ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには

本田直之、四角大輔 株式会社ライツ社 2017.4.17
読書日:2020.12.1

世界中を旅しながら仕事をし、好きなところに住み、自由に生きることを勧める本。

本田直之はハワイで生活し、四角大輔はニュージーランドで生活しているという。東京をビジネスの拠点にしていることは確かだが、東京には半分以下の時間しかいないようだ。そして、世界中を旅をしていて、行った先でオンラインで仕事をしている。

こういう生活に持っていくためには、十分な準備が必要だという。ライフスタイルにあこがれて、いきなり始めると失敗してしまうという。二人とも10年くらいの年月をかけてこのライフスタイルにたどり着いたのだそうだ。ただし、インターネットが充実したいまの人は、もっと短い時間でこのライフスタイルを開始することができるという。

なにより自由に生きることが大切だから、特定の収入源に縛られることは大変なリスクなので、複数の収入源が必要だという。結局、自営業ということになるのだが、仕事の選び方としては、自分にできることや好きなことを極めると、かならず生活のできるくらいのニッチな仕事があるはずなので、それを見つければよいという。つまり自己ブランディング化だ。もちろんSNSを駆使することになり、フォロワーは少なくとも数万人必要なようだ。

世界中のどこにいてもオンラインで仕事ができるということは、旅ができるということだが、日常と異なるところに身を置くことで、常に新鮮な感覚を保てるのだという。

もちろん、こういう生活を誰に対しても勧めているわけではなく、向いていない人もいるのだという。例えば、管理される方が楽な人もいるわけで、そういう人は会社員を続ければいいという。

というのが、この本のだいたいの中身だが、違和感を覚えないだろうか?

このコロナ禍では、経済的自由は得ていないかもしれないけど、モバイルボヘミアン的な生活はまったく可能になってきている。「在宅勤務」と言いながら、別に自分の家にいなければいけないということはぜんぜんない。事実上、旅行をしながら、オンラインで仕事をするということは、もう十分可能だ。

きっとコロナ禍がおわってもこれは続くだろう。

この本が書かれた頃は、モバイルボヘミアンになることは、経済的自由が必須だったのだろう。かつては、どこの組織にも経済的に依存しないというスタンスが、好きなところで暮らすという自由のためには必要条件だったわけだ。

ところが、アフターコロナの時代では、モバイルと経済的自由は分離してしまった。いまでは経済的自由はないけど(特定の会社や組織に勤めているけれど)、世界のどこにいてもいいといういことになった。

ということになると、この本の価値はどこにあるのだろうか。

この本が発行されてたった3年だけど、世界はかくも大きく変わってしまった、という気がする。

★★★☆☆


モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには

反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー

ジェームズ・C・スコット 立木勝・訳 みすず書房 2019.12.19
読書日:2020/11/30

農業が誕生すると人類がそれ待ちかねたように定住し、国家を作り、文明化にまい進したという物語は幻想にすぎず、実際には定住が起こっても国家はなかなか存在できず、できても非常に弱く、人類はほとんどの人間がごく最近まで国家に属せず生きてきたと主張する本。

これは驚くべき本で、従来の農業、定住、国家の考えが覆ってしまう。

人類が定住を始めたのは、紀元前1万2千年ぐらい前のことである。基礎的な作物の栽培が確実になるのは紀元前8000年ぐらいで、このころ農業が誕生したと言われている。一方、国家が誕生するのはそれから4000年後であり、4000年間の空白がある。この長い期間、いったい何が起きていたのだろうか。

著者のスコットは、農業が始まったことが国家を作ったのではなく、麦や米などの穀物中心になったことが国家を作ったのだという。どういうことか。スコットが描く人類の歴史を見てみよう。

紀元前1万2000年前に人類の定住がはじまったが、これは豊かな地に人類がとどまっただけなのだという。狩猟採集民でも豊かな土地であれば移動する必要はないので、当然である。

