ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る

オードリー・タン プレジデント社 2020.11.29
読書日:2021.5.9

まだ30代という若さで台湾のデジタル担当政務委員に就任し、台湾のコロナ・パンデミックを抑え込んだ立役者であるオードリー・タンが、プレジデント社のインタビューに応え、民主主義とAIの楽観的な未来を語った本。

台湾がコロナ感染を抑え込んだとき、日本に衝撃を与えたのが、オードリー・タンの存在だった。その独特の容姿、トランスジェンダーであることはもちろんだが、日本ではありえない柔軟な対応が話題となった。

例えば、マスクが不足すると、保険証を用いて週に一人3枚まで購入できるシステムをすぐに作り、またどの店にマスクの在庫があるかを教えてくれるシステムも直ちに作った。

作るデジタル・システムが次々に機能不全を起こす日本との差は明らかだ。日本は韓国だけでなく台湾でも遅れていることがはっきりしてしまった。

しかし、こういうのは、一人のヒーローが全てを担っているわけではなく、それを受け入れる社会の柔軟性も必要である。そうでなければ、オードリー・タンもここまで活躍はできなかっただろう。台湾の社会には、社会をより良くしていこうとする動きに参加する気風がある。この点がもっとも日本との違いのように思える。

なぜなのか?

台湾の歴史については詳しくなかったが、この本を読むと、台湾の民主主義の歴史は浅く、それは90年代に実現したものだった。そして、それは民衆が自分で勝ち取ったものだったのだ。

1990年に議会を占拠した学生たちが起こした野百合運動がその発端で、当時の李登輝総統は学生の要求を受け入れ、民主化に着手したのだ。その後、2014年のひまわり運動という学生運動もおきた。このときには、オードリー・タンも議会内の様子をネットカメラで配信するシステムで協力している。

つまり、こういった民主化を勝ち取った人々がいまの台湾の中核なのであり、したがって彼らは民主主義の未来に対して楽観的であり、自分たちが率先して動くことで社会が良くなるという成功体験を持っているのである。

オードリーが社会を良くするために開発したシステムがある。一種の掲示板ではあるが、匿名で未成年者でもそこに政府に対する要望が書きこむことが可能で、5千人以上の賛同を得ると、政府は対応しなければいけないことになっている。この結果、例えば、特定の化学物質に反応する人のために、その化学物質を規制する法律が作られたりしている。

これを読んで考え込んでしまった。同じシステムを作ったとして、日本で機能するだろうか? 2チャンネル化して、荒れてしまうのが落ちなのではないか。

つまり、台湾の民主主義は非常に若いので、まだ民主主義の可能性を追求しているところであり、成功体験を積み重ねているため、彼らは非常に楽観的なわけだ。

世界中で民主主義が後退していると言われているなか、隣国の台湾でこれだけ明るい民主主義国が存在しているというのは、とても貴重なことではないだろうか。

オードリー・タンのこれまでの人生も、とても特徴的だ。インターネットによる独学で、学校で学ぶことがなくなったと思ったオードリー・タンは学校に掛け合って、学校をやめてしまう。実際には、義務教育であるからやめられないのだが、校長が学校に来ないことを黙認したわけだ。この校長は、オードリー・タンが学校にいるようにカモフラージュしてやりすごしていたのだという。

インターネットで学んだオードリー・タンは、起業したりアップルでSiriの開発などをしながら、なんと33歳でビジネスからすでにリタイアしたのだという。なので、いまは公的な仕事に注力しているわけだ。

このようなデジタルネイティブのオードリー・タンだから、デジタルの未来、AIの未来は楽観的だ。AIをうまく使って、人類は明るい幸福な未来を創れると信じている。

なによりも、驚いたのは、幅広い教養を身につけていることだ。彼に影響を与えたのはウィトゲンシュタインだそうで(ああ、またか)、そして日本の柄谷行人の考え方に共鳴していて、本人とも話をしているという。どうもウィトゲンシュタインは本当に読まなくてはいけないようだ。柄谷行人も要チェックだ。

端々に日本のアニメの話も出てきて、興味の対象は非常に幅広いことが分かる。

これだけの仕事をしながら、まだ35歳というのは本当に驚きだ。そして大量の仕事をひょうひょうと楽々にこなしているように見える。

今後、折に触れて、彼(彼女?)の話を耳にするだろう。

台湾はいまの世界で希望の星なのかもしれない。

(追記 2021.5.28)

