ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩

スティーブン・ピンカー 訳・橘明美+坂田雪子 草思社 2019.12.20
読書日:2020.6.6

17世紀に始まった啓蒙主義はこれまでも大きな成功を収めたが、21世紀も啓蒙主義を引き継いでいかなければいけないと主張する本。

ピンカーがこの本を書いたのは、啓蒙主義が21世紀に入って軽視されていると思っているからだ。アメリカでトランプ大統領が誕生していることもあるが、それ以前からインターネットなどでは主張が2極化して、相手の意見に耳を貸さないという状態が起きている。理性的な議論ができなければ、それは人類の発展に寄与しない。

ここで啓蒙主義と言っているものはなにかを振り返ってみよう。

17世紀になると、教会や因習から離れて物事を人間の理性で考え、知識を増やして人間の幸福に役立てようという運動が起きた。それが啓蒙主義で、端的には科学の発展にそれは現れている。知識は一度手に入ると、それは世界中に広まり、人類の共有財産になる。

そのためには、当然ながら、社会は理性的に議論を行う体制が必要で、啓蒙主義は民主主義や自由な貿易を志向することになる。もちろん、人々は平等でなければならないし、差別などあってはいけない。こういった考え方は普通リベラルと呼ばれる。

ピンカーは、本書の半分以上を使って、啓蒙主義がいかに人類の幸福に貢献してきたかを歴史的データを使って示している。例えば、世界全体で、健康的な人が増えて寿命は伸び、貧困は減り、世の中はより安全になったという。この内容は、「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」とも重なる内容で、じっさい著者のロスリングのデータもこの本で紹介されている。

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FACTFULNESSでも語られていることだが、このことを繰り返し言わなければいけないのは、多くの人が、世界はどんどん悪くなっている、このままでは文明は崩壊する、などと誤った考えを持っているからだ。

また差別は減り、民主主義の国は増えていると指摘している。中国のような共産主義が支配する非民主的な国ですら、人々の状態は以前よりはマシになっているという。さらに、大きな国同士の戦争は減り、戦争で亡くなる人の数は減り続けているという。

そして、重要なことに、このような世界が良くなっていく傾向は21世紀においても続くことが期待できるという。

ピンカーはこのままでは人類が滅ぶという考え方に対して反論している。例えば、環境問題である。ピンカーは環境問題は改善していると主張している。農業の技術発展により、農地はこれまでよりも少なくてすむようになった。余った土地は保護され世界の土地の14%はすでに保護地区になった。特に温帯ではそのような余った土地は林に戻されているという。(これは啓蒙主義的な発想の結果そうなったというよりは、生産性の低い土地は採算が取れなくなったという理由で農業が放棄され、その結果、自然に戻されているのである。間違ってはいないが、ピンカーの表現にはちょっと自分に都合いい書き方になっている)。

温帯地方と違って、熱帯地方ではいまでも森林破壊が進んでいるが、それも1995年にピークを迎え、今は破壊の増加率は徐々に減っているとしている。(ここでもピンカーのトリッキーな表現に注意。増加率は減っているが、いまだに増加しているのは間違いないのだから。)

ここまでは威勢がいいが、まだ解決していない現在進行形の危機に対しては、少し歯切れが悪くなる。解決策がまだないのだから当然だけど。

例えば気候変動。

気候変動の原因となっている二酸化炭素の排出量を減らさなくてはいけないが、これに対しては、実はこれまでも脱炭素化は進んでいると主張する。具体的には、燃料を天然ガスに切り換えることで、GDP1ドルあたりの炭素排出量は減っていると主張する。(ここで1ドルあたりと言っているのに注意。効率は上がったのかもしれないが、世界のGDP自体は成長しているのだから、その成長した分、総量ではやっぱり増えているはず)。今後の解決策については、炭素課税、第4世代の安全な原子力発電、さらには気候制御する技術などをあげているけど、実現はなんとも先の話になりそうで、不安を解消するには程遠い。

しかしピンカーの話の論点は解決策を示すことではなくて、啓蒙的にこの問題を処理しなくてはいけないという点だ。啓蒙的でない態度とは、そんな問題は起きていないと頭から否定するような態度だったり、逆に問題を解決するために成長を諦めるべきだという態度のことだ。これに対して啓蒙的な方法というのは、二酸化炭素の排出を最小限にしつつ、得られるエネルギーを最大限にするという方法を見つけるように、知恵を出すということだという。

