ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論

ジェフ・ホーキンス 訳・太田直子 早川書房 2022.4.25
読書日:2022.7.10

脳の知能はどのように実現されているのか、その原理を発見したと確信する著者がその原理を説明するとともに、汎用AIの実現性と、AIはさほど恐れるほどのものではないという楽観的な意見を述べる本。

ジェフ・ホーキンスはパーム・コンピューターの創業者のひとりで、携帯端末パームの開発者として有名だ。もともと脳の研究がしたかったのに大学では自由な研究の場を見つけることができず、まずパームを開発して大金を稼いで、そのお金で自分の研究所を設立したという人だ。

お金を稼いでから、自由な研究をするというのはいいね。FIRE(経済的に自立して仕事を辞めること)を目指す人達も、自由になったら何をしたいかを考えてから仕事を辞めたほうがいいと思う。

さて、そのようにして脳研究を始めたホーキンスも、知能がどこでどのように生まれているのかについて手探りの状態が続いたのだが、ひとつの指針があったのだという。1978年に出版されたヴァーノン・マウントキャッスルの「意識する脳」という本だ。ここでマウントキャッスルが主張しているのが、脳はどこでも同じ単位組織が繰り返しコピーされてできているという主張だ。

細かな違いはあるけれど、脳はほぼ同じ構造の繰り返しでできている。それはコラムという柱状の組織で、底面積が1ミリ平方で高さ2.5ミリの大きさのものだ。人間の脳には約15万個のコラムが新皮質にあるという。ひとつのコラムは10万個のニューロンでできており、ニューロン間の結合を示すシナプスは2億個あるという。ひとつひとつのコラムが独立した小さなコンピュータのようなものなのだ。

このように基本単位が繰り返されているということが何を表しているかと言うと、脳はどの機能もすべて同じ動作原理でできているということである。知覚も運動もそして論理的な思考、つまり知能も同じ原理なのだ。でも、その基本原理とは何なのだろうか? すべての機能をまかなえるパソコンのOSのような基本原理など本当にあるのだろうか。

2016年2月、ホーキンスはオフィスで妻を待ちながらコーヒーカップを手に持ち、自分の指がカップに触れているところを見ていたという。脳は次に起こることをいつも予測しているという特徴がある。だからコーヒーカップを持っている自分の指に関しても、指を動かすとどのような感覚が得られるか脳は予測している。では、その予測をするには何を知っている必要があるのか。

ホーキンスは次のように考えた。まず指が触れている対象が何かということ(コーヒーカップ)。そして指は動いたあとどこにあるのかということだ(位置)。この2つが最低限必要だ。

この瞬間、ホーキンスはひらめいた。脳にはカップの形状に関する座標系があるに違いないと。座標系というのは簡単に言えば地図だ。カップの形が地図として脳に登録されているに違いない。

座標系を持ち、その動きを予測する。この基本動作は直ちに他の感覚にも展開できる。

視覚に関しては疑問の余地はないだろう。嗅覚の匂いについても、匂いの座標系を持っていて、それを使って予測を行っているのではないか。(なお、嗅覚に関する座標系は後に発見されたという)。きっと聴覚も座標系を持っているに違いない。

座標系の考え方は脳の他の機能にも展開可能だ。

たとえば記憶だ。わしらはあるものを記憶するときに、さまざまな特徴で記憶する。例えば人なら、年齢、性別、人種、身長、体重、顔、身につけているファッション……などだ。これらはすべて座標だ。年齢の座標、身長の座標などが脳にあり、そこにその人がマッピングされるのだ。人にN個の特徴があるのなら、それはN次元の座標系とも言える。年齢の座標ならその座標にはいろいろなひとが年齢ごとにマッピングされているのだろう。

言語も同じだ。言葉は言語空間のなかにマッピングされている。そして言語の場合の運動の予測とは、例えばある単語を聞いたときに次の単語を推測することだ。また言語構造は入れ子構造が可能なのが特徴だが(関係代名詞で文と文の接続が可能ということ)、これも座標系の特徴から説明できるという。

さらに数学や政治などの専門知識の場合、それぞれの概念をどのような座標系を用いてマッピングすればいいか、脳は初めはわからない。しかし学習していくうちにそれぞれが適切な座標系を使ってマッピングできるようになり、マッピングがそれなりにうまくいくとその概念の動きを予測できるようになり、それが思考するということなのだという。

