海老原豊 小鳥遊書房 2024.7.9
読書日:2024.9.6
繁栄している人類はその裏でディストピアを欲望しているという著者が、ディストピアSFから現代のユートピアを読み解こうとする本。
かなり前だが、会社でディストピア作品を専門にしている人に会ったことがある。ほんとうにそういう小説や映画しか見ないのだ。現代社会自体がディストピアだと思っている人も多くいるだろうけど、極端にディストピアに耽溺すると逆説的に心が開放されて、現在を見る目が楽になるのかもしれない。わしはディストピアを特に偏愛するわけではないが、まあ、その気持は理解できる。
この本では、古典的なディストピア小説(「1984」、「すばらしい新世界」、「華氏451度」)をまず論じて、ディストピアの5要素を抽出したあと、現代のディストピアとして「監視ディストピア」、「人口調整ディストピア」、「災害ディストピア」「労働解放ディストピア」について議論している。SFは小説だけでなく、映画やTVドラマ、漫画も対象にしているのが特徴だ。ただし、フェミニストみたいなジェンダーが絡む「ジェンダー・ディストピア」はあまりに内容が豊富すぎるという理由で今回は扱っていないそうだ。
評者が日本人だから当たり前だけど、日本の作品を多く扱っている。というか「人口調整ディストピア」はほぼ全部が日本作品。さすが日本は少子高齢化先進国ということらしい。しかも純文学が多い。もはや少子高齢化はSFではなく、日本のリアルであるから、もう純文学のカテゴリーらしい。
この本では、懐かしい作品とも出会った。「トリフィドの日」である。わしが読んだのは小学校の図書館にあった子供向けにリライトしたものだったけど、この作品はなかなか文明に対する批評がなされている作品だったのだ。子供の頃のわしは、単なるサバイバルアドベンチャーSFとしか読んでいなかったので、こんな内容だったっけ? と少しびっくりした。イギリスSFはなかなか奥が深いね。オリジナルを読まなくてはいけないのかな。
著者によれば、結局、ユートピア/ディストピアの物語というのは《私たち―あいつら》を分割する物語なんだそうだ。ユートピアの中にディストピアはあり、ディストピアの中にユートピアを見出すことができ、社会とはユートピアとディストピアが織りなってつくるタペストリーのようなものなんだそうです。
そりゃそうでしょうね、としか言いようがないですね。
わしはユートピアとか、ディストピアとか、そういう区別を特に意識していないので、この評論ももっぱら最新SF紹介本として読みました。その結果、日本の多くの優れたSF作家がいることが分かった。「ゲームの王国」とかの小川哲ってSF作家とは知らなかった。これってSFだったんだ。本当に何も知らないにもほどがあるなあ、わし(苦笑)。そういうわけで、日本SFはとてもいい状態ということが分かったので、とても嬉しいです。
読もうかどうか迷っている、サラ・ピンスカーの「新しい時代の歌」も紹介されていたなあ。読みたい本が多すぎる。
それにしても災害ディストピアとして「日本沈没」が大きく取り上げられているのはいいけれど、最近のTVドラマ「日本沈没―希望の人」を批評に取り上げるのって意味はあるのかしら。批評に値しないと思っていたけど。でも著者の言う通り、「日本沈没」は日本の歴史の折々のタイミングでこれからもリメイクされ続けるんでしょうね。
いつも思うことだが、もう文学は完全にSF化していることを実感する。もともと純文学は個人や社会の心の闇を扱うことが多いから、ディストピアSFとたいへん相性が良いのである。こういった世界は近未来に設定されていることが多い。やはりテーマは現代で、小説の世界は改変された現代なのである。
こうなってくると、SF作家はなかなか厳しい局面にさらされているなあ、という気がする。SF作家としては、やっぱり純文学が扱っているテーマを避けたほうがいいのかもしれない。どんなものがあるだろうか。
たとえば、宇宙人侵略ものはどうだろう(「三体」とか?)。純文学者がまじめに扱うにはあまりにバカバカしいだろう。あるいは地球じゃない全然別の星の生物の進化を扱うような、かなり思念的もの(「スターメイカー」みたいな? 読んでないけど「一億年のテレスコープ」とか?)がいいのかもしれない。昔に戻って、スペースオペラもいいかもしれないなあ。「銀河英雄伝説」みたいなものは権威主義的な国々と民主主義的な国々に世界が分割されているいま、重要な作品かもしれない。架空の歴史ものと言えるし、さすがにここまで大げさになると純文学で扱うにはバカバカしすぎるだろう(実を言うと、これも読んでないけど(笑))。もともとSFなんておバカなものだから、おバカで単純な設定がよろしいのだ、たぶん。
***メモ 海老原豊のディストピア5つの要素 ***
(1)場所: 境界・統治・法・アーキテクチャ
(2)市民: 階級・道徳・身体
(3)労働: 生産・消費
(4)メディア: リテラシー・コミュニケーション
(5)環境: 災害・気候変動
★★★☆☆