ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

新型コロナウイルスの影響をどう見るか(2)

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一か月前コロナウイルスはしょせん一過性と言ってましたが、あえなくその見方は撤回せざるを得なくなりました。たった一か月でこんなに様相が変わってしまうとは。実は感染は中国で止まると思っていました。先進国では蔓延しないと思っていました。しかしイタリア、スペイン、アメリカはもちろん、日本でもすでにオーバーシュート直前の様相です。(中国に留まるとの仮定で考えると、中国で感染者はまだ10万人いっていないから、予想は当たっているともいえる。)

世間では緊迫感が増しています。わしはマスクが嫌いで、付けていなかったのですが、さすがにマスクを付けていないと周りの視線が冷たいどころか、恐怖に近くなっていますので、周りの皆さんの気持ちを考えて、マスクを付けるようになりました。マスクはこのところようやくあちこちに出回ってきていますね。

幸いといっては何ですが、日本はウイルスの蔓延(まんえん)を他国よりも遅らせることができたので、医療崩壊が起きるとどんな状況になるのかつぶさに観察することができました。それでも悲惨なことになるのは変わらないのですが、何の準備もできずに突入するよりははるかにましな状況だと思います。

東京はもうオーバーシュートするでしょうから、こうなるとあと半年はこの影響が続きますね。GDP成長率はー20%~-30%を頭に入れなくてはいけなくなりました。日本でなくて世界全体がこれですから大変です。

おそらく今後は大きな会社が倒産を始めるでしょう。航空会社はもちろん、旅行会社、外食チェーンもつぶれるところが出てくるかもしれない。銀行が倒産したら最悪ですね。ヨーロッパの大きな銀行がつぶれるかもしれない。まあ、どこがつぶれても影響は大きいです。もちろん大量の失業者達。国によっては暴動が発生するかもしれません。さらなるショックが発生すると、2番底、3番底を頭に入れておかなくてはいけなくなりました。

でも、誰もが確信しているのが、この感染はいつかは収束するってことですね。たぶんなくなりもしなくて、毎年発生するインフルエンザの一種みたいになるでしょう。けれども普通の病気に格下げになるのは間違いない。

じゃあ、収束した後どうなるの、ということですが、きっとみんながうすうす思っていたことが発覚するでしょう。つまり、テレワークでも仕事ができること、さらにいうと今の人数よりも少なくても仕事が回ることが発覚するでしょう。もういちど仕事を見直して、やらなくてもいい仕事、というか事業ごと考え直すきっかけになるかもしれない。日本の生産性が上がるかもね。

それは社員も同じで、自分を見直すきっかけになり、転職が増えそうですね。さらには結婚が増えるでしょう。もしかしたら出生率が今年で増える方に転換するかもしれない。Wi-Fi環境を整える人ももちろん増えて、日本のパソコン使える人が増えるかもしれない。

ようするに、戦争が終わった後に、世の中が大きく変わることがありますが、そういうきっかけになるかもしれないってことです。それがどんなふうに出てくるかさっぱりわかりませんが、これだけのストレスが社会に影響を与えないはずはないと思います。確実なのは、欧米であれだけ嫌われていたマスクが普及することかな(笑)。

世界の中で日本はうまく切り抜けられると信じたいけど、どうなるかな。

ところで保険のおばちゃんですが、その後どうなったのかわかりません。会社に保険の外交員は出入り禁止になっちゃいましたから。ソーシャル・ディスタンス、社会的距離を保ち、不要不急の外出、出張は控える風潮の中では、保険の外交員が会社に入ってくる余地はなくなっていますからね。

最後に会ったとき、「そろそろ全力買いしてもいいころですか?」と聞いたら、「まだまだ、これからもっと下がりますよー」と言ってたのですが、もう買ったかしらね?

