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若い読者に贈る美しい生物学講義--感動する生命のはなし

更科功 ダイヤモンド社 2019.11.27
読書日:2020.11.23

生物学者の著者が少しでも一般の人に生物学に興味を持ってもらおうと書いた、生物学の本質について書いた本。

生物学の本というと、いきなり不思議な生物の話や著者の体験談なんかが話されることが多い気がするが、この本では生物学が科学であること(そりゃそうだ)を強調していて、そもそも科学とは何か、ということから説明が始まっている。

著者によると、科学とは仮説の集まりであり、100%正しいとはわかっていないものである。ある正しい原理から演繹的に導き出された結論は100%正しいが、新しい知識はそこにはない。そうではなく、原理から外れた現象を取り込んで、新しい仮説を作ることが科学だという。だから科学は演繹で求めるものではない、などということが強調されている。

そうやって科学的な姿勢とは何かが述べられて、やっと生物の話に入る。そんな具合だからこの本はそういう科学の営みでわかったことのどこが新しいのかという部分についてそれなりにしつこく述べている。

たとえば、進化論でダーウィンが新しかったところはどこなのかというところが厳密に述べられている。著者によると、当時ダーウィンと似たようなことを述べていた人はたくさんいた。この時代は産業革命が起きて、技術が「発達」し、「進歩」が盛んに起きていた頃だ。社会学者のスペンサーが初めて「進化」という言葉を使ったという。(いっぽうダーウィンは進化という言葉を使っていないという)。進化=進歩、だったのだ。この言葉の裏には、人間が一番偉いという意味が含まれている。

ところがダーウィンは環境に適応して、それが子孫に伝わることを述べただけで、進化=進歩ではなかったのだ。進化には退化、つまり適応した結果ある能力がなくなることも含まれるのだ。そもそも進歩と退化は特定のものさしに従って判断した基準で、ものさしを変えると容易に逆転してしまうものである。進化に退化も含まれるとしたところがダーウィンの新しいところだという。

そういう著者なので、生物の定義すらなかなか面倒なのだ。そういう生物の定義に関する生物の本質の話が6章まで続く。

このなかで、きっと誰もが現代的だなあと思うところは、第5章の「生物のシンギュラリティ」の章だろう。ここでは、怠け者の男の話が出てくる。

あるところに怠け者の男がいて、ロボットを作って自分の代わりに農作業をさせる。ロボットは1日の作業を終えると、明日の燃料を自分で入れる。ロボットは1ヶ月で壊れてしまうので、面倒になった男はそれもロボットにやらせる。ロボットは1ヶ月たつと自分のコピーを作って壊れる。

あるとき、ロボットは自分のコピーを2台作るようになった。すると、2台のロボットは微妙に性能が違っていた。燃料は1台分しかないので、早く作業を終えたロボットが燃料を独占した。すると、ロボットのコピーができるたびに、ロボットは性能が良くなり、あっという間に何百倍も性能がよくなり、男の言うことも聞かなくなった、という。

このロボットの話でシンギュラリティ(技術的特異点)はもちろん、新しいロボットを2台作るようになったことである。生物も自分のコピーを<複数>作るようになったことで、このような自然選択による急激な性能向上や多様性を実現し、生物は40億年たって、地球にあふれたのだと説明する。

この話はなかなかよくできていて楽しめたけど、わしがこの本全体を楽しめたかというと、かなり退屈でした。もしかしたら題名通りに感動した人もいるのかもしれないけど、まあ、知っていることばかりだったので。(すんません)。

やっぱり現在の常識に反するような議論を展開しているような刺激的な本に比べれば、いまの科学の内容を丁寧に説明してくれるだけの本が少々退屈に感じるのは仕方がないことです。

★★★☆☆

 


若い読者に贈る美しい生物学講義――感動する生命のはなし

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