ジェフ・ホーキンス 訳・太田直子 早川書房 2022.4.25
読書日:2022.7.10
脳の知能はどのように実現されているのか、その原理を発見したと確信する著者がその原理を説明するとともに、汎用AIの実現性と、AIはさほど恐れるほどのものではないという楽観的な意見を述べる本。
ジェフ・ホーキンスはパーム・コンピューターの創業者のひとりで、携帯端末パームの開発者として有名だ。もともと脳の研究がしたかったのに大学では自由な研究の場を見つけることができず、まずパームを開発して大金を稼いで、そのお金で自分の研究所を設立したという人だ。
お金を稼いでから、自由な研究をするというのはいいね。FIRE(経済的に自立して仕事を辞めること)を目指す人達も、自由になったら何をしたいかを考えてから仕事を辞めたほうがいいと思う。
さて、そのようにして脳研究を始めたホーキンスも、知能がどこでどのように生まれているのかについて手探りの状態が続いたのだが、ひとつの指針があったのだという。1978年に出版されたヴァーノン・マウントキャッスルの「意識する脳」という本だ。ここでマウントキャッスルが主張しているのが、脳はどこでも同じ単位組織が繰り返しコピーされてできているという主張だ。
細かな違いはあるけれど、脳はほぼ同じ構造の繰り返しでできている。それはコラムという柱状の組織で、底面積が1ミリ平方で高さ2.5ミリの大きさのものだ。人間の脳には約15万個のコラムが新皮質にあるという。ひとつのコラムは10万個のニューロンでできており、ニューロン間の結合を示すシナプスは2億個あるという。ひとつひとつのコラムが独立した小さなコンピュータのようなものなのだ。
このように基本単位が繰り返されているということが何を表しているかと言うと、脳はどの機能もすべて同じ動作原理でできているということである。知覚も運動もそして論理的な思考、つまり知能も同じ原理なのだ。でも、その基本原理とは何なのだろうか? すべての機能をまかなえるパソコンのOSのような基本原理など本当にあるのだろうか。
2016年2月、ホーキンスはオフィスで妻を待ちながらコーヒーカップを手に持ち、自分の指がカップに触れているところを見ていたという。脳は次に起こることをいつも予測しているという特徴がある。だからコーヒーカップを持っている自分の指に関しても、指を動かすとどのような感覚が得られるか脳は予測している。では、その予測をするには何を知っている必要があるのか。
ホーキンスは次のように考えた。まず指が触れている対象が何かということ(コーヒーカップ)。そして指は動いたあとどこにあるのかということだ(位置)。この2つが最低限必要だ。
この瞬間、ホーキンスはひらめいた。脳にはカップの形状に関する座標系があるに違いないと。座標系というのは簡単に言えば地図だ。カップの形が地図として脳に登録されているに違いない。
座標系を持ち、その動きを予測する。この基本動作は直ちに他の感覚にも展開できる。
視覚に関しては疑問の余地はないだろう。嗅覚の匂いについても、匂いの座標系を持っていて、それを使って予測を行っているのではないか。(なお、嗅覚に関する座標系は後に発見されたという)。きっと聴覚も座標系を持っているに違いない。
座標系の考え方は脳の他の機能にも展開可能だ。
たとえば記憶だ。わしらはあるものを記憶するときに、さまざまな特徴で記憶する。例えば人なら、年齢、性別、人種、身長、体重、顔、身につけているファッション……などだ。これらはすべて座標だ。年齢の座標、身長の座標などが脳にあり、そこにその人がマッピングされるのだ。人にN個の特徴があるのなら、それはN次元の座標系とも言える。年齢の座標ならその座標にはいろいろなひとが年齢ごとにマッピングされているのだろう。
言語も同じだ。言葉は言語空間のなかにマッピングされている。そして言語の場合の運動の予測とは、例えばある単語を聞いたときに次の単語を推測することだ。また言語構造は入れ子構造が可能なのが特徴だが(関係代名詞で文と文の接続が可能ということ)、これも座標系の特徴から説明できるという。
さらに数学や政治などの専門知識の場合、それぞれの概念をどのような座標系を用いてマッピングすればいいか、脳は初めはわからない。しかし学習していくうちにそれぞれが適切な座標系を使ってマッピングできるようになり、マッピングがそれなりにうまくいくとその概念の動きを予測できるようになり、それが思考するということなのだという。
ホーキンスによれば、このような座標系と予測はそれぞれ独立したひとつのコラムで行われているのではないという。そうではなく、たくさんのコラムでそれぞれ予測が行われているのだという。例えばコーヒーカップに関して知覚されたものは、数1000のコラムに共通して入力される。知覚された結果は数1000のコラムのそれぞれが自分なりの座標系を使って記憶し動きを予測する。