ホーキンスによれば、このような座標系と予測はそれぞれ独立したひとつのコラムで行われているのではないという。そうではなく、たくさんのコラムでそれぞれ予測が行われているのだという。例えばコーヒーカップに関して知覚されたものは、数1000のコラムに共通して入力される。知覚された結果は数1000のコラムのそれぞれが自分なりの座標系を使って記憶し動きを予測する。

では、なぜ数1000のコラムで同時に実行するのだろうか。それはコラムごとに予測を競わせて、正しいと思われる答えに到達するためである。コラムはコラムごとに独自の座標系を形成する。そしてその座標系に合わせて予想を形成する。つまり脳はあり得る可能性を同時並列的に検討しているのだ。そしてこの数1000のコラムで<投票>を行い、もっともあり得る妥当な予想を形成するのだという。

各コラムでの予測では、使われなかった予測がたくさんある。使われなかった予測の痕跡はシナプスで発見されている。シナプスはなんの影響ももたらしていないのに興奮した電位に上がるということを繰り返している。これは各コラムが絶えず学習し、記憶し、動きを予測しているのだという。この予測は使われることはないかもしれないが、それぞれのシナプスは独自に予測を行っているのである。

これがホーキンスが現在考えている脳のシステムだが、いかがだろうか。脳が座標系を持っていて、座標系の中に情報を記憶し、その座標系の中で動きを予測する、これが脳の基本の動きであり、その同じ仕組みを使って通常の運動から高度な概念も含めて操作している、というのは非常に説得力があるように思える。

いろんな可能性を並行して数千のコラム(ミニコンピュータのようなもの)がさまざまな独自の予測をしているというのは、いろいろ考えたあげくに突然それを理解して「なるほど(アハッ)!」と思ったときの様子をよく表しているように思える。

この辺はまだまだ仮説の段階であるが、ホーキンスはどんどん裏付けとなる実験結果が学会から報告されているという。(ホーキンスの脳研究会社ヌメンタはコンピュータ・プログラムのシミュレーションだけを行っていて、実際の脳を使った実験は行っていないようだ。原理理論を作るのが目的だし、そもそも単なるスタートアップでは実験施設を運営するのは難しいだろうからね)。

さて、このへんまでが、ホーキンスのもっとも言いたかったことであろうが、昨今のAI技術が真っ盛りの状況では、AIについて自分なりの見解を述べなくては収まりがつかないようだ。そういうわけで、ホーキンスも自分のAI観をいろいろ述べている。

で、ホーキンスのAI観だが、日本人から見れば結構ドライな印象があるのではないだろうか。例えば人間の脳を解明して、人間の脳を真似たAIができたとする。そうすると、このAIは、人格を持っていると言えるのかもしれない。そうすると、このAIの電源スイッチをオフにすることは、殺人になるのだろうか、などという問題がけっこう世間では真剣に検討されていたりする。

このような見解に対して、そんなことを心配する必要はまったくない、とホーキンスは答えるのである。人間並み、もしくは人間以上の知能を持っていたとしても、このような人工的なAIには生きる本能のようなものは存在しないからだという。もちろん、そのような本能のようなものをプログラムすれば別だが、ホーキンスによれば、そのような死ぬことに対する恐怖はわざわざプログラミングする必要はない。死への恐怖という機能は生物として生き延びるという点で意義があったわけで、AIには必要のない機能である。なので、わざわざプログラムしなければAIは電源を切られることに特に恐怖を感じないので、いつでもオフにしていいのだ、という。まあ、わしもそう思うね。

またAIが人類を滅ぼすことを決意する映画ターミネータースカイネットのようなAIが誕生することについても、ホーキンスは否定する。わざわざそうなるようにプログラムしない限りはそうなることはない、という。何重もの防護策を施しておけば問題ないのだという。

そもそも、AIが人間の理解を超えた独自の技術を持つ可能性すら低いという。AIは思考だけは人間よりも高速になるかもしれないから、例えば数学のように純粋に思考だけで可能なものは人間の理解を超えるものができるかもしれない。しかし、物理学などの科学では、実験で理論が確認されないと、学問を前に進めることはできないのだ。

現在、素粒子関係の学問では、実験が限界に達しており、新しい実験結果が得られないまま、数百もの理論が乱立し、どれが正しいのか判定できない状況になっている(参考)。AIは高速な思考により、理論の数を数万とか数百万に増やすのかもしれない。しかし、そのどれが正しいかは実験で確認しない限り分からないのだ。そういうわけで、実験が律速条件になって、AIは人間を超える技術を持つ可能性は低い、というのがホーキンスの見立てである。

