スティーヴン・キング 訳・白石朗 文藝春秋 2024.4.10
読書日:2024.9.2
(ネタバレあり、注意)
元海兵隊でスナイパーのビリー・サマーズは悪人のみを殺す雇われ殺し屋だが、引退を決意し、「最後の仕事」を引き受ける。裁判所に移送された瞬間しかチャンスがないため、裁判所が見えるオフィスビルに小説家に扮して待機するが、待っている間に自分の人生を基にした小説を書き始めて……。
わしはスティーヴン・キングの作品をあまり読んではおらず、どちらかと言うと、創作者としての発想や生き方に興味がある。なので、「書くことについて」などのエッセイを喜んで読んだな。小説も「ミザリー」は面白かった。ミザリーは映画も面白かったが、小説の方がいろいろ創作のうんちくが多くて面白かった。
というわけで、スティーヴン・キングどころか小説自体をあまり読まないわしがこれを読もうと思ったのは、主人公が作家という役を演じているうちに本当に小説を書き始めたというその設定に興味があったからです。
偽の作家というお膳立てをしたのは、ビリーを雇ったニックで、部屋もパソコンもニックが用意したものです。そのパソコンにはビリーが何をやっているかをスパイするソフトウェアが入っているのをビリーは承知していますが、わざとそのパソコンを使ってビリーは小説を書き始めます。なぜかというと、小説には読者が必要だから(笑)。喜んで読むかどうかは別として、ニックは必ず読むだろうから、忠実な読者と言ってもいいでしょう。
これは本気だと思いますね。スティーヴン・キングにとっては読者を想定せずになにか文章を書くということはあり得ないのでしょう。作家は読者に向けて作品を書くのであり、頭の中でかなり具体的に読者を想定して(イメージして)書いているということです。キングの場合は、きっと妻のタビサなんでしょうけれど。
お話の前半(上巻)はずっと待機の話で、小説を書きながら、オフィスビルの人たちや、住んでいる中産階級の住宅地の人たちや子どもたちとの交流が描かれます。(この辺の中産階級の人たちの暮らしの描写がとてもいい)。
上巻の最後でようやくターゲットが現れて、ビリーは仕事を果たして、逃走します。実は雇い主のニックが仕事を終えた後、ビリーを殺すつもりということをビリー自身も感づいていて、ビリーはニックからも逃げます。
そうして、別人になって潜んでいるんだけど、すでに小説を書くことにのめり込んでいるビリーは、書き続けるつもりです。でも、読者は? もうニックから逃げているので、ニックは読者ではありません。そしてキング的には読者を想定しない小説はありえないわけです。
するとそこに、アリスという若い女性がデートドラッグを飲まされてレイプされ、ビリーの潜んでいる家の目の前で車から捨てられるという事件が起きます。ビリーはアリスを助けます。放っておいたら確実に警察沙汰になって、警察にあれこれ調べられるから、というもっともらしい理由があるのですが、もちろんアリスはビリーの新しい読者として登場するのです。
アリスはアリスで、人生の岐路に立っているので、ビリーと行動をともにするのですが(まあ、なんて都合がいいんでしょうか(笑))、ともあれ、アリスはビリーの小説を読み、ビリーに小説の続きを書くよう促します。
下巻は、ビリーとアリスが逃亡しながら、雇い主のニックに迫って、本当の黒幕の情報を得ることが中心です。こうして得た黒幕(メディア王のクラーク)とその動機は驚くほど平凡でびっくりすることはないのですが、まあ、得てしてこんなものかもしれませんね。
驚くのは、その黒幕クラークが小児性愛者でメキシコで幼女買春をしたという話が語られると、たちまち幼女買春をする者は《殺されて当然》という扱いになり、誰もそれに反対しないことです。幼女買春がこれほど精神的な免罪符になるとは。いやー、わし的にはさすがにそれは殺人の免罪符にはならないと思うけど、リベラルなエンタメでは小児性愛者はもうこういう扱いなんですね。
ビリーを雇って裏切ったニックは、手下が一人殺され、一人は重症を負わされたのに、ビリーに命を助けられるとたちまち改心します。ビリーに暗殺の残りの代金も支払ってくれるし、黒幕クラークの暗殺にも全面協力します。ビリーもそんなニックを信じる、という展開。そしてニックの手下もクラーク殺しに全面的に協力するのです(うーむ。こんなことってあるのかしら)。
作戦は21歳のアリスを15歳くらいに見せてクラークに売り込むこと。幼女買春の仲介者に連絡を付けると、その仲介者もなんの疑問も持たずにクラークにつなぎ、クラークはあっさりと餌に食いつきます。
クラークの屋敷を襲撃する部分は、小説内小説の形で語られます。実はビリーの人生を語る物語は、実際のビリーの人生にこの時点で追いついているので、もはや小説は直近の過去を語っているのです。
この小説内小説ではビリーはクラークを殺した後、アリスに別れを告げて、遠くに去っていくことになっています。一緒にいると、アリスまで悪者になってしまうから、とかいう理由で。こうしてビリーの書いている小説は幕を閉じます。
でもビリーの書く小説が終わると、現実の世界が現れます。
現実の世界ではビリーは致命傷を負い、すでに亡くなっていたのです。小説のラストを書いたのは、じつはビリーの文体を真似たアリスでした。ビリーがこうあってほしいと思った内容を、現実と異なるフィクションとして、アリスが書いたのです。
つまり、第1の読者が、作家の後を引き継いで完成させたわけです。
そして、アリスは今後どう生きていくかを決めます。彼女は小説家になろうと決意するのです。
途中、なんだかありえない展開もあって、これってどうなの?と思うところもあったけど、このラストの締めくくりはなかなか良くて、まあ、良かったかなと思いました。
ビリーの書く小説は、小説内小説ということになってメタ化しているんだけど、小説内小説の部分はすぐに分かるようになっていて、読んでいる者に混乱はありません。(現実のお話は現在形で語られ、小説内小説の部分は過去形で、しかも別の字体で語られる)。
スティーヴン・キングはきっと、作家には読者が必要で、今の読者が将来の作家になる、ということを念頭に置いてこれを書いたんだろうなあ、と思いました。
そのへんは良かったのだけれど、お話の内容はわし的には相当いまいちでした。上巻の中産階級の人や子どもたちとの交流部分は良かったけど、下巻の展開はちょっとね。あまりに都合が良すぎると言うか。
しかしキングの小説は相変わらず長いね。キャラクターの造形や描写も申し分ないし、いろいろ味付けに必要なちょっとした専門の単語を適度に入れていて、まるでお話構築のお手本のような作品だけど、基本的なお話の構成は単純だから、ぜったいに3分の1以下に圧縮可能だよね。リーダーズ・ダイジェストのダイジェスト版があったらそっちを読みたいくらい。長すぎなんだよ、本当に(苦笑)。
★★★☆☆