こういう状況のせいか、こういう状況だからこそか、わしはブラックスワンで有名なタレブの「反脆弱化(はんぜいじゃくか)」を読みました。そのレビューはそのうちに。

では皆さん、よい引きこもりを。

 

 

英国貴族、領地を野生に戻す 野生動物の復活と自然の大遷移

イザベラ・トゥリー 三木直子・訳 築地書館 2020.1.8
読書日:2020.3.28

イングランド南西部のクネップという土地を所有する貴族が農業に行き詰まり、農地を自然に戻す再野生化で生き延びようとすることで発見した様々なことを記した本。

なんとなく英国は自然をめでて、保全にも熱心な印象があったのだが、まったくそんなことはないということに一番びっくりした。ほとんどの人は農業にこだわり、昔からやっていることを続けることに頑迷で、あまり柔軟性がなさそうに思える。いっぽうで、イギリス人らしい周りを気にしないへんてこなことに夢中になる人も出てきて(蝶はもちろんネズミにも夢中な人なんかが出てくる)、なるほど、こんな感じの社会なんですね、イギリスって。

著者によると、イギリスが土地を隅々まで耕そうとする傾向が生まれたのは、第2次世界大戦のときだという。食料が輸入できなくなって、イギリスは食料を増産するためにこれまで農地でなかったところも農地にした。庭すらも農地に変えてしのいだ経験が強烈で、戦後も農業に対する優遇はそのまま残った。何もしない放牧地にしておくと税金が課せられるので、わざわざ農地に変えて耕すというというような話も出てくる。それに耕作を放棄して荒れ地にしておくと、その景観を嫌って苦情がくるというのだから、徹底している。こういうわけで、イギリスには自然のままの土地はほとんどないのだという。

クネップの土地も第2次世界大戦のときに農地になり、それを引き継いだ準男爵のチャーリー・バレル(著者の夫)は農業で利益を得ようと頑張ったが、そもそも生産性の低い土地で(だから第2次世界大戦までは、農業が行われていなかったのだろう)、生産性を高めることはできず、アイスクリームなどの事業もしていたが、大手に負けてしまい、農業をあきらめた。そこで次の事業として目を付けたのが、野生化(リワイルディング)事業だったのだ。

野生化といっても、基本的には何もしないのだから、大きな投資はしない。すると数年後には、農地だった時の肥料や農薬などの成分が抜け落ちて、そこにさまざまな植物や昆虫や鳥たちが戻ってきた。草を食べる動物が必要になり、ダマジカを連れてきた。

その後、オランダで再野生化に成功したオーストファールテルスプラッセンというところを参考にして動物を入れることにし、ウシ、ウマ、イノシシを放つ。このオランダのオーストファールテルスプラッセンというところはすごくて、都会のすぐそばにあり、通勤電車から見えるのだという。そうすると、動物が死んだりすると、何とかしろと連絡が来るんだとか。(野生化されているのだから、基本的に何もしない)。

知らなかったが、こういう動物たちがいると、草を食べるのはもちろん、土を掘り返したりして、植物の「萌芽更新」ということが行われ、これが生物の多様性を大いに増やすらしい。傷つけるものがいた方が自然は強くなるのだ。

こうしたことが行われると、低木が中心の植生になる。ヨーロッパでは自然というのは深い森だという固定観念があるみたいで、この固定観念が間違っていることをクネップの実験は示している。クネップが固定観念を崩した例は他にも多くある。そもそも何が正しいのかもなかなか合意は難しい。

他にも、敷地内を流れている川を、もとの氾濫する川に戻したりしている。面白いのはこのようにすると、これがバッファになり下流の洪水が起こりにくくなることで、堤防を作るよりもはるかに低コストで安全な川を維持できるのだという。また、水が浄化され、地下水の水位も上昇するという。近年のイギリスでは気候変動のせいで洪水が増えており、このような氾濫原を作り洪水を防ぐ安上がりな方法はクネップ以外にあちこちで行われているようだ。日本でも近年洪水がふえているが、都市部では無理でも、過疎地域の治水では堤防を作らずにわざと氾濫原を作る方がお金もかからず合理的なのかもしれない、という気がした。

なお、氾濫を起こすためには、現在は人が木で流れをふさいだりしているが、一番簡単なのはビーバーを入れることだそうだ。しかしビーバーを入れることには地域住民や自然保護団体との交渉などが必要で、いまのところ行われていない。

ビーバー以外でもいろいろ問題はある。いくつかの地区ごとに分断されている区画をつなぐ回廊として陸橋の建設をしたいが、その資金を得るための自然保護団体との交渉など、いろいろ面倒なことも多い。

周りの無理解もある。周辺の住民が犬を放し飼いの散歩をして、犬が動物を追いかけまわしたりするらしい。はたまた動物を狙って密猟が行われたりして、いろいろやっかいな問題もかなり起きているようだ。

