽蔵である:非可換性
ある属性の測定をして、別の属性の測定をすると、最初の属性の情報は消滅してしまいまた確率的な状況に戻ってしまうこと。つまり、未来は不確定で現在の延長上にはないこと。

**** メモ2 ****

量子重ね合わせに関する解釈の種類については、「実在とはなにか」にも書いた。しかし、ロヴェッリはあたらしく、量子ベイズ主義というものも加えているので、もう一度比較のために記しておく。

(1)多世界説
2つの状態が発生するたびに世界が分裂するという説。無限個のリアルで具体的な可能性世界があると考える。
問題点:確率波の解釈をしているだけで、実際の量子力学の計算になんの貢献もしていないことである。

(2)隠れた変数説
量子力学の確率波には実体があり、それが干渉し、物質をその状態に導くとする説。シュレディンガーの猫では、猫が起きている状態を示す波と寝ている状態の波が干渉し、実際の猫に影響を与えると考える。
問題点:隠れた変数が隠れたままで決して観測できないこと。またたくさんの物質がある多体問題ではとたんに複雑になること。さらに、隠れた変数の波が観測不能な独自の基準系を持っているので、相対性理論を否定してしまうこと。

(3)自発的収縮説
観測者と関係なく、確率波が自発的にある状態に収縮するというもの。マクロな対象ほど、自発的収縮は起きやすいと考える。このことは、猫のようなマクロな物体には量子力学は適用できない、と言っているのに等しい。(そうすると、たとえばブラックホールのような巨大で大きな重力の物体では量子効果が働いていないことになり、いろいろ不都合が生じる)。
問題点:収縮が起きる条件は恣意的なこと。

(4)QB主義(量子ベイズ主義)
波動関数が観測によって変わるのは、観測によって情報が増えるからだ、という説。何かが起きたわけではなく、情報が増えたことが確率波が収縮したように見えるというだけで、観察者の認識が変わっただけであり、何かが変わったわけではないと解釈する。

問題点:計算できればいいということになり、自然を考えるときの思考の枠組みを提供しないこと。ロヴェッリは科学は考え方の枠組みを提供できなければ意味がないと考えるので、この消極的な立場には否定的。

★★★★★

 

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