★★★★★

 

正義の教室 善く生きるための哲学入門

飲茶 ダイヤモンド社 2019.6.19
読書日:2022.7.6

小説仕立てで、正義とはなにか、善い人生とはなにかについて哲学の全体像を語ってくれる本。

うーん、これはとてもわかりやすい。どんな哲学の本を読むよりも、この本を読む方が哲学の全体像を把握できるんじゃないだろうか。なにしろ正義、善く生きることというのはすべての哲学に関係してくることなんだから。例えばこの本はギリシャ哲学からポスト構造主義まで、すべての哲学の立場を「絶対主義vs相対主義」の立場で一気に説明してくれる(第7章)。非常にありがたい限り。

わしはじつは実存主義について、その意味がいまいちよくわからなかったのだが、この本を読んでようやく腹落ちした。実存主義とは人間の枠外に絶対的な善が(ようするに神が)存在することを否定する、という考え方だったのだ。それで神は死んだのか。なるほど、分かりやすい…って、こんなこと常識かしら。すみません。

著者の飲茶先生によると、実存主義を唱えたニーチェ以降、人間なしでも存在する絶対的な善ということを唱える人がいなくなってしまったそうだ。でもそれはなぜかしら? それってやはり科学の成功が効いているのかしら。疑問に思ったけど、それに対する答えはないようだ。

わしは今後、倫理が復活するという直感を持っているが、人間の枠外に存在する絶対的な倫理ではなく、人間の枠内で議論できる新しい倫理がどこかで誕生するのかもしれない、と思った。(新実存主義マルクス・ガブリエルに期待。しつこい?(笑))

わしはほかにもいろいろ勘違いしていることに気がついた。例えば、ベンサムの「最大多数の最大幸福」って平等主義の考え方だったのか。王様もひとりとして考えるってところは確かに平等だけど、でもわしのイメージしている平等とはちょっと違うので、少しびっくり。わしの平等のイメージは、たとえ貧しくなったとしてもみんな同じがいい、という考え方だからね。この辺が哲学をちゃんと学んでいなくて聞きかじりの人間の悲しさでしょうか。

ともかく、本当にこの本、役に立ちました。どうもありがとうございます。

(物語)
高校2年で生徒会長の正義(まさよし)は平等を正義と考える最上千幸(ちゆき)、自由を至高の善と考える自由(みゆう)、人間なら誰でも直感で理解できる倫理が存在すると宗教的に信じる倫理(りんり)に惑わされる日々。だが、倫理の授業で風祭封悟(かざまつりふうご)から3人のどの考え方にも問題があることを知る。そしてこの高校ではいじめで生徒が自殺したことによりパノプティコン・システムという全校を監視カメラで監視するシステムを導入し、問題になっている。果たして正義の下した結論は? 

平等の正義(功利主義):単に平等というよりは、功利主義では各人の満足度を平等にすることで、社会全体の幸福を最大にすることを目指す。この場合、幸福とは身体的な快楽。→問題点:幸福を客観的に測定できない、身体的な快楽が幸福と言えない、最大の幸福を実現するためには強権的な存在でないと最適な分配が実現できない。

自由の正義(自由主義):自由主義は弱い自由主義(リベラル)と強い自由主義リバタリアニズム)に分かれる。弱い自由主義は、幸福>自由、で幸福のためには自由を多少制限してもいいと考える。実質的に功利主義と同じ。強い自由主義は、幸福<自由、であり、他人の自由を脅かさない限りは、何をしてもいい。例えば麻薬などの明らかな愚行も許容する。→問題点:格差社会の拡大、自分さえよければいいという行き過ぎた個人主義、当人同士が合意すれば何をしてもいいという非道徳的行為の蔓延、現在の自分の決断が将来の自分の自由を奪う可能性。

宗教の正義(直観主義):人間という存在と関係なく正義は存在し、人は議論することなしに直感的にそれを認めることができるという考え方。→問題点:直感で説明されても、それが単なる思い込みでないことを説明(証明)できない。自分に正義があるという思い込みが多くの虐殺を生み出してきた。

ヒュームのギロチン:哲学用語。どんなに言葉を組み合わせても、「〜すべき」という言葉を論理的に導き出すことはできないという主張。

★★★★★

 

中国経済の謎 なぜバブルは弾けないのか?

