ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病

ウォルター・シャイデル 訳・鬼澤忍・塩原道緒 東洋経済新報社 2019.6.20
読書日:2020.4.19

人類は農業が始まって以来、不平等な状態が定着しており、これまで平等化が起きたのは圧倒的な暴力によってでしかなく、今後は圧倒的な暴力は望みにくいので、新しい平等化の方法が必要と主張する本。

シャイデルによれば、狩猟採集を行っていたころの人類は平等だったらしい。そもそも、常に移動している身では財産は持ち歩ける以上にはなりえないし、取ったものを長く蓄えることはできなかった。そういうわけで人類に不平等が生まれるのは、定住して財産が蓄えられるようになってから、すなわち農業が起きてからだという。

農業が始まって、はじめて余剰(自分だけで使いきれないもの)というものができ、この余剰を多く持っている者と少なく持っている者に差が生まれた。余剰を持っているものは、その余剰を投資することが可能だ。例えば、新しい土地と交換することができる。それによりさらに多くの作物を得ることができるが、それはすべて余剰で、その分さらに余剰は増える。すると、それをさらに投資して、ますます余剰を集めることができる。こうして余剰、あるいは余剰を生み出す土地が一部の人間に集まるようになり、不平等が生まれる。

この不平等化の傾向は非常に強力で、余剰がある限りは自然発生的に生じてしまう。では、人類の歴史で、このような不平等が平等の方向に傾くときはなかったのかといえば、あったのである。それをシャイデルは、戦争、革命、崩壊、疫病に求め、この4つを平等の四騎士と呼んでいる。

戦争の例で上げられるのは、なんと日本である。日本は総力戦の太平洋戦争で負けた時に、ほぼ全員が等しく貧乏になった。土地は占領軍により強制的に取り上げられ、小作人に分配された。日本はこれまでにないくらい平等になって、戦後の世界に入ったのである。

日本だけでなく、第1次世界大戦や第2次世界大戦に参加した国は、どの国も多かれ少なかれ平等化が進んだ。負けた方だけではなく、勝った方も平等化が進んだ。これらの戦争は国をあげた総力戦だった。負けた方はすべてを失い平等になったのはもちろん、勝った方も国民すべての協力がなければ勝てなかった。だから協力し、犠牲を払った庶民の力が強くなったのである。

同じような興味深い例として、古代のアテナイが挙げられている。アテナイはもともと専制的な国家だったが、平等化を進めて意気の上がった他のポリスに負けて、同じような改革をしたのだ。平等化を進めた結果、アテナイ市民は強力な軍隊となり、勝てるようになった。一方、市民が力を持つようになり、民主主義も発展したという。このように市民全員が従軍の義務を負っている場合は、平等化が進むらしい。しかも、アテナイには累進課税などのさらなる平等化の仕組みもあったし、平時でもGDPのかなりは国家の支出が占めていたという。まるで、今の近代国家みたいな仕組みだったのだ。

だが、アテナイのような少数の例をのぞいて、歴史上ほとんどすべての戦争は平等化に寄与しなかったという。理由は簡単で、ほとんどの戦争は支配者のエリート同士の戦争であり、貧乏な庶民には関係のない戦争だったからである。だから、徴兵制という国民全員が従軍の義務を負う国民国家になってからしか、平等化の例はほぼない。しかも、第2次世界大戦のときのような総力戦になり、「圧倒的な暴力」が行われたときだけ、平等化が進んだという。したがって20世紀の戦争だけがこのような平等化の装置として機能したのだという。ただし、このような平等化を経験した日本や欧米諸国でも、平和が長く続いたいまは不平等が進んでいる。

革命の場合も似ている。革命の例で挙げられているのは、ロシア革命である。ロシア革命では暴力的に地主や資産階級の富が奪われ、平等化が進んだ。銃で脅して、多くの国民を殺して達成された平等だった。ここでも圧倒的な暴力が必要だったのである。

共産主義は他の国にも伝搬し、圧倒的な暴力による平等化が進んだ。中国が代表的で、他にもベトナムキューバカンボジアなどで平等化が進んだ。

しかし、ここでも戦争と同じようなことが言える。このような革命による平等化が実際に起きたのは20世紀だけなのである。それ以前のものは、たとえばフランス革命のような大規模なものでも、平等化は徹底されなかった。暴力が少なすぎたのである。さらに歴史上、不平等に抗議する暴動や反乱が世界のあらゆるところで起きたが、ほぼすべてエリートに鎮圧されて、不平等の解消には全く寄与しなかった。