他にも、人工知能の発展により人類が滅亡する可能性についても議論されている。ピンカーの主張は、シンギュラリティは起きる兆候は今のところ見られないという理由で、AIの脅威自体を否定している。これは主張としてはかなり弱いのではないかという気がする。しかし、こういう現在進行形の問題に対しては、繰り返すが、人類は知恵を集めている段階だから、ピンカーとしては、啓蒙主義的に取り組めばいいということなのだろう。

さて、社会が2極化していく世の中で、どのように議論していけば啓蒙的だと言えるのだろうか。

ピンカーは、政治的に熱くなるような問題に対する議論を冷静に行うには、ファクトチェックを常に行い、事実に基づいた議論を行う必要があるという。また、認知バイアスについての理解を深めて、認知バイスに陥らない議論をする訓練を行う必要があるという。

(日本では認知バイアスという言葉自体がようやく普及して来たばかりで、科学的なファクトに基づく政策の議論すらまだまだなことを考えると、日本ではなかなか難しいのではないかと思うが)。

一方、ピンカーは、啓蒙主義はこれだけの実績をあげているにもかかわらず、啓蒙主義に反対する態度があることに注意を喚起している。

宗教が最も分かりやすい例だが、それ以外では特に人文学系の知識人が科学を非難していることをあげている。それは科学が彼らの領分を侵食している危機感から来ているという。例えばいまでは歴史などにも統計的な処理などが必要とされ、人文学系の学者は自分たちの領分が科学に侵されていると感じている。その結果、彼らは反科学的なプロパガンダを行っているのだという。たとえば科学は優生学とか核兵器とか、人類に脅威を与えた悪い面があることを強調する。そしてそれを理由に科学は進歩をもたらさないと主張するのだという。しかしピンカーは、啓蒙主義が人文系を侵略することは今後も避けられないと思っており、こうした面は時間が解決していくと思っているようだ。

また興味深いことにピンカーはロマン主義ヒロイズムを反啓蒙的としている。ロマン主義ヒロイズムとは、ニーチェなどを筆頭とした、人間の意志の力を重視する態度のことで、平凡な現代人は無個性で飼いならされた存在になると主張する。それでは生きているとは言えないというのがロマン主義の考え方で、自分は特殊でユニークだと考えている多くの芸術家が賛同し、その考え方は普通の多くの人を引きつけている。困ったことにこうした芸術家は独裁的な全体主義ナショナリズムを擁護しがちだという。つまり反ヒューマニズム的な対応をしがちなのだ。

芸術家やクリエイターが一般市民に与える影響の大きさを考えると、たしかに気がかりな点である。

ピンカーはこうした反啓蒙的な態度を嘆いているが、ニーチェが出てくるように、これは啓蒙主義が歴史的に昔から抱えてきた問題で、今に始まったことではない。そういう反啓蒙的な態度にさらされながらも、啓蒙主義は大きな成果をあげてきた。啓蒙的な発想は、毎年数パーセントずつ地味な改善を行い、それが長い時間をかけて大きな改善になるという、そういう物語だ。ヒーローが出てくるような物語ではない。こんごもそうやって地味に改善を重ねるしかないように思う。そして社会がときに反啓蒙的な方向に行くときに、もう一度啓蒙主義という考え方を思い返すということをするしかないように思う。ちょうどこの本のように。

最後に、ピンカーが不平等は問題ではないと主張している点について述べたい。ピンカーは不平等が問題なのではなく、皆が不十分にしか持っていないことが問題だと言っている。逆に言えば、誰もが十分に持っていれば、他の誰かがより多く持っていようと、それは問題ないのだ。これは非常に好ましい考えで、わしも強く思うところだ。ピンカーもシャイデルの「暴力と不平等の人類史」に対して、わしと同じような反論をしている。非常に好ましいです(笑)。

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★★★★☆

 


[まとめ買い] 21世紀の啓蒙

 

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想

フィル・ローゼンツワイグ 日経BP社 2008年5月15日
読書日:2018年09月05日

有名なビジネス書はまったく科学的ではなく、よくできた読み物に過ぎないと、身も蓋もないことを主張する本。

それが証拠に、挙げられたエクセレントな会社は数年後にエクセレントではなくなってしまう。業績のいい会社を選ぶと、戦略も従業員満足度も自動的に高いということが問題(ハロー効果)とか。