トーマス・オーリック 訳・藤原朝子 ダイヤモンド社 2022.3.29
読書日:2022.7.5

何度も崩壊すると言われながら中国経済が崩壊しなかったのは、中国共産党が過去の世界経済を反面教師とした柔軟で独創的とも言える対応をしたことだったとし、一方、今後もその独創性で苦境を切り抜けられるか不明と主張する本。

この本では中国経済が鄧小平の開放政策以降、困難に陥るたびに中国共産党が取ってきた手法を振り返っているが、ここでは2015年の上海市場崩壊への対応を中心に見ていきたい。そこがわしが一番わからなかったところだから。

2015年6月12日、上海総合指数は5166ポイントと史上最高値を更新した。しかしそこがピークで、1ヶ月後の7月には3割の下落が起こり、さらに2016年1月にはピークの半分にまでなってしまう。これに対して中国当局は1300銘柄の取引を中止するという最悪の対応をしてしまう。これをみて、誰もが中国経済はバブルであり、それが崩壊しつつあることが明らかだと確信した。

しかし崩壊はなかった。中国共産党とそのテクノクラートが崩壊を未然に防いだからだ。彼らに求められたミッションは、単純にソフト・ランディングさせることではなく、さらに景気を加速しつつ金融リスクも減らすという離れ業だった。でもそんなことが可能なんだろうか。

彼らが実際にやったことは、単純にまず経済を再膨張させ、その間に金融リスクのある経済部門の構造改革を行い、借金を減らしたのである。中国の場合、最大の金融リスクだったのは重工業、不動産、地方政府の3つの部門だった。

まず再膨張させるために、GDPの10%以上という巨額をインフラ投資に投じた。これにより成長のエンジンを回し、その間に構造改革を行った。インフラ投資は、官民パートナーシップで行い、地方政府の借金がこれ以上増えないように配慮した。また地方政府が短期市場から調達していた借金を長期の5年債権にスワップし、地方政府の債務を安定化させた。

構造改革は何をやったのか。

重工業では生産能力が過剰で利益が出ないことが問題だったので、企業の統廃合を行って生産能力を減らした。この統廃合は欧米では不可能な猛スピードで行われた。インフラ投資で景気が確保されている一方、生産能力が減ったので値段をあげることができ、重工業の利益は2017年には30%アップしたという。

不動産では過剰在庫が問題で、人が住まない鬼城(ゴーストタウン)が発生していた。これに対して、都市の中心部にあるスラムの再開発をしてマンションを建設した。そして住宅購入者にはその都市の戸籍を与えるという奇策を用いた。都市の戸籍を持っているとその都市の行政サービスを受けることができるので、農民戸籍者の購入意欲を掻き立てる作戦だ。さらに必要な頭金を減らし、住宅ローンも割安で提供されたのでブームが生じ、在庫が一掃されたという。ゴーストタウンは消滅した。これにより、地方政府も土地を売ることができたので、大いに潤ったという。

こうして、重工業、不動産、地方政府の債務のデレバレッジが進み、金融リスクが減ったのだという。

一方で、融資する側の金融機関への監視手法もすすんだ。人民銀行が利率を変えると、全ての金融機関が影響を受けてしまうという問題がある。そこで人民銀行は欧米にはないマクロプルーデンス評価の手法を導入した。これは自己資本比率に応じて、人民銀行に預けている準備預金の金利を上下させるという手法で、個別銀行ごとに管理することを可能にする方法だ。これによりすべての金融機関に悪い影響を与えることなく、一方で問題のある銀行に健全な融資に絞るという動機が発生し、シャドーバンクへの融資がマイナスになったという。また銀行同士が合併して上場し、株式を売却して自己資本を増やすということが起きたという。

というわけで、中国は2017年までに特に危険な経済セクターのデレバレッジを成功させて、安定した成長軌道に戻ることができた。これは法律の改定なしに強引に政策が実施できるという中国ならではの手法で、なかなか他国には真似できない。しかも戸籍などの中国独自の背景や、独特の金融機関管理手法を編みだすなどの柔軟な適応力を発揮している。

これらの政策は特定の部門の債務を減らすことには成功したものの、国家全体の債務は増やすことになっている。2019年では中国の債務はGDPの260%に達しており、これ以上の膨張は難しいという。

中国がいつか経済停滞に陥るのは確実だ。だが、中国経済を予測するのは難しいという。中国に関しては私見を廃して見ることが難しいからだそうだ。どうしても、政治的、地政学的な観点などの私見に邪魔されて、経済だけを素直に見ることができないからだそうだ。