革命による平等化は、共産主義という政治的にまとまったイデオロギーと、銃を使った国民を大量に殺すという暴力なくしては不可能だったのである。しかも、その平等はその政府が不平等を意図的に抑えているときだけ有効で、いったんタガが外れると、すぐに不平等が復活している。ロシアはソビエト政府が崩壊するとすぐに不平等な社会に戻ったし、中国は資本主義を採用すると、とてつもない不平等社会になってしまった。

戦争と革命は20世紀のみに成果を一時的に出した平等化装置であったが、一方、崩壊と疫病は近代以前にも起きている平等化装置の例である。

歴史上、国家や帝国が崩壊した例は数多くある。ローマ帝国ではローマの貴族に富(=土地)が集中していたが、ローマ帝国が崩壊すると、ほぼ全ての土地を失い、ローマ教皇にお金を恵んでもらうほどに零落(れいらく)してしまったという。中国では帝国が興きては滅びの繰り返しだったが、滅んだ時には国家に依存していたエリートは富を失い、平等化が進んだ。

現代の例としてソマリアが挙げられているのが興味深い。ソマリアはバーレ政権の腐敗がひどかったため、国が崩壊してしまい、いくつかの自治区に分裂した。崩壊前がひどすぎたため、ソマリランドなどの自治区ではかえって生活水準が向上し、平等化が進んだという。

疫病の場合も平等化が進む。ペストがヨーロッパで猛威を振るったときには、住民の人口が何割も減ってしまい、その結果労働力が不足して労働者の賃金が上がり、一方エリートの収入は減って平等化が進んだという。もっとも人口が回復していくと、徐々に不平等は拡大していったそうだ。

疫病でも、このくらい強力で暴力的な疫病でないと、平等化は進まない。(いま蔓延しているコロナウイルスではまったく力不足)。

ただ平等化装置として働くこれら4つの騎士は、どれも全部エリートが没落して貧乏になることにより平等化するのであって、成長の結果平等化するのではないのが残念だ。著者によると、成長した場合は一部のエリートが全部その果実を懐に入れてしまうため、不平等が拡大するらしい。そうすると、基本は貧乏化による平等化ということになる。これだったら平等化されても、なにかうれしくない。

著者によると、平和時に政策等により平等化に成功した例はほとんどないという。土地の公平な分配を目指す政策は何度も世の中に現れたが、失敗した。平和時に成功したのは、16~18世紀のポルトガルと、17~19世紀の鎖国時の日本だけだという。(ここでも日本? よほど日本は平等化しやすい体質なのか?)

この4つの騎士は今後、人類を襲うことは考えづらい状況だという。近い将来に平等化が進むことは見込みにくいようだ。世界的な戦争はいまは起こりにくくなっている。革命が起きることも考えにくい。国家の崩壊も起きにくくなっている。世界的な疫病も起こりにくい(繰り返すが、新型コロナではまったく力不足)。

現代はすでに不平等がかなり進んだ状況にあるが、著者には現代の状況で平等化を進める手立ては思いつかないようだ。新しい平等化の方法が見つからない限り、不平等はさらに拡大するのかもしれない。

なお、付録で述べられている「富の不平等」と「所得の不平等」の違いは重要と思われる。富はひとりの人間がすべてを所有する最大限の不平等があり得る。一方、所得の不平等ではその不平等さには限度がある。所得がなく、食べられなければ、死んでしまうからである。

読んでいて、いろいろ考えさせられる(リンク参照)、良書である。

www.hetareyan.com

★★★★★

 


暴力と不平等の人類史―戦争・革命・崩壊・疫病

悪魔を出し抜け!