事業としては増えすぎた動物を間引きしてその肉を売ったり(完全に自然のままの肉なので高く売れるみたいだ)、野生目当ての観光が有望そうだ。あまり儲かっているようには見えず、収支の帳尻が合っているのだろうか心配になるが、その辺については言及がなくて残念。

さて、日本も人口が減って農村が消滅していくことを考えると、このままでは何もしなくても野生化が起きてしまうのかもしれない。でも、放置した結果の再野生化ではなく、計画的な野生化というものを検討してもいいのではないか、という気がした。

最終的には著者らの関心は土壌に向かっている。ミミズや細菌で作られる土壌内のネットワークを豊かにすることが重要という認識である。

★★★★☆

 


英国貴族、領地を野生に戻す―野生動物の復活と自然の大遷移

自分のアタマで考えよう 知識にだまされない思考の技術

ちきりん ダイヤモンド社 2011年10月28日
読書日:2012年03月01日

わしが定期的に読んでいるブログはちきりんだけ。

ちきりんが自分のブログのネタ、とくに図面がどんなふうにできていくのかについて解説した本。

でも社会的事象について普通はここまで考えないよね。わしは社会についてはちきりんに負けるけど、きっと普段、街を歩いていて、物理的、科学的な疑問が発生して(なんでこんな動きが可能なの、とか、どんなふうに動作してるんだろうとか)、それについて考える頻度については、たぶんちきりんに勝てると思う。

みんなもちきりんに勝てそうな分野はあるんじゃないかな。

彼女に負けないようにがんばろう。

(ちきりんの最初の本について自分がどんなことを書いているのか調べてみたら、これだけしか書いてなかった。彼女の本はほぼ全部読んでいるのにね(笑)。2020.3.29)

 


自分のアタマで考えよう――知識にだまされない思考の技術

新実存主義

マルクス・ガブリエル 廣瀬覚・訳 岩波新書 2020.1.21
読書日:2020.3.21

マルクス・ガブリエルにはまってるの。というわけで、2冊目は岩波新書

さて、この本で問題になっているのは「心」だ。人間は心を持っているが、心に思い浮かんだことは物質ではない。何かの意味とか精神とか情動とかそういうたぐいのものだ。そうすると、自分たちの肉体とこうした心とはどういう関係にあるのだろうか。肉体がなければ考えることができないから、肉体、特に脳は必要ということになるだろう。しかしながら、脳をいくら物質的に調べても、心の中身を解明できない。

この関係をマルクス・ガブリエルはサイクリングに例える。サイクリングをするという行為は確かに存在しており、それは例えばスピードや身体に当たる風や爽快感といった感情だったりする。サイクリングには自転車が必須だが、だが物質の自転車をいくら調べても、サイクリングという行為自体を解明することはできない。そうなると、サイクリングという行為に自転車は含まれるが、その逆ではないということだ。(サイクリングに自転車は必要条件だが、十分条件ではない)。

同じように、心は肉体を使って思考したり感情を持ったりするが、それは脳を使って何か行為を行なっているということであって、脳という自然の物質とはまったく別のものなのである。サイクリングと同じように、心の行為には人間の肉体は含まれるがその逆ではない。(心の思考に脳は必要条件だが、十分条件ではない)。

マルクス・ガブリエルの新しい実在論は、自然主義的な存在も意味的な存在も等しく存在すると認める立場である。このように心の行為を見てみると、自然主義的な存在(物質とエネルギーの存在、もしくは科学的研究対象の存在)は、心の行為での存在(=意味的な存在)に含まれるように存在している、ということである。

こんなことが問題になるのも、心身二元論が歴史的にあるからだろう。つまり、身体と精神は独立に存在しているというデカルト以来の考え方の問題である。ここでマルクス・ガブリエルは意味の世界が肉体の世界を含んでいると言ってるようだ。(間違ってるかもしれん、ごめんね)。

さて、この本はマルクス・ガブリエルの主張にほかの哲学者が反論し、さらにマルクス・ガブリエルが答えるという形式をとっている。

ところが、マルクス・ガブリエルの言葉はそれなりにわかりやすくなんとか読めるものの、他の哲学者が何を言ってるのかさっぱり理解できない。非常に困った状態なのである。そもそもなんでそこが問題点になるのかも理解できない。

