オードリー・タン プレジデント社 2020.11.29
読書日:2021.5.9
まだ30代という若さで台湾のデジタル担当政務委員に就任し、台湾のコロナ・パンデミックを抑え込んだ立役者であるオードリー・タンが、プレジデント社のインタビューに応え、民主主義とAIの楽観的な未来を語った本。
台湾がコロナ感染を抑え込んだとき、日本に衝撃を与えたのが、オードリー・タンの存在だった。その独特の容姿、トランスジェンダーであることはもちろんだが、日本ではありえない柔軟な対応が話題となった。
例えば、マスクが不足すると、保険証を用いて週に一人3枚まで購入できるシステムをすぐに作り、またどの店にマスクの在庫があるかを教えてくれるシステムも直ちに作った。
作るデジタル・システムが次々に機能不全を起こす日本との差は明らかだ。日本は韓国だけでなく台湾でも遅れていることがはっきりしてしまった。
しかし、こういうのは、一人のヒーローが全てを担っているわけではなく、それを受け入れる社会の柔軟性も必要である。そうでなければ、オードリー・タンもここまで活躍はできなかっただろう。台湾の社会には、社会をより良くしていこうとする動きに参加する気風がある。この点がもっとも日本との違いのように思える。
なぜなのか?
台湾の歴史については詳しくなかったが、この本を読むと、台湾の民主主義の歴史は浅く、それは90年代に実現したものだった。そして、それは民衆が自分で勝ち取ったものだったのだ。
1990年に議会を占拠した学生たちが起こした野百合運動がその発端で、当時の李登輝総統は学生の要求を受け入れ、民主化に着手したのだ。その後、2014年のひまわり運動という学生運動もおきた。このときには、オードリー・タンも議会内の様子をネットカメラで配信するシステムで協力している。
つまり、こういった民主化を勝ち取った人々がいまの台湾の中核なのであり、したがって彼らは民主主義の未来に対して楽観的であり、自分たちが率先して動くことで社会が良くなるという成功体験を持っているのである。
オードリーが社会を良くするために開発したシステムがある。一種の掲示板ではあるが、匿名で未成年者でもそこに政府に対する要望が書きこむことが可能で、5千人以上の賛同を得ると、政府は対応しなければいけないことになっている。この結果、例えば、特定の化学物質に反応する人のために、その化学物質を規制する法律が作られたりしている。
これを読んで考え込んでしまった。同じシステムを作ったとして、日本で機能するだろうか? 2チャンネル化して、荒れてしまうのが落ちなのではないか。
つまり、台湾の民主主義は非常に若いので、まだ民主主義の可能性を追求しているところであり、成功体験を積み重ねているため、彼らは非常に楽観的なわけだ。
世界中で民主主義が後退していると言われているなか、隣国の台湾でこれだけ明るい民主主義国が存在しているというのは、とても貴重なことではないだろうか。
オードリー・タンのこれまでの人生も、とても特徴的だ。インターネットによる独学で、学校で学ぶことがなくなったと思ったオードリー・タンは学校に掛け合って、学校をやめてしまう。実際には、義務教育であるからやめられないのだが、校長が学校に来ないことを黙認したわけだ。この校長は、オードリー・タンが学校にいるようにカモフラージュしてやりすごしていたのだという。
インターネットで学んだオードリー・タンは、起業したりアップルでSiriの開発などをしながら、なんと33歳でビジネスからすでにリタイアしたのだという。なので、いまは公的な仕事に注力しているわけだ。
このようなデジタルネイティブのオードリー・タンだから、デジタルの未来、AIの未来は楽観的だ。AIをうまく使って、人類は明るい幸福な未来を創れると信じている。
なによりも、驚いたのは、幅広い教養を身につけていることだ。彼に影響を与えたのはウィトゲンシュタインだそうで(ああ、またか)、そして日本の柄谷行人の考え方に共鳴していて、本人とも話をしているという。どうもウィトゲンシュタインは本当に読まなくてはいけないようだ。柄谷行人も要チェックだ。
端々に日本のアニメの話も出てきて、興味の対象は非常に幅広いことが分かる。
これだけの仕事をしながら、まだ35歳というのは本当に驚きだ。そして大量の仕事をひょうひょうと楽々にこなしているように見える。
今後、折に触れて、彼(彼女?)の話を耳にするだろう。
台湾はいまの世界で希望の星なのかもしれない。
(追記 2021.5.28)
オードリー・タンの言葉が聞きたかったので、日経が企画した「デジタル立国ジャパン・フォーラム」というのに登録して、そこのゲストスピーカーとして登場したオードリー・タンを見てみた。今朝(2021.5.28)のことだ。
残念ながら生ではなくビデオスピーチだったが、これを見てやっぱり本を読んだときと同じような印象を持った。
つまり、非常に未来に楽観的で、しかも人間を信頼していて性善説の発想をしているということだ。
これは台湾という国のサイズが小さいからだろうか。サイズが大きくなるとなかなかこんなふうには考えることができないんじゃないだろうか。もちろん上記に述べたように、歴史的に民主主義の理想にまだ幻滅していないということがあるのだろうが、サイズも関係しているような気がした。
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