オードリー・タンの言葉が聞きたかったので、日経が企画した「デジタル立国ジャパン・フォーラム」というのに登録して、そこのゲストスピーカーとして登場したオードリー・タンを見てみた。今朝(2021.5.28)のことだ。

残念ながら生ではなくビデオスピーチだったが、これを見てやっぱり本を読んだときと同じような印象を持った。

つまり、非常に未来に楽観的で、しかも人間を信頼していて性善説の発想をしているということだ。

これは台湾という国のサイズが小さいからだろうか。サイズが大きくなるとなかなかこんなふうには考えることができないんじゃないだろうか。もちろん上記に述べたように、歴史的に民主主義の理想にまだ幻滅していないということがあるのだろうが、サイズも関係しているような気がした。

★★★★★

 

ケーキの切れない非行少年たち

宮口幸治 新潮新書 2019.7.12
読書日:2021.5.9

IQは普通なのに、認知力の低い子供たちが15%程度存在し、その子達は学校の授業どころか社会生活も困難で、そのため犯罪を犯しがちであるが、一日五分程度のわずかな訓練で多くの子どもたちを救えると主張する本。

著者は児童精神科医で、医療少年院に勤務している。そこで、例えば「ケーキを同じ大きさで3つに分けなさい」という問題を与えると、それができない子が多数いるという。

こういう子どもたちは、通常のIQテストをすると、80程度と知能的にはさほど問題がない結果が出る。ところが認知力のテストをすると、まったくできない。

認知力のテストには、たとえば、ある絵をそのまま写すテストがある。これができない。なので、そもそも黒板に書かれていることをノートに写すことはまったく不可能である。とうぜんながら、漢字のような絵文字的な象形文字を覚えることができない。

また因果関係的な見通しを持つことが難しく、こうしたらどうなるという想像力がなく、将来の計画を立てることもできない。

また社会的な認知力も低く、他人の意図を読み取ることができない。なので、自分のことを笑っているとか悪口を言っているとか誤解して、他の可能性を考えることができない。

彼らは非常に騙されやすく、また短絡的に犯罪を犯し、しかもなぜ悪いのかも理解できず、反省以前の状況だという。

著者によると、こういう子どもたちが、14〜16%程度存在するという。アスペルガー症候群発達障害などは社会的に理解されていて支援もあるが、こういう認知力が低い子供たちは、IQ的には問題ないので、まったくなんの支援も受けていないという。

だが、このような認知力は、比較的簡単な訓練で状況の改善が可能だという。一日五分程度の訓練を毎日するだけで、そうとう改善できるようだ。これはとてもいい知らせだ。

しかも、こういう子どもたちは自信が無くなっているだけで、学ぶことを覚えると、どんどん自分で新しいことを学んでいくという。

訓練の中には、まるで言葉遊びのようなものもあって、ほんまかいな、というものもある。

例えば、感情のペットボトルという訓練。

いろんな大きさのペットボトルに水を入れてそれに「怒り」とか「うれしい」とか感情を書いておく。このとき、怒りのペットボトルは大きなものに水をいっぱい入れておく。うれしいのペットボトルは水を入れずに軽くしておく。

リュックにこれらを入れて運ばせると重い。そこで中からペットボトルを選んで出させると、重い怒りのペットボトルを外すと軽くなる。これで怒りの感情はしんどくて、怒りの感情を降ろすと心が軽くなることを分からせる、というのですが、、、

えー、本当にこういうので効果があるのかしら? ちょっと疑問を感じるなあ。

まあ、ともかく、どうやら人間という種は、15%程度、このようなちょっと脳の認知力に問題がある人たちが含まれているらしい。こういう人たちがいるというのは、進化論的にどういう意味があるんだろうか、などとわしは考えてしまう。サイコパスなどは存在意義がありそうな気がするが、こういう認知力が低い人にもなにか進化論的な意味があるのかもしれない。

だが、著者は医者なので、当然ながら著者の関心は、彼らの能力をどのように改善して、助けることができるか、ということなので、このような疑問には答えてくれないのであるが。

★★★★★

 

ハチはなぜ大量死したのか

ローワン・ジェイコブセン 文藝春秋 2009年1月27日
読書日:2009年09月11日

WHAT IS LIFE? 生命とは何か」のレビューで述べた、蜂群崩壊症候群については、この本で知ったのでした。短いレビューが残っていたので、掲載する。

*********

なんだかいま欧米ではハチ(セイヨウミツバチ)が大量に失踪しているんだそうだ。ハチに受粉をまかせっきりになっているアーモンド農場なんかでは危機的な状況が続いているという。