まあ、それはそうですけど、それを言っちゃおしめーよ(^^;。

やり玉に挙げられている本は、
エクセレントカンパニー
ビジョナリーカンパニー
ビジョナリーカンパニー2
ビジネスを成功に導く4+2の法則

ほとんど読んでます(^^;。しかも高評価を与えてると思う。あれま。

★★★★☆

 


なぜビジネス書は間違うのか

 

中村元選集〈第3巻〉/東洋人の思惟方法〈3〉日本人の思惟方法

中村 元 春秋社 1989年1月
読書日:2018年09月18日

中村元が有名な学者であることは知っていたけど、やっぱりすごい。

日本のみならず、インド、中国、欧米の文化に習熟している中村は、具体的な文献をいちいち挙げながら、日本人の考え方のパターンを他国(とくにインドと中国)と比較検証してくれる。ほとんどこれ一冊で、完璧なんじゃないかと思えるほどの出来だ。

ちょっと変だなと思ったのは、日本のいじめのところで、中村の言い分では、戦前はいじめなんてなく、現代でも(この本の出版は1989年)公立の学校だけで、私立では起きていないと明言していること。それを日本人の宗教観と重ねて論じているのだが、いや、私立でもいじめはあるし、戦前、戦中でもあったことは、たとえば小説「長い道」(映画の「少年時代」)からも明らかなんじゃないの?

他にもこれはどうかというところは2,3あったが、しかし、全体として極めて的確という印象を持った。

中村の言う日本人の特色は、簡単にまとめると以下になろうか。(1)楽天的。今生きている現在の利益を重視、過去や未来(死後)は気にしない。(2)人間関係の中で物事を把握し、その関係の把握に極めて敏感。自分が所属している集団が絶対的意味を持つ。(3)抽象的な原理、概念を思考するのが極めて苦手。具体的に考えるのは得意。

通常、日本人論となると、日本を卑下するか持ち上げるかどっちかだけど、淡々と日本人の考え方を述べている。世界的に見てあまり類例のない思惟方法であるから、たぶん日本と日本人は今後も世界の中で特徴がある国と見られていくんだろうなあと思われる。そして多分それはいいことである。

同じ選集で、インド人の思惟方法、シナ人の思惟方法、などがあるからぜひ読み比べてみたい。

★★★★★


中村元選集〈第3巻〉/東洋人の思惟方法〈3〉日本人の思惟方法

 

マネーの進化史

ニーアル・ファーガソン 訳・仙名紀 早川書房 2015.10.25
読書日:2020.5.24

歴史家のニーアル・ファーガソンが、マネーがどのように進化してきたのかを人類の大きなスパンで振り返るという本。

最近、歴史家が重要になってきたようだ。例えば、サピエンス全史のハラリなどが世界に衝撃を与えたことが思い浮かぶ。ニーアル・ファーガソンが重要なのは、この本にある通り、金融史に詳しく、資本主義を論じるという立場にあるからだ。本書ももともとは2009年の出版なのに、6年たってようやく翻訳されているのは、やはりファーガソンの存在を無視できなくなったからだろう。

というわけで、ファーガソンはマネーに重要な進化が起きたタイミングをとらえて解説している。

そもそもマネーがない世界から始まって(インカにはマネーがなくて、スペイン人が金や銀を欲しがるのを不思議がったそうだ)、メソポタミアで生まれた初めてのマネー(借金をしたことを書いたレンガのトークン)、信用や債権、株式が生まれて進化していった様子を描いている。

残念なことに、わしはこの本に書かれたほとんどのことを知っていたので、あまり面白く読めなかった。書かれた時期が時期だけに、リーマンショックについてかなりページを割いている。一方、MMTのような最新の経済学については全く言及はない。

参考になったのは、19世紀終盤の第1次グローバリゼーションの話かな。この時、世界はあまりに経済的に緊密に結びついていたので、もう戦争は起きないと考えられていたという。とくにイギリスとドイツは緊密だった。だから、サラエボオーストリア皇太子が殺害されたときも、市場がその意味を理解するのに2か月もかかったのだという。そして、イギリスとドイツの結びつきはあっさりと消えてなくなった。

いま、中国と米国が緊密に結びつく第2次グローバリゼーションが起きている。しかし、グローバリゼーションの結びつきは簡単に切れてしまうことは、第1次世界大戦で見たとおりである。いまコロナショックのあとで、米中の激突が激しくなっている。この2大国の展開がどうなるのだろうか。