それにしても、ゼロコロナ政策やウクライナ戦争への対応を考えると、今の中国は国際的に孤立を深めるように見え、柔軟性を失ってきつつあるように見えますよね……ほら、どうしても私見がはさまってくるでしょ? 素直に経済だけを見ることは不可能そうです(笑)。

★★★★☆

 

スモールビジネスの教科書

武田所長 実業之日本社 2022.4.7
読書日:2022.7.1

新しいビジネスモデルを作るのではなく、すでにあるビジネスモデルで、大企業が相手にしていないセグメントの顧客に特化したビジネスを行うことで数百万〜100億円程度の成功率の高いビジネスができると主張する本。

起業をする気がまったくないのに、起業の本を読むのが好きなヘタレイヤンです。たいへん恐縮です。

しかし、起業の本を読んでいくと、いろんな立場のいろんな規模の起業の本があり、それこそ月数万円の副業レベルから、日本を飛び出して世界を目指すような起業まで、いろいろです。わしが読んだ本の中には普通の株式投資すらも起業に含んでいるようなものもありました。でも、それはないよね。株式投資と起業は違うって(苦笑)。

この本では、自分が幸福になれる規模のスモールビジネスを、上場は目指さず自分の自己資金で行うことを基本にします。では何をビジネスにするかと言うと、クールでかっこいいビジネスモデルや自分のやりたいことではなく、世の中にすでにあり、お客がお金を払うことが確定しているビジネスを選ぶのです。そういうモデルはすでに上場している大企業が確立しているものですが、しかしこのような大企業では対象のセグメントをある程度絞っており、対象外に置かれているセグメントの顧客がたくさんいるといいます。このようなセグメントを狙うのです。

このような捨て置かれている顧客に対しては、たとえば値段が低くなるだけでも効果があるといいます。なぜ値段を下げられるのかと言うと、先行企業がすでにいろいろ失敗してくれているので、その失敗を避けられるから安く作れるし、大企業では社内の間接費や固定費をいろいろ上乗せしているからそもそも安くできないからです。

大企業と同じ内容でも、地方の企業に持っていくだけでも相手は感動するといいます。このような地方には提案などほとんど来ないからだそうです。

で、あるセグメントを掴んだら、属人的な壁を設けてライバルが入ってこれないようにするといいます。商品にそのセグメント特有のちょっとした機能を設けることはありですが、大きな機能の追加は大企業がすでにやっていて成功することが分かっている場合のみ行うのが良いようです。

さらに継続的にそのセグメントを離さないようにします。なぜなら新しいセグメントを開拓するのは大変だからです。でもどうやったらそれが可能なんでしょうか?

そのためには不満(ペイン)解消型のビジネスではなく、相手の欲望を利用するんだそうです。なぜなら不満解消型ではペインが解消すればそれで終わりですが、欲望は長く使えるからだそうです。顧客にあるやりたい目標があると、最初の小さな第1ステップを提供するだけでも飛びついてくる可能性があるといいます。とくにそれが安い場合には。そこで、相手が払える範囲の第1ステップの商品を作り、それが効果をあげると第2ステップ、第3ステップと徐々にステップアップさせるという戦略が、欲望を中心に長くビジネスを構築する方法なんだそうです。

なんかわしはこの部分を読んで、思わず「詐◯…」という言葉が浮かんだくらいですが(笑)、なかなか鋭い指摘と言えましょう。

セグメントを選んだり最初の商品を企画するときには、相手の立場になって相手の心理状態がすべて把握できるくらい徹底的に調べ尽くして、シミュレーションを行います。

でも相手によって使う言葉が違うのでその言葉を覚えたり(例えば顧客に対してと銀行に対してで言葉が違うとか)、有名な経営上のフレームワークを使えるようにしなくてはいけないとか、やっぱりなかなか大変です。規模は小さくても、労力は結構かかるし。でも、きっとこれはどんな起業にも付き物なんでしょう。

なにか新しいことを考えるよりは、大手と同じビジネスモデルのマイナーチェンジで、どこを攻めるかという視点を変えるだけで成功率がぐんと上がるというのは、とてもとても賢いと言えるでしょう。

★★★★☆

 

