うしおそうじ 同文書院 1995.7.15
読書日:2020.11.16
映画、漫画、特撮、アニメの世界で活躍したうしおそうじが、昭和の時代を絵と活字で振り返った本。
出久根達郎が新聞に書いていたコラムで絶賛していて、うしおそうじにそれなりに興味があったので、図書館で借りてみた。
うしおそうじって特撮に興味にある人はたぶん聞いたことがあるだろう。しかし、漫画も描いていて、アニメもやっていたとは、わしも知らなかった。今でいうと庵野秀明みたいなマルチな人なのだ。
とはいっても、なんというか、人間的にも職業的にもB級、C級の感じがするのだ。いい意味で庶民であり、庶民的な好奇心を最大限に発揮して、生きてきた人なんじゃないかという気がする。
昭和初期の子供が遊んでいる風景が描かれているが、そもそも子供が多い。あちこちの隙間に子供があふれている感じだ。本当にこんなに多かったのか? たぶん本当にこんな感じだったのだろう。そして、軍隊ごっこをしている子供が多い。うしおそうじによると、当時の男女比率は6:4だったそうだ。そうなんだ。
後半は自伝的な要素が多くなるが、映画会社で働いていた時、原節子に後ろから抱きつかれた話が出てくる。原節子の胸の膨らみを背中で受け止めたそうだ。原節子は、わしも知っている。小津安二郎の映画なんかにでてた人だ。永遠の処女と呼ばれていたそうだが、純真な感じの美人だ。そんな女優に抱きつかれるなんて、と思ったら、満員のバスの入り口にいたら後から乗ってきた原節子に体を押し付けられただけなんだそうだ。なーんだ。
円谷英二と日本の特撮を築いた話には、うしおそうじの目から見た円谷の苦闘が描かれていて興味深い。円谷がおもちゃとか、インスタント写真ボックスの発明をしていたとは知らなかった。おもちゃの発明で得たお金でお花見していたら、隣の集団といざこざになり、その相手が映画関係者の集団だったので、円谷は映画の世界に入ったんだとか。へー。円谷がゴジラをあてたのは53歳の時だ。遅咲きだ。
漫画を描いていた関係で手塚治虫とも親友だった。マグマ大使の実写版の権利をうしおそうじが取れたのはそういうわけだったのだ。いや、マグマ大使を制作したのがうしおそうじだったとは知らなかったんだけど。いまでも手塚が死んだことが信じられないという。
うしおそうじのペンネームは漫画を描いたときに適当についけたものらしい。2004年没。
★★★☆☆