この豊かな土地とは、たとえばチグリス・ユーフラテス川という大河が河口に作る湿地である。季節ごとに様々な作物が実り、魚などの漁業も可能で、渡り鳥や動物も移動してくるような土地だ。定期的に洪水が起きるので、人々は亀の甲羅と呼ばれる少し高い土地で暮らしていた。

このような定住跡から多くの種類の食料の痕跡が見つかっており、人々は栄養に恵まれた生活を送っていたことがわかる。狩猟採集民の暮らしは、特定の時期に、例えば動物が移動してくる時期などに集中的に作業を行うが、それ以外の時期は比較的のんびりした生活を送っていたようだ。すべては自然のタイミングに合わせた生活だったのだ。植物の栽培は行われていたが穀物が中心というわけではなく、穀物にすべてを頼っていたわけでもなかった。このような生活のために狩猟採集民は定住した農民よりもはるかに広い知識を必要とし、柔軟な思考を持っていたという。

狩猟採集が中心の場合、国家が生まれることはなかった。なぜなら、彼らの食料は保存がきかず、税金の取り立てもできなかったからだ。しかし食料が穀物なら保存し、運ぶことができ、分配することもできる。つまり富の蓄積が可能になるし、さらには通貨としても機能する。

穀物は税金の徴収にも便利だ。穀物は同時期にいっせいに実が付き、刈り取りが行われ、脱穀されるために、徴収が簡単だったからだ。これが芋なら何年か土の中に置いておくこともでき、豆はいっせいに実らず、長い期間取り入れができるため、税としては不適当だった。なので、主要作物に穀物を採用しなかった国家はないという。

つまり多様な食糧でなく、穀物に集中することで利益を最大化できると考えた人たちがいたわけだ。それが国家というシステムなのだ。だから国家ができるためには、何らかの方法で穀物の生産を強制させ、税金として穀物を納めさせるようにしなければならなかった。

だが、これが大変難しいことなのだ。なぜなら、狩猟採集民は簡単に移動できてしまうからだ。強制するとすぐに逃げてしまう。こんな状況では国家の継続は困難だ。この時代は国家のような物が誕生してもすぐに消えてしまうという状況が4000年も続いたのだ。

人々に強制的に穀物を作らせ、その穀物を納めさせる国家というのは、一種のプランテーションを行うベンチャー企業のようなものだということがわかる。個人的には、このビジネスが拡大したのは、穀物により初めて余剰というものが誕生し、それをさらに投資して増やすという資本主義の原理が働いたことが大きかったのだと思っている。そして、ベンチャー企業の常として、必要なノウハウが蓄積するまで時間がかかったのだ。とくに国家という複雑なシステムに結実するまでは。

強制労働のためには、人々を奴隷にするのがもっとも手っ取り早い。近代のアメリカ南部でアフリカ人を運んできて労働させたように、チグリス・ユーフラテスの河口に誕生したメソポタミアの国々も、周辺から人々を集めて奴隷化していったらしい。

このころ生まれた国の中心には城壁ができていた。この城壁はもちろん敵からの攻撃を防ぐという意味もあったが、さらに重要だったのは、国民が逃げ出さないようにするためだったとスコットは推察している。

戦争の意味も違った。今の戦争では国境を広げることが主な目的となるが、このころの目的は奴隷を得るためだった。他の国を攻撃すると、その国民を連れてきて、奴隷として労働させる。国家というベンチャー企業はともかくマンパワー、安い労働力を必要としたのだ。

こうして生まれた国家の生活条件は劣悪だった。

まず栄養のバランスが非常に悪かった。穀物中心の食生活になり、栄養不足を原因とする病気が発生した。栄養が悪いために体の大きさは小さくなったという。

また家畜を飼うようになり、家畜から人間に感染する新しい感染症が発生し、パンデミックを引き起こした。スコットはこのころ放棄された町のかなりは伝染病が原因ではないかと推測している。