円安、賛成!! クローズアップ現代「バーゲン・ジャパン」を見て考えたこと


先週の7月26日(火)〜27日(水)放送のNHK総合、クローズアップ現代で、日本がお買い得になったという「バーゲン・ジャパン(1)、(2)」が放送された。(1)では不動産がお買い得、(2)では労働力がお買い得、という内容だった。

世間では日本がここまで安くなってしまったという嘆き節が聞こえるが、わしはこれを見て、日本経済復活を確信しました。実に素晴らしい。

順番に見ていこう。

(1)の不動産では、外国人が日本の不動産を買いまくっているという話だ。外国から見ると日本の不動産はとても安くお買い得に見えるらしい。東京だけではなく、ニセコの話が大きく取り上げられていた。でも何が問題なのかよくわからない。外国人に不動産を買ってもらっても、まったく問題はない。他のものなら、例えば貴重な文化財だとかが安く買われて外国に持って行っていかれてしまうと非常に問題だが、不動産なら持っていきようがないから、どうぞお買い上げください、としか言いようがない。この日本への投資は大歓迎だ。

しかし、まあ、そんなことよりも、(2)の労働力のほうが素晴らしい。まだ日本の労働力のほうが中国よりも3割ほど高いが、日本の国民の優秀さを加味すると割安だという。それで中国とか他のアジアの企業が日本に投資をしているのだという。マスクを作るような工場でも、日本で作ると品質が上がって不良品が減るので、中国で作るよりも結果的に有利なのだという。

さらには技術者だ。ハイアールの例が出ていたが、日本人技術者が、特に若手の優秀な技術者がとても安く使えて、その開発した技術で世界で勝負できると喜んでいる。ハイアールは日本の若手技術者にどんどん投資をすると言っている。日本の若手技術者も、ここに来れば給料はさほど変わらないが、新しい挑戦ができると喜んで転職してくるという。こうなってくると、技術者の取り合いが起きる気配だ。

もしかしたら、既存の日本の企業でも、これまでは従業員の給料を抑えることで利益を稼いできたが、今後はもっとうまく使って付加価値をつけないとだめだというふうに変わっていくかもしれない。

まあ、そういうこともあり得るだろう。しかし既存の企業がどうだというよりも、ともかくも、日本でビジネスを行うことが有利だと知れ渡ることが大事だ、と思った。とくに日本人自身に。

もしも世界的に見て優秀な労働力が安く使えるということで、日本で事業を行うと有利だということが常識になると、きっとビジネスを起こすときの心理的なバリアが低くなるだろう。もしかしたら、さほど付加価値が高くない商品でもやってみようと思うかもしれない。

わしは日本人のやってみようというアニマルスピリットに追い風が吹くことを期待しているのだ。有利な条件があればそれだけアニマルスピリットに火がつきやすいだろう。その有利な条件が円安であり、優秀で割安な労働力なのだ。

かつて日本が戦争の廃墟から復活するのに、1ドル360円という日本に有利な円安の為替設定が効果的だったことは間違いない。ともかく輸出すればお金が入るということで、いろいろなものが製造され、洪水のように輸出された。最初は品質も付加価値も二の次だった。しかしやがてそれではうまく行かなくなり、品質も付加価値も向上していくことになった。

だから、まずは打って出ようという気概があって、そういう人がたくさんいて、競争が起こった結果、品質、付加価値が上がっていくという順番ではないか。円安は明らかに、打って出ようという人を増やすだろう。まずはそこから始まって、次は付加価値に向かうだろう。たぶんこの順番であり、世間で言うように、まず付加価値を上げなければ、というのは順番が違うと思う。

さて、今後の復活は、製造業だけではないだろう。きっと金融、ソフト、科学技術、文化などのいろんな分野が売りになる。総合力というか、広い意味で無形のデザインが輸出の中心になるんじゃないかな。デザインはデジタルとも相性がいいよね。

日本経済は今後、力強さを増していくに違いない。なにしろいまやビジネスに有利な国ですからのう。きっと数年後に、日経平均もバブルの高値3万9千円を超えるでしょう。日本は戦後40年かかってバブルで頂点を極め、30年かかって底に達して、今後復活するのです。もちろん所得も上昇していくでしょう。

このブログを読んでいる人は、わしがいつも未来に超楽観的であることはご存知だと思います。いつも未来は明るいと言っているのですが、わしは最近ますます日本のポテンシャルに楽観的です。