現在進行中の事件であり、結論はまだ得られていないものの、単一の原因(何かの流行病とか)ではなく、複合的な原因らしい。ひとつは農薬などの汚染であり、ひとつは抗生物質や人工的な餌の大量投与であり、もうひとつはストレスらしい。簡単に言えば、工業的な農業の限界が、もっとも弱いリンクであるミツバチに現れているというのが著者の見立てである。

アメリカは一大農業国家だが、もしかしたらその将来は非常に危ういものかもしれない。アメリカや中国の農業が壊滅すると、日本なんかが一番やばいんだろうな、と思った。

いっぽう、ミツバチを飼うのは楽しそうで、将来田舎に住む機会があったら、やってみたいと思った。

★★★★☆


ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

 

WHAT IS LIFE? 生命とは何か

ポール・ナース 訳・竹内薫 ダイヤモンド社 2021.3.10
読書日:2021.5.7

細胞分裂の周期を制御するcdc2遺伝子を発見し、ノーベル賞を受賞した学者による初めての著書で、生物について分かっていることを優しい言葉で一般人に解説した本。

内容的には、たぶん、生物学に関心があるホとなら、一度は聞いたことがあるだろうことしか書いていない。なので、わしにとっては新しい知識を得るという意味では刺激はなく、ちょっと退屈だった。

翻訳した竹内薫はものすごく感動したんだそうだ。竹内薫にとっても、内容的には新しい知識ではなかっただろうから、きっと著者の誠実な態度に感動したんじゃないかな。

わし的には、どちらかというと、そういうところではなく、枝葉末節の特定のところがとても気になった。

ポール・ナースは虫が好きな人で、昆虫がものすごく大量に種を減らしていることを憂えている。別に昆虫だけでなく、いろんな動物の種が絶滅していて、昆虫だけの問題じゃないように思えるのだが、ポール・ナースによると、昆虫が種類を減らしている理由がよくわからないのだそうだ。

えっ?? 人類が地球環境を破壊しているからじゃなくて?

でも、そうじゃないという。殺虫剤も関係ないという。本当に??

この意見は、通常の人の意見とかなり異なるので、どうも気になる。ネットで簡単に調べたところでは、やはり人間による環境の悪化を原因にあげていることが多い。

ただ、世界的にミツバチが数を減らしていること(蜂群崩壊症候群)はよく知られていて、養蜂業界で大問題になっている。なにしろ、野生のミツバチだけでなく、大切に飼育されているミツバチも大量に死んでいて、大幅に数を減らしているのだ。この理由はいまのところ解明されていないはずだ。

おなじようなことが、昆虫全般で起きているのかもしれない。そうだとすると、とて不思議なことだ。

昆虫だけが影響を受ける何かがあるんだろうか?

★★★☆☆

 


WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か

超訳 ケインズ「一般理論」

ジョン・メイナード・ケインズ 超訳山形浩生 東洋経済新報社 2021.3.5
読書日:2021.5.5

山形浩生ケインズの「一般理論」を大幅に圧縮、ポイントをまとめて読みやすくした本。

わしはだいたい新刊書ばかりを読む方で、あまり古典を読まないのだが、やはりそれはいけないのではないか、とふと思い、とりあえずケインズの「雇用、利子および貨幣の一般理論」を読もうと思ったのです。今年の三月のことです。

最近、新訳もいろいろ出ているので、そんなに読みにくくはないであろうと楽観していました。珍しく図書館ではなく、アマゾンで購入し、ダウンロードしました。

で、読み始めたのですが、最初の序章で、挫折してしまったのです。だってさあ、文章はこんな具合なんですから。

「要約しよう。古典派理論の第二公準には二つの点で問題がある。一つは労働者の現実の行動に関係している。貨幣賃金は変わらず物価だけが上昇することによって実質賃金が下落した場合、そのせいで、その賃金の下で買い手を待っている有効労働供給量が物価上昇以前の実際の雇用量を下回ることは一般にはないと言ってよい。そのようなことがありうると考えるのは、現行賃金で働く意思をもっているにもかかわらず現在失業を余儀なくされている労働者が、生計費がわずかでも上昇したら一人残らず労働供給を引き揚げる、と考えるに等しい。」