ナポレオン・ヒル 訳・田中孝顕 きこ書房 2013.11.2
読書日:2020.4.12

超有名な「思考は現実化する」(1937年)のナポレオン・ヒルがその翌年に書き上げたもの。しかし悪魔が直接できてくるので、評判が悪くなることをおそれた親族によって70年以上封印されていたものが、親族の死亡によりようやく出版されたものだという。

話の体裁としては、ヒル博士が悪魔に正直に話させる方法をなぜか知っており、その方法を使って悪魔にどうやって人間を堕落させるのかということを話させるというもので、「なぜこんな秘密を話さねばならんのだ」などということをいいながら、結局、悪魔は博士の誘導するままに自分の秘密を話すというものです。(苦笑)

それによると、悪魔の戦略というのは、人間を自分の頭で考えず状況に流される人間にする、というものだそうです。自分で考えない人間はどうにでも誘導することができるんだそうです。そういう意味では、なかなかヒル博士は物事の道理を分かっているなあ、と思います。きっと誰もが、「自分のアタマで考えよう」といってる、ちきりんみたいになればいいということなんでしょうかね?

でも、わしにはその悪魔の対話部分はつまんなくて、その前の悪魔と出会うまでの話の方が面白かったです。

1908年にアンドリュー・カーネギーと話したヒルは、500人以上の成功者と話をして成功法則を研究することを提案され、快諾したといいます。この本が完成するまでには25年かかるだろうとカーネギーに言われたそうです。てっきりわしはその25年間をカーネギーが補助したんだとこれまで思ってたんですね。でも、この本によるとそうじゃなくて、ヒルは自分で生計をたてながら研究を続けねばならなかったのだそうです。えー? そんなことってあるんでしょうか?

で、その後、若きヒル博士はいろんな事業に手をだして、本人の言うには、ある程度成功したけどやめてしまうということを繰り返していたそうです。順にあげると、大学の広報部長、チェーンストア業界の会社社長、ビジネス学校創立、政府の役人、雑誌の創刊(この雑誌はいまも続いているんだそうだ)、ビジネススクールなど。ところが、これだけ何回も成功していながら(もちろん、本人の言い分が正しければですが)、1923年にはすっかり貧乏になってしまい、日々の生活の金にも事欠くようになる。と、そうなりながら、本人はいまこそカーネギーとの約束を果たす時が来たと、執筆にいそしんだとのことです。1924年には原稿は完成したのですが、またビジネススクールを買収し、本人がいうには2倍に大きくしたが、トラブル(殺人事件)に巻き込まれ、世間から隠れてしまう(1926年)。

すると、1927年の秋にもう一人の自分が現れて、博士にあれこれアドバイスをしてくれ、その通りにすると、出版する資金を得ることもできたんだそうだ。(なんなの? このもう一人の自分って??? 妄想?)

で、その後、うまくいったのかというとそういうわけでもないようで、だってそうでしょう、「思考は現実化する」の出版は1937年ですよ。すると、1927年に出した本は何なのかしら。つまりヒル博士は、「思考は現実化する」の前にも似たようなテーマで本を出版してたってことですよね? もしかしたら、この人はずっと同じネタで商売してたのじゃないかしら。ものすごくあり得る気がする。

で、1929年、持っていた土地も失い、全財産を預けていた銀行も破産して、またしてもヒル博士は一文無しになったのだそうです。ワシントンDCでポトマック川に車を止めて考えてきたときに、「悪魔」は現れて、博士と対話を始めたのだそうです。

読んでると面白いのですが、どう見ても、むちゃくちゃ怪しげじゃないですか? それに妄想というか、スピリチュアルというか、そういう部分も多分に含んでいて、しかも時間的な流れに変なところ(というか、述べられていない空白部分)が多すぎる。

どうも変なので、ウィキペディアをみると、カーネギーに会ったことも、実際の話ではない可能性が高く、500人の成功者にインタビューしたというのも怪しいらしい。そもそもそれだけで大変な労力になるから、いろんなビジネスをしながらじゃあ、無理なんじゃないですか?

でもまあ、そういう変なところは多数あるけど、言っていることにはそんなに変なところはない。引き寄せがどうした、とかいうところを除けばだけど。とくに「学校は学生に自分で考えることを教えていない」という主張は、1930年代のアメリカでもそういう批判があったんだなあと、多少共感を覚える。

でも、ナポレオン・ヒルを読んで奮起する人って、そんなにいるんですかね。わしにはどうも理解できない。自己啓発本って、わしには合わないよなあ。話盛りすぎで、あまりにも怪しすぎるよね。(そもそもナポレオンなんて名前からして怪しいし。)

★★★☆☆

 


悪魔を出し抜け!