しかし、ジョン・ローのミシシッピ株式会社の話は、いろんな本にたびたび紹介される話ではあるが、何回聞いても面白い。結局、失敗してしまったが、別の着地点もあったのではないか、という気になる。

★★★☆☆

 


マネーの進化史 (ハヤカワ文庫NF)

なんでお店が儲からないかを僕が解決する

堀江貴文 ぴあ株式会社 2016.10.5
読書日:2020.5.16

1年365日外食するというホリエモンが、儲からないレストランの問題をズバリ解決するという本。

お金持ちのホリエモンがレストランに期待するのは値段ではなく、驚きなんだそうだ。いい店は何度行っても驚きがあるという。つまりはアイディアである。なので、独立するまで何年もかかるという職人の常識は何の価値もないと切り捨てている。学びはそれこそユーチューブで十分で、アイディアもユーチューブからパクればいいという。

ホリエモンの新しい経験に対する貪欲さがうかがわれる。なにしろひとつひとつの食事にこれだけ熱心に取り組んでるんだから、それ自体に軽い驚きを覚える。さらに食に対する有益な情報を集めたいという自らの欲望のために、有料のTERIYAKIというキュレーションサイトを運営し、TEAM WAGYU MAFIAにも参加している。TERIYAKIが有料なのは、食べログみたいな無用なノイズが入るのを防ぐためらしい。信頼できる人たちだけで情報を共有したいのだ。

振り返って、投資家の食事ってどうなんだろう。だいたい貧相な気がする。バフェットはいつも同じ店でハンバーグステーキを食べているみたいだし、そもそも個人投資家でそんなにおいしいものをばくばく食べているような人を想像するのが難しい。なんか、優待かなんかで無料の食事でいかに安くあげるかということを競争している気すらする。

わしも食事は、同じもののローテーションで、驚きのある食事なんて縁がない。だいたい同じもので満足してしまう。しかも、あんまりお金をかけない。今日、何を食ったか思い返してみたが、朝は菓子パン1個(87円)で、昼はカップラーメン(西友で58円)だった。ひどすぎる食事状況である。(苦笑)

そもそも外食すら徒歩圏を出ない。しかも優待券を使い切るのに苦労している状況なのだから、おのずと優待券を使うために同じ店ばかりになってしまうのである(苦笑)。家族は飽きて同じ店に行くのを嫌がるので、自分一人でせっせと消費しなくてはいけない。

自分だってそんな感じだから、個人投資家は概ね食事に興味がないと思う。そもそも投資依存症で市場が開いて値動きが見れれば満足なのだから、まあ、食事なんてどうでもいいとはいわないが、優先順位はかなり低いです。

本の内容に戻ると、ほかには、初期費用をかけすぎてはいけないとか、ITに疎すぎる、SNSを活用しろとか、ごく当たり前とも言えるようなことが書いてあって、そりゃそうだろうなと思います。

ノーショー問題(予約した客が来ないこと)に関しては、カードで前金を取るしかないでしょうから、やっぱりそうしたITに疎くてはダメでしょう。

個人のレストランではクレジットカードが使えないことが多い点が問題なのもホリエモンが言う通りで、使えないなんてありえません。現金を持ち歩くひとって今時いませんからね。わしはよく財布に千円ぐらいしか入っていない状態で何日も暮らしています。

昔よく行っていた個人商店のカフェがあるんですけど、そこもクレジットが使えないので、自然と足が遠ざかっていました。が、何と、久し振りに行ったら、ペイペイが使えるようになっていました。しかもツイッターを始めて、新しい試みとして、おいしそうなパンを焼くようになったと発信してるではないですか。

なので最近は、週いちぐらいで家族でランチを食べに行き、パンを買って、ペイペイで支払うようになりました。SNSとスマホ決済、とてもとても大切ですね。ホリエモンの言う通りです。

★★★☆☆

 


なんでお店が儲からないのかを僕が解決する

イスラームから見た「世界史」

タミム・アンサーリー 訳・小沢千重子 紀伊國屋書店 2011年8月29日

読書日:2012年03月14日 

いや、まじでイスラム教、ヤバイと思った。

1400年前に誕生した当時のイスラム教は、完全に平等、公平な共同体を目指した。だいたい狩猟採集時代の昔から平等、公平は人間の魂に刻み込まれていた精神だ。だからこそ19世紀のエリートが共産主義に共鳴したようにイスラム教も多くの人間の魂に訴えるものをもっていたわけだ。イスラムがたった100年足らずの間にミドルワールドを制覇してしまった破壊力にはすさまじいものがある。