あー、良くわかりません(苦笑)。

読めないことはないけれど、ひとつひとつの文章を理解するのにとても時間がかかってしまう。こんな文章が延々と続くと思うと、さすがに萎えてしまう。

そういうわけで、本物の方を読むのはやめて、とりあえず山形浩生超訳版を読もうと思ったわけです。長い前置きだった。

さて、山形版を読み始めたが、序章はやっぱりよくわからない文が多かった(苦笑)。超訳でも分かりにくいです。でも、こっちは一章あたり数ページだからとりあえず我慢できるし、章ごとにポイントも書いてあるから分かったことにして、次々読んでいくとあら不思議、あとの方は特に問題もなくすらすら読めるではありませんか。

どうも読みにくいのは最初の方だけらしい、ということが分かりました。

なんで読みにくいかと言うと、わしが思うに、最初の方は従来の古典経済学への反論になっていて、わしはそもそも古典の方がよく分かっていないから、なぜこんな議論しているのかもよくわからないし、どこがポイントなのかもよく分からないからでしょう。

だから現代のひとは、最初の方は、山形浩生が書いてくれたポイントだけでも理解していればいいのではないかと思います。

一方、後半の持論を展開しているところは、わしがいま持っている知識と反することはないので、まあ、当たり前として読めたということでしょう。

でもやっぱり、ケインズというのは、分からない人は分からないんじゃないかと思いますね。どこが分かりづらいかと言うと、たぶんそれはマクロ経済が分からないというのと同じことだと思います。

国のマクロ経済が、普通の家庭や企業の業績などのミクロ経済とはどう違うということを理解するのに、わしも紆余曲折がありましたからね。わしはMMT(現代貨幣理論)を学んでようやくマクロ経済の全てがつながったと感じました。

ともかく、いろいろ直感に反するので、マクロ経済はわかりにくい。わしは自分の周りにいる人間で、マクロ経済を議論できる人はいないと断言できます。それどころか、日本にどのくらいの比率で理解している人がいるか、それすらもまったく心もとないのですが、なんとなく一万人にひとりいればいいほうかもしれないなあ、と思います。(こんなことだから財務省のむちゃくちゃな論理に騙される)。

さて、この本は後半が山形による解説になっているのですが、ここでケインズがいい意味でいい加減に書いていて、つまりそれは精緻な経済体系を作ることが目的ではなく、とりあえず、使えるものを提供しているのだという意見に激しく共感を覚えるしだいです。そして、これまでと違う状況が現れても、やっぱり一般理論は使える学問であり続けるだろう、というのも、そのとおりかなという気がしますね。

わしの方は、山形版の超訳でほぼ満足してしまって、まあ、このままではきっと本物の方は読まないんじゃないかしら。せっかく買ったのにね(苦笑)。

ともかくケインズ個人に興味が湧いたので、よい評伝があったら読んでみようかしら。

★★★★★

 


超訳 ケインズ『一般理論』

 

日本人の勝算 人口減少✕高齢化✕資本主義

デービッド・アトキンソン 東洋経済新報社 2019.1.24
読書日:2021.5.2

日本に在住30年の元金融マンで現在会社社長のアトキンソンが、日本が今後それなりの存在感のある国家を維持するには、経済の生産性をあげて経済成長するしかなく、そのためには最低賃金を上げていくのがもっともよいと主張する本。

日本が30年に及ぶ低迷を続けていることは間違いなく、それに人口の問題が関わっていることは、誰もが分かっていることである。

この低迷を脱するために、日本は金融政策に頼った。つまり日銀が異次元の金融緩和を行い、インフレ率を2%以上に人為的に高めようとしたのである。効果がなかったとは言えないが、しかし事実上この政策はものの見事に失敗した。世界経済史に残る歴史的な失敗と言ってもいいだろう。(だから、歴史的には意味があったとも言える)。

この失敗ではっきりしたのは、インフレとは需要が供給を上回るために起こる現象であり、お金を増えすぎてお金の価値が下がるという貨幣的な現象ではなかったということである。

(ただしこれには異論がある。増えたお金は日銀の口座で増えただけで、国民には渡っていない。だからお金を直接国民に強制的に渡すぐらいのことをすれば、需要が増えてインフレが起きたという意見もある。)

なぜ、需要が喚起されなかったのかということについては、よく言われるのは、日本の人口が減っているというものだ。人口が減れば、その分だけ需要が減るのは当たり前だからだ。もちろんアトキンソンの説明もそれに沿っている。そして、減った需要を巡ってが企業間で血みどろの闘いが展開するから、デフレが進行する。こうした中で、企業が利益を確保しようとすれば、給与を下げるのがもっとも効率がいいから、ますます国民に渡るお金が減っていくという悪循環が起こる。