こうして劣悪な環境の中、死亡率は上がったが、ここで人々の家畜化が進行したという。(スコットは数十万年前の火を使い始めた時から家畜化が始まったというが、まあ、ここではそこまでさかのぼらなくてもいいだろう。)

犬や猫、ヤギやヒツジ、豚や牛、鶏などが家畜化されたが、家畜化の傾向は共通だという。つまり、身体が幼生化(ネオテニー化)して、脳が小さくなり、性格が温和になるということである。そして成熟するまでの期間が短くなり、短期間で繰り返し出産が可能で、多産になる。

劣悪な環境で高い死亡率だったにもかかわらず、家畜化した人間の人口増加率は狩猟採集民のそれを少しばかり上回ったらしい。それが何千年の期間の中では圧倒的な差になり、国家に属する臣民の数が増えていった。この結果、長い間には、狩猟採集民が追いつめられることになっていった。

とはいえ、国家が誕生したころには周辺に広大な国家に帰属していない土地があった。つまり圧倒的に狩猟採集民の方が強かったのである。特に馬を使って移動している民族の場合は、国家側の軍隊は太刀打ちできなかった。国と違って、狩猟採集民には中心というものがそもそも存在せず、攻撃してもただ散らばるだけなので、どうしようもなかった。

そして低地に作られた国家は、穀物は豊富だったが、その他の食料、金属、建築木材、燃料などは全くなかったので、周囲からの交易に依存していた。国家は単独では存在できなかったのだ。

さらに、周辺の狩猟採集民にとっては、富を蓄積している国家は格好の略奪の対象だった。なので周期的な略奪にあった結果、国家の方から定期的にみかじめ料を支払うことも多かった。こうした状況は国民国家が誕生し、技術も進んだつい最近まで変わらなかったのだという。(たとえば遊牧民に占領された中国の清が20世紀にも存在したことが思い出される)。

狩猟採集民は歴史を残さない。国家は歴史を残したので、歴史家は国家の側から見ることに慣れてしまい、実は国家の方が少数派であったことになかなか気が付ないのだとスコットは主張する。現代では地球上のあらゆるところに国境線が引かれているが、そうでない、国家に支配されていない人々の時代がずっと長く続いたのだ。

いまでは誰もがどこかの国家に属している。これは幸福なことなのだろうか、と考えさせられる。

★★★★★

 


反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー

科学は仮説の集まり 「若い読者に贈る美しい生物学講義」を読んで思い出したこと

若い読者に贈る美しい生物学講義」の最初に述べられるのは、そもそも科学とはなにか、ということである。そこで言われるのは、科学は仮説の集まりであるということである。

つまり科学とは観察(実験)から帰納的に仮説をたてて、その仮説がどれだけ普遍的に成り立つかを競う競技みたいなものである。

このことは今のわしには常識ではあるが、しかし、高校時代のわしには知らないことだった。なので、ずいぶん悩んだのである。いや、本当に。だから、科学の授業では、いちばん最初に、この本のように、そのことを説明しなくてはいけないのではないかと、思うのである。

高校で文系、理科系の選択で、わしは理科系を選んだ。理由は、文系の科目は自分でも勉強できる気がしたが、理科系は学校で習わないと自分で勉強しない気がしたからだ。

そしていきなり物理1の時間で悩んでしまったのだ。1時間目はニュートンの法則を習った。ニュートンの第2法則は運動方程式であり、次のようなものである。

 f=ma (f:力、m:質量、a:加速度)

この式の意味は分かる。車に例えると、同じ力かけても、軽い車はすぐにスピードが上がるが、重い車ならなかなかスピードが上がらないことを示している。

わしが分からなかったのは、この式がどこから出てきたのか、ということである。わしはもっと根本的な原理があって、そこから導き出されたもののはずだ、と思いこんだのである。