新型コロナウイルスの影響をどう見るか(3)

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皆さん、順調に引きこもっていますか?

わしは会社には全く行かず、テレワークで引きこもっています。会議はネットで行うしかないのですが、まあ、ほとんどしてないですね。心なしかメールも減ってる気がします。

妻も会社からたくさんの休業を言い渡され、月に数日しか出勤しなくなりました。子供も休校ですから、家族全員が家にいる状況です。運動不足なので筋トレがはやっています。筋トレができる空間は一人分しかないので、順番にやっています。

さて、ここ数か月、新型コロナの影響で23,000台だった日経平均は一時17,000台まで下がりました。この間わしの金融資産も順調に切り下がっていました。一時は2割程度縮小しました。まあ、このくらいなら想定の範囲内ですね。

ところが、不思議なことが起こりました。その後急速に盛り返し、本日(4/16)の終値日経平均がまだ19,290ポイントなのに、わしの金融資産はなんとコロナ前の水準に戻ってしまったのです。こんなに早く回復するとは思わなかったので、正直、戸惑っています。

コロナ前にいやな予感がしていて、不必要な資産を売却し、現金比率を17%ぐらいに上げていました。コロナで下がり始めたころ、少しづつ投資して、日経平均が17,000台のときに、6%分ぐらいをすでに投資し終えていました。さらに同じくらいを信用でも買っていました。それらが寄与して、日経平均が19,000台に戻っただけで、資産は元に戻ったのです。

こうしてみると、下がったときにきちんと投資した人は、似たような状況なんじゃないかと思いますね。

でもこの先は楽観していません。いまそれなりに市場が堅調なのは、コロナ問題は先が見え始めた、と市場が思っているからだと思います。しかし数か月後には、コロナの影響を受けた企業のうち弱いところから倒産し始めるでしょう。弱いところとは負債が大きくてキャッシュの少ない、財務の弱いところです。かなり大きな企業も倒産する可能性があると思っています。するとそれを見て、ふたたび市場は動揺するでしょう。それに今後コロナが日本で蔓延すれば、海外と同様な悲惨な光景が配信され、投資意欲は盛り上がらないでしょうし。

わしはいま信用で買った分を売却していて、再び現金を増やしているところです。現金比率は14%まで戻っています。この現金は再び市場が動揺した時に投資するつもりです。

それにしても「出前館」が十分投資しないうちに、LINEの投資で爆上げしたのは、想定外でしたね。まあ、少しでも買っておいて良かった。赤字なので、そのうちまた下がってくるでしょう。

松屋フーズが安く買えたのもよかった。まあ、これは優待狙いですが(笑)。

一方、製造業はだめですね。日本電産は低い水準のままです。これは5年以上先をにらんだ投資で、いまは少しづつ買い進めているところなので、これでいいです。でも今まで買った分はもちろんマイナスに沈んでいます。

個別銘柄についてはあまり話してもしょうがないので、この辺で。

では、皆さん、いい引きこもりを。

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生物はウイルスが進化させた 巨大ウイルスが語る新たな生命像

武村政春 講談社ブルーバックス 2017.4.20
読書日:2020.4.7

巨大ウイルスの観察を通して、細胞がウイルスを取り込んだ結果、細胞核が誕生し、真核細胞ができたと主張する本。

なにしろコロナウイルスが世界的にパンデミックを起こしているのである。安倍首相も緊急事態宣言をしたのである。首都圏ほぼ封鎖である。というわけで、このようなウイルス関連の本を手にとってみたのである。世間の流れに合わせて手に取る本も変わるのである。

2003年に常識をくつがえす巨大なウイルスがフランスで見つかった。というか、ずっと前から存在していたのだが、その大きさから誰もウイルスとは思っておらず、細菌だと思われていたのである。

細菌とウイルスの違いだが、細菌は代謝機能をすべて揃えていて、増殖も自分の中で完結している。いっぽうウイルスはそのような機能を持っておらず、細菌に取り付いて、細菌の代謝装置を用いて自己増殖を行う。具体的にはリボソームというタンパク質を合成するものが細菌にはあるが、ウイルスにはない。なので、ウイルスならリボソームの遺伝子を持っていない。