需要が減るといいうこととGDPが減っていくことは同じことだ。こうしてGDPが減っていくと、高齢化が進む日本の社会保障費が賄えなくなり、日本は破綻の危機を迎えるという。

そういうわけで日本は経済成長を目指す以外に道はないのだが、経済成長をするためには、2つの道があるという。ひとつは人口が増加する効果で、もうひとつは生産性が上がる効果だ。アメリカは経済成長のかなりが人口の増加によるものだから、日本と異なる社会であり、アメリカを見て政策を決めてはいけないという。どちらかというと、日本はヨーロッパのほうが参考になるという。

そこで参考になるのは、イギリスなどの最低賃金を上げていく政策だ。イギリスは、なんと93年に最低賃金制度を一度廃止したんだそうだ。99年にブレア政権の時代に復活したという。なので、最低賃金がある場合とない場合で比較が可能になる。では、最低賃金を新たに設けて毎年上げていくという政策をとると何が起こったのか。

この時代、世界中で富の格差が広がっていった。ところがイギリスだけは格差が減少したのだ。そして企業は給料を多く払わなくてはいけなくなったから、生産性を上げる方向に舵を切り、実際に生産性が上がったのだそうだ。

わしがこれを読んでいて、気になったのは韓国の経験だ。韓国ではムンジェイン政権が最低賃金を上げた結果、若年層の失業率が上昇したという事実がある。これはどのように捉えればいいのだろうか。

もちろんアトキンソンも韓国の状況は調べている。それによると、最低賃金を上げるときに、上げすぎると失業率が増えるという。この上げ率に関しては、イギリスが事前にシミュレーションを行っており、上げ率が15%がベストで20%を越えると、失業率が増えるという結果になったそうだ。そこで上げるときも最大で10%程度、普通は5%程度を毎年上げているのだという。つまり、あるしきい値を越えると、失業率が上がるのだ。韓国では2018年に16%と大幅に上げていて、このときすでに最低賃金はかなり高く設定されていたから、しきい値を越えてしまい、失業率が上昇したということらしい。

日本の最低賃金はどうなっているのか。

日本もじつは最低賃金は最近上がる方向だ。しかし、3%程度であり、しかも県によって最低賃金がばらばらだ。この結果、給料の高い首都圏への人口流出が続いており、地方にとっていいことはまったくないという。アトキンソンは全国一律の最低賃金を設定し、毎年5%程度を上げていくことを提案している。

日本の最低賃金制度で、他の国とは大きく違うところが、外国では経済政策として決定しているのに対して、日本では厚生労働省が決めていることだという。その基準は、最低の文化的な生活を国民に保証するという憲法に記載された観点から決めており、経済成長を促すという発想がまったくないのだという。たしかにこの仕組みでは、デフレで消費者物価が下がると、逆に下げることすらありえる。確かにこれはあまり良くない。なんとか最低賃金制度を社会保障政策ではなく、経済政策に格上げしなくてはいけない。

ところで、生産性をあげようというモチベーションは、最低賃金を上げればいいとしても、実際に生産性をあげるにはどうしたらいいのだろうか。

アトキンソンの回答は、輸出の振興だ。

日本は見かけと違って輸出国ではなく内需大国で、輸出はGDPの15%ほどしかない。これをドイツの40%程度に上げれば、生産性は高まる。

この成功例は、日本の観光産業だ。外国人が日本にやってきてお金を使うことは輸出と同じことだからだ。日本の観光産業は、主にアジアからの観光客の誘致に成功して、すでに2018年に3000万人を越える観光客を呼び込んでいる。

ところで日本で生産性が低いのはサービス業だ。一般にサービス業は輸出が難しいと言われている。観光産業もサービス業だが、これは外国人に来てもらえばいい。でもその他のサービス業はそもそも輸出可能なんだろうか。この辺についてはアトキンソンは明確な答えを示してくれていないのが不満だ。

わしなりに少し考えると、例えば医療は輸出可能かもしれない。外国で病院を経営するということもありえるし、日本に病人を呼ぶということもあり得るだろう。しかしサービス業のうち、大きな割合を占めている福祉関係はどうだろうか。高齢者の施設運営は輸出可能だろうか。ありえない話ではないが、ちょっとイメージしづらい。しかし不可能ではない気もする。