とうぜんその話がされるものと思っていたが、そんな話はされなかった。

いまのわしなら、すぐに先生に質問しただろう。だが、その時は、なぜなんだろうと考えているうちに質問の機会を逸してしまった。

それからも物理の授業は容赦なく進んでいった。こんな状態で学んでいると、内容は理解はできたが、どうしても運動方程式が(そもそもなぜそうなっているのか)理解できないので釈然としない思いだった。

こうして1年が過ぎ、物理2に進んだ。

わしは物理の授業を聞きながら、やっぱり f=ma について考えていた。(しつこい(笑))

ニュートンはどうやってこの式を導き出したんだろうか。

ニュートンはリンゴの落ちるところを見て、万有引力(重力加速度g)を発見したという。そんなことを思い浮かべながら、わしは愕然とした。ニュートンがどうやってこの式を導き出したのか、突然分かったのである。

それは、「観測」によってである。

観測、実験からそういう関係になっていることを発見しただけで、なぜそうなっているのかはニュートンにも分からないのだ。

わしは直ちに、すべての科学の原理や公式がそうであることに思い至った。

すべての科学は観察や実験で得られた結果をなるべくよく説明するための仮説であって、それ以上ではないのだ。

そのことがわかるのに1年以上が経過していた。もしも最初にそうだと教えてくれたら、こんなに長い間悩まずにすんだのに。

でも、あのとき質問していたら、満足のいく答えが得られただろうか?

わしは疑問だ。

科学とは何かについて、たとえ物理の先生でもなかなかすぐには答えられないのではないだろうか。

 

追記:

おんなじことを以下の記事でも書いてました。すみません。たぶん、この内容は他にもどこかで書いた気がする。それだけ、わしには画期的な認識だった、ということで。

www.hetareyan.com

 

 


若い読者に贈る美しい生物学講義――感動する生命のはなし

若い読者に贈る美しい生物学講義--感動する生命のはなし

更科功 ダイヤモンド社 2019.11.27
読書日:2020.11.23

生物学者の著者が少しでも一般の人に生物学に興味を持ってもらおうと書いた、生物学の本質について書いた本。

生物学の本というと、いきなり不思議な生物の話や著者の体験談なんかが話されることが多い気がするが、この本では生物学が科学であること(そりゃそうだ)を強調していて、そもそも科学とは何か、ということから説明が始まっている。

著者によると、科学とは仮説の集まりであり、100%正しいとはわかっていないものである。ある正しい原理から演繹的に導き出された結論は100%正しいが、新しい知識はそこにはない。そうではなく、原理から外れた現象を取り込んで、新しい仮説を作ることが科学だという。だから科学は演繹で求めるものではない、などということが強調されている。

そうやって科学的な姿勢とは何かが述べられて、やっと生物の話に入る。そんな具合だからこの本はそういう科学の営みでわかったことのどこが新しいのかという部分についてそれなりにしつこく述べている。

たとえば、進化論でダーウィンが新しかったところはどこなのかというところが厳密に述べられている。著者によると、当時ダーウィンと似たようなことを述べていた人はたくさんいた。この時代は産業革命が起きて、技術が「発達」し、「進歩」が盛んに起きていた頃だ。社会学者のスペンサーが初めて「進化」という言葉を使ったという。(いっぽうダーウィンは進化という言葉を使っていないという)。進化=進歩、だったのだ。この言葉の裏には、人間が一番偉いという意味が含まれている。

ところがダーウィンは環境に適応して、それが子孫に伝わることを述べただけで、進化=進歩ではなかったのだ。進化には退化、つまり適応した結果ある能力がなくなることも含まれるのだ。そもそも進歩と退化は特定のものさしに従って判断した基準で、ものさしを変えると容易に逆転してしまうものである。進化に退化も含まれるとしたところがダーウィンの新しいところだという。