巨大ウイルスの遺伝子を確認したところ、そのリボソームの遺伝子が発見されなかった。それで、ようやく細菌ではなく巨大なウイルスであることがわかったのである。ミミウイルスと名付けられた。

いったん巨大ウイルスが存在することがわかると、世界中からその仲間が次々に見つかった。著者も荒川の水の中から、トーキョーウイルスという巨大ウイルスを発見している。

ウイルスは細胞に取り込まれると、活性化して、細胞内にウイルスを製造する工場のような領域を設ける。巨大ウイルスぐらいになると、このウイルス工場は細胞核くらいの大きさになる。2つ並んでいると、どっちが細胞核でどっちがウイルス工場なのかわからないくらいそっくりである。見た目ばかりでなく、その構造もそっくりである。

著者は特にリボソームの配置に注目している。リボソームはタンパク質を合成するタンパク質なのに、このウイルス工場なかには入れないのだ。そのかわり、工場周辺に待機していて、ウイルスから指令がでるとすぐにタンパク質を合成する。その理由はよくわからないが、たぶんウイルスに無関係なものは工場内に入れないのだろう。

ところが、リボソーム細胞核にも中に入れないのである。細胞核の中にあったほうがいろいろ便利な局面もあるのではないかと思われるのにそうなっていない。

そう考えると、もともとウイルス工場が細胞に取り込まれて、細胞核として発展したと考えるほうが筋が通っている、と著者は言う。その発展の道筋はまだ穴だらけのようだが、説明としては説得力がありそうだ。

そのほか、もともとRNAが遺伝子として活躍していたのに、DNAに変わったのにもウイルスが関わっているようだ、などの話がされている。

著者の認識では、普段われわれが思っているカプセル状のウイルスは植物の種のようなもので、細胞に入ってからの姿が本当のウイルスだということらしい。まあ、そうかもしれない。

ウイルスは分からないことだらけで、著者がわくわくしながら研究しているのがいいね。

★★★★☆


生物はウイルスが進化させた 巨大ウイルスが語る新たな生命像 (ブルーバックス)

ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質

ナシーム・ニコラス・タレブ ダイヤモンド社 2009年6月19日
読書日:2009年08月17日

「反脆弱性」をアップした後、ブラック・スワンのレビューを載せていないことに気が付いたのでアップする。しかしこれを読むと、タレブはずっと言ってることが変わっていないのがわかる。しかし2009年のわしはすばらしいと感激しており、2020年のわしは当たり前じゃないかと言っているのが笑える。2020.4.12)

 

久々に感銘を受けた。

この本のなかに、金融関係の実務の人は、自分の意見に賛成してくれるのに、オフィスに戻るとまた間違った式でリスク計算をすると嘆く話が出てくる。まあ、金融関係のサラリーマンはそうするしかないだろう。そうするように求められているのだから。著者(かもしくは仲間の経済学者、いるとすれば)がノーベル賞でももらわない限り、無理だろう。一方、わしは金融関係のアナリストではなくエンジニアだから、この考え方は非常に参考になる。

著者が忌み嫌うのは、ベルカーブ、つまりガウス分布(とその兄弟たち)。リスク関係の計算はこの分布をもとにして行う。ところが世の中にはべき乗則が成り立つ世界がたくさんあり、ほとんどの経済活動はそうであるという。ガウス分布の世界では平均から外れたことはめったに起きないが、べき乗則の世界ではベルカーブでは異常とされる出来事が起こるリスクが圧倒的に高まってしまう。世の中に起こることは複雑系の科学の範疇のできごとなのだ。

ここだけなら、複雑性の科学の本でもいろいろ載っているかもしれないが、じゃあどうすればいいんだという話について、この著者が示唆を与えているところがよい。たとえば投資なら、超保守運用(国債とか)と超積極運用(デリバティブとか)を組み合わせる。割合としては超保守に85%、積極運用に15%で、積極運用の中身は小さくたくさんのものに投資する。積極運用のそれは、何か異常値が発生したときに異常に儲かるから小さくてよい。超保守運用で破産しないようにしながら、いっぽう異常値で儲けられるようにするのだ。