本当に日本って世界に類例のない国ですよね。長年、日本はガラパゴスと揶揄されてきましたが、今後はガラパゴスが有利なんじゃないですかねえ。

というわけで、わしは円安に賛成。単純にビジネスを始めるのに有利な環境だから。ぜひ日銀には円安政策を今後も継続していただきたい。

バーゲン・ジャパン 世界に買われる“安い日本"(1)不動産
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4690/

バーゲン・ジャパン 世界に買われる“安い日本”(2)労働力
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4691/

引力の欠落

上田岳弘 角川書店 2022.3.29
読書日:2022.7.3

(ネタバレ注意)

これまで3社の上場に成功し一生困らないだけのお金も貯めた上場請負人の会計士、行先馨(ゆきさきかおる)が、人間からはみ出した存在UEH(未確認生存人間、なんか霊的な存在)の集団の一員の候補に選ばれ、そのグループのメンバーとポーカーで面接を受ける話。

わしは前から言っているように、依存症、とくにギャンブル依存症に興味がある。この本の書評を読んだときに、主人公が「スタートアップの上場請負人で成功したが、心に空虚さを抱えてギャンブルをする女性CFO」ということで、投資趣味とギャンブル依存症の両方が入っているのか、と思って読んでみようと思った。

…ということだったんだが、読んでみたらまったく予想と違い、できの悪い伝奇小説みたいな話だった。

なんでも、UEH(Unidentified Existing Human)とかいう昔の人の魂が乗り移ったような人たちがいて(例えば始皇帝の生まれ変わりのような人がいたりする)、彼らがいろんなクラスターを担っているそうで(例えば、錬金クラスターとか運命クラスターとかがいる)、引力クラスターが欠落したのでその候補を探しており、それに値する人が呼ばれてメンバーとポーカーをするらしい。どうもこれが面接のようなものらしいのだが、ポーカーも盛り上がらないし、主人公は面接にどうやら落ちたみたいだし、なんとも盛り上がらない。クラスターの皆さんは、なんか地球の運命を担ってるふうなドヤ顔で雰囲気を漂わせているけど、実際にポーカー以外に何をやっているのかさっぱりわからないし、なので引力が欠落したらいったいどうなるんだ、ということもさっぱりわからない。

で、結局、お金いっぱい持ってるせいか働く意欲もあまりなく、ペットの猫も死んで代わりにスマートスピーカーに話しかけ、子供ができない身体なので子供はおらず、結婚していないので家族もおらずで、空虚さ満載の女性が、空虚な集団に見込まれて空虚な面接を受けたけど、結局何も起こりませんでした、というようなお話です。

でもまあ、人間の心の空虚さを書いている部分に関しては、さすがに作家だから文章としてはよく書けていると思うのですがねえ、でもクラスターさんたちがねえ…。(そもそも、クラスターって何を意味しているのかさっぱりわからないんですけど。クラスターという言葉の意味を勘違いしてるのでは?)。

ひとつだけ気になったのが、カードを配るマミヤさんがカードを自在に好きなように出せる人みたいなので、あのクラスターさんたちがやっているポーカーゲームって出来レースだったのかしら、ってところかな。そうだとすると、ますます何やってるんだということになるんだけど。

まあ、どうでもいいかな。(それにしてもこんな本が新聞の書評に取り上げられるのがなんとも理解できない。)

★☆☆☆☆

 

人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

上田啓太 河出書房新社 2022.4.30
読書日:2022.6.30

仕事を辞めて、友人宅の物置に転がり込んだまま、2000日をそこで過ごした著者が、自分がやったことや至った心境などについて語った本。

著者の上田さんは大学三年のときに今後の進路を悩んだ末に、大学院に行くことも考えたが、幼馴染の友人たちと芸人活動を始め、芽が出ないまま解散して、バイト先も辞めて、知り合いの女性に2ヶ月居候させてくれといい、そのまま6年間居続けたという人物だ。ただし、その杉松という女性との間に恋愛関係はない。なので、3ヶ月目からは家賃を半分納めるように言われ、毎月3万円支払っている。

収入の方は、雑誌のコラムで大喜利の投稿者というのをやっていて、面白い回答をして採用されるとお金がもらえるらしい。この仕事で月に8〜10万円ほど稼いでいたという。大喜利の仕事に使った時間は週に2,3時間だそうで、その効率の良さも驚異的だが、その時間以外はとくに何もなく、自由だ。ただし大喜利の投稿はすべてネット上で完結するので、人との関係はここにはない。