そういう著者なので、生物の定義すらなかなか面倒なのだ。そういう生物の定義に関する生物の本質の話が6章まで続く。

このなかで、きっと誰もが現代的だなあと思うところは、第5章の「生物のシンギュラリティ」の章だろう。ここでは、怠け者の男の話が出てくる。

あるところに怠け者の男がいて、ロボットを作って自分の代わりに農作業をさせる。ロボットは1日の作業を終えると、明日の燃料を自分で入れる。ロボットは1ヶ月で壊れてしまうので、面倒になった男はそれもロボットにやらせる。ロボットは1ヶ月たつと自分のコピーを作って壊れる。

あるとき、ロボットは自分のコピーを2台作るようになった。すると、2台のロボットは微妙に性能が違っていた。燃料は1台分しかないので、早く作業を終えたロボットが燃料を独占した。すると、ロボットのコピーができるたびに、ロボットは性能が良くなり、あっという間に何百倍も性能がよくなり、男の言うことも聞かなくなった、という。

このロボットの話でシンギュラリティ(技術的特異点)はもちろん、新しいロボットを2台作るようになったことである。生物も自分のコピーを<複数>作るようになったことで、このような自然選択による急激な性能向上や多様性を実現し、生物は40億年たって、地球にあふれたのだと説明する。

この話はなかなかよくできていて楽しめたけど、わしがこの本全体を楽しめたかというと、かなり退屈でした。もしかしたら題名通りに感動した人もいるのかもしれないけど、まあ、知っていることばかりだったので。(すんません)。

やっぱり現在の常識に反するような議論を展開しているような刺激的な本に比べれば、いまの科学の内容を丁寧に説明してくれるだけの本が少々退屈に感じるのは仕方がないことです。

★★★☆☆

 


若い読者に贈る美しい生物学講義――感動する生命のはなし

地下世界をめぐる冒険 闇に隠された人類史

ウィル・ハント 訳・棚橋志行 亜紀書房 2020.9.4
読書日:2020.11.14

子供の頃にトンネルの中を冒険して地下世界に取り込まれた著者が、世界中で地下の冒険をして、人類における地下の意味を考察した本。

ウィル・ハント(意志狩り?)というかなりふざけたペンネームの著者は、子供の頃、家の近所にあった、今は使われていないトンネルに友達と忍び込むという経験をする。そして地下の暗闇の世界に魅せられてしまう。

後にハントはニューヨークに移り住むが、ニューヨークにも地下世界(というか地下鉄と下水道)が広がっているのに気がついて、地下世界の冒険を始める。

この地下世界に魅せられた人たちはもちろん著者以外にもいて、もちろんお互いに出会い、一緒に冒険をするようになるのである。

この本ではニューヨーク、パリの都市の地下の冒険や、オーストラリア、スペインなどの先史時代の洞窟、あるいは洞窟の中で暗闇の中で一日を過ごす経験などが語られる。

都市の地下を冒険するというのは、かなり危険なことだ。うっかりすると、自分がどこにいるかわからなくなる。電池が切れると明かりがなくなり、出口を見つけるのは絶望的になる。もちろん地下世界に入り込み、死んでしまった人はたくさんいる。

著者もパリの地下で道に迷って危うく死にかけた経験を語っている。このときは冬が近く気温が低かったので、出口から吹き込む冷気に気が付いたので方向が分かり、脱出することができたのだった。もしも暖かい季節だったら脱出できなかっただろうという。

そして感覚遮断の経験をしたときの体験も興味深い。地下の暗闇で過ごしていると、人間の脳は僅かな刺激をもとに極めてリアルな幻影を作り出してしまうのだ。著者にもまるで生き物のようなリアルな光球が現れ、幻とわかっていながら、その生き生きとしたようすに見入ってしまう経験をする。

なにかに取り憑かれたように、地下を掘り続ける人たちもいる。最初は小さな地下室を作るつもりが掘ることをやめず、だんだん地下世界が広がってついには道路が陥没してそのことが発覚した話とか。でも、かつて人はカッパドキアに地下都市を作って暮らしていたこともあるのだ。

こんなふうに、地下に関する興味深い話が多いけど、でもまあ、たぶん、わしはこのような冒険はしないでしょうね。

★★★☆☆

 