著者の運用会社は、2008年の100年に1度の金融混乱で、よく儲けたそうだ。というか、著者は長年トレーダーをしているのに、過去3回しか儲けていないという。1987年と1998年、2008年だけだそうだ。なるほど。

技術開発のときにも同じことが言える。何かしきりと小さなトライをたくさんして、なかみが多様性であれば、ものすごい開発ができる可能性が高まる。これはたぶんどこでも成り立つ話だろう。たくさん試すことができる環境を整えることが重要だ。(どう考えても実際問題そうするしかないのだが、本当に確率が高まると裏付けられていれば、勇気もわいてくるというものでしょう?)。

この中には何かすごい発見をもくろむ科学者の話が出てくる。毎日毎日、何事も変わらない日々をずっと過ごす。何か発見するぞと思いながらなにも起こらない。くじけそうになる。そういう発見はほとんど起こらない。そしてもし起こったとしても、それが世間に与える影響はその時点ではほとんどない。異常なものが出たときには、当たり前ぐらいにしか思われないことが多い(らしい)。影響を与えるには長い年月が必要なのだ。

人生もきっと同じだ。大きなバクチを打つのではなく、リスクの少ない小さなトライをたくさんしよう。投資ってことじゃなくて、いろんな人生の行動ね。きっといくつかは当たりになる。そうならわしの人生も御の字といえるだろう。

ちょっと気になったのは、知性もべき乗則で、ほとんどの知性はほんのわずかな人にしかないというくだりかな。そうかなあ、と思う。著者はきっと知性の意味をを限定しすぎているんじゃないだろうか? だってここだったら負けないという人はこの世の中にたくさんいる。知性も分野ごとに見れば、数人しかいなくても全ての分野を集めればたくさんの人になるんじゃないかなあ。

★★★★★ 


ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
 


ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質

 

反脆弱性(はんぜいじゃくせい) 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

ナシーム・ニコラス・タレブ 望月衞・監訳 千葉敏生・訳 ダイヤモンド社 2017.6.21
読書日:2020.4.5

変動のあるものはオプション性があり、オプション性をうまく使うことで大きく資産や健康などの良いものを増やすことができると主張する本。

ブラックスワンで有名なタレブが、魂を込めた一冊。単に経済、金融のことだけでなく、人生観や社会全般に問いかけている本になっています。

この本はずっと読みたい本リストに入ってましたが、なぜか読むことなくこれまで来ました。しかしコロナウイルスというブラックスワンが世界に蔓延し、世界GDPが前年比-30%に達すると噂されている今、この本くらい読むに値するものもないでしょう。

そもそも反脆弱性というのはなんでしょうか。タレブは脆弱性(ぜいじゃくせい)とか脆(もろ)さという言葉の反対語は存在しないといいます。普通、脆いとは何かショックやストレスがあったときに簡単に壊れてしまうことです。その反対語として頑健や強靭という言葉が思い付きますが、これは単に壊れにくいということを言っているだけで否定語でしかなく、反対語になっていないといいます。反脆弱性というのは、ショックやストレスがあったときに壊れるのではなく、反対にもっと強くさらに頑健になることをいうのです。

脆弱性を金融資産で実現するには、下がる場合には損失が限定されていて、上がる場合には天井知らずになっていればいいわけです。じっさいにそのように設計されている取引がオプション取引と呼ばれているもので、このオプション取引のような考え方で資産を構成すれば、脆くない金融資産を築けるというのです。

というような話を読んで、わしは違和感たっぷりでした。だって、ふつう、そういうふうに投資しませんか?