しかし、それ以外では、かなりのサービス業は輸出可能かもしれない。その中でも、デジタル化が可能な分野は輸出が可能だろう。たとえばデザインとか。

これまで、日本語という特殊な言語環境やデジタルが苦手という国民性が日本のサービス業に不利に作用していた。しかし、AIの発展により、言葉の壁はすでに問題ではなくなっており、デジタルも普通のひとにそうとう扱いやすくなっていると思う。いままで日本に不利だったデジタルの情報環境が今後は日本に有利に展開するんじゃないだろうか。

わしはこれに加えて、投資もあり得ると思う。多くのひとが年金で実践しているような、世界経済全体への投資だ。わしは、日本は世界経済への投資によって生き延びる可能性が高まると信じているので、一般の国民も含めて、どんどん世界経済に投資する投資信託を購入すべきだと信じている。ともかく日本でもっとも余っている資本は、資本そのもの、つまりお金でしょうからね。

そんなわけで、まだいろいろやりようがあるから、わしは日本の未来に楽観はしていないけど、それほど悲観もしていないのです。

★★★★☆


日本人の勝算―人口減少×高齢化×資本主義

超訳 易経 陰 −坤為地(こんいち)ほかー

竹村亞希子 新泉社 2020.10.2
読書日:2021.5.1

易経は社会や個人や組織などが変化していくものごとの循環を表しており、いまが易経の循環のどこに当たたるかを考えることでそのときの対処法がわかると主張し、易経を現在の社会に照らし合わせて解説した本。

わしは占いは全く信じないので、易経もどうかと思ったが、しかしこの本を読んで易経は占いというよりも、世の中の見方のひとつだと認識を改めた。

易経は世の中を循環として見る。つまり、物事がだんだんいい状態になって最高潮に達すると、今度は調子が悪くなる状況になる。そして悪い状況が極まると、今度は良くなっていく。

こういった状態を陽と陰のデジタルで表し、3ビットで8通り(八卦)、それをさらに3ビットで分けて、合計64通りの状態(六十四卦)に分ける。陽が大きくなるほど状態がよく、陰は状態が良くない、ということになる。

たぶん物事が調子よく行っている陽の状態では、なかなかこういう易経を手に取ることはないのではないだろうか。そういう意味では、実際に手に取るのは陰の厳しい状態を経験しているときだろう。この本では、厳しい陰の時代に焦点をあてて解説をしており、易経本来の読み方と言えるのかもしれない。

なお、「超訳 易経 陽」という本も別にあるが、著者の言うには陽はヒーローになる人(経営者とか)のための本であって、こちらの陰は従業員として人に従って生きていく一般人のための本なんだそうだ。こっちのほうが普通の人には良いということらしい。

では、この中からいくつかあげてみよう。

まずは題名となっている「坤為地(こんいち)」について。

これはすべてが陰になっている、陰が極まった状態だ。陰が極まっているのだからもっとも悪い状態と言える。しかし易経ではこれは必ずしも悪い状態ではないのだ。

この状態のときには、何かを無理に変えようとしてはいけないという。逆境に逆らわずに徹底的に従い、受け入れろという。腹を決めて、これまでの慣習、人間関係を全て捨てて、新しい環境に徹底的に従うのだ。そうしているうちに新たな道が拓けるという。

もうこのくらいに腹をくくらないと、新しい状況には対応できないということだろう。逆に言うと、このくらいまで極まらないと人は変化を受け入れられないということなのかもしれない。

なるほどね。

次に、「沢火革(たくかかく)」という状況を見てみよう。

これは革命、つまり世の中が大きく変わることを示す状況だ。革命がどんなふうに起こると易経は見ているのだろうか。

革命は世の中が悪くなってもなかなか起きない、と易経は言っている。つまり人は変化を嫌う。だから、良くない状況が極まって、殆どの人が革命もやむなし、と思ったところで行動しないと革命は成功しないという。

だからなにかを変えるときには、周りに人間の様子を見て、正しいときに行動を起こさないといけないというわけだ。

ティッピングポイントという言葉があるが、何かが起きるときにはしきい値のようなものがあるという。それを見極めないといけないということで、なかなか含蓄がある説明ではないだろうか。

作者によると、日本はいま陰の時代だという。しかし陰の時代はしっかり実力を蓄えるときだという。わしはもう日本は陰の時代を抜け出していると思う。(実力は蓄えられているだろうか。)

もっとも、なんども言うように、わしはいつも未来は明るい、もうすでに夜は明けている、と言い続ける人なので、あまりあてにはならないかもしれないが。(笑)

★★★★☆


超訳 易経 陰―坤為地ほか

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