地下世界をめぐる冒険――闇に隠された人類史 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ

 

昭和漫画雑記帳(ショウワマンガノオト)

うしおそうじ 同文書院 1995.7.15
読書日:2020.11.16

映画、漫画、特撮、アニメの世界で活躍したうしおそうじが、昭和の時代を絵と活字で振り返った本。

出久根達郎が新聞に書いていたコラムで絶賛していて、うしおそうじにそれなりに興味があったので、図書館で借りてみた。

うしおそうじって特撮に興味にある人はたぶん聞いたことがあるだろう。しかし、漫画も描いていて、アニメもやっていたとは、わしも知らなかった。今でいうと庵野秀明みたいなマルチな人なのだ。

とはいっても、なんというか、人間的にも職業的にもB級、C級の感じがするのだ。いい意味で庶民であり、庶民的な好奇心を最大限に発揮して、生きてきた人なんじゃないかという気がする。

昭和初期の子供が遊んでいる風景が描かれているが、そもそも子供が多い。あちこちの隙間に子供があふれている感じだ。本当にこんなに多かったのか? たぶん本当にこんな感じだったのだろう。そして、軍隊ごっこをしている子供が多い。うしおそうじによると、当時の男女比率は6:4だったそうだ。そうなんだ。

後半は自伝的な要素が多くなるが、映画会社で働いていた時、原節子に後ろから抱きつかれた話が出てくる。原節子の胸の膨らみを背中で受け止めたそうだ。原節子は、わしも知っている。小津安二郎の映画なんかにでてた人だ。永遠の処女と呼ばれていたそうだが、純真な感じの美人だ。そんな女優に抱きつかれるなんて、と思ったら、満員のバスの入り口にいたら後から乗ってきた原節子に体を押し付けられただけなんだそうだ。なーんだ。

円谷英二と日本の特撮を築いた話には、うしおそうじの目から見た円谷の苦闘が描かれていて興味深い。円谷がおもちゃとか、インスタント写真ボックスの発明をしていたとは知らなかった。おもちゃの発明で得たお金でお花見していたら、隣の集団といざこざになり、その相手が映画関係者の集団だったので、円谷は映画の世界に入ったんだとか。へー。円谷がゴジラをあてたのは53歳の時だ。遅咲きだ。

漫画を描いていた関係で手塚治虫とも親友だった。マグマ大使の実写版の権利をうしおそうじが取れたのはそういうわけだったのだ。いや、マグマ大使を制作したのがうしおそうじだったとは知らなかったんだけど。いまでも手塚が死んだことが信じられないという。

うしおそうじペンネームは漫画を描いたときに適当についけたものらしい。2004年没。

★★★☆☆

 


昭和漫画雑記帖

世界一高い木

リチャード・プレストン 日経BP社 2008年7月24日

読書日:2008年09月09日

 

リチャード・プレストンのホット・ゾーンを読んだとき、出だしの描写でたちまちその世界に引き込まれた。まるで見てきたかのような描写で、その本のテーマが単純明快、ストレートに提示される。

この本でも、最初の2ページで引き込まれてしまった。うますぎるとしか言いようがない。最初の2ページを2,3回読み返して、うなってしまった。シレット教授がまだ何者でもなかった若き大学生の頃の登場シーンだ。シレットは旅行中、引き寄せられるように素手でセコイアを登ってしまい、樹冠の生態系に魅せられてしまう。

木に魅せられた人間たちが、最初は孤独な試みだったのにまるで運命のように集まってしまう。そのなかでもマイケル・テイラーが印象的だ。億万長者の跡継ぎなのに、大学も中退してほとんど勘当状態。スーパーのレジ係をしながら、世界一高い木を探す。まったくのアマチュアで、何の見返りもないのに、焦燥感に駆られてつつ、誰も行かない森の奥をさ迷う。いやほんと、何かを成し遂げる人は、こんなものでしょうか。

★★★★★

 


世界一高い木
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