例えば超普通に行われている投資戦略として、安値で放置されている優良銘柄を発掘して投資するという方法があります。市場にはなぜか業績が優秀なのに放置されている銘柄があると言います。そういう銘柄では株価はすでに十分安いので、下がったとしてもわずかだと期待できます。つまり損失が限られているわけです。いっぽう、この銘柄がいったん市場で発見されると、価格が何倍にもなる可能性があります。明らかにこの投資方法は非対称性を利用しています。

これに限らず、投資の場合、単純にストップを設けてさえおけば損失を限定し、逆方向にはいくらでも伸ばすことができます。

つまり投資するというのは、なんらかの非対称性を見つけるということで、まあ、それがなかなか見つからないから苦労するわけです。

ところで、実際にブラックスワンが起きた場合はどうすればいいのでしょうか。こまったことに、それについてはタレブは詳しく語っていません。オプション性を利かせて投資していれば損失が限られているから問題ないということのでしょうか。

ストップをかけてある場合はそこで止まるわけですが、そうでない場合は、どうしようもありません。しかし、ブラックスワンにはいいこともあります。これは優良と信じ込んでいた銘柄が、実はそうでないことが発覚することがあるというメリットです。バフェットのいう、「潮が引いた時に誰が裸だったかが分かる」ということです。そのような銘柄はすぐに売って、安くなった別の優良と思われる銘柄に乗り換えることができます。

タレブによれば、このオプション的な考え方を職業の選び方とか、生きていくすべてのことに生かしていけるといいます。例えば、職業について例を出しています。

銀行員でいい給料をもらい、瀟洒な家を買い住宅ローンを払っているAさんと、建設の職人で生計をたてており、収入が不定期で安定していないBさんを比べる例が載っています。どっちが脆くてどっちが反脆い仕事でしょうか。

明らかにAさんの方が脆くて、Bさんの方が反脆いですよね。Aさんは銀行の業績が悪くなると簡単にリストラされる可能性がありますし、住宅ローンを抱えている身では上司に対して意見をいうなどと考えられません。Aさんはすべてを会社に依存しているため非常に脆いわけです。Bさんの場合はいやな仕事は断ることもできますし、仕事と趣味の時間配分も自由にできます。Bさんは反脆いといえるでしょう。

タレブの推奨する仕事の仕方とは、仕事を2つ以上持ち、安定した仕事を90%、自分の好きな仕事を10%にすることだそうです。でもこれも普通の戦略じゃないですか? サラリーマン投資家って多くは生活の安定と投資を両立させていると思いますよ。

しだいにこの本を読んでいる意味があるのかどうか分からなくなって来ますが、しかし、なにか判断に迷ったら、ヒューリスティックに頼るべきだ、みたいなことが書いてあって、これは納得。ヒューリスティックというのは理論的なものではなく経験則、試行錯誤の知恵のようなもの。

タレブによれば、少しずつ試行錯誤で確立した知識は、間違いがすでに除去されているので信頼性が高いとのこと。つまり完全じゃないかもしれないけど、損失が限定されている反脆弱な知恵になるのですね。

ヒューリスティックは未来予測にも有効だといいます。未来がどうなるか、普通は未来になにが付け加わるかを考えて想像しますが、タレブは何が消えるかを想像する方が簡単だと言います。すると遠い昔からあって今でも残っているものは今後も消えないだろうと予測でき、逆に最近のものは消えやすいと言います。今まで長く残ったものは今後も残りやすいという、ヒューリスティックを利用した考え方です。なるほど、ワインやチーズは今後も残るでしょうね。一方、情報端末はどうなるか分かりません。

さて、世の中には、損失が限定されているというオプションの性質を使って不当な利益を得ている人がたくさんいると言って、タレブは自分が嫌いな人間を実名をあげて非難しています。学問としては経済学が大嫌いみたいで、ニューヨーク大学スティグリッツを糾弾しています。彼はリーマンショックの直前にファニーメイフレディマック(どちらも住宅ローンの政府系の会社)を絶賛していました。しかしリーマンショックの後の著書で、この2社が破綻するのは分かっていたと書いて、タレブの逆鱗に触れたのです。学者はその時々で適当なことを書いて、それが間違っていてもまったく平気だと言います。つまり学者は発言に対して損失が限定されていて、反脆弱だというのです。学者が信頼できる人間かどうかのヒューリスティクとして、自分が言った通りのことを自分がやっているか、その行動を見ればすぐにわかると言います。

そのほかにも負のオプションが限定されている職業に政府の役人がいると言います。彼らは複雑な規制を悪用して、役所を辞めた後に金持ちの抜け道を指南していると言います。それなのに、彼らは金持ち以外のふつうの市民に優遇することは反対します。彼らはまったく自分たちの身銭を切っていないので、損失は限りなく限定しつつ、一般市民から金持ちに富を移転しているのです。