いつも思うのだが、西洋の哲学の考えにどうも馴染むことができない。大きな違いは、たぶん、人間をほかの動物と違った存在と考えているその思考法にあるのだと思う。わしは、人間とほかの動物、あるいは植物とさえもそんなに大きく違うとは思えないのだ。つまり、すべての生物に心があると信じているのである。この点において、わしはまったく日本人的なのかもしれない。(そのせいで、たとえ害虫でも殺すに忍びないのである)。

そうなると、この本の後半で議論されているような、人間という自然種を動物種のなかにどのように位置づけるのか、などという議論が長々とされているということが、そもそもなぜそんなことを議論しなくてはいけないのか、まったく理解できないのである。

なにか違う発想が必要だ。アニミズムと揶揄されようが、もっと日本人にも頑張ってもらいたいのである。西洋哲学の伝統を踏まえつつ、新しい息吹を持ち込むことを望む。

マルクス・ガブリエルの新実存主義も、今のところ、スケッチ段階で、まだ完成形ではないように思える。今後どういう展開になるんだろうか。

★★★☆☆

 


新実存主義 (岩波新書)

ディープテック 世界の未来を切り開く「眠れる技術」

丸幸弘+尾原和啓 日経BP 2019.9.24
読書日:2020.3.16

東南アジアが発展する中で新しい問題が起こり、それを解決するためにはハイテクだけではなく、すでにある枯れた技術を組み合わせて新しい結合(ディープテック)を生み出す必要がある。日本には眠れる技術がたくさんあり、これに貢献できる、と主張する本。

例えば、空気を特殊な水溶液にバブリングさせ清浄化する方法があったが、ポンプに問題を抱えていた。しかし、日本の企業のポンプの技術でそれを解決できたという。あるいはインドネシアで開発した新しい水を通す舗装材料があったが、強度に問題があった。しかし、日本の化学企業がもっていた技術でその問題を解決できたという。

ハイテクはアメリカ西海岸にあり、大きな根本的な問題(ディープイシュー)は東南アジアにある。日本にはハイテクはすくないが、バラエティに富んだ多くの普通の技術がある。両者を結びつけるには、日本は最適なポジションにあるという。

さて、こういう話を読む限りは、なにかいいことがたくさん起きそうな気がするが、出てくる話がどれも小さいので、投資家目線としては、これが大きなビジネスになる気がしない。日本のそれぞれのテック企業にとっては、ディープテックは生き残りのキーワードになるのかもしれないが、大きく発展するという気がしないなあ。和菓子の老舗が地元の産品を使って新しいお菓子を作ってみましたみたいな、そんな話に近い気がする。

そして著者らの問題意識が、地球環境の持続性の問題にフォーカスされていることも気になる。サスティナビリティ優先なのはいいが、いかにも偏った意識のようにも見える。

日本の企業でいえば、彼らが有望と考えている企業はユーグレナのような企業のようだ。ユーグレナは確かに大きく成長し、今後も成長するかもしれない。

この本を読んでわかったのは、日本が生き延びていく道はあるだろうということ。大きく成長するとは思えないが。しかし、日本は、伝統的な老舗企業のように、とりあえず生き延びることが今は大切なのかもしれない。そうやって次のチャンスを狙うような、そんなモードなのかもしれない。

しかし日経BPはこういう話が好きだなあ。

★★★☆☆

 


ディープテック 世界の未来を切り拓く「眠れる技術」

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

山口周 KADOKAWA 2018.5.18
読書日:2020.3.15

山口さんの本はこれで3冊目。これでほぼ、山口さんの主要な本は網羅したかな?

わしはこういう読まなくてはいけない本のリストというものには弱くて(苦笑)、しかもこうもあつく勧められると、全部読みたくなってくるね。

最後にブックガイドで39冊の本のリストが載っているんだけど、ここで紹介されているのはたしかに哲学が多い。だが、50個のキーコンセプトの内訳をみると、意外に哲学が少ない。だいたい哲学は半分ぐらいなんじゃないの? だから哲学というよりはリベラルアーツ全般から選ばれている。

第1部の人に関するキーコンセプトでは、人間の科学に関しては心理学や脳科学あるいは生物学がほとんどで、哲学はほぼない。これらの学問が大きく発達して、哲学の出番がなくなったという感じだ。そして第2部の組織に関するキーコンセプトでも、社会科学や経済学による貢献が大きくなり、哲学が出てくる割合が激減しているのだろう。