では、なぜ数1000のコラムで同時に実行するのだろうか。それはコラムごとに予測を競わせて、正しいと思われる答えに到達するためである。コラムはコラムごとに独自の座標系を形成する。そしてその座標系に合わせて予想を形成する。つまり脳はあり得る可能性を同時並列的に検討しているのだ。そしてこの数1000のコラムで<投票>を行い、もっともあり得る妥当な予想を形成するのだという。
各コラムでの予測では、使われなかった予測がたくさんある。使われなかった予測の痕跡はシナプスで発見されている。シナプスはなんの影響ももたらしていないのに興奮した電位に上がるということを繰り返している。これは各コラムが絶えず学習し、記憶し、動きを予測しているのだという。この予測は使われることはないかもしれないが、それぞれのシナプスは独自に予測を行っているのである。
これがホーキンスが現在考えている脳のシステムだが、いかがだろうか。脳が座標系を持っていて、座標系の中に情報を記憶し、その座標系の中で動きを予測する、これが脳の基本の動きであり、その同じ仕組みを使って通常の運動から高度な概念も含めて操作している、というのは非常に説得力があるように思える。
いろんな可能性を並行して数千のコラム(ミニコンピュータのようなもの)がさまざまな独自の予測をしているというのは、いろいろ考えたあげくに突然それを理解して「なるほど(アハッ)!」と思ったときの様子をよく表しているように思える。
この辺はまだまだ仮説の段階であるが、ホーキンスはどんどん裏付けとなる実験結果が学会から報告されているという。(ホーキンスの脳研究会社ヌメンタはコンピュータ・プログラムのシミュレーションだけを行っていて、実際の脳を使った実験は行っていないようだ。原理理論を作るのが目的だし、そもそも単なるスタートアップでは実験施設を運営するのは難しいだろうからね)。
さて、このへんまでが、ホーキンスのもっとも言いたかったことであろうが、昨今のAI技術が真っ盛りの状況では、AIについて自分なりの見解を述べなくては収まりがつかないようだ。そういうわけで、ホーキンスも自分のAI観をいろいろ述べている。
で、ホーキンスのAI観だが、日本人から見れば結構ドライな印象があるのではないだろうか。例えば人間の脳を解明して、人間の脳を真似たAIができたとする。そうすると、このAIは、人格を持っていると言えるのかもしれない。そうすると、このAIの電源スイッチをオフにすることは、殺人になるのだろうか、などという問題がけっこう世間では真剣に検討されていたりする。
このような見解に対して、そんなことを心配する必要はまったくない、とホーキンスは答えるのである。人間並み、もしくは人間以上の知能を持っていたとしても、このような人工的なAIには生きる本能のようなものは存在しないからだという。もちろん、そのような本能のようなものをプログラムすれば別だが、ホーキンスによれば、そのような死ぬことに対する恐怖はわざわざプログラミングする必要はない。死への恐怖という機能は生物として生き延びるという点で意義があったわけで、AIには必要のない機能である。なので、わざわざプログラムしなければAIは電源を切られることに特に恐怖を感じないので、いつでもオフにしていいのだ、という。まあ、わしもそう思うね。
またAIが人類を滅ぼすことを決意する映画ターミネーターのスカイネットのようなAIが誕生することについても、ホーキンスは否定する。わざわざそうなるようにプログラムしない限りはそうなることはない、という。何重もの防護策を施しておけば問題ないのだという。
そもそも、AIが人間の理解を超えた独自の技術を持つ可能性すら低いという。AIは思考だけは人間よりも高速になるかもしれないから、例えば数学のように純粋に思考だけで可能なものは人間の理解を超えるものができるかもしれない。しかし、物理学などの科学では、実験で理論が確認されないと、学問を前に進めることはできないのだ。
現在、素粒子関係の学問では、実験が限界に達しており、新しい実験結果が得られないまま、数百もの理論が乱立し、どれが正しいのか判定できない状況になっている(参考)。AIは高速な思考により、理論の数を数万とか数百万に増やすのかもしれない。しかし、そのどれが正しいかは実験で確認しない限り分からないのだ。そういうわけで、実験が律速条件になって、AIは人間を超える技術を持つ可能性は低い、というのがホーキンスの見立てである。
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