住んでいたのは、杉松宅の奥のかつて物置だったところで、1畳半の広さだそうだ。そこにほとんど居て、生活時間が違うから杉松とすらもあまり関わり合いがない生活をしていたらしい。しかも、外にもあまり出ないし、人とも会わない。仕事も探そうともしない。ネットはしているが、暇つぶし以上の役割はなかったようだ。(ただしブログ日記は続けていたようだ)。

こうして、することもなく、人とも会わず、ネット以外はまったく世間と繋がりがない生活を6年間続けた。こうなると、関心は外ではなく自分の内へ内へと内向化していくことは必然で、その自己観察の様子が書かれている。

なんか現代の鴨長明という感じだが、では、具体的にはいったいどうなったのだろうか。

1〜300連休:
最初はもちろん開放感を味わっていたそうだ。ところがだんだん鬱々として、身体を動かしてみたりする。身体を動かすとそれなりに気分は良くなるが、怠惰なので運動は長続きしないそうだ。ひとりでいると昔の記憶の断片がフラッシュバック的に思い出されて、感情が動かされるという。脳が刺激を求めているのだと思い、本を読む。本人は小説以外ほとんど本をこれまで読んでこなかったらしく、自己啓発本を初めて読んで興奮したりするが、運動と同じようにその刺激は長続きしない。とにかく目標が必要ということで、毎日の運動と読書、一日の振り返り、週イチの大喜利の仕事をすることを目標とする。

300〜1000連休:
生活のリズムを整えようと、自分の生活を分単位で記録して、杉松に報告するようになる。短いテキストだがそれを整理するプログラムを作ったりする。(基本的に理系で頭がいいのだ)。

図書館が近くにあったので多読するようになる。読書の記録をつけようと、データベースアプリを導入するがそのデータベースに過去の記憶もどんどん付け加えていく。最初は読書の延長で過去読んだ本や漫画、映画を付け加えていくが、やがて自分に関係するすべてをデータベース化しようとする。こうしてすべてをデータベース化すると、急に感情がフラッシュバックすることはなくなっていったという。こうした作業に何ヶ月も費やしている。まあ、普通の人にはできないよね。

1000日経って、最初のころの悩みは不思議に消えたという。

1001〜1500連休:
記憶の棚卸しが終わったところで、関心が自分と人間に関する客観的な観察に向かっていったらしい。人間の名前とか身体とか存在とかに関心が向かっていく。自己啓発から哲学ということらしい。鏡の自分に向かって「お前は誰だ」と言い続ける実験をしたりする。このときは、鏡の自分が笑ったときが一番怖かったそうだ。

1501〜2000連休:
次第に自分の身体と心の関係に興味を持って、食事・睡眠・排泄以外の行動は極力取らない実験をして外でも歩くときに目を動かさないようにしたり、性欲と射精との関係を探ったり、心と身体の関係についていろいろ考察するようになって、ますます哲学的、心理学的な考察が多くなっていく。だんだん身体の欲求と精神は関係ないように思うようになり、死と睡眠との関係を考えたりして、<今>がむき出しになっていると考えるようになる。

などという哲学的な考察が強くなってきたところで、ウェブマガジンでの連載が決まり、自然と連休はなくなり、杉松の家を出たそうです。

うーん、こうやって見ると、この心理的な変化は別に連休と関係ないんじゃないの、という気がするなあ。仕事してても同じだったんじゃないかって気がする。記憶の棚卸しというのも、30前後でやる人が多いんじゃないかな。ただ、連休中は好きなだけこの作業に没頭できたわけで、そういう意味では貴重だったのかもしれないけど。

ネット上の著者のインタビューを読むと、ブログの文章もいくらでも推敲できたそうで、そういうブログの記事がバズったりして、今のライターの仕事につながっているようです。なんと常に100件程度のネタをストックしていて、暇をみて推敲して、外に出せるレベルになったと思ったところでアップしているようです。今ではブログはnoteに移行しているようです。

なにかやりたいことがあって、それが文章みたいなあまりお金がかからないものなら、思いっきり生活水準を下げて、2000連休ぐらいを取って、取り組むのも有りかもしれませんねえ。こうしてみると、やはり結婚というのはやりたいことのある人にとってはリスクなんでしょうか?

この人、京都大学出身なのですね。京都大学の理系の出身だけあって、頭は良さそうです。ちょっと一般人と道が外れてますけど、外れるのはあまり京都大学出身では珍しくない気もする。いや、ただの印象ですけど(笑)。

★★★★☆

 

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