で、第3部の社会に関するキーコンセプト、第4部の思考に関するキーコンセプトでは、哲学が非常に多くなっているが、たぶん第3部の社会に関しては今後減っていくんじゃないかという気がしてくる。哲学が貢献していく領域はますます減っていきそうだ。

哲学はすべての学問を包含する、ということを山口さんは言ってるけど、まあ、たぶんそれは間違っていない。だから他の学問が発展するとしても、きっと哲学自体は残っていくんだろうな。最近では、マルクス・ガブリエルが人気のように。

ブックガイドに紹介されている本のうち、読んでいたのは3冊しかなかった。あれま。とりあえず真っ先に読みたいのは、タレブの「反脆弱性」かな。前から知ってたけどずっと見逃してたからね。しかも投資活動にふかく関係してるし。

★★★★☆ 


武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

 

AI以後 変貌するテクノロジーの危機と希望

丸山俊一+NHK取材班 NHK出版新書603 2019.10.10
読書日:2020.3.12

NHK教育で放送された「人間ってナンだ? 超AI入門」で、4人の世界的知識人からAIについてコメントをもらう特別編を放送したが、それを書籍化したもの。「欲望の資本主義」の丸山俊一がプロデューサーをしている。実は放送も見たが、何しろ丸山俊一だから、放送以上の内容になっているに違いないと思い、読むことにした。

実際にはほぼ放送と同じ内容であったが、本で読んでみると、4人のうち3人目のデネットと4人目のケリーの存在感が際立っているように思えた。

ひとり目のテグマークは楽観的で、AIを積極的に開発したいという思いがある。またAIの開発により、意識の研究が進むことを期待しているのだ。二人目のウォラックはAIを使う上の倫理の問題を検討している。この2人はかなり具体的にAIをとらえている。

三人目のデネットは進化論的に発想していて、AIが漸進的に進化していくという。なにか理解するにしても漸進性、つまり途中段階があり得て、少しだけずつ理解し、そのうち全体を理解できるということがあり得る。AIにも0,1のデジタルではなく、そういう途中段階の知性もあるという。また人間の脳は進化しようと思ってここまで賢くなったわけではなく、環境への適応の結果として進化した。同じように、一般的なAGIは可能だが、漸進的進化の結果、人間が思っているのとは全く異なるものになるという。

四人目のケリーは多様性に注目している。AIが人間のようなものになるというわけではなく、いろんなタイプのAIが存在する用になるという。そういうAIと付き合ううちに人間自体も影響を受けて、多様な考え方に変化していくという。そして、AIがあふれることで、人間とは何かという問題が突きつけらるという。

ケリーのように、いつの間にかいろんなタイプのAIが周りにあふれて、自然に溶け込むようになり、お互いに影響を及ぼしあうという考え方は、わしのAI感と一番近いと思う。

わしはシンギュラリティ(技術的特異点、AIの知性が人間を越えること)は起きるかもしれないが、きっとそのことに誰も気が付かないのではないかと思っている。あまりに自然に、それぞれの役割の異なったAIが周りにあふれて、それぞれの活動をしているだろうから、誰もいまがシンギュラリティは起きたとは教えてくれないだろう。

ケリーがXAIというAIの話をしている。AIは正解と思われるものを教えてくれるが、その過程はブラックボックスである。そこでXAIが必要になる。XAIは、AIがどうやってその判断をしたのかを考え(推測し)、教えてくれるAIだ。これはまさしく人間の意識のやっていることそのものだ。人間も自分がなぜそのような判断をしたのか、自分で理解する必要が生じ、誕生したものだろう。そしてその推測の結果は物語という形式で表現される。

丸山俊一はまとめの中で、人間は経験を物語化することで未来を予測するという。

その通りだ。だが、なぜ物語という方式だったのか、他に方法はなかったのだろうか。物語という思考方法は、実に不思議だ。そして物語は、他人と物語を共有することで、社会的な進化をうながす(サピエンス全史)。

たぶんAIが物語を作るのは簡単だろう。そして人間はだまされるのかもしれない。過剰な感情移入は危険である。

★★★☆☆

 


AI以後 変貌するテクノロジーの危機と希望 (NHK出版新書)

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