タレブによると、自然こそはヒューリスティックが詰まった叡知だというのです。自然は常に試行錯誤し、次の世代ではより強くするからです。つまり、その自然は我々が死ぬことにより、ヒューリスティックを高めているといえるのです。そういう意味では生物は死ぬことが計画に入っている存在で、死ぬことはやむを得ないということになるんでしょうね。彼は、人の精神をアップロードして永遠の命を得るという「シンギュラリティは近い」のレイ・カーツワイルのことは嫌いだそうです。(笑)

残念ながら、この本で述べていることは、わしには当たり前すぎてあまり参考になりませんでしたが、タレブのことは好きになりました。彼はトレーダーをして大金を稼いだ後、引きこもって研究の道に入りました。そして、この本を書いたのです。彼は誰にでも何でも言える立場を自分で作ったのです。

★★★★☆

 


反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方


反脆弱性[下]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

 

生物に世界はどう見えるか 感覚と意識の階層進化

実重重実(さねしげ・しげざね) 新曜社 2019.12.1
読書日:2020.3.30

上から読んでも実重重実、下から読んでも実重重実というふざけた名前の著者だが、どうもこれは本名らしい。親はもしかしたら相当変わっている人だったのかしら。まるで生物の左右対称を名前が体現しているかのようである。

著者は農林水産省出身で、あらゆる生物の行政を担ってきたという。その著者は団まりなという生物学者に師事し、生命の進化について感覚と意識が階層進化してきたという新しい考えを得、その考え方を広めようというのがこの本の趣旨である。

感覚と意識の階層進化とはどういう考え方かというと、最初に誕生した生命にすでに感覚および意識の種というものが備わっており、それが発展していまの人間のような高度な意識に進化したという考え方である。これは人間のような高度に進化して初めて意識は生まれるという通常の考え方とは全く異なる。

これは非常にチャレンジングな考え方だ。そのせいか後の方の高度な動物の感覚について述べたところよりも、非常に単純な細菌や単細胞生物について述べた最初の部分が一番面白い。本当に単細胞生物に意識の種のようなものはあるのだろうか。

この本で出てくる生物で一番小さなものは大腸菌だが、話はもっと大きな単細胞生物であるゾウリムシから始まる。ゾウリムシはこういう進化系の本にはよく出てくる生物で、たぶんそれは単細胞なのにいろんな機能を持った部位が発達していて、多彩な活動ができるからだろう。単細胞生物の完成形と言える。すごい速度で移動したり、敵を攻撃したり、生殖行動をしたり、光すらも感じたりしている。なにかもう、一匹の動物そのものという感じなのだ。たぶん観察していると、意識があるに違いないと思えるのではないか。

感覚と意識の階層進化といっても、著者は慎重に「意識」という言い方を避けている。意識といったとたんに、物議を醸すことになるからだろう。著者の表現を借りれば、それは「主体的な認識」ということになる。つまり積極的に周りの状況を感覚を通して認識し、それを一時的に記憶し、そして次の行動を決めることを意味している。

小さな細菌である大腸菌にも、周りの空間的な状況を感じ取る感覚があるだけでなく、メモリを持っているという。そして次の行動を決めるためには時間の感覚を持っていなくてはいけないが、単細胞生物でも複数の方法で時間を認識しているようだ。

この「主体的な認識」が意識の種のようなものなのだろう。これがどのようになると意識と言えるのだろうか。わしの考えでは、最初はほとんど自動機械のような反応しかできないものが、やがて自分はどうしてこんなことをやっているのか、それを認識しようとすると、それが意識になるのではないだろうか。つまり主体的な認識のメタ化である。自分自身を主体的に認識するのである。

著者は世界最初に誕生した生命を示すLUCAについて思いをめぐらせ、LUCAも少なくとも匂いを感じる感覚(化学物質を感じる感覚)を持っていたはずだという。生きていくうえで必要な分子を体内に取り込む必要があるからだ。

最初の世界共通祖先LUCAにも意識の種みたいなものがすでにあるとすると、意識という行為のソフトウェアは意外に単純な仕組みでできているのかもしれない。

★★★★☆

 


生物に世界はどう見えるかー感覚と意識の階層進化

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