本書の中でもいっていることだがイスラム教は宗教ではあるが、どちらかというと社会運動であり、イメージでいうと、現代の非営利団体に軍隊が付属しているような感じだ。

非常に残念なのは、イスラム教は小規模の集団では機能するものの、当然ながら国家単位の大きな人口で機能するためのソリューションにはなっていないことだ。結局のところ、政治的には普通の王朝になってしまった。しかし、それでもイスラムは当時の世界の先端を歩んでいた。

やがて西洋が近代に躍進すると、イスラムはなにか古いもののように見えてしまうようになった。(それはイスラムに限らず、中国を中心とする東洋も同じことで、要するに西洋以外のすべての地域が古くなってしまったわけだが)

しかし、近代以前ではイスラムが世界の大きな部分を占めていたことを忘れるわけにはいかない。イスラムの発想は確かに人間の核心に触れるものがある。

いまのところ、イスラムの世界は西洋とイスラムの間で生じた葛藤をまだ克服できていないようだ。あと何百年かすると、イスラムと近代が融合された何かが世界史に出てくるのだろうか。

ところで近代に至るまで、イスラムの世界史に西洋はほとんど出てこない。イスラムから見て西洋は存在感がなかったのだ。が、西洋以上に中国がまったく存在感がないことに驚かされる。つまり当時から中国はなにか外に広がろうとする力に欠けているように見えるのだ。

中国は中華の外に出て世界に進出することに不得手だったと言える。そうならば、おそらく、今後も中国が領土的に世界史に影響を与えるようなことは少ないのではないかと推測される。

 ★★★★★

 


イスラームから見た「世界史」

文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る

松原隆彦 山と渓谷社 2019.3.1
読書日:2020.5.10

宇宙物理学者の松原隆彦が物理学の世界を分かりやすく説明する本。だから世界の仕組みと言っても、当然ながら社会や経済の仕組みのことではありません。哲学や倫理学とは多少かかわってくるかもしれない。なぜなら、量子力学やAIを通して、人間の意識が絡んでくるからだ。

文系を対象にしているのであるから、もともと物理学についてそれなりに知っている人にとっては、目新しいことは少ない。とはいえ、松原氏の視野は広いから、そうだったっけ?ということもあった。

例えば、地球の自転が安定しているのは、大きな月があるからだと言われている。そういわれているのは知ってるけど、あらためてそう言われると、それはなんでだっけ、と少し考え込んでしまった。

でも、この本で一番大切なことは、物理学はどんなふうに進んでいくかということを示していることだろう。わしはこの本を高校のときに読めればよかったと思った。なぜなら、高校のときに、ずっと物理学で悩んでいたことがあったのだ。

具体的に言うと、ニュートンの第2法則であるF=ma(力Fは加速度aと質量mの積)という式がある。この式が教科書に何の説明もなく出てきて、わしは戸惑った。で、この式はどこから出てきたんですか?というのがわしの質問で、教科書にはなにも説明がなかったのである。しばらく考えているうちに先生に質問の機会を逸してしまい、そのままずっと疑問のままになってしまった。

理解したのは、ようやく高校が終わるころで、ある日これは実験式だということにやっと気が付いたのである。つまり観察により得られた式で、どうしてそうなっているかは考えていない式なのである。物理学の公式はすべて「仮説」だということにやっと気が付いたのだ。仮説なので、もっといい説明がつけばそれに置き換えられるのである。そういう学問なのだ。

この本によれば、ニュートン万有引力があると説明したけれど、なぜ万有引力が発生するかは説明しないと言ったという。その説明はアインシュタインに引き継がれたのである。

物理とはこういうふうに仮説が進化していく学問であるということを、物理の授業の最初に教えてくれれば、高校が終わるまで悩むこともなかったのに、とわしはこの本を読んで思ったのである。もっとも、すべての科学はそうだと言える。それが科学の進め方なのである。

こういうことを思い出しながら読んだけど、でも、なぜかわしが最も知りたいと思った「量子もつれ」には説明がひとつもなかった。量子力学の不思議について書きすぎて、紙幅が尽きてしまったのだろうか。

しかし代わりと言ってはなんだが、多世界や意識については説明があった。

まあ、この本は文系向けと銘打ってるけど、たぶん文系は手に取らず、読むのは理系ばかりなのではという気がする。

★★★☆☆ 


文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る

 

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