ザビーネ・ホッセンフェルダー 訳・吉田三知世 みすず書房 2021.3.16
読書日:2021.7.14
新しい基本的なデータが発見されない年月が30年以上に及ぶうちに、理論物理学は道を失い、何でもありの状態に陥り、生み出された多数の理論はもっぱらその美しさで正当性を争っているが、その根拠は薄弱で、一部はすでに科学とは言えない状況になっていることを報告する本。
著者は現役の素粒子物理学者で、超弦理論を用いて、新しい高エネルギー粒子の理論的探索とかそんなことをやっているらしい。学者の立場としては終身在職権を得るような安定した立場にはほど遠く、短期の研究資金を得て、世界中の研究所を回っているような状態だ。多くの有名な研究者にインタビューをしているが、誰も彼女のことを知らないのは明らかだ。
彼女の周りにはそういう人物がたくさんいるようで、この本はそういうある意味「失われた世代」の物理学者が自分や周りの人間を見渡して、いったいおれたち何やってんだか、という思いがこもっているように見える。
いったい理論物理学の世界に何が起きているのだろうか。
20世紀に入って、2つの大きな物理学の進展があった。一般相対性理論と量子力学である。特に新しい粒子については量子力学を使って探索が行われたが、量子力学は新しい粒子を予想し、実験家がそれを確認するという幸福な関係が長らく続いた。
この結果、標準模型と呼ばれる理論が1970年代に完成した。標準模型とは、強い相互作用、弱い相互作用+電磁気相互作用、ヒッグス機構とCP対称のやぶれ、フェルミ粒子の世代論などを含んだ5つだったか7つだったかの方程式にまとめられたものだ。この標準模型にしたがって、つぎつぎクウォークなどの新しい素粒子が見つかった。
しかし、エネルギーが高い方に行くにしたがって実験が難しくなり、お金がかかるようになり、なかなか新しい粒子を発見できない状況が続く。CERN(セルン、欧州原子核研究機構)がヒッグス粒子を発見したのが2012年で、これでようやく標準模型で予想されていた粒子のすべてが見つかった。
ということは、実験としては標準模型より一歩も進んでいない。理論の方は超対称性を使った超対称性粒子などがたくさん予想されているが、どれもまったく見つかっていないので、なんの検証もできていない。これらは、非常に重たい、つまりエネルギーが高い粒子ということらしい。
一方、一般相対性理論と量子力学を統合するという目的で、超弦理論などが発達したが、こちらはパラメータがたくさんありすぎて、何でもありの状況になっている。しかたなく今の物理定数に合うようにパラメータを調整することになるが、これは事実上の「人間原理(人間が存在できるように宇宙はできている)」という自分たちの存在を前提にした調整になっており、一義的な仮定からすべてを説明するという物理の理論の理想とは大きくかけ離れてしまっている。
そういう調整を経たあとでも、有望な理論は200程度存在しているそうで、どれが正しいのかさっぱりわからない。なにしろ検証するためのデータがなにも出ていないのだから。この結果、数学的に正しければすべての世界が存在しているはずだ、という話にすらなっている(多世界宇宙論)。
超弦理論はあやしげであるが、それでも多数の功績をあげていて、理論物理学者の人気を集めている。たとえば、ブラックホールのホーキング放射(ブラックホールの境界で粒子・反粒子の対が発生して、ブラックホールが蒸発する現象)に関する情報の取り扱いについて、矛盾のない説明をつけることができたという。
そういう意味では有望なのではあるが、なにしろホーキング放射ですらまだ実験的に確認されていないことに注意しなくてはいけない。これは仮定の上に仮定を重ねた研究なのだ。(ただホーキング放射は従来理論に新しい仮定を設けずに導き出されているので、その存在を疑っている人はいないようだが。)
量子力学も観測者の存在をシステムに取り込んでいて、人間原理と変わらないあやしさがあるが(観測問題)、量子力学は多数の実験で確認されていて、直感に激しく逆らうものの、正しいことは実証済みだ。
さて、こういうめぼしい実験データがない中で理論家はどのように判断して研究を続けることができるのかというと、まったくそれぞれの物理学者の数学的な美意識、自然さの感覚によることになる。物理学者には正しい理論は美しいはずだとの思い込みがある。だが、この物理学者の感覚がまったく当てにならないことを、著者は繰り返し説明する。
もっとも有名なのは、ケプラーの法則で、ケプラーが惑星の軌道が楕円としたとき、科学者からはいっせいに批判が起きたという。なぜなら楕円は美しくなく、自然は美しい円運動をしているはずだ、と多くの科学者が考えていたからだ。
かように、科学者というのは、こうであるはずだという思い込みの激しい人々で、しかも身内だけとしか付き合わないので、いろいろ認知的な誤りが発生しがちだという。哲学者の知見が役に立ちそうだが、残念ながら科学者は哲学者をバカにしがちなんだそうだ。
こういう欠点がいくつあっても、理論物理学者が有望な予想を出して、それが次々に確認される20世紀のような状況だとしたら、著者もこんなにぼやかないだろう。しかし、いま、理論物理学者はお金があまりかからないコストパフォーマンスのよい実験を予想をすることができない。
つまり若い物理学者にとって、昔のいい時代は経験したことがなく、残った困難な問題は山積みで、それを説明する理論は事欠かないが、それらはまったく検証不可能という、そういう時代に生きているのだ。閉塞感に陥っているといっていいだろう。まるで、バブルの時代を経験してみたかったという閉塞感漂う現代の若者のように。(……なんちゃって。ちょっとありがちな表現を使ってみたかっただけ(笑)。)
とはいうものの、超弦理論家はけっこう就職率がいいという。なぜなら、超弦理論家はコストが安いからで、基本的に紙とペンとコンピュータしかいらないからだ。実験物理学者を雇うとお金がかかりすぎるが、超弦理論家ならかなり安いコストで「最先端の研究者を雇っている」と大学や研究所は言える。そういうわけで、世界には理論家があふれていて、ちょっと変わった実験データが発表されると、それを説明する数百の論文があっという間に発表されるという。
まあ、巨視的な視点で考えれば、こういうふうにある科学分野が停滞する時代もあるということでしょう。こういう時代こそじっくり過去の残された問題を見直すときでしょう。そうしてるうちに新しい発想が現れて、適度なコストで検証できる理論が現れると思います。
もっとも短期の助成金頼みの著者のキャリア形成には間に合わないかもしれませんが。
★★★★☆